第65話 お友達 ―I Love You―

 シャルナは昨日変わった夢を見た。


 赤い世界の夢だ。


 血と炎に塗れた世界。輪郭のぼやけた、でも残酷だってことだけは嫌というほど分かる世界。


 その世界で、醜悪な姿をした4人の男たちに囲まれて、昔のシャルナそっくりの、黒髪黒目の女の子が泣いている。どうやら家族をその男たちに殺されたらしい。少し前の惨劇の光景が重なって見える。少女は少しませているらしくこれから自分がどうなるか十分に分かっているようだ。世界は地獄だ。そう絶望している。


 女の子が恐怖で発狂する。大好きだった、死んだパパへと助けを求めて叫ぶ。気の荒い男がキレて、また女の子を打とうとする。女の子の顔が恐怖で引きつる。


 突如として炸裂音が鳴り響き、気の荒い男が首から血を噴いて倒れた。


 アルアルした男となよなよした男も続けて。少女が後ろを振り返る。その時、また炸裂音がして。


 4人の男たちと同じような、しかしもっと立派な服に身を包んだ男が頭頂部を晒して倒れ行く姿を少女は見た。


 少女は絶望した。4人の男はまだ一人残っている。一番大柄なコフコフ男が、後ずさる少女に近づきスカートの中に手を侵入させて、下着の中にまで手を入れてきて、少女が誰にも触らせたことのない部分を撫で回してきて――。


 その時、地を踏み砕くような足音がした。それからあっという間にコフコフ男は殺され、立派な服の男は倒した男たちの死体を順に漁って、少女が一番嫌いななよなよ男に唾を吐き掛けて、蹴って、そこでようやく我に返った少女が声をかけると、立派な服の男は振り返り――


 悪魔のような赤い瞳と眼が合った少女が恐怖に悲鳴を上げて。


 そこで夢は終わった。


「……あれって、やっぱり、玄咲、だよね」


 シャルナは確信を籠めて呟く。あんな綺麗な赤い眼をした人間が他にいるはずがない。それに身に纏う雰囲気も、顔立ちも、玄咲そっくりだ。間違いない。


 だとすればあの赤い世界の夢は夢などではなくただの魂の記憶なのだろう。


 あの昔のシャルナにそっくりの少女はきっと前世のシャルナなのだろう。



 そしてシャルナとは絶対的に別の存在なのだろう。



「……だって、あの子は、怖がったもん。醜いとさえ思ってた。私の大好きな、あの赤い瞳を」


 そんな子は自分ではないとシャルナは思う。感性が違い過ぎて受け入れられないと、シャルナとは別人だと。あの子はファザコンでシャルナはマザコンだし、赤い瞳への感想が何よりの決定打だ。生まれた世界が、育った環境が違い過ぎるのだろう。少女の視点で夢を見ながらも、別人の視点を借りてる感覚にしかシャルナはならなかった。


 シャルナは、シャルナだ。シャルナ・エルフィンだ。エルナ・エルフィンのただ一人の娘で、他の誰でもない。そこに余分な混ぜ物など必要ない。シャルナはシャルナであることにそれなりに誇りを持って生きている。


 だから、今さら、実はあの少女でしたと言われところでシャルナには困惑しかない。シャルナをシャルナの人生を送ってきた。もう、何もかも、別人に枝分かれしてしまった。だからもう、あの少女とシャルナは全くの別人だ。


 夢の中の少女は所詮夢の中だけの存在ということだ。


 ヘル・シーフード味のカップラーメンも含めたカップラーメン山盛りのビニール袋を手に提げて夜道を歩きながらシャルナはそう結論付ける。


 だが、シャルナは一方で思う。カップラーメン山盛りのビニール袋を遠心力を使ってくるりと1回転させながら、


「――でも、やっぱり、運命の人、なんだなって、思えるのはいいな。前世から、一緒だったくらい、魂が強く、繋がってるん、だもんね。これはもう、運命としか、いいようが、ないよね。ふふ……」


 口に拳を当ててにやける口元を隠すシャルナ。周囲には誰もいないがそうせずにはいられなかった。それくらい今のシャルナはだらしない笑みを浮かべている自覚があった。


「なにせ、こんな絵、描いてくれるくらい、だもんね」


 シャルナは胸ポケットにお守りと一緒に突っ込んである、玄咲からもらった絵を取り出して広げてみる。呆れるほど下手糞で、でも愛情深い絵。


 お母さんと、瓜二つの絵。


「……ほんと、お母さんの絵と、そっくり」


 シャルナの母もよく似顔絵を描いてくれた。というか、絵心がないから……と嫌がるのをシャルナが無理やり描かせていたのだ。シャルナは母の描く拙い、でも愛情が一杯籠った絵が大好きだった。特に気に入った絵は宝物として木で造った宝箱に大事に保管していた。もう、サンダージョー一家に家ごと燃やされて1枚も残ってはいないだろうが。せめて1枚だけでも手元に残っていたらとシャルナはずっと思っていた。


 玄咲の絵はそんなお母さんの絵と同一人物を疑うほどに瓜二つだった。そして、宝物の中でも特に気に入っている絵と遜色ないくらいに、シャルナの琴線に触れた。宝物が蘇ったとシャルナは思った。だから欲しいと言ったら、当たり前のように玄咲は自分の描いた絵をシャルナにくれた。


 笑顔の素敵な似顔絵を。大好きなシャルナの似顔絵を。


 これ以上ないほどのプレゼントだった。シャルナは永遠の宝物にするともう決めていた。今度は失くさないように肌身離さず持っておくのだ。お守りと一緒に胸ポケットに入れておく。お守りとしての意味も籠めて。いつも心に寄り添ってくれるように。


 心の、一番近くに。


 シャルナは絵を浅く優しく、でも心の中でこれ以上ないほど深く強く抱きしめて、何度も言った。


「好き。好きだよ。大好きだよ。玄咲……」


 シャルナは抱きしめ続ける。溢れんばかりの愛をこめて。大事な宝物を。


 心の中では、もっと大事なものを。


「……うん。もういい、かな」


 ようやく満足しシャルナは絵を胸ポケットに戻す。あまり開いて閉じてを繰り返すと痛むので今後はいざというときだけ開くようにしようとシャルナは決めた。勢いで胸ポケットに仕舞ってあとのことは考えてなかったのだ。もう3枚くらい観賞用・保存用・飾る用に描いてもらおうとシャルナは密かに決意する。


 そして、星明りに満ちた夜空を見上げながら、少し寂しそうに言った。


「――これで、良かったんだよね」


 シャルナは先程の一幕を思い出す。散々迷い躊躇いながらも、最後は断固たる思いで告げたあの言葉を。


 ――お友達、だと、思ってる。


 そんなはずがない。シャルナは玄咲のことを恋人、愛人、伴侶――そんな言葉では括れないほどに大事な存在だと思っている。あれだけのことをしてもらって、あれだけのことをしておいて、お友達にしか思っていないだなんて、そんな馬鹿なことあるはずがない。あんな実態とかけ離れた言葉を真に受ける存在など世界広しと言えど玄咲くらいだ。だから言ったのだが。


 それでもシャルナは玄咲にお友達と言わなければならなかった。本当は死ぬ程好きと言いたかった。でも、ぐっと堪えて、お友達だと言い切った。


 今、玄咲と友達以上の関係になったら、きっとシャルナは弱くなってしまうから。ただでさえシャルナは玄咲にべったりと依存して甘えているのに、好きだと言ってしまったら、断られるわけのない告白をして大義名分を得てしまったら、今よりさらに依存してしまう。甘えてしまう。


 弱くなってしまう。


 それは絶対いけないことだとシャルナは思う。


「――強く、なるんだもん。玄咲が、応援してくれるんだもん。私なんかを、信じて、力を貸してくれるんだもん……そんな玄咲の思いを裏切ったりなんてできないよ」


 シャルナは、正直ダメな子だ。玄咲の前ではちょっと取り繕ってるけど、本当は結構ポンコツなのだ。そんなシャルナが今玄咲と友達以上の関係になどなってしまったらどうなるかなんて火を見るより明らかだ。ダメを超えてダメダメになるに決まっている。だからこそ、絶対に、今は玄咲とお友達でいる必要があった。お友達という建前で一線を引かないと、シャルナはもう自分の気持ちを抑えることができそうになかった。


 なにせ、シャルナは玄咲の想像の100倍は玄咲のことが大好きなのだから。だからこそ、せめて、夢が叶うまでは、お友達でいようとシャルナは思う。本当の気持ちに蓋をして、お友達という建前で自分を縛って、暴走しないように自分を律しようと思う。


「――でも」


 唇を抑えてシャルナは頬を赤らめる。


「――また、キス、しちゃったな。しかも、あんなことまで、言って――危なかった。玄咲じゃなきゃ、誤魔化せない、とこだった。もう、玄咲が、あんな表情、するから……」


 シャルナはお友達だと言った直後の玄咲の表情を思い出す。まるで自分が地獄に落ちると宣告された罪人のような表情だった。直前の珍しく浮かれ切った子供のように無垢な表情とのギャップで悲壮感が凄いことになっていた。瞬間、シャルナは物凄い罪悪感に襲われて、とてもじゃないけど見ていられなくて、何とか慰めてあげたくて、気付いたら玄咲に本末転倒なキスをしていた。お友達という建前よりも玄咲の安心感の方が大事だった。キスした瞬間、戸惑いながらも玄咲は一瞬で気を取り直した。その単純さと自分への深い愛情をシャルナは心底愛おしく思う。


「本当に、玄咲は、私のことが、好きすぎ、だよね。全く……困るなぁ……我慢、できなく、なっちゃいそう、だなぁ……えへへ……」


 だが、その一方で、シャルナはこうも思う。


「でも、あんなこと、お友達に、するはず、ないのに、玄咲も、よく、一々、誤魔化される、よね。本当、鈍感なんて、レベルじゃ、ないよ」


 鈍感が異常性の域にまで達している友人の過去を思い出しシャルナはふと暗い表情をする。


「……まぁ、元々鈍感、だったん、だろうけどさ、それだけじゃ、ないよね」


 あの鈍感さの根底にあるものは、おそらく自己肯定感の異常な低さだろうとシャルナは思っている。玄咲は自分に全く自信がない。自分で思っているよりはずっといい男なのに、自己肯定感があまりにも低い。だから自分に都合のいいことは無意識に否定しようとする。自分にそんな資格はないから。逆に都合の悪いことは無意識で受容する。それこそが自分に相応しい現実だから。過去を知り深く通じ合ったシャルナには玄咲のそういった歪な精神性が今では手に取るように分かった。


 玄咲の精神はやはり少し、いや、大分病んでいる。


「でも、かなり良くなった。きっと、もっとよくなる。私が、よくする」


 それでも、玄咲の精神は少しずつ、着実に改善してきている。前よりも全体的に明るくなった。自然に笑えるようになった。全身から狂奔を発していた出会った当初とは比べ物にならない。それは、シャルナのお陰だろう。玄咲には他に深く付き合える存在が――あのバエルとかいう恐ろしい精霊を除けばシャルナしかいないのだから。でも、あの精霊の影響だとは思えないので、やっぱりシャルナのお陰だ。そう明言もしてくれた。特に過去の話を聞いてあげてからは、シャルナから見ても凄く良くなった。シャルナも玄咲の支えになれているのだと思うとシャルナは胸が暖かくなった。もっともっと、支えになりたいと思った。


 これから、いくらでもその機会はある。


 お友達として、学園生活をこれからも続けていくのだから。


「……それにしても、笑顔、可愛かったな……好き……あんな風にも、笑えるんだな……。多分、あれが、玄咲の、本性、なんだろうな」


 シャルナが過去を振り切ったと知った時と、別れ際にも見せてくれた素敵な笑顔のことを思い出す。純朴な少年そのものの、今までで一番綺麗な笑顔。それが、捻じり捻じれて、常にどこか引きつったような笑みしか浮かべられなくなったのだろう。素直に笑うことさえできなくなったのだろう。


 もっと見たい。だからシャルナは玄咲をもっともっと癒してあげたいと思う。いつか過去さえ忘れてしまうくらいに。


「うん、頑張ろう」


 だってシャルナは玄咲が大好きなのだ。出会った時から好きだった。一目惚れだった。それからさらに、色々あって、大大大好きになった。容姿も、性格も、異常なところも、その全てがシャルナと噛み合う運命の人。シャルナは玄咲をもう一生絶対に離さない。絶対に離れられない。だからこそ、一生一緒にいられる未来に向かって行きたい。真っすぐ、明るい未来に、夢の方角に玄咲と一緒に向かって行きたい。


 ずっとずっと一緒に、玄咲と笑い合っていられる未来に。


「……一緒に、夢を、叶えようね。玄咲。だから、今はまだ、お友達。だけど――」


 シャルナは胸ポケットから似顔絵を、ビニール袋からヘル・シーフド味のカップラーメンを取り出す。


 そしてギュッと胸に抱く。


 幸せが、生まれる。玄咲を抱き締めているような錯覚に笑みがこぼれる。自分もちょっと病んでるなと思いながらも、シャルナにはこの幸せを手放す気が起きなかった。相手に狂っているのはシャルナもまた同じだった。


「――だけどね、永遠に、ずっと、死んでも、一緒だよ。玄咲。お友達、だけどね。好きだよ。大好きだよ――」


 ふと、シャルナは夜空を見上げる。山奥のあの小さな山小屋から見上げた夜空よりも尚明るい夜空。その中にまるで世界の中心であるかのように輝く赤い星と、それに寄り添う小さな白い星がある。黒い世界の中で2つの星はぴったりと重なり合っている。赤い星の中に白い星がまるで抱きしめられるかのようにぴったりと納まっている。


 なんとなくその星が自分たちのように思えて、そんな発見さえも嬉しくて、シャルナは小さく笑った。


「だから、だから――」


 闇夜に佇むシャルナを星明りが照らす。


 安らかな笑顔に、宝物を抱き締める手に、闇を照らす光が満ちる。




「世界で一番、大事なお友達」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る