第3話
建物の中は狭くて、お兄ちゃんが持つ長い槍は取り回しが難しくなる。でもお兄ちゃんはARで出力された雫の槍を短く持って、レディ・シルクに向けて突きを繰り出す。
レディ・シルクが隠れる天上から垂れ下がった布が、刺突の風圧で捲れ上がる。するとレディ・シルクはふわりと姿を消してしまった。
ぱさりとその布が降りる前に、お兄ちゃんは摺り足で体の向きを変えて、別の布の陰に現れたレディ・シルクを正面に捉える。
そして筋肉の動きを流れに乗せてまた雫の槍を突き出した。
その攻撃もレディ・シルクは姿を消して回避するけれど、あんまり良くない流れだ。
レディ・シルクは『
でもお兄ちゃんはレディ・シルクが姿を消してまた現れる先を感知して、レディ・シルクよりも先に次の攻撃を出して来る。レディ・シルクは『機動力』が低いから不意打ちじゃないと攻撃が間に合わない。
レディ・シルクもARで表示されているから、姿を現す時に微弱な
ただ姿を表示するだけで発生するAEは、例えてみればそよ風が肌を撫でるくらいの感触しかない。それを敏感に、そして精確に判断して攻撃に繋げるなんて、本当に丹堂家の人って身体能力のスペックがおかしいと思う。チートだ、チート。
「なんか不満そうな顔してるけど、これでもかなり神経擦り減らしてるから」
「お喋りなんてしてたら、レディ・シルクに襲わせちゃいますけどー?」
わたしに話しかけるような余裕を見せながら、厳しいですなんて言われても全然説得力がありませんよ、お兄様ー?
今のお喋りの隙にわたしはレディ・シルクをけしかけたけど、左後ろの死角から迫ったレディ・シルクに槍の穂先をくるりと向けて痛み分けにしてるし。判断力も体捌きもエグい。
鬼巫女から未言鬼への指示はARデバイスを通して思考だけで通じる。だからこっちの指示が読まれる危険は薄いんだけど、わたしのお兄ちゃんてばARの気配を察してから動いても間に合わせてくるからなー、なによARの気配って、言ってて自分で意味分かんないよ。
「お兄ちゃん、かわいい妹に謝ってくれない?」
「物凄い理不尽な気がするから却下で」
お兄ちゃんが大きく飛び退いて二人で入って来た扉の前に移動する。それはレディ・シルクがどこにいてもお兄ちゃんの前になる立ち位置だ。
それじゃ注意を反らしてもレディ・シルクが死角を狙えない。困る。
屋内でお兄ちゃんの動きが制限されていて良かった。これが走り回れるくらいに広い場所だったら、お兄ちゃんに速さで翻弄されてレディ・シルクが誘い出されて今とは逆のワンサイドゲームになってただろう。
一旦、レディ・シルクはお兄ちゃんの槍が届かないわたしの横まで退ける。どうにかまたレディ・シルクが展開した衣林の中へと入って貰わないと。もしくは時間を浪費してもいい。
出現から三十分が経過すれば、わたしはレディ・シルクを回収して戦闘を終了させられる。
そんなことを考えてたら、お兄ちゃんの後ろの引き戸ががらりと開けられる。
三人の男性プレイヤーがこちらを一瞬だけ凝視して、そして直後にぴしゃりと閉められた。
「やべえ! ラスボスちゃんしかいないじゃんかよ!」
「どうする、いっそ戦闘しないで逃げる?」
「ランキングポイント減るじゃん……白銀姫様、モブ出してくれないかな。ちょっとでも減るポイントを回収しときたいよ……」
そこの皆さーん? 扉越しでも聞こえてますけどー? ひそひそ話ならもうちょっと声を潜めてくれませんかねー。
「全国ランキングで二位なのにラスボス呼びはちょっといじめじゃありませんかー?」
わたしよりも上位のプレイヤーがいるのに最終コンテンツ扱いはひどいと思うよ。ぷんぷん。
「いや、あなた様、遠征しないから相手するプレイヤー数限られてるからランキング上がり切らないだけじゃないですか」
「会津でミコトキやってる人がどんだけいると思ってらっしゃいます? あなた都心でプレイヤーをフルボッコにしてる魔女より上位なんですからね?」
「この辺りのプレイヤー、何回壊滅させらたかって話ですよ、お姫様」
えー、わたし田舎者だから都会のお話とか分からないなー。
どうしよ、玄関の方もレディ・シルクの布を展開して襲撃できるけど……お兄ちゃんに後ろから狙われるの怖いな、やだな。
でもなー、手持ちの
あと十八分か。レディ・シルクが倒されないのは確定してるからな。意地を張る場面ではないよね。
ここでそこの三人が入って来てくれたらお兄ちゃんの動きが制限されて一緒くたにボコれるのになー。臆病者どもめー。
わたしのお兄ちゃんはこんなふうに硬直したら……ほら、踏み込んできた。
リスクを負ってでも勝利の可能性がある手を打って来る。
お兄ちゃんから発せられる闘争心に肌がピリピリして……ちょっと背筋がゾクゾクする。
プレイヤーがプレイヤーにAR以外で接触するのは反則ペナルティが入ってしまう。わたしが直接お兄ちゃんの相手はできないし、生身じゃ勝てる訳がない。
だからレディ・シルクにはまた前に出て貰う。
お兄ちゃんはこちらへ向かって駆け出している。運動ベクトルは前方に突き出していて、慣性は十分にその体に巻き付いている。
レディ・シルクをお兄ちゃんの後ろに出現されれば、無防備な背中を襲える。
反応、判断、戦術、指示、実行、全てが完璧だと自負できる。
でも、それは普通の人間が相手なら、と但し書きが付くのを次の瞬間に思い知らされた。
お兄ちゃんが手にした槍の石突で床を強く打つ。
AEが反動を再現して、お兄ちゃんが受けていた運動ベクトルが一発で相殺された。
一瞬の停止。慣性の喪失。束縛を失ってその刹那だけは自由に体の向きを転回させられる。
見惚れるくらいに綺麗なターンでお兄ちゃんは前後をきっちりと入れ替えた。
レディ・シルクの攻撃を中断させて逃げさせる。
お兄ちゃんの右足が床を強く踏み鳴らす。
もうリズムは戦闘の最初、当たらないけど攻められない泥仕合に戻されてしまった。
やっぱり、お兄ちゃんは強い。未言鬼の人間にできない行動を最大限に活かしてやっと対等にやり合える。
実はわたしの切り札を出せば、未言鬼のスペックと特性でお兄ちゃんだって圧倒できる。でもそれじゃダメなんだ。そんな勝って当たり前のやり方じゃ、お兄ちゃんに追い付けたことになんてならない。それじゃ、お兄ちゃんの隣に立って胸を張ることなんて、わたしはできないんだ。
お兄ちゃんを越えたい。
そうわたしがもう一度強く決意した瞬間だった。
お兄ちゃんの手から雫の槍が消えた。
器士が使う武器は、使用制限時間がそれぞれに決まっている。お兄ちゃんの雫の槍は最大で二十分少々が限界で、懐中時計を開けば確かに今し方その一点が通り過ぎていったのが確認できた。
お兄ちゃんはすぐに代わりの槍を展開する。
けど、ゲームが始まってからまだ半年。サービス開始してすぐにプレイを始めたわたし達でも、強化を手厚く施せるのは一つ二つが精々だ。
お兄ちゃんが取り出した槍は強化を何もしていないガチャで引き当ててそのままの、星が二つの低ランクな武器で、それじゃレディ・シルクには届かない。
お兄ちゃんが突き出した槍をレディ・シルクに避けさせない。そんな必要ない。
槍の先端はレディ・シルクを擦り抜けて無意味に反対側へと通過する。
レディ・シルクの特性に『霊体』が二つある。『霊体』は重ねた数以下の星しかない武器の攻撃は無効化する特性だ。
「これだから、幽霊系は!」
車に轢かれるようにしてレディ・シルクが通過するだけで一方的にダメージを与えられたお兄ちゃんが悪態を吐く。
時間切れか。こんなんじゃ、ダメなのに、今日も間に合わなかった。
無念には思うけど、それで手を抜くのはまだ闘志を絶やさないお兄ちゃんに失礼だと分かってる。
わたしは容赦なくレディ・シルクに攻撃を続けさせて、三十分が経つ前に前にお兄ちゃんのHPを削り切った。
お兄ちゃんの身に被さっていたARが全て剥がれて、戦闘不能になったのが丸分かりになる。
お兄ちゃんは気が抜けたのか、その途端に汗を噴き出して肩で息を始める。
「くぁあ、もう! また負けた……」
その場で体育座りして頭を抱えるお兄ちゃんが不謹慎ながらちょっと可愛い。スクショ撮っておこ。よし、おけ。
「お兄ちゃん、お疲れさま。ちょっと休んでてね」
まだレディ・シルクを連れて帰るのに必要な三十分が終わってない。
わたしは腹いせに廊下に潜んでレディ・シルクの弱点を見付けようと覗き見してたさっきの三人をさっさと蹴散らして、それでもまだ物足りないから外で他の鬼巫女の未言鬼と戦闘してた器士に向けて、手持ちの未言鬼をけしかける。
わたしのかわいい
ちょっとはすっきりした、かも?
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