第2話

 いつまでもお喋りしてたらゲームの時間に遅れちゃうから、お母さんの背中を押して車に乗せてもらう。

 わたしが助手席に乗って懐中時計からカーナビに目的地をコピペする。お母さんはナビなしでも行けるだろうけど、念のためにね。

 お兄ちゃんは後部座席でARウィンドウを出して装備データの最終チェックしてる。

 わたしも運転はお任せにして、到着したらすぐに始められるように使うデータを整理しておこっと。

 ミコトキではモンスターのことを未言鬼みことおにって呼んでる。

 今日の出現ポイントで予告されている鬼因子は『シルキー』『ガマガエル』『ゴースト』の三種類だ。んー、怪談縛り? まだ梅雨に入ったばかりなんだけどな。

 ミコトキには未言みことっていう特殊な言葉が重要になってる。いろんな未言を見付けだして、写真に撮ったり詩を書いたりイラストを描いたりして、それを登録する。登録した作品と未言の一致度が高いと、ゲームで使える『未言霊みことだま』が貰える。

 よし、決めた。今日はシルキーを狙おう。

 わたしは目標を決めて、ストックしてある作品から一枚を呼び出した。

 わたしが未言を表現するのは、イラスト。それを書くのは万年筆だ。

 万年筆の刺繍みたいに細くけれど曖昧に変わる筆跡、種類が多くて独特の透明感のあるインク、そこから生まれる絵の世界観がわたしの持ち味。

 選んだ作品は、一昨日出して丸一日経った昨日に審査が通ったイラストだ。

 雨で部屋干しになった洗濯物を、孔雀、松露、紫陽花、霧雨の四色で描いた。お兄ちゃんのTシャツにお父さんのYシャツ、お母さんのカットソーにわたしのキャミソール、たくさんのタオルに少しのハンカチ、それは確かに上から垂れ下がった林みたいな光景だった。

 申請した未言は『衣林えばやし』。悪天候や花粉で部屋干しされた衣類が、林に繁る枝葉のように部屋に充満している様子、という意味。

 たくさん干された服からは、それを着ていた子供の楽しげな声が聞こえてくる気がするって書いてあったけど、我が家の服達も家族の団欒をしてくれてるように思えた。

 審査の結果、わたしの『衣林』は星が七つ付けられた。これはけっこう高評価で、自慢できる。

 『衣林』を中心にして、手持ちのデータから強化に使用するのを選ぶ。未言は相性があって、付けられるものが決まっていたり、付けた時に強くなったり弱くなったりする組み合わせがある。それをいろいろ弄ってデータビルドを組み上げるのが、なかなか楽しい。

 わたしと同じ鬼巫女おにみこのプレイヤーチャットに上がった報告を見ると、わたしが一番早く現地に到着しそう。よし、先陣は任されちゃいましょう。

「二人共着いたよ」

 返信をしてた間に、お母さんが車を道路脇停めていた。

 目的地になってる家の方に顔を上げると、黒服にサングラスを掛けたいかにもそれっぽい人達が立ってる。

 ミコトキは未言鬼と戦闘するのにけっこう激しい動きをするから、無関係な人が入ってくると割と危ないし、今回みたいに似たような建物が多いとプレイヤーが違うとこに入って行っちゃったりしたら迷惑になるし、そういった事故を防ぐための案内スタッフさん達だ。いつもご苦労さまです。

「じゃ、行ってきます」

「終わったら迎えに来るから連絡してね。鏡也くん、危なくないように尽予ちゃんにちゃんと着いててあげるのよ」

「わかってる」

 お母さんとバイバイして、お兄ちゃんと二人で門の前に立ってるスタッフさんに近付く。

 スタッフさんも当然AR可視状態にしてあるから、わたしたちのどう見てもゲームしに来ましたってARファッションが確認できている。

「こんばんは。ルナエラ様とミラー様ですね。本日はこちらの放置住居がステージです。敷地内は建屋の外もステージですが、隣接する敷地や道路に出ないようにご注意ください。ステージ外では警告が出されます」

 ルナエラはわたしの、ミラーはお兄ちゃんのプレイヤーネームだ。スタッフさん達にはプレイヤーと同じく、プレイヤーネームと耐久力HPを表示するバーが見えているらしい。

「わかりました。もしかしてわたしたちが一番乗りですか?」

「はい、そうです。暗いのでお気をつけてお進みください。ああ、それと家の中には土足のまま上がって大丈夫ですよ」

 スタッフさんにお礼を言って、奥に進む。

 懐中時計を出してステージマップを確認すると、出現ポイントは家の中になってた。まずはそこまで移動しないと。

 言われたまま土足のまま失礼して玄関から家に入る。間取りは江戸時代から続く農家の造りになってる。ぶっちゃけ、我が家がまさに農家なんだけど一階はほとんど同じだ。

 平成に改装したらしい我が家と違って、こちらは二階がない。人がもうずっと住んでいない家の中は、雨潜あめひそむ梅雨の夜の静けさも相まって、肌に薄ら怖さが張り付いてくる。

 お兄ちゃんが前に出て先を確認しながら引き戸を開けてくれる。

 未言鬼の出現ポイントであるそこは乾いた流しだけが残っている空っぽの台所だ。

 わたしはお兄ちゃんの背中を追い越して、流しの前に立って、そしてくるっと踵を軸にして振り返る。

「お兄ちゃん、準備はいい?」

「ああ」

 お兄ちゃんが腕を振るうと、右手のグローブに握られて槍が現れた。

 お兄ちゃんが愛用している『雫の槍』だ。飾りもなく穂先へ向かって真っすぐに細くなっているその槍は、伝説の村雨みたいに刃がしっとりと濡れている。

 わたしは懐中時計を開き、目の前の出現ポイントを解放する。円形の模様は、どうみても何かが出てきますっていう雰囲気で光を醸し出している。

 わたしの目の前にウィンドウが展開されて、三つの鬼因子の選択肢が提示される。

 予め決めていた通り、わたしが選ぶのは『シルキー』。イギリスの妖精で、元は女性の亡霊であり、家事をしたり侵入者を脅かしたりして家を守ると伝承されている。この鬼因子の星は五つ。

 そこにわたしは用意していたデータを重ねる。その中核になる『衣林』の星七つが加えられる。

 合計して星は十二個。分かりやすく言えば中ボスくらいの強さかな。

 あとは、わたしが未言鬼に名前を付けて上げれば、それは完成して門から出現する。

「I gift your name with my dear」

 わたしが創造の定型句を唱えると、いつも通り目の前の紋章が強い光を放って、わたしの姿を、そしてわたしと対峙するお兄ちゃんの姿を夜闇に浮かび上がらせる。

 緊張で唾を飲み込むお兄ちゃんの喉仏の動きがはっきりと見えて、わたしは微笑む。

「レディ・シルク」

 わたしが初めてその名を呼んだ瞬間に、彼女は産声を上げて空気を引き裂いた。

 ばさり、ばさり、と何処からともなく天井から白い布が降りてきて部屋に目隠しをたくさん作り出した。その中に紛れて白い服の裾をひらひらと浮かばせた女性の幽霊がお兄ちゃん――モンスターを倒す方の器士きしと呼ばれる一般プレイヤーに相対した。

 ミコトキ。それは未言鬼というモンスターを生み出す『鬼巫女』と、未言鬼を倒す『器士』とをプレイヤーが選択して、未言鬼の討伐の成否を通して競争するPvPオンリーのARゲームタイトルである。

 そしてこのわたし、ルナエラは鬼巫女ランキングで東北ブロック一位、全国ランキングでも二位の座に着いているトップの黒幕プレイヤーなのです。すごいでしょ?

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