第40話 説得3 ―Five Hundred―

 いきなりうがいでもしてこいと意味の分からないことを言われたかと思えば。


 話の主導権を奪った天之玄咲がもうやめてくれと祈らずにいられないほどに地雷ワードを踏み抜きまくった、クララがドン引きするレベルの煽りを、よりにもよってあのマギサ・オロロージオ相手に展開して。


 これまで見た中で間違いなく最大級の怒気を孕んだ魔力圧をマギサが発して、エルフの種族特性により魔力感受性の高いクララはそれだけで失神しそうになって。


 マギサが世界最大の補正値を誇る国宝指定までされたADを武装解放しようとしていよいよ自分も死ぬ時がきたかと本気で思ったその時。


 さっきもG君の教室で見た地獄色の魔力が隣で突然爆発した。


 そして同時、本当に爆発のような轟音が起こった。


 砕けた床と机の破片の礫を浴びながら、思わず瞑ってしまった目を開けると。


 そこには信じられない光景があった。


 白いシャツを血塗れにした天之玄咲が、右手でマギサのカードを握った方の手首を握り潰し壊し、左手でマギサの首を宙吊りに締め上げていた。 


 魔符士の本能か、手首を潰されて尚離そうとしないカードをマギサの手から奪い、口の端から血を垂れ流しながら天之玄咲は言う。


「なんだ」


 天之玄咲がカードを振るう。


「ちゃんと殺せるじゃないか」


 その眼は当然のように赤かった。




 玄咲はマギサの眼にカードを振るう。


 人差し指と中指に挟んだカードで。


 丁度ノックでもするような感覚で。

 

 コン。


 と。


「ひあぎゃぁっ!?」


 大袈裟な悲鳴を上げてマギサが後ろに仰け反る。そのタイミングで手を放してやる。必要以上の力が空回りしたマギサが勢いよく後ろに倒れ込み、ソファに身を沈めその首をソファ後方までむち打ち仰け反らせて、「うげっ」と呻いた。


 その間に玄咲もまた折れた足でたたらを踏みながら後ずさってソファに身を落とす。激痛の中、手中の奪ったカードに視線を這わせて、


 時属性。

 ランク10。

 補正値500。


武装解放アムドライブ


 詠唱リード


時幻輪廻ミッシングダイブクロノス・ロード」


 玄咲の手中にADが顕現した。


 杖型のADだ。


 その杖はささくれ毛羽立ち無数に枝分かれした異形の先端を持つ。先端の根元には枝分かれを束ねる目玉型の留め具がついている。台形に膨らんだ柄から先端まで古びた樹木のような質感と藁のような枯れた淡い黄色が貫徹している。つまり杖とは名ばかりの箒の見た目をしている。


 だがその存在感は格別だ。一見で強大な力を予感させるのはもちろん、持ち主と同様そこにいるだけで空気を重たくする厄介事のような気配を濃厚に発している。まるで呪具でも握っているようだと玄咲は気味悪く思った。流石、マギサの使うADだと。


 だからという訳でもないが。

 玄咲はADを放り投げた。


 喉に手を当てせき込んでいたマギサがADを受け取る。


「――何のつもりだい」


「ただADを持ち主に返しただけだ」


「そうかい」


 手首の壊れた右手で当たり前のようにADにカードを挿符する。


「遠慮はしないよ」


 そしてADを玄咲へ向けた。


「ただし、私の要求を呑むのならその限りじゃない」



「言ってみろ」




「私とカードバトルしな。拒否権はないよ」




「いいだろう」


 玄咲は即答した。マギサはADを下ろした。


「――気持ちいい即答だねぇ。こうなることを予測していたかい。だとしても私に喧嘩を売るなんて肝が据わってる通り越して狂ってるけどね。いやはや、いい男だ」


「マギサ。いきなり何を言い出す。どんな判断だ。まるで意味が分からんぞ」


「私はこいつに負けた。だからカードバトルで雪辱を果たす。それだけの話さ。シンプルでいいだろ」


「負けた? さっきのは不意を打たれただけで、しかもカードバトルのルールに沿っていない。敗北感を感じる必要など」


「黙りな」


 マギサがADを振るった。


 丁度半ばで折れたテーブルの右半分が空中分解しながら恐ろしい速度で壁まで吹っ飛び、残骸と破壊音を炸散させた。木屑が舞い、埃が煙り、風がそれらを掻き混ぜる。ヒロユキが口を開けて顔を蒼褪めさせた。


「私はこの通りステゴロだって相当イける。好みではないがヤって負けたことはない。レベルによる身体能力補正は魔力量の影響も受けるからねぇ。しかもキレるほど私は調子が上がるんだ。その私が不意を打たれただって? 馬鹿言うない。反応できなかったんだよ。カードバトルのルールに沿ってない? あんたそれでも災戦世代かい。向き合ったらルールなんてないんだよ。そして何より――私の魂が負けを認めちまってるんだよ。じゃあカードバトルで晴らさなきゃだろうが……! 分かるね? ヒロユキ。私は負けっぱなしってのが死ぬほど嫌いなんだよ……!」


「……分かるさ。その原因を作ったのは私だからな。もう、私は何も言うまい」


 ヒロユキは自分のせいで当時懸想していた若かりし頃のマギサに敗北感を味わわせたことをずっと悔やんでいるという設定を、2人のやり取りを耳にして玄咲は今思い出した。どうでもよすぎて記憶を脳から弾き出していたらしい。玄咲は基本ヒロイン以外のキャラクターに興味がなかった。


「さぁ、天之玄咲。カードバトルをしにバトルセンターに行くよ。拒否権はない」


「2つ、条件がある」


「2つ?」


「入学式の弾当てゲームに勝った分と」


 マギサが殺気を放つ。玄咲はポーカーフェイスで無視した。

 

「さっきの分。それくらいのアドバンテージをくれてもいいだろ」


「殺されたいのかい?」


「殺されたくない」


「じゃあ黙って受けな」


「じゃあ無抵抗で負けるとしよう。形だけの勝ちで満足してろ」


「……ちっ、言うだけ言ってみな。あんま馬鹿げた条件は出すんじゃないよ」


「カードバトルは俺のレベルが上がるまで待って欲しい」


「なんでさ」


「俺が今のあんたと尋常な条件で戦ったら100回やって100回負ける。それぐらいの分別はある。見ろ、今の俺の惨状を。さっきの一幕だけでこの様だ」


 血まみれになり、骨まで曲がった己の醜態を指して自嘲する。


「ふん……確かにそうかもしれないね。勝負にならない。その可能性は十分にある。けど、それでも私はあんたとヤりたいんだよ」


「レベル100になったら尋常な条件であんたをぶっ殺してやる。そっちの方があんただって殺り甲斐があるだろ」


 マギサが目を見開いた。怒りにではない。その眼の奥には確かに歓喜の色が薄く輝いていた。負けす嫌い。だが負けなければ何でもいいという訳でもなく、より質の高い勝利をマギサは望む。そういう性格をしていると、ゲーム知識により玄咲は知っている。そこを、突いた。


 もちろん実際に玄咲がレベル100になったとて勝てる可能性は万に一つあるかどうかだろう。嘘をついているのだ。玄咲は目先のカードバトルをなるべく先延ばしにできればそれでよかった。約束が残っている限り、敗北感が残っている限り、この後何としてでも呑ませる条件を反故にされる可能性が減るのだから。


「本気で言ってるのかい?」


「ああ、100パーセント本気だ。この眼を見てみろ。嘘をついているように見えるか?」


「……いや、見えない。いいね。その赤い眼。ギラついてる。本気の殺意で尖り光ってるよ。まさか、本気でレベル100になるつもりとはね……!」


「?」


 レベル100になることに驚いているマギサに玄咲は驚く。だが、プレイヤーからすればレベルは100まであげるのが当たり前だが、この世界ではレベル100の人間など指で数えるほどしかいないという設定を思い出して合点する。細かいところで抜けきらないゲーム感覚を反省しながら玄咲は頷く。


「ああ、本気も本気だ。そのつもりで言ったんだ。嘘は言ってない」


「くっく。いいだろう。その条件は呑んでやる。で、2つ目の条件はなんだい」


 ――背筋を冷たい汗が伝う。


 これから出す条件こそが本題。暴挙暴論を重ねた理由。シャルナを救う唯一の手段。玄咲はやけに重たく粘つく口を開いた。

 

「――シャルを、この学校に通わせてくれ。いや、ください。お願い、し、します」


 唇が震える。言葉が詰まりそうになる。つい敬語を使ってしまう。マギサ相手には強気に行くべきだと理解していたはずなのに――恐怖と緊張に、言葉から冷静さを削ぎ取られてしまった。


「……んー、そうだねえ」


 マギサが顎に手を当て思案する。頼む。頼む。頼む。頼む――。


「少し、足りないんじゃないかい、チップが。釣り合いが取れないよ。それじゃ」


 ――――。


 まだ。


 まだ、乗せれるものは、ある。


 どう受け取られるか分からない。


 しかし価値を認められたなら。


 それはマギサにとってクリティカルとなる――。


「仮にその子を通わせたとして3年後どうなる。この学校を出たらたちまち浄滅法を適用されて終わりさね。この学校は思い出作りをするところじゃないよ。その子のことはすっぱり諦めて前を向くんだね」


「く、くくっ……」


「?」



「ハハハハハハハハハハハハハハハハハ! ゲホッ、ゴホッ! く、くく……ハハハハハッ!」


 玄咲は。


 思い切りマギサを嘲り笑った。


 マギサの怯懦を浮き彫りにするために。


 感情的な敵意を抱かせるために。


 そしてそれを全てひっくり返して、その衝撃で。


 自分のチップの価値を、メッキを、本物のように誤魔化し輝かせるために。


 玄咲には理論だった説得などできない。感情的な暴論を押し通すのが精々だ。ならば、それを最後まで貫くだけ。馬鹿を貫くだけの話だった。


 マギサが静かに言う。


「――なにが、おかしいんだい」


「いや、なに。さっき言った通り、負け犬根性が染みついているなと。せっかく指摘してやったのに、まだ無自覚か。笑えて仕方ない」


「あんた、絶対殺されないと高を括ってんなら、大間違いだよ」


 マギサの手首のSDから赤い線が見える。つまりマギサが本気でキレ始めたので玄咲は結論を早めた。


「来年の天下一符闘会で優勝して浄滅法を撤廃すればいいだけの話だろう。何を負ける前提で話をしているんだか」


「――あ」


 マギサは。

 阿呆みたいに口を開いて。

 それから自分の頭を掌でガツンと叩いた。人体から発せられたとは思えない衝撃音が鳴り響いた。頭を押さえてマギサが呟く。


「あー……自分を殺したい気分だ。確かにこりゃ負け犬根性が染みついてる。返す言葉もないねこりゃ……」


「俺は」


 断言する。絶対の確信を瞳に籠めて。


「来年の天下一符闘会で優勝する。簡単なことさ。それで全て解決する。シャルを苦しめる浄滅法など俺がこの世から消し去ってやる。そして」


 マギサを、見据える。


「ついでにあんたに天下一符闘会での勝利をプレゼントしてやる。どうだ。滾るだろう」


「――本気で、言ってるのかい」


 マギサの唇を笑みの形にひくつかせながらのその問いに。


「ああ」


 玄咲は傲慢に首肯する。


「楽勝さ」

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