ミコトキ

奈月遥

第1話

 机に置いといた懐中時計が震えた。

 いや、正確には懐中時計タイプのデバイスなんだけど、デバイスって言うより懐中時計って言った方が、なんかよくない? いいよね? わたしはいいと思う。おけ。

 懐中時計の竜頭を押して蓋をぱかりと開けると、拡張現実ARのホロウィンドウが浮かび上がった。デバイスを通知振動させたのは、わたしがやり込んでいるゲームアプリだった。

 そのゲームタイトルは『ミコトキ』。ARで武装したプレイヤーが、同じくARで現実に重ねられて出現するモンスターを倒すゲームだ。

 ARゲームだから自分の体を動かして攻撃したりモンスターの攻撃を避けたりして、スポーツゲームとしても人気がある。意識だけを電脳世界に送って体は眠ったままになる仮想現実VRゲーム、コントローラーやデバイスを手で操作するだけの端末ゲームよりも、我が家の両親からの覚えもめでたく、やるならARゲームにしろと言われてたりする。

 つまり、ミコトキをやる分には口煩く叱られたりしないのだ。勉強の時間? 宿題は学校でやってるから、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

 それで通知を確認すると、この後八時からモンスターの出現ポイントがポップするという内容だった。今週のウィークリークエスト、まだ消化してなかったから、行きたいな。

 自分の部屋を出て、隣の部屋をノックする。

「おにーちゃーん」

 一つ上の鏡也きょうやお兄ちゃんは、晩御飯後でのんびりしてたと思うんだけど、呼んだらすぐに出て来てくれた。

 ちょっとぼんやりした目元だけど、眠いんじゃなくてこれがデフォルトの顔つきだ。頼りになるお兄ちゃんだけど、ちょっとかわいいっていつも思ってる。

尽予つくよ、ミコトキ?」

 お兄ちゃんも同じゲームをやってるから話が早い。今日みたいに夜に外出るんでも、お兄ちゃんが一緒なら家のご両親も軽く了承してくれる。

「うん。ウィークリークエスト消化したい。一緒行こ?」

「いいよ。準備するね」

 やた。相変わらず、わたしに甘々だぞ、お兄様。感謝してます。

 わたしは部屋に取って返して、ドアをちゃんと閉めてから服を脱いでいく。

 ブラもワイヤ入りからスポブラに付け替える。それからぴっちりとした生地のインナーを上下で着て、インナーの下に巻き込まれた長い髪をばさりと払った。

 上半身は手首まで、下半身のはタイツになってて足の指先まで張り付くインナーは、部屋の中では少し暑い。でも外は梅雨に入って風が冷たいから体が夜に冷えるのを防いでくれると思う。

 それにARゲームをやるには、このアディショナル・リアル・インナーARIが必須なんだ。これは最近開発された特殊な素材で、ARが現実で発生させる粒子振動を増幅させて、実体に近い感触や衝撃、力場を出してくれる。

 それをアディショナル・エフェクトAEと言うんだけど、わたしくらい小柄で軽いとAEによってモンスターの背に乗れたりする。モンスターが走ると滑り落ちちゃうんだけど、ゆっくり歩いてもらうといい感じにふわふわ運んでくれて楽しいんだ、これが。

 ARIの上から、生地の透けるブラウスを着てスカートも履く。最後に手袋をはめて準備は万端だ。

 この手袋、レースになっててウェディンググローブみたいな見た目してるから、けっこう気に入ってる。

 懐中時計を胸ポケットに忍ばせて部屋を出ると、ARIに短パンと半袖のジャージを着て、手はレーサーみたいなデザインのグローブをはめたお兄ちゃんが腕時計タイプのデバイスを弄ってた。

「行くか」

「うん」

 二人で頷き合って階段を降りていく。居間にいるはずのお父さんとお母さんにもちゃんと声を掛けていかないと。

 ひょっこりと襖から顔を覗かせれば、お父さんがテレビを見ながらお猪口を傾けている。

「ちょっとお兄ちゃんと出かけてくるね」

「ん……例のゲームか?」

「そー」

 わたしが素直に返事すると、お父さんはへにょんと眉を下げる。うん、かわいくなくはないけど、歳を考えて。まぁ、意識しないでやってるの、知ってるけどさ。

「父さん、お酒飲んじゃったよ……」

 どうやら過保護なお父様は車で子供達を送りたいらしい。学校に行くより断然近い距離なんだけど。

「母さん、送ってやってくれるか?」

「はいはい。尽予ちゃん、どこ?」

 お母さん、洗い物してたみたいのなのに、手を拭くついででエプロンを外してやって来る。いつものバッグも手に取って外に出る気満々だ。

「えと、ここ」

 懐中時計を取り出してお母さんの前にARウィンドウを出す。今日のゲーム地点は廃屋だと出ている。

「ああ、ここね。廃屋? 確かに人が住んでない家が多いとこねー」

 さすが、小さい頃からずっとの地元民。さっくり見ただけで何処なのか把握しちゃったみたい。

 お母さんは夜の運転の時だけ眼鏡を掛ける。そのピンクゴールドのフレームにはすごい見覚えがある。

「あ、こないだ上げたやつ?」

「そうよ。尽予ちゃんの可愛い姿と鏡也くんの格好いいところ、ちゃんと見なくちゃね」

 それは母の日にプレゼントしたAR機能付きの眼鏡だ。うん、ちゃんとお母さんに似合ってる。ちなみに、選んだのはわたしだけど、お金を出したのはお姉ちゃんが八割、お兄ちゃんとわたしで一割ずつだったりする。わたしはミコトキで稼いでるんだけど……お兄ちゃんの面子を潰す訳にはいかないもんね。

 AE対応のグルカサンダルを履く。踵が上がって背筋が伸びる感じが、やるぞ、って気分になれて好きだ。

「エントリー、鬼巫女おにみこ

 外に出てすぐに、ミコトキのARをアクティヴする。せっかくお母さんがプレゼントを使ってくれたんだもの、綺麗な姿を見せてあげたい。

 ARをオンにしている人には、わたしがアニメのプリンセスみたいなドレスを纏って見えている。透け感のあるフリルは樹氷をイメージしたデザインですっきりと、でもしっかりとガーリーに仕立ててもらった特注のARドレスだ。ついでに髪の色も氷河から反射してくるような氷銀ひぎんに、目の色は冬のぶ厚い雲の雪煤ゆきすす色に変えてる。

 リアルのファッションと違って、ARファッションは見た目を被せて演出してくれるから、暑いとか寒いとか関係なくいつでも最高のコーディネートを着られる。

「すっごい、写真よりもっと綺麗!」

 お母さんがわたしを見てはしゃいでくれると、恥ずかしいけど嬉しい。親孝行しちゃってるね。

「でも、鏡也くんのはなんていうか、地味ねぇ……」

 お母さんはお兄ちゃんの方を見ると頬に手を当てて残念そうな声を上げる。

「こっちは装備品だから」

 お兄ちゃんがARで被っているのは、本格的に山登りが出来そうなジャケットにトレッキングズボン、そしてゴツいブーツだ。

 わたしのARファッションはミコトキの装備ではなくて一般に公開されてるもの。対してお兄ちゃんのはミコトキでデータもデザインも設定されているものだ。

 ゲームの攻撃力とか防御力なんかを重視するとファッションは二の次になる。

「尽予ちゃんはこんなに素敵なドレスなのに」

「わたしはランカーだから、見た目にも気を使わないとね」

 そもそもかわいい方がテンションあがるし。ゲームなんだもの、楽しく好きなことやるのが大事だよね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る