第32話 夢 ―Stand By―

 ラグナロク学園1年G組でのシャルナの席は教室最後列窓際、つまり隅っこだ。その隅っこの席にシャルナは折り目正しく揃えた膝に手を乗せた姿勢で着座していた。そしてまるで台風の目のように新入生の織り成す喧騒から綺麗に除外されて、ポツリと孤立していた。


「……」


 誰もシャルナには話しかけない。教室の隅っこに、意識を向けず、関心も持たず、視線すら送らない。まるでそこに誰もいないかのように。あるいは幽霊でも座っているかのように。


「ちょっ、聞いた? 昨日の郊外のクレーター騒ぎ。すごい音と振動がしたと思ったら黒い雲がぶわーって上がったやつ。なんでも禁止カードが使われたらしいよ!」


「ハァ? なにそれ激ヤバじゃん。学校の近くで国際犯罪犯すような頭ヤバい危険人物が近くにいるかもしれない……ってコト!? 勘弁してよ~」


「……」


 金髪を奇抜な形にセットしせっかく白い顔を何を好き好んでか黒く染めた女生徒2人組がシャルナの席に手をついて朝っぱらから教室の話題を独占している昨日の事件についての会話を交わす。シャルナにも覚えのある事件だ。寮の自室でカップラーメンを食べていたら突然轟音と振動がきて、むせかえり吹き出しせっかくのカップラーメンを一部無駄にしてしまったことをよく覚えている。窓の外で上がる黒いキノコ型の雲にうっすらとした恨みを抱いたことまでよく覚えている。ほぼ無計画無一文で入学したシャルナにはお金がないのだ。カップラーメンは貴重なのだ。食料で、財産なのだ。


 そんなことを考えてる間に金髪黒肌の女性徒たちの話題は昨日の試験に移っていた。女生徒たちにも話の中身にも興味はないが中々席を離れてくれない。仕方なく窓の外に視線と意識を逃がしていると、唐突によく知った名前が話に出てきた。シャルナの耳がピクリと動く。


「あーし、天之玄咲とだけは当たりたくねーわー。あいつ対戦相手必要以上にボコるらしいよ。素手で。本気で殺されるかと思ったって対戦相手が言ってたとか。普通に戦ってもめっちゃ強いらしい。なのにそんなことするってことは完全に趣味だよねー。糞野郎じゃん」


「サンダージョーといい勝負だよねー。あいつと昨日衝突してたし、本当両方とも退学して欲しいわー」


「……」


 たぶん、またなにか勘違いされているのだろうとシャルナは思った。短い付き合いだが話題に上がった人物――天之玄咲がとても誤解されやすい性質の人間であることをシャルナはよく理解していた。サンダージョーと比べるなどとんでもない。ちょっと、いや、かなり変わってはいるが、玄咲はとてもいい人だ。


 誰に対してもそうであるか分からない。けど、少なくとも、シャルナに対しては、絶対に、そうだ。絶対的な証拠が、胸の中にあった。だって玄咲はシャルナを本当の意味で見つけられる人なのだから。例え秘密を知ったとしても、玄咲はシャルナの味方をしてくれる。そう心から思えるくらいには、シャルナは玄咲のことを信頼していた。この学校で唯一の友達だと思っていた。


 そんな相手の悪口を言われて、シャルナは少しムッとした。


「でさー、傑作なのがさー!」


「マジでー? 死んでほしー」


「……!」


 まだ話していた。何が楽しいのかシャルナには理解不能だった。さっさとどっかに行って欲しい。あの世でもいいから。本当に、何が楽しいのだろう。バカみたいに大口で笑い合い終いにはシャルナの机をバンバン叩いて揺らしてくるさまはもはや正視に耐えないほどの人間らしさ醜さだった。


 落ち着かない。全く落ち着かない。いつまで笑い合っているのか。いつまで机を叩き合っているのか。落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない。落ち着かない――――。


 

 何かの切欠で2人の女生徒に自分の正体がバレるんじゃないかと思うと、体が縮こまってしまう。



 ギギィイ――、


 と。



 扉の開く音がした。



 G組の教室の扉は開くとき悲鳴のように鳴く。いつ壊れてもおかしくないほどにボロボロだからだ。G組の悪のイメージを生徒たちに強調するためにわざとボロボロのまま放置しているらしい。玄咲が昨日自慢げに語っていたことだ。そんなマイナスファクターをやたらと嬉しそうに語る玄咲の姿がおかしかったことを思い出し、シャルナは口元に小さな笑みを浮かべた。


(来た、かな?)


 シャルナは体を縮こまらせたまま教室の入り口を伺う。純白の眼差しに僅かな期待を込めて。


 その鼻っ柱に、


「あ、ミサ! おっはよー!」


「っきゃ!」


 入り口に現れた学友へと勢いよく手を跳ね上げた金髪黒肌の女生徒の手の甲がクリーンヒットした。わざとではないだろうが、だからこそ遠慮も躊躇もない速度と力で。鼻の奥で火花が弾けた。目をちかつかせる痛みが何かの警告音のようなしつこさで鼻の奥を蹂躙する。机の上に血の斑点ができた。ポタ、ポタ、とさらに3滴。鼻血だ。鈍痛に焼け付く鼻を押さえるシャルナの後頭部が女生徒たちの嘲笑の恰好の的となる。


「あれ、いたの? 全然気づかなかったわ。存在感薄すぎでしょあんた。幽霊かっつーの」


「きゃははは! 言えてるー!」


「あれー鼻血出てる? 言っとくけどあたし謝んねーから。全部陰気臭い顔で陰うっすくして椅子にボーっと座ってたあんたの自業自得だから。それあんたも分かってんよなー?」


「……うん」


 手の内に広がる血のぬめりが唇を伝って舌先に乗る。その苦みを鋭敏に感じながらシャルナは頷いた。注目はシャルナの敵だ。なるべく穏便にことを治めたかった。


「ふん。分かってんならいーんだよ。あー、この陰険地味子の傍にいたら陰キャが移りそう。行こっか。リサ」


「うん、サバトちゃん。おーい、ミサ―!」


 2人の女生徒がシャルナから離れていく。ミサとかいう女生徒の元へと向かって、3人で談笑を始めた。戻ってくる気配がない。シャルナはようやくほっとした。


「……ずびっ」


 机の中に入っていた紙で鼻を噛む。幸い鼻血は大した量ではなくすぐ出枯らした。シャルナは血塗れの紙を教室後方のゴミ箱に投げ捨てる。ゴミ箱の中には昨日玄咲が唾を拭いていた紙が残っていた。お揃いだ。何となくそう思った。


「……」


 3人の女生徒たちは楽しそうだった。シャルナは少しだけ羨ましく思った。シャルナには話し相手がいない。一人だけいるにはいるが、今はいない。早く来ればいいのにと思った。


 それにしても。


 あの女生徒たちは何を考えて白い肌を黒く塗りつぶしているのだろうか。ミサとかいう新たに追加された女生徒もやはり奇天烈な金髪で黒い肌をしていた。シャルナには理解できないセンスだった。なんでも、黒いより白い方がいいに決まっているのに。


「……」


 そういえば玄咲も白いもの――天使が好きだったなと思い出す。当り前だ。天使は美しい。白い髪、白い眼、白い肌、そして何より――白い翼。全てが美しい。人権を保護されている数少ない亜人の一種であり、その中でもエルロード聖国の人間からさえ憧憬の目で見られる、亜人の中でもトップカーストに君臨する種族。それが天使。白くて美しい、シャルナの憧れ。誰だって好きに決まっている。そう、玄咲だって。


 堕天使なんて、見向きもしないに決まっている。


「……」


 そうだ、きっと見向きもしない。だってあれだけはっきり明言していたのだ。天使族が好きだって――。


「……あれ?」


 よく思い返せば、天使族ではなく天使が好きなのだと言っていた気がする。願望が記憶を捻じ曲げたのだろうか? 分からない。シャルナはあまり記憶力がいい方ではない。一日前の会話を事細かに思い出すことなど不可能だ。だからシャルナは思い出すのを諦めた。これから知ればいいと思った。


 天之玄咲。妙に謎の多い人物だった。でも、強くて、優しくて、なによりシャルナを見つけてくれた。それだけで細かくて多すぎる欠点など補ってあまりあった。もっと玄咲のことを知りたい。シャルナはそう思った。


「……早く、来ない、かな」


 気が付いたら、そう呟いていた。シャルナは自分の言葉に、自分で少し赤くなった。これでは、まるで――けれど、それが今の素直な気持ちだった。この学校唯一の友達を、今、シャルナは強く求めていた。



 もっと、玄咲と話したい。

 もっと、玄咲を知りたい。

 ううん、何も知れなくたっていい。

 そんな、理由付けなんて必要ない。

 理由がなくたって、玄咲と話していたかった。

 私にとって玄咲との会話は何よりの救いだった。

 玄咲がいなければ、この学校で私はひとりぼっちだ。


「……玄、咲」


 今の状況は私が望んだもの。

 人間を恐れて。

 そんな世界を変えたくて。

 アマルティアンだとバレないために。

 夢を叶えるために。

 けど。

 全く寂しくないわけではなくて――。



 ギギィイ――、


 と。



 扉の開く音がした。

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