第36話 最強に

 この話が4日目の実質的な最終話となります。



「……」

「……」


 何となく、月を見て歩く。相変わらず、手を繋いだまま密着している。シャルナは、何だか様子がおかしい。カミナたちに襲われて傷ついている。それだけではない気がする。その理由を考えていると、


「ひっく、う、うぇええええん……!」


 シャルナが突然泣き出した。慌てて宥める玄咲にシャルナが目を拭いながら言う。


「玄咲、私、弱いよぉ……!」

「……俺だって、弱いよ」

「もう、弱いの、やだよぉ……!」

「……ああ、嫌だ」

「ひっく! 強くなれたって、思ったのに、全然だった! 悔しい、悔しいよぉ……!」

「……そうだな、弱いのは、悔しいな……」


 ……シャルナが弱さに打ちひしがれるのと同時、玄咲もまた相当打ちひしがれていた。思い出してしまったのだ。弱いというのは奪われるということ。抵抗できないということ。殺されるということ。反論できないということ。口をふさがれるということ。好きにされるということ。自由がないということ。叶わないということ。拷問されるということ。守れないということ。失うということ。ありとあらゆる絶望と失望を声を上げることもできず押し付けられるということ。いつしか忘れていた。弱者の恐怖を。例えば金が世界の中心だった幼少時代、玄咲に金という力があれば、クロマルを、クロスケを引き取れただろう。大人になっても、同じだ。権力という力があれば、権力者たちが引き篭もっていた安全な場所に家族を避難させられただろう。


 力が、あれば。大切なものを守れる。そしてなければ失う。他人の奴隷になる。運命に屈する。屈辱を剣山のように飲ませられる。命を奪われる。どころか生命の尊厳までも奪われる――怖かった。思い出した。弱いのは、負けるのは、怖かった。その先の運命を思えば幾らでも残酷になれた。地獄を味わうくらいなら地獄を押し付けたかった。強者でいたかった。強くありたかったからのではない。弱者になりたくなかった。拷問される側になりたくなかった。二度と心を壊されたくなかった。もうあの頃のことなんて思い出したくなかった。でも今、玄咲は思い出していた。今まさに、玄咲は弱者の気持ちを思い出していた。


 強者としてのプライドをへし折られて、焼けるような屈辱が心の奥底でずっと燃え続けていた。


 今なら、シャルナの気持ちが分かった。シャルナも、同じだったのだ。弱者でいたくなかったのだ。深い理由なんてない。ただ、弱いのが嫌だから強くなりたい。きっと、それだけだったのだ。なにせ、弱さは、地獄への片道切符。何度も生き地獄を味わってきたシャルナは、そのことをよく知っているに違いなかった。いつの間にか、玄咲にも強者の傲慢みたいなものが染みついていたらしかった。弱者の気持ちを想像できなくなるほどに。だから、シャルナの気持ちに気付けなかった。その事実に、悔しさ以上の本気の殺意を自分に抱く玄咲に、シャルナが謝る。


「ごめんね、ごめんね……! 玄咲……!」

「? な、なんで謝るんだ、シャル」


「傷つけちゃって、ごめんね……! 玄咲に、とってさ、強さって、自分の存在意義の、中心、だったんだね……! だから、ずっと、そんな酷い顔、してるんだね……! 全部、私の、せいだよね……! だから、ごめん、ごめんね……!」


 シャルナの言葉に玄咲は思考と足を止める。シャルナの言葉は止まらない。


「これからも、私がアマルティアン、だから、あんな風に、襲われる、日が、あるのかなって、思うとさ、その度に、玄咲に、庇ってもらって、その中には、今日みたいに、玄咲を傷つける日が、あるのかなって、思うとさ、それが私のせいだって、思うとさ、全部自分の弱さが、悪いんだって、思うとさ、それが玄咲を、傷つけたんだって、思うとさ、本当にさ、本当に、本当に本当に、本当に本当に本当に――自分を嫌いに、なりそうになるよ……! ううん、私、自分が、嫌いだよ……! 私と、一緒に、いるせいで、玄咲に、迷惑、かかって、だから、ごめんね、ごめんね……!」


「――」


 玄咲は。

 自分をぶち殺したくなった。

 何のことはなかった。

 襲われたから、ここまで情緒不安定になっていたのではない。

 弱いから、打ちひしがれていたのではない。

 自分が打ちひしがれていたから、シャルナまで打ちひしがれていたのだ。バエルを颯爽と召喚して、「ふん、楽勝だ」。そのぐらい傲慢でいるべきだったのだ。自分が弱くなっているから、シャルナまで弱くなっていてしまったのだ。2人は一心同体なのだ。互いが互いの影響を受ける。そんな関係性なのだ。シャルナが幸せなら玄咲も幸せ。シャルナが楽しければ玄咲も楽しい。シャルナが悲しければ玄咲も悲しい。相手の感情を自分の感情のように感じてしまうから。

 シャルナも、同じなのだろう。

 だから、シャルナが異様に落ち込んでいたのは玄咲が異様に落ち込んでいたからで。

 その全ては玄咲が、根本的な精神の脆さを最悪の形で曝け出したせいで。玄咲が弱かったからで。

 全ては玄咲の弱さのせいで――。


 再度自分をぶち殺したくなった。また一つ、嫌いになった。でも、表には出さない。もう二度とシャルナには弱さを見せない。シャルナの前では強くある。改めて、決意し、行動に出る。強い自分が、思うままに、行動する。


 シャルナのためなら弱さなんて幾らでも偽装する。


「――シャル」

「ひっく、何、玄咲――」


 玄咲はシャルナを抱き締めた。


「……え?」


 シャルナが目を剥く。涙が、止まる。玄咲はより強くシャルナを抱き締める。強く、強く。

 弱さなんて、挟まない。


「――自分を嫌いになんてならなくていい。俺は好きで君と一緒にいる。シャルが好きだから一緒にいる。幾らシャルが自分のことを嫌いになったって、俺はそんな君のことまで大好きなんだ。嫌だって言われても――君と一緒にいる。もう、離れられる、訳なんか、ないだろ」


「……うん、だよね。玄咲は、絶対、私から、離れないよね……! だって、こんな、ポンコツで、厄ネタ、だらけの、私のことが、それでも、大好き、だもんね……! いつも、一緒に、いてくれるもんね……! いつも、いつまでも、一緒だもんね……! 私からも、絶対に、離れない、からね……!」


 シャルナは、涙に濡れて赤らんだ顔に、それでも一杯の笑顔を咲かせる。本当に安心した。そんな笑みを浮かべる。自分から玄咲が離れるのではないか。そんな、ありえない不安まで抱いていたようだった。その、自信のなさ、潜在的な弱さ、玄咲への依存的な執着、そんな欠点まで愛おしくて、さらにシャルナを抱き締める腕に力が籠る。シャルナも抱き返してくる。そして、笑顔で見上げながら、


「好き」


 告白した。


「私もね、玄咲がどれだけ自分を嫌いになってもね、その分、玄咲を好きになってあげる。愛してあげる。だから、安心して。玄咲が嫌いな玄咲も、私は大好――」


 シャルナの台詞が止まる。顔が赤くなる。そして青くなる。シャルナは冷や汗を流して、言い訳をする。


「その、友達も、好きになるし、大好きにもなるし、愛するから、これは、そういう意味の、好きで、愛してるで、えっと、え~っと、う、う~っ!?」


 どうやら勢いで言ってしまったらしく、シャルナは玄咲の腕の中で百面相を繰り広げて、最後は眼をぐるぐるにする。そんなシャルナの何もかも全ての表情、仕草が愛おしくて、もう堪らなくて、耐えられなくて、


 ガバッ!


「ひゃっ!」


 これまで以上に玄咲は全身でシャルナに縋り付いた。もうそうでもしないと、立っていられそうになかった。次から次に嗚咽が湧き出る。シャルナは玄咲の背を優しく撫でた。受け入れてくれた。嗚咽がさらに激しくなる。世界で一番大切な、決して失ってはならない宝物を抱き締めながら、


「シャル、決めた。俺は誰にも負けないくらい強くなる。バエルに頼らなくても君を守れるくらいに、一人でも、あんな奴ら蹴散らせるくらい、強くなるよ。もう二度と、君の前で無様な姿は晒さない。俺が君を永遠に守る。誰からも、奪わせやしない」

「うん……一緒に強くなろ!」

「ああ。シャル。俺は――」


 宣言する。


「俺は、君のために、最強になる」

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