第5話「駅前相談」📝
事件のニュースから三週間ほどが過ぎた11月中旬、街ゆく人々の服装にマフラー、ネックウォーマーなど本格的な冬の防寒具が目立つようになっている。風が吹き空気は冷たいが青空が見える昼過ぎのJR大塚駅前で二人の男女の声が響いていた。
「木村探偵事務所で〜す。宜しくお願いしま〜す」
少し声は低い。しかし明るく爽やかだ。色白でやや小柄、どこか人懐っこさを感じさせる彼こそが木村探偵事務所の探偵助手、
「お気軽にご相談ください!」
もうひとり、少し遠慮がちながら高い声の女性、今日から事務所を手伝い始めた
桃介と美幸の二人は探偵事務所の宣伝活動としてチラシ配りに勤しんでいた。チビた規模の探偵事務所の仕事は実に地味で地道なのである。
「結構受け取ってもらえるもんだね。いが〜い!あれ?桃ちゃん減ってなくない?」
「…って。さっきから受け取ってんの男性だけじゃないすか」
「えっ?!…たしかに言われてみたら…」
「美幸さんみたいな若くて綺麗な女性が配ってたら男性はとるっしょ」
「え〜?そうなの?若くは無いけどね。えへへ」
「綺麗は否定しないんすね…。女性にも渡してくださいね。ほら浮気調査とかって女性のほうが多いんすからね。ティッシュを上にしたほうが受け取りますよ」
桃介はやれやれという様な表情になる。
「わかったよ。気合い入れて配るから任せといて!」
美幸は一見、単純とも見えるが、ともするとやや男性的、竹を割ったような性格の真っ直ぐさが特徴なのである。
配布するチラシにはこんなふうに書かれていた。親切、丁寧、安心、あなたの街の優しい探偵、木村探偵事務所、各種調査承ります。■浮気調査、■人探し、■身辺調査、■盗聴調査、■企業調査、■ペット探し等々承ります。
ただ、少し一般的な探偵事務所としては見慣れない文言が続いていた。その他、暮らしの相談を承ります。専門スタッフによる生活・労働・悩み相談。
「チリンチリン」
不意に自転車の呼び鈴である。
「おう桃介!」
「おっと、
「俺は、お遣いだお遣い。頑張れよ桃介!」
この自転車で現れた馴れ馴れしいオジサンは、柿崎さんと云う。トウモロコシを連想させるようなスポーツ刈り頭とチョビ髭が似合うダンディな雰囲気のオジサンで桜町通りにある喫茶店「
一瞬で、柿崎さんの乗る自転車が通り過ぎた後まもなくして、40代くらいの中年男性から美幸は話しかけられる。少し話すと美幸は少し首を傾げて桃介に駆け寄った。
「桃ちゃん、この事務所、ろうどうそうだん?ってしてるの?私、質問されて初めて知ったんだけど?!」
「はいはい、してますしてます。どんな話でした?」
「あの男性、いま働いてる会社が首になっちゃうかもしれないって。契約社員なんだって。それって深刻よね」
「僕が話しますよ」
桃介がその男性に駆け寄る。美幸は少し離れた所でまたチラシを配る。暫くすると中年男性は、桃介に軽く会釈して去って行った。
「桃ちゃん、どうだった?」
「雇い止めの可能性ありますね。こういうの多いっすよ。でも、労働契約法の『無期転換ルール』っていうのがあってですね、聞いてみたらもう長くフルタイムで契約更新を繰り返しているって話ですから、会社は簡単には解雇出来ないはずって伝えました」
「へ〜。桃ちゃんすごいじゃん!」
「いやいや。木村さんの受け売り。ただ法律どおりに行かないのが労働法みたいなんで。どうなるかはわかりませんよ」
「そうなんだ。でも今みたいのってお金には、なんないでしょう?」
「なんないすね。うちの事務所独特のボランティア活動。木村さんは、社会科の先生でしょ。僕は看護師じゃないすか。詳しい専門家までいかないけど、生きていくための知識っていうのかな、そういうのって、まあまあ、あるじゃないすか」
「そうそう。学校では教えてくれないような知識って沢山あるよね〜」
「そう、役に立つ社会資源とか法律とか、知らない人には教えてあげたいじゃないっすか。この世の中、誰にも相談出来なくて、一人で抱え込んで困ってる人って沢山いますからね」
「わかる〜!悩んでる時ってはなしを聞いてくれる人がいるだけで違うもんねっ!」
少なくはない人々が、チラシを受け取りチラシを見て僕らに話しかける。僕ら探偵事務所、大塚駅前チラシ配りのいつもの光景なのである。
青空の下、二人の男女がチラシとティッシュを配る何気ない駅前の風景。しかし人と人がチラシを橋渡しに会話を交わす様子は、何か殺伐とした社会の世相に照らして見るならどこか温かい。僕らが手渡しているものはチラシとティッシュだけではないはずである。
風が吹いていた。
優しい探偵RE
2023.7.12掲載🌀
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます