第41話 説得4 ―Angel Dive―

「――言っとくけど、今の天下壱符闘会はチーム戦だよ。一人がいくら強くても勝てない。昔の私のようにね。それを分かってるのかい?」


「ああ」


 俺が一体何百回天下一符闘会を優勝したと思っている?


「全て承知の上で断言してる――楽勝さ。この国を優勝させることくらい。俺はそのためにこの学校に入学したのだから」


 楽勝。そう、天下壱符闘会などゲーム的な縛りがなければ楽勝なのだ。実際はゲームと現実の際に苦しめられるかもしれない。だが玄咲はあえてその懸念を無視する。無視して、妄信にも似た自信をその瞳に滾らせる。ゲームに向き合っているときのような絶対の確信を、他人にも信じさせるくらいの強度で。ついでに心証をよくするための嘘もつく。


 果たして、マギサは玄咲の虚勢を信じた。


「くふっ、ふふふふ、あっははははは! 楽勝! 楽勝か! そりゃぁいい! よくなんの迷いも躊躇いもなく言い切った! それに優勝のためにこの学校に入学しただって? 私はあんたみたいな生徒が欲しかったんだよ。あはははは!」


 機嫌良く、声を上げて笑うマギサ。会心の手ごたえ。だが、玄咲は油断しない。シャルナの在学を確固たるものにするためにさらに畳みかける。シャルナの価値をアピールしにかかる。


「そのために、シャルの力は必要不可欠だ」


「は?」

「え?」

「へ?」

「む?」


 シャルナも含めた、その場にいたすべての人間が同時に戸惑いの声を発した。シャルナの在学のため、玄咲はシャルの価値を猛アピールする。


「シャルは、とても凄い。とても強い。俺なんかよりもよほどポテンシャルに溢れている。世界でもトップクラスの才能を有している。今はまだその使い方が分かっていないだけだ。すぐに驚くくらいに強くなる。そのときにはきっと退学にしなくて良かったと思うはずだ。約1年。次の天下壱符闘会が終わるまででいい。シャルをこの学園に通わせてくれ。それだけの価値がシャルにはある。シャルは必ず強くなる」


「ほぅ……つまりこう言いたい訳かい。自分とその子が天下壱符闘会に出る。そして優勝をもぎ取ってくる。だからこの学園に置いてくれと」


「えっ」


 そんなことは言っていない。ただシャルナは強くなると言っただけなのにどうしてそんな話になるのか。どうしてシャルナにまでリスクを負わせなければならないのか。玄咲には全く分からなかった。ただ、どうやら自分がすごく余計なことを言ってしまったらしく、そのせいでシャルナが修羅の道に足を踏み入れかかっていることはよく分かった。玄咲は額に汗をかいて焦った。


「そ、そんなことは言ってない! シャルは強くなると言っただけだ」


「話の流れ的にそうとしか聞こえなかったよ。んー……それだけ有望な生徒なら残そうと思ったんだけど、焦るってことは口から出まかせだったのかねぇ? やっぱ、残すのやめよっかなぁ……」


「ま、待て! 出まかせじゃない! ただ、シャルをこれ以上つらい目に合わせたくなくて、 だから――」



「強く、なります」



 惑う玄咲の台詞を遮って。

 シャルナは胸に手を当てて、マギサに向かって凛然とそう宣言した。

 玄咲は止めにかかる。


「シャル。無理しなくていい。君を守るのが俺の使命なんだ。だから全て俺に任せて」


「ありがとう」


 シャルナがくるりと微笑む。

 それだけで玄咲は何も言えなくなった。


「でも、私だって、身を、張らないと。そもそも、私の、問題。なのに、玄咲が、ここまで、譲歩、引き出して、くれた。だから、最後くらい、私が、言うよ。私が、言わなきゃ、ダメなの」


 ――シャルナは天使だ。

 

 天使はただ美しく愛らしいだけの存在ではない。


 正しさのためならいくらでも強くなれる。そんな性質も併せ持っている。そして今、シャルナの眼は、強い意志に輝いていた。


 ならもう、玄咲には止められない。天使の意思を挫くことなどできない。


 シャルナがその天使性を発揮する。


「私には、夢が、あります」


 マギサに向かって、毅然と言葉を並べる。


「その夢を、叶える、ために、私は、この学園に、入学しました」


 たどたどしくも、力強い、声で。


「私は、必ず、天下壱、符闘会で、優勝、して、浄滅法を、なくします。そのためには、強く、ならないと、いけません。やることは、変わりません」


 光の翼が見える。誰もがシャルナに目を奪われている。全員が同じものを見ている。ならばきっとあれは、幻覚などではなく、シャルの魔力圧なのだろう。その魂と同じく、白く美しい輝き。天使の本質の全き具現。


「だから、私は、強く、なります。きっと、あなたの、役に、立ちます」


 シャルナが言い切る。その白き瞳の中の光は小動もしない。楽園でもしまい込んでいるかのように。


「だから、この学園に、通わせて、ください。お願い、します」



 遠く、輝いている。



 永劫にも匹敵する一瞬の煌めき。シャルナがペコリと頭を下げる。輝きが隠れる。けれど、その一瞬の煌めきはその場全ての人間に鮮烈に刻み込まれたはずだった。表情を見れば、分かった。


「――なるほど。良い眼だ。強くなる人間の眼だよ。あんたが必死になって庇う理由がようやく分かったよ」


 マギサはふっと笑い、心得たと言わんばかりの表情でウィンクする。


「それだけこの子を戦力として当てにしてるってことだね。それならそうと早く言ってくれれば」


「全く違う」


 玄咲は即答する。マギサが驚く。そのマギサの反応を見てヒロユキとクララも驚く。が、すぐに得心したような表情に変わる。マギサが心底不思議そうな表情で玄咲に尋ねる。


「じゃあ、なんでその子を庇ったんだい。戦力として期待していない。なのに庇う。あんたにはまるでメリットがない。それは狂人の発想だよ。なぜ庇うんだい」


 あまりにも自明の問い。一刹那も迷わず玄咲は答えた。


「シャルが天使だからだ」


「? 何言ってんだい。その子は天使族じゃない。堕天使族だよ。言い間違えかい?」


「違う!」


 玄咲は。


 シャルナへの告白同然の言葉を、場の勢いのままに吐いた。 



「シャルは、天使だ。俺の、天使だ――それが、全ての答えだ」






「天、使――」

 シャルナはぽつりと、言葉2文字、思わず唇から取りこぼす――。






「――ああ、なるほど」


 マギサは呆れを含有した視線を玄咲に向ける。


「死ぬほど単純な男だね。分からないようでその実、クソシンプルな行動原理で動いてたわけだ――なるほどね。ま、嫌いじゃないよ。あんたみたいな底抜けの馬鹿は。むしろ好ましいね。ちょっとリミッターの外れた馬鹿の方が魔符士は強いんだ。理性で抑えきれないほどに魂のエネルギー量が多いってことだからね。ふふ、いいよ。あんたも、その子も、いい具合にネジが外れてる。気に入った。あんたとも十全な形でカードバトルしたいし、私がその子のケツ持ちになってあげようじゃないか」


「! と、ということは」


「ああ」


 マギサはにんまりと笑った。



「その子の在学を認めよう。校則を追加してあげよう。。とりあえず向こう一年間、当学園に通うアマルティアンは浄滅法の対象にならないという校則をね」


「――ッ! ありがとう、ございますッ……!」


 ――ついに、辿り着いた。


 シャルを救える、未来に。


 暴挙、暴論さえ駆使して。


 細い糸を、手繰り寄せて。


「っ、はぁーーーーー!」


 全身から力が抜ける、ソファに思いっきり沈み込んで両腕を投げ出す。気が狂いそうな緊張感からようやく解放され、玄咲は胃の中の重く粘ついた空気を思いっきり吐き出した。


 間違いなく人生で一番気を張った数十分間だった。極度の緊張に晒された神経が未だピリピリとさざないでいる。そして半ば麻痺していた全身の痛みの輪郭が段々とはっきりしてくる。だが、それでも心は安らかだった。


 随分な無茶をした。だがその甲斐はあった。シャルナの退学を防げた。自分如きの辛苦で天使の身の安全が贖えるならば破格を通り越して無料。いくらだって体を張れる自信が玄咲にはあった。天使のためなら拷問だって耐えられる。実際に耐えたことだってある。精神が崩壊しかけたが天使が癒してくれたから実質ノーダメージだった。おかげで未だに自分の精神はピンピンしている。


 天使は一先ず救われた。まだまだこれからいくらも苦難はあるだろう。色々条件もつけられた。だが、一先ずの猶予は得た。少しくらい気を抜いたって罰が当たらないくらいの猶予は。何より可能性を繋げられた。シャルナが未来永劫笑っていられる未来へと繋がる、可能性が。きっとその未来へとたどり着けるだろうと玄咲は思う。なにせ玄咲にはバエルがいる。バエルがいれば天下壱符闘会など楽勝だ。未来は確約されたようなものだった。


 シャルナの方を向く。きっと笑顔を浮かべていることだろう。太陽みたいな笑顔を。見るだけで、全ての黒が浄化され心が癒される笑顔を。それが見たくて、玄咲はシャルナへと話しかける。口元に、笑みを浮かべて。


「シャル。良かったな。まだ、生きていられ――」


 ――その行動は全くの予想外だった。

 それは人生で初めての体験で官能だった。


 横合いから、いきなりだった。飛びつくように、抱き着いてきた。体の密着など、意に介さず。シャルナと反対側の玄咲の腕まで両の腕を回し切りがっちりとホールド。そして、子供がぬいぐるみを抱きしめるように、何の遠慮もなくあらん限りの力を籠めて抱きしめてくる。それも、少しでも触れる面積を多くしようとでもいうように、白く小さく可愛く柔らかい手で玄咲の腕をギュッと掴んで、思いっきり引き寄せながら。そしてまた同時にその犯罪的に柔らかい体をタコか何かのように隙間なく押しつけ密着させながら。ささやかながら、しかし確かな存在感を放つその制服に包まれた胸部を何の遠慮もなく押し付けてくる。有形の快楽物質としか言いようのない感触が右の上腕部を熱く包み込んでいる。しかし、不思議と性的興奮はほとんど催さなかった。ただただ満たされた幸福感だけが尽きることなく胸の内から溢れてくる。まるでシャルナと溶け合っているかのような感触に脳が幸福感のオーバードーズを起こしていた。


 今の玄咲は全身傷だらけなのだ。当然痛みはある。だが、幸福感が痛みを塗り潰していた。むしろ痛みすらシャルナに与えられるなら気持ち良かった。全てが幸福へと還元される。今の玄咲には痛覚神経さえ快楽神経だった。


 首元に埋められる顔の突起の感触がいやに肌をくすぐる。凹凸のメリハリが生のリアリティを肌をこすりつけられる快感で執拗に喚起してくる。そしてうなじの辺りに押し当てられる、突起の中でも段違いに柔らかい感触と弾力を主張するそれは、よく考えなくても唇に他ならず、つまり今自分はシャルナにキスされながらこれ以上ないほどの激しさで抱きしめられるということになり――。


 玄咲はそれ以上何も考えられなくなった。ただ幸福感の坩堝となった。パンクした頭で、ほぼ無意識で、セーブされてない生の童貞的感想が口から飛び出す。


「シャ、シャルッ。だ、ダメだよこんなのっ。こ、こんな、こんな、胸が、当たって、唇まで、こ、こんな、幸せ過ぎること、長続きする訳ない。だ、だめだ、だめだよ。と、とにかく、こ、こんなえっちなことは、だめっ――」


「ぐす、ひっく。う、ううぅ。うえぇぇぇん……!」


 シャルが泣き出す。何か失言をしただろうかと、玄咲は慌ててシャルをなだめにかかる。


「ご、ごめん。何か失言をしたらしい。け、けど、これだけは言わせてくれ。こ、こんなのはだめだ。シャ、シャルが穢れてしまう。こ、こんなのだめだよ。とにかく、だめだよ……」


「だめじゃ、ないもんっ……!」 


「な、なんで。は、離れよう一旦。お、俺は、君を大事に思っているからこそ、そ、そうするべきだと思う。こ、こんなのは不健全だ」


「や、離れない……!」


「シャ、シャル……しかし、こんなのは不健全で――」






「もう一生、離れないん、だもんっ……!」






 ――――。


「それは、どういう」


 どういう意味で言ったのか。玄咲がそう尋ねようとしたその時、


 コンコン。

 ガラッ。


「失礼します。サンダージョーが目を覚まし――失礼しました」


「え? 先生、何で」


 バタン。


 クロウ・ニートが室内の光景を見るやいなや扉を閉める。背後から一瞬サンダージョーの声も聞こえた。それで2人は完全に冷静になり、ゆっくりと離れて元の距離感に戻った。シャルナは背を丸めて両手で顔を完全に覆い隠した。その耳はもちろんタコのように真っ赤だ。


「……」


 玄咲は恐る恐る周囲を伺う。クララ。顔を赤らめてゴホンと咳払いをした。ヒロユキ。凄く甘酸っぱいもの、例えば漢梅を口に含んだような顔をしている。マギサ。特に様子は変わらない。強いて言えば凄くどうでも良さそうな顔をしている。まぁ、そういうキャラだよなと思う玄咲の耳に再びノックの音が届く。クロウの再トライ。


 コンコン。


「もうよろしいですか?」


「ああ、入っておいで」


 ガラッ。


「失礼します。サンダージョーが目を覚ましました」


「マジック・ボール」


「クリティカル・パリィ! ぐぉおおおおおお!」


 先程の入室時から既に武装解放していたADで発動した魔法でマギサのマジック・ボールを迎撃するクロウ。しかし完全には相殺しきれず、攻撃の余波で壁に叩きつけられ、ゴホっと血を吐いた。


「ふん。遅刻の咎は一先ずそれでチャラにしといてやるよ。まぁあんたが遅刻しようがしまいが大して事態は変わらなかっただろうしね。それに良い拾い物もあったし」


「あ、ありがとうございます。糞ば――学園長」


「で、眼覚ましたんだって? 雷丈家の倅が」


「はい。入室しろ。サンダージョー」


「……失礼します」


 おっかなびっくり、サンダージョーが学園長室に入室してくる。サンダージョーにも萎縮という感情があることを玄咲は初めて知った。サンダージョーと目が合う。それだけでまた血中で怒りが煮え滾り、気付けば玄咲はサンダージョーを睨んでいた。


「ひっ!」


 サンダージョーは意外な悲鳴を上げてビクッと体を震わせた、だが、すぐ凶暴な怒りに顔を歪めて、ポケットから1枚のカードを取り出した。真っ白な無地のカード――デュエル・カードだ。その角で己の指を切り、サンダージョーはカードを投じた。カードが玄咲の足元に突き立った。


「天之玄咲ゥ! 僕は貴様を許さない! この屈辱はもはや貴様の血でしか雪がれない! 僕と決闘しろ!」


(来た)


 玄咲はカードを拾いその角で躊躇いなく己の指を切った。対角線で結ばれた2角が赤く染まる。


 CMA式決闘受諾のサイン。


 サンダージョーに言い放つ。


「望むところだ」


 玄咲が決闘に応じたのを見てサンダージョーが醜悪な笑みを浮かべた。いつものメッキではない、心のままに歪んだ嘘無き笑みだ。嗜虐心の塊みたいな笑み。腹立たしい笑み。シャルナを吊るしていた時と、同じ笑み――。


「ごはぁっ!?」


 気がつけば玄咲はサンダージョーを殴り飛ばしていた。


「ぐふぅっ!?」


 そしてついに体の負傷が精神力で誤魔化せない本当の限界を迎えた玄咲もまた血を吐き激痛に喘いでその場に倒れた。

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