第2話「拉麺と美女そして事件」🚓


 季節は冬の足音が聴こえ始めていた10月の下旬、その日の大塚の街は朝から深い霧雨きりさめだった。


 古びたビルの事務所の窓から街並みを見下ろすと、灰色の道路に信号や標識、看板や人々の持つ様々な色あいが混じり合い、蜃気楼しんきろうのようにかすんでいる。そんな街並みを眺めながら、俺は観たことの有るはずもない、かの有名なシャーロック・ホームズの舞台、霧の街ロンドンに思いを馳せていた。


 自己紹介である。俺の名前は、木村玲きむられい41歳、新潟県出身、雪国育ちの寒がりだ。東京都文京区大塚に、自ら事務所を構える探偵であり、つまりこの物語の主人公になる。元々は高校の社会科教諭だったが、紆余曲折うよきょくせつあって探偵業を5年前に開業した。その経緯はいずれ語る事になるだろう。


 その日は、調査依頼の面談もあり、程々に忙しく過ごしていた。

 ただ、夜に美幸と会う約束があったからだろうか、はたまたこんな天候のせいだったのか、午前中から何か落ち着かず、ソワソワ胸騒ぎがするような違和感に包まれていた。


 ―――さて時は経過して深夜22時30分、池袋東口サンシャイン通りである。俺と美幸はTOKYOシネマで待ち合わせてレイトショーを鑑賞した帰り道、サンシャイン通りを興奮冷めやらぬまま話しながら歩く。向かうは、熊本県出身の彼女がこよなく愛す熊本ラーメンの老舗しにせ店である。


 その店は、映画館の裏手通り。複数のラーメン店がひしめき合う一角にある。店内に入ると客はまばら。2つのテーブルは埋まって居たので、カウンターに僕らは肩を並べて座る。

 程なくして少し小ぶりで深めの器が女性スタッフから僕らの面前に置かれると、俺には朝比奈美幸あさひなみゆきの感情スイッチが切り替わるのがわかった。

 キッと目付きが変わり手際よく後ろ髪をヘアゴムでまとめると彼女のほっそりとした首すじがあらわになる。透き通るような色白の肌と栗色の髪のコントラストが、首すじの美しさを強調していた。

 それから美幸は、大胆に麺をすすり右耳になびく後れ毛を掻き上げて呟くのである。

 「やっぱ熊本ラーメンは、うまかね〜!ん?……れいさん食べないの?」

 「…」

 直ぐに返答出来なかった。それはつい彼女に見とれてしまっていたからなのである。実は、この朝比奈美幸こそが9歳年下の俺の恋人になる。この美幸という女性…何故自分の彼女なのか、付き合ってはや1年になるのだが、未だ俺にもよくわからないくらいの美女なのである。


 「…あっ。いや、食べるよ食べる。俺はスープから行くタイプなんだ、うんうん、やっぱ深夜に食べるラーメンって最高だよなあ」

 

 俺は、慌てて、反応を取りつくろうとレンゲでマー油の浮かぶ白濁スープをすくう。しばらく僕らは食べる事に集中した。

 「しかし美幸がラーメン好きで良かったよ…。そういえば桃介ももすけが言ってたけど、ラーメン好きに悪い人は居ないんだってさ」

 俺は、美幸が食べ終わりそうなタイミングで話しかける。桃介というのは、俺と事務所で同居するルームメイトつ探偵助手の吉田桃介よしだももすけの事だ。


 「ふ〜ん、そうなの?」

 「あ、わかんないかな~?まあしかし俺は、桃介がたまに言う、そういう根拠もない確信めいた言い方って言うのかなあ。結構、納得しちゃうんだよな」


 「桃ちゃんって看護師さんだし頭いいんじゃない?」

 「そうだな、授業中は、いつも寝てばかり居たけど点数はそこそこ取ってた。要領もいいんだろうな」 

 実は俺は5年前まで私立高校の社会科教諭を13年していた。熱意は人一倍あったが、俺は余り要領の良い教員では無かった。いつも教務主任に嫌味を言われていびられていたクチだ。実は、助手の吉田桃介は、その教員時代の教え子という関係性になる。

 「でもさ桃ちゃんて、どっか不思議なとこない?」

 「確かに。俺も人の事言えないけど天然かな」

 吉田はちょっと面白い雰囲気を持った男だ。真面目なのか不真面目なのか何か掴み所がない。しかし努力家ではある。看護学校時代、国家試験の受験勉強を死にもの狂いで勉強していたのを俺は知っているからだ。


 「でもさ、考えれば、桃介居なきゃ今の俺はないんだ。彼には感謝しかないよ」

 「うん…そうだったよね」

 美幸は深く頷く。吉田は、俺が探偵を開業した時、病棟看護師として4年目を迎えていた。彼は中堅ナースとしてこれからやり甲斐も面白みも出てくるだろうタイミングでナースを辞め、俺と一緒に探偵事務所を立ち上げてくれたのである。そこに至るまでの経過には、長い長い説明がいる。

 「思い出したけど、美幸の引っ越しはいつだったっけ?」

 「えっ、ちょっ。言ったじゃん!来週の日曜だよ!」

 最後にスープを豪快に飲み干した美幸が、「ドスン」とラーメンどんぶりをテーブルに置くと、やや声を荒げて言った。


 「ご、ごめん。聞いてたっけ?あ〜俺はなんて記憶力が無いんだろうか。明日に朝イチで荒井あらいさんに伝えとく!」 

 俺は、何かわざとらしく自分の頭をパツンパツンと叩いて美幸に反省の意を示す。

 荒井さんというのは探偵事務所のビルの家主、管理人だ。口の達者な面白いおばちゃんで、日常的に親しくり取り取りしている。

 そして美幸の仕事は、総合病院の医療事務だ。都内で一人暮らしをしている。近々、探偵事務所を手伝うという理由もあり、事務所の入ったビルの別室に転居してくる予定になっている。それは、俺と美幸の実質、同棲どうせいとも言えた。そういった意味で僕らにとって一大事ではあったのである。美幸が怒るのも無理もないのだ。


 「私ソッコーで色んなもの整理したんだからね。大変だったよ!」

 「お疲れ様でした。ごめんね、忙しくて手伝えなくて」

 俺は、気遣う言葉をかけながら、美幸が事務所の仕事に関わってくれることに期待と心配と半々でいた。美幸は、時にストレートに物事を言い過ぎるからだ。

 「吉田と仲良く頼むよ」

 「桃ちゃんとなら大丈夫でしょ。私、病院に毎日行くんだから、週末しか事務所に行かないんだし」

 「そこ。たまにしか来ないのに、あれこれと指摘しないことだよ」

 「確かに私ズバズバ言っちゃうとこあるからな~。よく言われる〜」

 「分かってたら良いんだけど…うん」

 俺は美幸が素直に忠告を聞き入れてくれた事に少し安堵する。そして直近のそれぞれの予定についてひと通りやり取りした。


 その後僕らは、硝子のコップに注がれたラーメンと相性抜群のプーアル茶をゴクリと飲み干すと上着に身を包む。再び、冷たい風の渦巻く深夜のサンシャイン通りへ思い切って飛びだしていくである。


 その時だった―――外に出ると、けたたましいサイレン音のパトカーが僕らの目前を物凄い勢いで通り過ぎていった。それも続け様に3台のパトカーが通り過ぎたことに僕らは圧倒される。

 俺は、点滅灯の残像が視界に残り頭がクラクラした。尋常ではない状況を察知した俺と美幸は、その場に立ち止まり顔を見合わせた。

 「まさかテロとか…じゃあないよな?何があったんだろ」


 「テ、テロ?!えっ、怖〜い!どうしよ〜!?」

 俺は、パトカーの行き先を目を凝らして追った。記憶に間違い無ければ、確かその方向には小さな公園があった。何か事件がそこで起きているのだろう、視線の先に少しずつ人だかりが出来ているのがわかった。

 俺は、美幸の手をギュッと握るとそちらへ無条件に足を向けてしまう。


 「えっ、ちょっとれいさん!何しに行くの?!帰ろうよ〜!」


 「いや何か気になる。あと美幸を独りで帰らせるのも心配だよ。結論から言うと、ちょっとだけゴメン、付き合ってくれない?大丈夫、少しだけだからさ!」


 「え〜大丈夫って、なんで解るのよ!単なる野次馬やじうまじゃない?やめようよ、大人げ無い!!」


 「まあそうとも言う…」

 「もう!意味わかんないからっ!!」

 俺は、時に強引、または時に自己中心的な困った人間なのである。


 こうして美幸を巻き込みながら俺は深夜の暗闇の先にある喧騒けんそうの向こう側へ、一直線に飛び込んでいったのである。



優しい探偵RE

2023.6.17掲載

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る