第31話 予兆 ―Black Feather―
カラスが鳴いていた。
窓縁に立って、黒い翼を広げてガァーッ、ガァーッ、とうるさく鳴いている。空襲警報で叩き起こされた前世の不快な記憶を想起させられながら自室のベッドの片隅で玄咲は目を覚ました。
「なんてうるさいカラスだ」
薄ボケた視界に窓際に立つカラスの姿が見える。そういえばこの世界にもカラスはいたな。そんなことを思いながら、ベッドの片隅から立ち上がり、昨日の十倍以上は重たく感じる体を引きずってベッドを下り部屋を縦断し窓際までのっそりと辿り着く。窓を開ける音にも怯まず、顔も背けず、一心に玄咲へと鳴き声を浴びせ続けるカラスの迫力に奇妙なものを感じながら、カラスに「しっし」と手を振って窓縁から空へと追いやろうとする。
「空へと帰りな。お前の居場所は
何故かカラスが笑った気がした。カラスが窓縁を蹴る。背を翻し、黒翼を広げて、一路大空へと立つ。真っすぐ、一直線に、気持ちよさそうに。
「ん?」
その背に白い痣のようなものが見える。両翼の付け根の辺りだ。もっとよく見ようと窓斑から身を乗り出してみるがカラスはあっという間に遠ざかっていき、黒い点となって、消えた。空の向こうの世界に行ってしまったかのようだった。
「珍しいな。白い痣のあるカラスなんて。……そもそもCMAの作中にカラスなんて登場したっけ? まぁ、現にいるから、登場してたんだろう。俺が気づかなかっただけで――しかし」
窓を閉める。窓ガラスに己の顔が写った。いやに目つきの悪い大空ライトくん。よく見ると骨格や肉付きまで異なっている。ゲームの大空ライトくんと似ても似つかないどころかもはや殆ど別人だった。魂が別人(天之玄咲)だからだろう。天之玄咲の容姿に大空ライト君の容姿が大分引っ張られていた。
「もはや大空ライトくんではなく大空ダークくんだな……この顔が窓ガラスに写る。つまり昨日の出来事は夢ではなかった。一先ず安心だ。一応、こっちも」
カードケースに仕舞う暇もなかった悪魔神バエルのカードをポケットから取り出し、右手の親指と人差し指で挟む。
「簡易召喚」
そしてバエルを呼び出した。
「……おはよう」
一度簡易召喚してしまえば二度目以降は工程を簡略化できる。CMAの常識だ。魔法陣を介さず突如宙に現れたバエルが窓の外に浮かびながら沈鬱な表情で挨拶をしてくる。自分の脳では現像不可能な美貌が目の前に現れた事実にこの世界が夢なのではないかという一抹の不安を完全払拭されながら玄咲はバエルに尋ねる。
「なんか、元気がなくないか」
「昨日が楽しかった分封印されてる時間、つまり現実を思い知らされる時間がつらくてね」
「どんな状態で封印されているんだ」
「明晰な意識のまま寝ることもできず真っ暗闇の中で拘束されてる状態」
「……」
拷問みたいな状態だった。
「なるべく簡易召喚する時間を増やそう。最低でも毎日一回は」
「たまには昨日みたいにADで召喚してモンスターに憂さ晴らしさせてよね」
「……それは、正直難しい」
バエルがムッとする。
「なんでよ」
「昨日バエルが郊外にクレーターを作って、そこで魔力と生命力を使い切って召喚が切れただろう。俺はあのあと大変だったんだ」
「そういえば消える直前街の方からサイレン音が聞こえたような……なにがあったの?」
「……符警が街の方から殺到してきてな。裏山の抜け道を必死に逃げたんだ。魔力枯渇と生命力枯渇を併発した状態があんなにきついとは思わなかった。よく途中でぶっ倒れなかったよ」
「……それは大変だったわね」
「ゲームだとデメリットだとも思わなかったんだが、誤算だった。抜け道もそうだ。ゲームだと入った瞬間に郊外に出るんだが、まさか歩きで片道1時間以上かかるとは思わなかった。おかしいな……」
「おかしいのはあなたの頭よ……どうしてそういう思考回路になるのかしらね」
「え、だって、この世界はゲームの世界じゃないか。ゲーム通りやればなにもかも上手くいくはずだろう。そうでないと俺は、どうしたらいいか、何が正解なのか、もう……」
「ああ……そういうこと。あなたは常に不安で不安で仕方ないのね。だから安心できるもの、例えば天――ゲームの正解パターンに縋り付かずにいられない。妄信してるわけじゃないのね。ちょっと安心した」
「ま、まぁ……そう、なの、かもな。分解されて指摘されるとその通りという気がしてくる。バエルはメンタルカウンセラーみたいだな。話していて落ち着くよ」
「じゃあカウンセリングついでに一つだけいいかしら。シーマちゃんはあなたに甘々だし、私にしか言えないことだろうから言っといてあげる。忠告よ。ありがたく聞きなさい」
「なんだ」
「そのゲーム感覚は早めに捨てなさい。あなたの負荷にしかならないわ。その内きっともっと大きな失敗に繋がるわよ。言ってる意味分かるわよね。あなたも薄々自覚してるんじゃない? 目が泳いでるわよ」
「うっ」
図星、なのかもしれなかった。思い当たる節がなくもない、どころか無数にあった。だが、それでも踏ん切りがつかない。天之玄咲からゲーム知識というアドバンテージを抜いたら一体何が残るというのか……。
「大丈夫よ」
バエルが言う。
「あなたはとても素敵な色の魔力を持っているわ。本当に、とても素敵な色。あなたと私は魔力の相性がいいの。それは魂の相性がいいのと同じ。もっと自分を誇りなさい。この私と相性がいいってことは世界で一番素晴らしいって意味と同義よ。あなたは素晴らしい存在なの。もっと自分の本質を剥き出しなさい。そしたらきっと、きっと本当に何もかも上手くいくわ」
「バエル……」
驚くほどに暖かい言葉。思わず涙ぐむ。ゲームの100倍くらい優しい。ゲームでは描写されていないだけで、もしかしたらバエルは本当は凄く優しい子だったのかもしれないなと玄咲は思った。いや、確信した。ゲーム感覚との乖離に対する違和感を玄咲は己の蒙昧と切って捨てた。初めて、意図的に切って捨てた。バエルの、言う通りにした。
「ところで学校行かないの?」
「え?」
「あ、たった今8時を回ったわ。学校までどれくらいかかるか知らないけどもうそろそろ支度した方がいいんじゃないかしら?」
バッと、振り返る。背後、正面、壁上、時計、8時――!
「バカな! 俺は夜寝たら朝必ず6時に起きるんだ! クソったれな軍のルールでその睡眠リズムが染みついてるんだ! あ、ありえない……!」
「よっぽど疲れていたのねぇ。それにEP――生命力を消費したら睡眠で回復しようという本能がこの世界の人間にはあるからそのせいも――」
「バエル! すまない!
精霊を召喚された場所へと送り返す送喚の呪文を唱えて、玄咲は
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