第33話 悪夢 ―Fallen Out―

 サンダージョーが入室した。


 シャルナは目を逸らした。嫌なものを見た。そう思いながら。


 サンダージョーの足音がする。ゆったりとした歩み。薄い振動が足の裏に伝わる。シャルナは眉をひそめて足を持ち上げた。同じ地面に接することすら不快だった。


 シャルナは横目でサンダージョーを睨む。母親の仇を――。


「――いた」


 舌なめずりをして。


 サンダージョーが笑った。


 シャルナの背筋が悪寒で氷柱になった。ずぞりと、死神に舐め上げられたような、冷たい灼熱。生涯二度目の、感覚。初めて会った時と同じ感覚――。


「――え?」


 サンダージョーの後ろから、巨大な男が入室してくる。トンネルをくぐるように、教室の入り口をくぐって。同級生じゃない。あんな見上げるような巨漢一度見れば忘れようがない。2Mを軽く超える身長。切り立った巨岩に干した海草を垂らしたような野卑な顔には下卑た笑みが浮かんでいる。シャルナを見て、浮かべたものだ。心臓が、凍り付いた。恐怖で。


「ヒヒ、いい反応だぁ。初々しぃねぇ。これだから下級生虐めにくんのはやめらんねぇ」


 下級生。シャルナを見て大男はそう言った。それはつまりこの男が上級生であるということ。なぜ、そんな男が下級生の教室にくるのか。いや、いやだ。まさか。ありえない。そんな、はずが、ない――。




                               それしかない。




 冷たい理性が答えを弾き出した。


「おいジョー」


 その答え合わせは。


する前にちょっとくらい楽しんでもいいよなぁ」


(――ああ)


 一瞬で済んだ。


(死ぬんだ、私)


 冷たい虚無が。


 心の内を埋め尽くした。


 クラスメイト達が皆シャルナを見ていた。ここまで注目されればお守りの意味もさしてない。煉送。その言葉の意味するところを見間違える人間はこの世界にいない。視線が語っている。こいつは浄滅指定種族だと。


 バレた。


 全部バレて。


 終わった。


 人生が。


 冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。脳も、心も、体も、全てが冷たい。冷たくて、何も考えられなくて、光の屍が積み重なった冷たい水の底に心が沈んでいくようで――。


「ぶち殺すぞクソカスが」


 ビクッと。


 心が。


 震えた。


 顔を上げずにいられなかった。


 正面、魔力を纏った殺気が渦巻く。場を圧する、威圧感。ビリビリと空気感電しそうなほどの濃密さ。恐怖で震えが止まらない。サンダージョーの肩に手を掛けていた大男が慌ててサンダージョーから手を引いた。


「す、すいません。調子に乗りました。お、怒らないでください」

 

「ああ? じゃあ最初から糞不快なこと言うんじゃねぇよ! アマルティアンで楽しむだと? んな穢らわしいこと僕に想像させてんじゃねぇよ! ああん!? ぶっ殺されてぇのかゲテモノ趣味のクソカスがぁああああん!」


「す、すいません! すいません! 折檻だけは! 折檻だけは!」


 信じられない光景。あんなに強そうな上級生がサンダージョーに怯えて頭を下げている。サンダージョーはあの上級生よりも高レベルだというのか。だとしたら、サンダージョーのレベルは一体今いくつだというのか――。


「ちっ、お前には後詰めの役割がある。折檻はしねぇよ。だからちゃんと働けやコラ」


「は、はい!」


「さて、と」


 サンダージョーが歩みを再開する。まっすぐ、シャルナへと。シャルナは逃げようとする。どこに逃げればいいのか分からない。もはやこの世のどこにも逃げ場所なんてないのかもしれない。けど、とにかく逃げねば。逃げて、逃げて――。





 もう一度だけ、彼と会って

「逃がさねぇよ」





 窓の外へと逃げようと椅子を踏みつけたその一歩は。


 当り前のように距離を詰めてきたサンダージョーに右肘を引き手繰られ体が宙に泳いだことでその先へと辿り着くことは永遠になく。


 スローモーションで遠ざかっていく窓へと手を伸ばすも、反対側の手の肘に猛烈な力が加わり――。


 ミシリ。


「――ッ!」


 大事なものが砕け散る音、その音を塗りつぶすほどの痛みが絶叫となって喉から迸った。

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