第15話 天之神社8 ―平和への祈り―

「うー……気分が悪い」


「だ、大丈夫か、シャル」


 場所は変わって、天之神社境内の中庭。白砂の敷かれた広々とした空間に設けられた石椅子の一つに腰を下ろしてシャルナが気分悪そうにしている。人間牧場のコーナーで見た光景が余程ショッキングだったようだ。玄咲はそのシャルナの背をやや遠慮がちに撫でている。明麗はくすりと笑った。


「本当、仲がいいですねぇ……。……その、シャルナちゃんには少しショッキングな光景でしたよね。ごめんなさい……」


「い、いえ。少し、視覚的に、来ただけで、全然、大丈夫です……」


「そうですか?」


「ええ。シャルはそんなに弱くありません。……しかし、俺も正直、恐ろしいと思いました。……まるで、地獄を見ているようでした」


「地獄、ですか。……そうですね。」


 明麗は少し考えて、頷いた。


「地獄。一言でいえば、それですよね……そして」


 3人を照らす白い太陽を見上げて明麗は告げる。


「平和。その価値がよく分かりますよね。……だから、私はこの平和が続くといいと思っています。頑張っています。あー、本当」


 明麗は空を見上げて、


「平和が続くと、いいなぁ……」


「……先輩は」


 玄咲は


「なんで、ここに俺たちを連れてきたんですか?」


 尋ねる。明麗に。ただ、親睦を深める。それ以上の意味が明麗の行為には明確にあったから。


「……理由は幾つかあります。一つは」


 明麗は二人を振り向き、


「試験のため」

 

「試験の?」


「はい。性格には試験のその先のため、です。……魔物の恐怖を本当の意味で知り、それを乗り越える。そのプロセスを挟むのと挟まないのじゃ、魂の成長具合が間違いなく数段変わる。勇気を奮いだして戦う。その方が魂格成長(レベルアップ)しやすくなる――というのが一つ。……実はですね」


 少し声を潜めて、


「ルディラちゃんも去年ここに連れてきたんですよ」


「えっ!?」


「私は1年時ルディラちゃんと組んだんですよ。私の服の袖を掴んで小さな声で頼んできて、あの時のルディラちゃんは本当可愛かったですね……っとと、今のは秘密。秘密ですよ。あの子は凄くデリケートな性格してますから」


「それは、なんとなく、分かります」


「はい。聞かなかったことにします」


「よろしい。……まぁ、彼女には逆効果というか、私の想定以上に何らかのトラウマが根深いらしく、戦災写真館の途中で気絶してしまいました。取り合えず最後の絵だけ見せて、少し休ませて帰ったんですけど、あれから1年。ルディラちゃんはあまり変われませんでしたね――いえ、言葉を濁すべきではないですね」


 明麗は断言した。


「彼女は自分に打ち勝つことが――成長ができなかった。今のままでは頭打ちでしょう。才能は私以上。でも……彼女は」


 明麗は寂しく笑う。


「戦いに向いていないんです。多分、ずっと無理しています」


「……ルディラ先輩に、詳しいんですね」


「そりゃ、一年間事あるごとに絡んで悉く連れない反応を返されてきましたから、当然です」


 自慢できるようなできないようなことをいう明麗。


「……多分」


 明麗はポツリと、


「彼女の異常な才能、そして家柄は必ず彼女を戦火へと引きずり込む。だから、彼女が今のままでいることが、私は正直怖い。私には彼女を導くことができませんでした……」


 弱気とも取れる発言。玄咲もシャルナも少し驚く。


「でも」


 だが明麗はいつものように。


「天之くん」


 明るい笑顔を振り向かせて。


「あなたならルディラちゃんを変えられるかもしれません」


 そう告げた。


「――」


 夕日が天使を橙色に染めている。丸い円の只中にシルエットが沈んでいる。幻想の美が沈黙に時を刻ませる。


「……なぜ」


 玄咲は。


「俺が」


 真剣な表情で問うた。


 真剣に意味が分からなかったからだ。


「あなたの得意な強さは、多分今一番ルディラちゃんに欠けているもの。その強さに触れることで、何かが変わるかもしれない――私は勝手にそう期待しているのです。まさかって感じでしたが、正直、安心しましたよ。ルディラちゃんが天之くんと組んでくれて」


「え?」


「天之くんなら安心してルディラちゃんを任せられます。天之くん」


 明麗は顔を傾けて、暮れなずむ夕日の中で微笑んだ。


「どうかルディラちゃんを守ってあげてくださいね。私との約束ですよ」


「はい」


 玄咲は即答した。


「必ず。命に代えてでも」


「命に――私はあなたにも自分自身を大切にして欲しいのですが」


「す、すみません」


「でも」


 ニコリ。


「ありがとうございます」







 その後は3人で境内の中を少し散歩した。気分転換だ。山風が気持ちよく、段々気分がよくなってくる。


「……ところで」


 砂利を鳴らしながらの散歩途中、シャルナが明麗に尋ねる。


「連れてきた、もう一つの理由は、何ですか? 一つはって、言ってましたけど」


「……もう一つは、ですね」


 明麗は立ち止まり、尋ねる。


「王魔写真館。あれを見てどう思いましたか?」


「……そうですね」


 玄咲は少し考えて、正直に胸の内を伝えた。


「……おぞましかった。魔物の脅威というものを俺は甘く見ていたと認めざるを得ない。気が引き締まる思いでした。……正直、俺はどこか王魔戦線時代というものを娯楽の延長戦上に考えていたと認めざるを得ない。魔物の脅威を軽んじていた。魔物は……怖かった」


 あるいは前世で見た戦場のどれよりも。


「地獄、としか言いようがなかった。……人には生み出せない地獄、魔物にしかう産み出せない地獄だった。だから、恐ろしいと思いました。心の底から。舐めていた。魔物を。その脅威を。……そう、認めざるを得ません。試験前にあれを見れて良かったです」


「そうだね。気が引き締まったよ。……試験前に、ここにきて、うん、良かったかな」


「そう、ですか。……私もね、同じです。恐ろしくて、地獄だと思って、でも、気が引き締まった。幼いころ見たあの資料館で泣いた記憶はずっと忘れません。そして」


 明麗は振り返り言った。


「この平和の素晴らしさも、永遠に忘れません」


 真っすぐ、伝える。


「……この時代は平和ですよ。そりゃ、多くの人の尽力で成り立っている仮初の平和なのかもしれない。でも、それでもね、平和ですよ。……本当」


 明麗は夕日に呟いた。さっきも聞いた言葉。


「この平和が、続くといいなぁ……」


 玄咲は、きっとその言葉が全てなのだろうと思った。


 平和を希求する心。天之明麗の根幹はきっとその心なのだろうと。


 いつも明るくて優しいのは、根が途方もなく純粋だからなのだろう。


 明麗の心に玄咲は酷く共感を覚えていた。

  

「……単にね」


 ぽつりぽつりと、


「共感されたかったんです」


 明麗は本音を零す。


「この平和の素晴らしさを」


 遠く、夕日を見る。


「戦争の悲惨さを」


 遠く遠く。


「亜人の歴史を、魔物の怖さを」


 果て無き遠くを。


「そして何より、それらを超えて今ここにある、今この瞬間の奇跡を、この素晴らしい時間の尊さを」


 まるで得難く捨てがたい宝物の在処を何度も確認する子供のような目つきで。


「あなたたちに共感してもらえたら嬉しいなって思ったんです。それもまた私の本音。あはは、結構エゴイズム入ってますよね。すみません。でも、正直に語ります」

 

 揺らぎ沈みゆく夕日を眺めながら明麗は語った。


「……なんで俺たちにそこまで」


 

「私があなたたちを大好きだからです」


 

 迷いない言葉が即座に帰ってきた。

 明麗はこれまでで一番の、明るく、麗らかな、明麗らしい笑顔で、2人に笑いかけた。

 玄咲は訳知らず涙が零れた。シャルナも、涙を零していた。玄咲は思わず尋ねた。


「なぜ、俺たちのことを、そんなに」


「――それは、ですね……シャルナちゃんを助けた時のあなたがとても格好良かったからです」


「えっ……あ、いや、ああ……」


 玄咲は驚き、しかしすぐに得心した。それはとても明麗らしい理由だったし、よく考えたらそれくらいしか理由がなかった。おそらく出会う以前の明麗の眼に初めて、そして唯一触れたであろう機会。

 あの決闘。

 あれ以外、あれ以上の理由などよく考えたらあろうはずがなかった。


「もし私が困ってたら、きっとこの人は助けてくれる。……不思議と、そう確信できたんです。それでですね。気づいたら」


 シャルナと、私を重ね合わせてしまったから。


「好きになっちゃいました」


「――」


 明麗の理由。それは、衝撃的だった。シャルナがプルプル震えている。明麗はあはは、と笑った。


「あくまで後輩としてですよ。だから、シャルナちゃん。落ち着いて。本当、落ち着いてください……」


「う、うにゃ、うにゃにゃ――うにゃーーーーーーーーーーーーっ!」


 シャルナは久々に暴走した。明麗が笑顔で逃げ回り、シャルナがそれを目をグルグルにして追う。大空の下で、2翼の天使が戯れ舞う。それはとても、美しく、平和な光景で、玄咲はこの光景がいつまでも続いて欲しいと、一瞬、本気で祈った……。








「ハァ、ハァ、そ、それじゃ!」


 シャルナに追いかけられて本気の汗を掻いた明麗が額の健康的な汗を拭いながら笑顔で言う。その後ろではシャルナは膝に手を当て息をついている。追いつけなかったらしい。


「本日最後の用事を済ませましょうか!」


「……どこに行くんですか?」


 玄咲は途中から本気の鬼ごっこになった追走劇の成果にはあえて突っ込まず、尋ねた。


「どこに行くというよりですねー」


 明麗はふふ、と悪戯気に笑って言った。


「天之くん。勇者ADを起動してみませんか?」


「します」

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