第30話 雷丈家 ―Thunder House―
雷丈家邸。
サンダーハウスの異名を持つ、プレイアズ王国の中でも王宮に次いで巨大な建物。その中の家長室にてサンダージョーは家長の雷丈正人と対面していた。雷丈正人の隣には執事のゴルド・ジョンソン。細身長躯でピシッと手を後ろで揃えている。
「お爺様。報告がございます」
「なんだね」
穏やかで柔和な笑みを浮かべて雷丈正人――叔父が聞いてくる。気性の大らかさを称揚するようなふっくらな体躯。プレイアズ王国の重鎮ながらエルロード聖国の聖人の一人に数えられる偉大なる祖父。この世で最も尊敬する人物に背中に手を回し胸を張ってサンダージョーは答える。
「10年前に取り逃した堕天使族の娘を発見いたしました。たまたま学校で同じクラスになりまして」
「なんだと!」
祖父が珍しく笑みを崩して驚く。それほどのことなのだろうかとサンダージョーはいぶかしんだ。
「珍しいですね。笑みを崩されるなんて」
「ん? い、いや。そういうこともある。私だって人間だからな」
「そうですね。聖人もまた人間ですもんね。だからこそ人の気持ちが分かる――ですよね?」
「その通りだとも。お前はいい子に育ったな」
サンダージョーは相好を崩して頭を掻いた。尊敬する祖父に褒められるとどうしても嬉しくなってしまうのだ。
「ところでその堕天使の娘の容姿はどんなものかな」
「容姿、ですか」
なぜそんなことを気にするのだろう。そう思ったが、尊敬する祖父のことだからきっと深い意図があるのだろうと思いサンダージョーは素直に答えた。
「……認めがたいことですが、一般的には、かなりの美人に入るかと思われます。もちろん僕は欠片も魅力など感じませんでしたが。ええ」
「そうか! それはよかった」
「やけに嬉しそうですね」
「む? あ、ああ。ジョー坊も知っての通りアマルティアンは容姿端麗な若い雌ほど罪深いからな。浄滅してやれるのが嬉しくて仕方ないのだよ」
「! そうでしたか! 流石お爺様! 素晴らしいお考えです!」
「その子は必ず我が家で確保するのだ。エルロード本国に連れて行って浄滅する必要がある。罪穢れを浄化し殺される――それが結果的に来世でその子のためになる。分かるね? ジョー坊」
「はい!」
「ジョー坊にしかできない役目だ。ラグナロク学園は警備が固い。部外者の侵入は不可能。だが、学生のジョー坊なら素通りだ。その子を必ず拉致してきなさい。その子のためだ。これは正義だ。分かるね?」
「はい、分かります。必ず僕が拉致してきますよ。そして、分からせてあげますよ自分の身の程って奴をね……!」
「む?」
「あのクソアマ、よくも僕を色仕掛けでたぶらかそうとしやがって。く、くそ汚らわしいアマルティアンの分際で……クソが! たっぷり痛めつけて死ぬ程絶望を味わわせてやる! どうせあとで回復魔法で傷を治せばいいんだからな! 糞ッ! 糞ォッ! この神の子たる僕をアマルティアンの分際でたぶらかしやがってぇえええええええええ!」
サンダージョーは床をガシガシ蹴る。感情の高ぶりによって漏れた、質・量ともに今では祖父を圧倒する魔力圧が空気をバチバチと震わせる。正人が笑顔のままいう。
「お、落ち着きなさいジョー坊。別にいいじゃないか。アマルティアンを美しいと思ったって」
「ッ!」
サンダージョーは反射的に正人を睨んだ。いくら相手が祖父でもジ・エルロードの教義に反する思想は許せなかった。
「てめっ、お爺様、今、なんて……!」
「あ、い、いや。無論私も本気でそう思ってるわけじゃない。それくらいの心の余裕を持たなければ聖人の境地は程遠いと言いたいのだよ。全く、ジョー坊は、まだまだ未熟だなぁ。聖人と言われる日はまだ遠いな」
「う……し、しかし」
正人の言葉にサンダージョーは勢いを削がれる。正人――聖人の言葉は全て正しい。納得しきれないこともあるがそれは自分が未熟なだけ。反感を抱くのは心に払うべき邪悪が住んでるから。そう心の中で繰り返し念じてサンダージョーは心を静める。祖父はただただ笑顔でそんなサンダージョーを見つめる。まるで彫像のように、不動。冷静さの塊。その尊敬すべき正人の姿を見てサンダージョーはようやく幾ばくか冷静になった。
「申し訳ありません。少し興奮しました」
「分かってくれればいいんだよ。私は聖人なんだ。逆らってはいけない」
「はい……ところで、お爺様。堕天使の確保に当たり、
懲罰十字聖隊――魔獣狩りが主な仕事だが、アマルティアン狩りもこなす、雷丈家の最高戦力たる私兵部隊。サンダージョーは若干15歳にしてその隊長だった。理由は単純。サンダージョーが一番強いからだ。サンダージョーが率いる懲罰十字聖隊は過去最強と呼ばれる。その隊員から今回の仕事に適性のあるものをアマルティアン確保に使う腹積もりだった。
「構わないよ。だが、部外者は――」
「懲罰十字聖隊にはラグナロク学園の上級生もいます。暴力のスペシャリストです。今回の任務にはうってつけですよ。ちょっと糞ムカつく邪魔な男がいるものでそいつをぎったぎたにしてもらいましょう。そいつは人間ですが背教者です。生意気なクズですよ、死んでも文句は言えませんね」
「そ、そうかい。まぁ好きにしたらいい」
「あとは、教師をどう突破するか。特に担任のクロウとかいう教師を出し抜くには……」
「ん? ああ、教師の心配はおそらくしなくていい。教師は全部マギサの子飼いだ。マギサの決定に従う。そしてマギサはその生徒を庇いはしないだろう」
「なぜ、言い切れるのですか?」
「あの婆は結構冷淡なんだ。100年に一度、そういうレベルで優秀な生徒でもない限り、アマルティアンを庇うリスクを考えて、切り捨てるだろう。昔同級生だったし、今でも顔を合わせるからね。あの婆には詳しいんだ」
ニコニコと正人は続ける。
「アマルティアンだという物的証拠を突き付けてしまえば簡単さ。妨害されないうちに堕天使の証を衆目に晒してしまいなさい。それで、終わる。それと、ジョー坊の担任のクロウはいつも遅刻かギリギリかの無気力教師として有名だ。一応、早めに行って鉢合わせないうちにことを済ませた方がいいだろう。妨害されないとも限らないしね。念には念を、だ」
「なるほど……大体の方針はもう決まってしまいましたね。さすが、お爺様。お知恵添えありがとうございます」
「うむ。期待してるよ。ジョー坊」
「はい。任せてください! いつもよりも強めに折檻してから拉致してきますよ! それではこれから岩下隊員に連絡を取らなければいけないので、お爺様、本日はこれにて――クソアマが、待ってろよ」
サンダージョーは家長室の扉を閉めた。
サンダージョーの消えた家長室。雷丈正人とゴルドは同時に笑みを消して、ため息をついた。
「はぁ……疲れたわい」
「顔の筋肉がおかしくなりそうですよ」
「聖人は常に穏やかで笑顔たるべしなんて阿保みたいな戒律を守り、癇に触れないようにビクビクしながら孫と話す人間はワシくらいだろうな。全く……教育に、失敗した。まさか、聖書による洗脳がここまで嵌まるとはな……恐るべきは新約創界聖書の完成度というべきか、ジョー坊の単純さというべきか。あれはもう敬謙通り越してただの狂人だ。幼い頃から子供に洗脳を施せば従順な駒に育つと夢想した過去のワシは本当に馬鹿だったわい」
「キレ始めた時はひやひやしましたね。いつかみたいに殴られるかと」
「あのときか。ジョー坊はずっとすみませんすみませんと土下座をしていたな。だが、もしあいつの中からワシへの敬意が失われたらどうなることか。――殺されるかもしれん。考えるだけで恐ろしいわい。本当に、教育を間違えた」
二人は再びため息をつく。正人は机の引き出しから一冊の本を取り出して、ページをパラパラと捲る。
エルロード聖国が開発した魔導書、新約創界聖書。それは全頁の文字を利用した複雑な魔法陣が描かれており、読むたびに微弱な催眠効果を与えられるように作られている。エルロード聖教の関係者でもごく僅かな人間しか知らない事実だ。
信者を増やすための道具、新約創界聖書。それを利用した子育てはエルロード聖教の関係者の中ではポピュラーな試みだ。そして多くの成功例を上げていた。雷丈正人も子供ができたら試してみようと思っていた。そして試した。
結果は成功を超える。超成功。つまり大失敗だ。過ぎたるは及ばざるがごとし。性根が純粋だったのだろう。あまりにもエルロード聖教に傾倒した思想を獲得したサンダージョーは正人にさえ制御できない化け物になった。
だが、頭がおかしいだけならまだ救いがあった。一番の誤算はその天の悪戯としか思えない特異体質。生まれた時から既に成魂期の状態であると言う超特異体質だ。それが洗脳と最悪の形でかみ合った。
雷丈正人は当初喜んだ。特別意識を植え込むため神の子と呼んで育てた。結果サンダージョーは異常な傲慢をも得た。亜人を迫害対象とするのみならず、気に食わない人間をも背教者として迫害対象とする、自己愛性人格障害を患った。そしてそれをふりかざして罰されない地位と実力がサンダージョーをどこまでも歪めた。果てしなく狂わせた。
「ま、まぁ希望もある。ジョー坊はレベル20上限がないだけで、レベル100の上限はあるようだからな。ここ数か月全くレベルが伸びていないのがその証拠だ。要するにただの早熟なのだ。まぁ、だとしても魔符士としての素質は異常なものがあるがな。全く、神の子というのも案外適切な表現なのかもしれん」
「全くですな」
「だが、レベルが伸びなくなった今、その内自分の限界というものを思い知り、傲慢も正されるだろう。ラグナロク学園はそういう意味では最適の環境だ。なにせあそこには化け物しかいない。いやでも天狗の鼻を折られるだろう。そしたら少しは真人間になるかもしれない」
「マギサ学園長はいいタイミングで特待生の招待を出してくれましたな」
「全くだ。しかし、ふふ。思わぬ副産物がついてきた」
正人はほくそ笑む。コルドもいやらしく笑う。サンダージョーに見せていた笑みとは全く異なる生の笑み。生臭い笑みだ。
「先方のリクエストにドンピシャの年齢の見目麗しい、今や絶滅危惧種の堕天使が、まさかこのタイミングで学園に入学して、しかもジョー坊と同じクラスとはな。これがもう天のお告げと考えてもいいだろう。天が我が雷丈家にもっと羽ばたけと言っている。マギサもおそらくその生徒は庇いはしまい。あの婆は結構冷淡だ。アマルティアンを庇うリスクを考えたら切り捨てるだろう」
「我が雷丈家の後援はより盤石になりますな。大金が手に入るのはもちろんのこと、アムネス地区を治めるブートン大公は覇国エルロード聖国の重鎮中の重鎮。国際的な立ち位置もよりよくなるでしょう。王家よりも国際的な影響力を持つのも時間の問題ですな」
「いずれプレイアズ王国は滅びる。エルロード聖国の属国化する。少しずつその手引きもしているし、エルロード聖国とのパイプも繋げてる。もしそうなったら、ふふ、現精霊人の女王をワシがもらって好きにしていいことになっている。学生時代からあの美しい肢体を蹂躙してやるのが夢だったんだ……! いつまでも若々しい精霊人の王女。それがもうすぐワシのものになる……! そう、次の天下壱符闘会でこの国を負けさせればね! お前には王女を当てがってやろう」
「おお! それは光栄! 何としてもプレイアズ王国を潰さねばなりませんな!」
正人とゴルドは色欲を肴に笑い合う。醜悪な絵面が展開された。
「おっと、そうだ。ブートン大公に伝えとかんとな。ジョー坊のことだ。なんだかんだで仕事は成功させるだろう。そうでないと飼ってる意味がないからな」
雷丈正人は机の上のテレフォン・リード・デバイス――その魔術特性から電話の通称で呼ばれる、庶民には決して買えない超高級リード・デバイスで遠く離れたエルロード聖国のアムネス地区を治めるブートン侯爵へと揉み手で電話を繋げた。
「あ、もしもし。ブートン公爵ですか? いえ、3日後の定時取引にてかねてよりお望みでした商品がようやくご用意できそうでして――」
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