第41話 シャルナと堕落衝動

「なんでさ、恋人じゃなく、友達なんだ」


 玄咲は改めて勇気を出してシャルナに尋ねてみる。布団を脱いだシャルナが、ちらっと玄咲を振り返る。


「……知りたい?」

「うん、知りたい」


 コクン。気になって気になって仕方がない。


「あはは……そんな、大した理由じゃないよ。幻滅、しないでね」


 シャルナは玄咲に身を寄せ、わざわざ耳元で囁いた。


「玄咲のことが、好き過ぎるから」

「――」


 自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。シャルナと反対側に視線だけでもと必死に逃がしながら、聞く。


「どっ、どういう、ことなんだ?」

「……コスモちゃんも言ってたでしょ。私のときめきパワーは53万だって。私は玄咲の3倍、玄咲のことが好きなんだって」

「3倍……うん……」


 嬉しいような悲しいような複雑な気持ち。そしてちょっとショック。


「あはは、落ち込まないで。玄咲が、私のこと大好きだって、ちゃんと分かってるから。……それでさ、想像して。今の3倍、私のことが好きな、玄咲を」


 想像してみる。シャルナに覆いかぶさっている自分が反射的に頭に浮かんだ。その最悪のイメージを頭を振って打ち切るも、そうなる可能性を否定できない。思わず、頭を押さえてポツリと、


「俺、正気を保っていられるかな……」



「きっと、保って、いられないよ」



 ポチ、ポチ。


「え?」


 ボタンが外れる音。いや、外す音。連続する。冷や汗が、流れる。息が、荒くなる。そっと、シャルナに視線をやる。


 ブラは、つけていない。白いシャツに覆われた、ささやかな、しかしこの上なく綺麗な熱く鼓動する膨らみが白いシャツ越しに見えて、さらに、スカートに手をかけたシャルナまで見えて、白い布が見えて――そこで頭が真っ白になった。身体が、勝手に動いた。


「だ、だめだっ! シャル!」

「きゃっ!」


 スカートを脱ごうとする手を止めようとして、体勢がもつれ合い、二人してベッド上に倒れる。


「あっ!」

「!!!!!!!!!!? あ、ああ……!!!」


 ――両手首を顔の上で拘束した体勢で、玄咲はシャルナに覆いかぶさってしまっていた。上着が完全にはだけ、スカートも太ももの下部まで下がっている。細い胴体が、完全に服の拘束から解かれ、白に白を纏っただけの状態。完全な脱衣状態ではなく、ギリギリのところまで脱げて、まるで秘めていた宝物を開帳したかのような有様になってしまっているのが逆にどうしようもなくシャルナの色香を高めている。ゴクリ、と生唾を飲み込む。眼が血走る。身体に反射的な力が籠る。一部が臨戦態勢を整える。シャルナが儚く赤らんだ頬で、蒸気した呼気で、潤んだ瞳で、呟く。


「恥ずかしい……」

「ご、ごごごごご、ごめ、めめっめめっめ、あっ、あっ、あっ――あっ」


 正気の言葉遣いを失した玄咲に、シャルナが心底恥ずかしそうに、でも笑いかける。


「でも、嫌じゃないの」

「――え?」


 玄咲は驚く。女の子はえっちなことを嫌がる。玄咲の女の子への理解はその辺のレベルで止まっている。学ぶ機会がなかったからだ。深く付き合う機会がなかったからだ。レイプされた被害者はみんな嫌がっていたからだ。シャルナが続ける。


「死ぬほど恥ずかしいけど、それだけだよ。むしろ、嬉しいって、気持ちもあるって言ったら、引かれるかな?」

「それは、ただの俺の理想だ。いや、俺は何を言って」

「嬉しい……あのね、一皮剥けばね。えっちな衝動をね、私もちゃんと、抱えてるんだよ。玄咲とさ、そういうことしたいって、思っちゃったり、するんだよ……」

「――」


 玄咲の頭が真っ白になった。続けて、シャルナが囁く。


「私ね、玄咲のこと大好き。愛してる。求められたらね……何でもしてあげちゃう」


「う……うん……」


「そして、恋人になったらね。求められなくても全てをする。絶対に。2人でね」


 シャルナが玄咲を抱き締めて耳元で囁く。




「堕落して、底の底まで沈み込むの」




「――そうか」


 玄咲はシャルナを抱き締め返した。そして頭を優しく撫でた。


 シャルナの体が震えていたから。


「――ずっとさ、堕天使らしくないって思ってたよ。本当に心が綺麗な子なんだなって思ってた。でもさ、それだけな訳がないよな……」


「うん、うん……!」


「ずっと、我慢してたんだな。堕天使特有の堕落衝動を。……そりゃ、シャルにだってあるよな」 


「そう、だよ……! 私、本当は汚い衝動一杯持った、汚い子なの。え、えっちなことだって、興味があるし、一杯知ってる……! だからね、堕天使は、昔から迫害されてきたの……! みんなの嫌われ者だったの……!」


 堕落衝動――堕天使の負の種族特性。常人の数十倍堕落的行為に惹かれるという厄介な特性だ。衝動というよりは指向。だが、時に強い衝動となって現れることもある。その衝動に従って行った行動は不思議と破滅へと繋がるという。それは関わった他人も例外ではない。堕天使を堕天使たらしめる、迫害しやすしとアマルティアン認定される切欠の一つにもなった、筋金入りの負の特性だ。それをシャルナも抱えているらしい。


 そうは見えなかった。だから玄咲も、シャルナは特別心が綺麗だから衝動が少ないのだろうと思っていた。だが、違った。必死で我慢していただけらしかった。シャルナがさらに告白する。


「私ね、玄咲のこと、愛してる」


「う、うん。俺もだ」


「だから、だからね。私の衝動も、それに関わるものなの……」


「……」


 玄咲はなんとなく衝動の正体を察する。シャルナがその推測を裏付ける。


「個人の性格や環境、状況によってね、抱える衝動は違うの。でもさ、自分がどういう衝動を抱えているかってのは、はっきり分かるの。そ、それでね、わ、わわ、私の、衝動はね。はぁ、はぁ……!」


 シャルナは呼気が荒い。言いたくないことを無理やり言わされている。そんな感じだ。玄咲はシャルナを宥める。


「言いたくないなら言わなくていい」


「い、いや、言うよ。引っ張りすぎたし、私が言いたいの。でないともう耐えられないの。あ、あのね、私ね……」


 そしてシャルナは告白した。


「げ、玄咲と、恋人になって、他に何もせず、ただただ、え、えええ、えっちなこと、していたいの……! そ、それが私の、衝動なの……! あ、あああ、あああああああ……!」


 シャルナは絶叫した。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「……シャル、大丈夫だ。よく言い切った」


「ごめん……! ごめんね……! 浅薄、だよね。幻滅、だよね。理想、壊したよね。もう綺麗なシャルナの、イメージ、戻らないよね。天使とはかけ離れた、本性してて、ごめんね……! 私、今更だけど、堕天使なの……! 人並み以上に醜い堕天使なのっ! これが本当の私なのっ!!!!!!!!! 今まで必死に幻想、作ってたんだよぉ……! 本当の私はこんなに、醜いんだよぉ……」


「シャル」

 

 玄咲は躊躇わず声かけた。


「……なに、玄咲? 幻滅、した……?」


「俺の目に映る君は何も変わらず綺麗なままだよ。君の何もかもを愛してる。だから安心してくれ」


「……うん」


 ギュ。


「玄咲なら、そう言ってくれるって、思ってた。だから、言った」


「……そうか。嬉しいよ」


 密着する体の感触を過去最高の理性を発揮して無視しながら玄咲は笑んで答えた。


「それでね」


 シャルナが抱擁したまま話を続ける。


「それが、答え。堕落、しちゃうの。きっと、恋人になったら、もう自分を抑えられない。抑えようとしない。だから、友達なの。友達でいないと、恋人になったら、私がおかしくなるの。なんとなくだけどね、今、恋人になったら、二人して堕落して、破滅の未来にたどり着いちゃう。そんな気がしてならないの。もしかしたらね、ただの気のせいかもしれないけどね、でも、怖くて仕方ないの。だから、必死で色んな願望、我慢してるの……!」

「……シャ、シャル……」


 シャルナの悩みは人によっては浅薄と切り捨てられるような悩みだった。中々打ち明けられなかったのも道理だった。だが、玄咲は当然そうは思わなかった。


 それは、玄咲にも通ずる、悩みだったから。


「ね、玄咲。決めて」


 突然、シャルナが言いだす。


「――何を?」

「友達の先に、行くかどうか」


 哀しく、シャルナは笑う。玄咲は、戸惑った。


「でも、今、友達でいなくちゃいけないって、自分で」

「頭では、分かってるの。でも、もう、今、どうしようもない。今日さ、感情が高ぶることが、多すぎたからさ、一気に弛緩し過ぎた、からだろうね。心がざわついて、ざわついて、玄咲を、求めたくて、仕方ないの……! 玄咲が望むなら、一緒に地獄にだって、落ちてあげるよ。だから、私じゃなく、玄咲が、決めて」

「何、を――」


「今しかない楽園か、未来に繋がる地獄か」


「――決まってる」


 プツン、プツン。

 玄咲は、黙ってシャルナの制服のボタンを留め始めた。一秒も迷わなかった。シャルナは、幼少期以来の他者の手によって留められてゆく自分のボタンを、呆気に取られて見る。玄咲はその視線を感じながら、少し顔を赤らめつつ、


「選ぶのは本物の楽園さ。俺の夢は君の夢を叶えることだよ。シャルのためなら、俺はなんだってするよ。本当に、シャルが望むなら、本物の地獄にだって一緒に堕ちてあげよう。だが、君が本当に望んでいるのはそっちじゃないだろう」

「……うん。やっぱり、玄咲は、玄咲、だね」


 信じてた。だから曝け出した。言葉に出さなくても、その笑みから言葉が伝わる。最愛の堕天使に、シャルナと視線を合わせて、玄咲は、優しく笑いかけた。


「俺たちは、友達だ」

「――うん!」

 

 シャルナが、弾けるような満面の笑みを浮かべた。









「た、ただ、スカートは自分で履いてくれ。それは、流石に、その――」

「――」


 その直後、正気に戻ったシャルナは急転直下で顔を赤らめ、ボフっと頭から煙を上げてベッドに倒れた。堕天使モードが切れて、素に戻って、今までの自分の言行全てに、そしてスカートを履いていない自分の現状に、完全にノックアウトされた。玄咲のお株を奪う気絶。玄咲はスカートを脱いだまま気絶したシャルナの姿に、今日最大の忍耐を要求された。


「なんか、やつれたね……」

「……」


 上体を揺すられたシャルナが起きた時、玄咲の顔は一回りやつれていた。実際のところ、玄咲の理性も相当ギリギリだった。その後は地獄のような沈黙が二人を襲った。玄咲は起死回生を図って地獄のような沈黙を打破するため、カードの力を借りることにした。机の引き出しからラグマでこっそり買ったカードゲームを取り出し、シャルナに見せる。


「カ、カードゲームでもして、気分転換しないか?」







「私のターン! 真紅眼の悪魔龍レッドアイズ・デーモンズ・ドラゴン召喚! さらに魔血魂デモン・ブラッドを装備! 攻撃力2倍になった真紅眼の悪魔龍レッドアイズ・デーモンズ・ドラゴンで轟炎王カイザに攻撃!」


「ディフェンス・スペル、エンジェル・フォール発動。全ての相手の攻撃表示の精霊の攻撃力を半減する」


「あっ」


「轟炎王カイザで返り討ちだ。カイザの効果で戦闘破壊したモンスターの元々の攻撃力分のダメージを与える。戦闘ダメージ400に加えて効果ダメージ2400ダメージでジャストキルだ」


「……弱、格好いいのに、弱……」


「雑魚だな、そいつ。効果ないのに攻撃力低いし」


「……うん。でも、格好いいから、なんか使いたくなる。もういいけど。ね、玄咲」


 シャルナがデッキから真紅眼の悪魔龍を抜いて別のカードを入れながら話しかけてくる。


「なんだ、シャル」

「さっきのことさ、忘れてね」

「……もう忘れたよ。もうなにも思い出せない」

「うん! それでいい! じゃ、もう1試合、しようか!」


 デッキを組み直してシャッフル&再セット。そしてまた新たなゲームを始める。2人はすっかりいつもの調子。精霊王をプレイしているうちに気まずい空気もどっか行ってしまった。


「カードって、やっぱりいいね」

「ああ。そうだな」


 カードの力は偉大だった。

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