五「放課後」

 一週間が経って、僕は友佳とは変わりない日々を過ごしていた。出会ったら挨拶をして少しばかり話をする。席が隣だから授業では一緒にペアワークをすることもあるし、ちょっとした貸し借りもある。何も変わっていない。冗談を言って笑って、時々一緒にお弁当を食べて……。全てのことがいつも通り。気にするようなことはないはずだ。気にするようなことは……。けれど、気にかかることもある。僕はあれから友佳の笑顔を見ていないような気がする。正確には笑っているけど、体裁だけの作り笑いのような、そんな笑い方を友佳はしている。冗談や下らないことで笑ってはいるけれど、その笑顔が嘘のようなそんな感じがする。話している間は気づかないくらいの微妙な変化だから、そのことで何か不都合があるわけではない。けれども、後で友佳の作り笑いの真意について考えてしまうのだ。……もしかしたら、考えすぎなのかもしれない。いや、これでも僕と友佳は長い付き合いだと思う。考えすぎでも僕の妄想でもないはずだ。友佳は僕の前では笑ってくれなくなってしまったと考えるべきだ。何が原因なのか……。そう考えるのも白々しい。分かっているだろう。いつから友佳がそのような態度をとっているのか、その時僕が何をしたのか、全部自分で分かっているだろう。そうだとして、僕に何ができるだろうか。僕は何をするべきなのだろうか。あの事があった翌日に僕は改めて謝った。そして友佳は気にしてないと言った。けれども、友佳は作り笑いをする。謝ってもなくなることのない友佳と僕の境界線。きっと、友佳は謝罪を求めているわけではないのだろう。けれど、いくら考えても、その先が僕には分からない。だから一週間が経っても微妙な状況に陥っている訳で、友佳は笑ってくれない訳なのだ。僕は友佳と仲直りがしたいが、その方法が分からない。友佳が何を求めているのか分からない。僕がするべきことが分からない。……僕は友佳とのことを考えると、少し苦しくなってくる。だから、あまり考えないようにしているけれど、毎日友佳と会って関わっていると、考えずにはいられないのだ。僕はこれからどうすればいいのだろうか……。

「考え事をしている顔だね。」

 耳元で最近聞きなれた声が囁いた。

「あ、ごめん。」

「別にいいけど、私と一緒にいることも忘れないでよ。」

 声の主は念を押すように言うと、楽しそうに街並みを眺めながら僕の隣を歩く。

 僕は一人で帰っていたような気がしたが、そう言えば校門を出たあたりでななと会って一緒に帰っていたのだった。忘れていた。

「ねえ、みなと。あのお店に入らない?」

 ななが僕の腕を引っ張ってパンケーキのお店を指さす。最近できたパンケーキ店で行列ができるくらい人気店。僕自身少し気になっていたのだけど、炎天下の中並ばないといけないのと女性客が多い中を一人でいくのが少し恥ずかしくて敬遠していた。しかし、今並んでいる人はいなくてななと一緒なので絶好の機会だった。

「いいね。入ろうか。」

 そう聞くや否やななは僕の手を取ってお店に向かって走る。僕たちは入店して窓際のテーブルに座った。

「すっごいいっぱいメニューがあるね。普通のにはちみつにキャラメルにチョコにアイスに苺に抹茶にクリームに何だかすごいのに。どれにしようか分からないよ。」

 ななは食い入るようにメニューを見ながら、視線とページが右左に行き来する。

 あれからななともよく会うようになった。屋上だけではなくて、外でもよく会うのでこうして一緒に帰るようになっている。会ったばかりのころは色々不安だったけれど、実際に何回か話してみると普通の子でほっとした。授業をさぼって屋上にいたり、下校中に寄り道したりする以外には、この一週間特に変わったことも起こらなかった。単純に自分の体調が悪くて変な幻覚を見ていただけかもしれない。こうして僕の向かいで悩んでいる彼女は、等身大の高校生でしかない。

「ねえ、みなとは何にするのか決めた?」

「うん、決めたよ。このバナナとチョコとアイスとクリームがのっているのにしようかな。」

 僕がそう言うとななは少し驚いた顔をする。

「みなとって結構甘いものが好きなんだね。」

「うん、それなりには食べるよ。」

「じゃあ、私も同じのにしようかな。」

 ななは手を挙げて店員を呼びパンケーキを二つ頼んだ。ついでにななは紅茶を、僕はオレンジジュースを頼んだ。店員は忙しそうに伝票をキッチンに持っていくと、今度は別の客に注文を持って行った。

「なんだか忙しそうだね。」

 ななはそう言って興味深そうにあたりを見渡す。僕たちが来たときはまだ数テーブル空きがあったけれど、瞬く間に全テーブルがもう埋まっていた。店内では環境音楽が流れていて、意識しなければほとんど気にならない、まるで音楽が内装の一部のようになっている。天井の照明も眩しくない程度に店内を照らしていて、シーリングファンがゆっくりと回っていた。そして、所々に置かれている観葉植物が店内を彩り、木製のテーブルと椅子が手触りを心地よく、座り心地をよいものにしている。とても落ち着ける、リラックスできる空間だと僕は思った。

「ねえ、みなと。」

「なに?」

「さっきさ、みなとは何を悩んでいたの?」

 ななが頬杖を突きながらそう言った。

「……いや、大したことではないよ。」

「本当に大したことではないの?」

 ななは食い気味に言う。

 僕はそんなななの様子を窺いながら、ななに話すべきなのか悩んでいた。大したことなのどうかと言われると、僕にとっては大事なことかもしれない。幼馴染の友佳と早く仲を戻したい。けれど、そういうことをななに言ってもいいのだろうか。自分で解決するべきではないのだろうか。けれど、今の僕はどうするべきか全くわかっていない訳で、なななら何かを教えてくれるかもしれない。

「私なら相談に乗るよ。」

「ありがとう……でも、大丈夫だよ。」

「そう。それならいいけど。」

 しかし、僕はそれを拒んだ。なぜだか、彼女に友佳の話をしたくなかった。交友関係のことで躓いていることを知られたくなかったのか、僕なりの見栄があったのか、僕はななに対して口を噤んだ。きっとななは相談に乗ってくれると分かっていたけれど、僕はそうすることが怖いような気がした。

 ななは僕が言いたがらないのを気にすることはなかった。それからななと話しながら十分ほど待つとパンケーキが運ばれてきて、僕はそのボリュームに少し驚いた。三センチほどの厚さのパンケーキが三枚重ねられていて、その周りにトッピングが十分すぎるほど置かれている。値段が少し高めだと思ったけれど、この量だとそんなことはないかもしれない。それ以上に、これほどの量を果たして食べることができるのか、僕は非常に不安である。

「うわあ、おいしそうだねえ。いただきます。」

 ななは特に気にする様子もなくナイフとフォークを使って食べ始めるが、ナイフが使いづらかったのかフォークだけになってしまった。僕も量のことはいったん忘れて、一番上のパンケーキを一口大に切る。チョコソースだけがかかったその部分をソースがこぼれないように口まで運んだ。

「おいしい。」

 思わず声が出てしまう。ふんわりとした生地は意外としつこくなくて、ほろ苦いチョコレートとの相性が抜群だ。バナナ、アイス、クリームなど別のトッピングともミスマッチすることなく自然と一枚目を平らげてしまう。うん、とても食べやすくて、量が多いということはないかもしれない。

「みなと、これとってもおいしいね。」

 ななは無我夢中にパンケーキを食べていて、既に二枚目を食べ終えようとしていた。

「ななはよく食べるね。」

「うん、おいしいから。」

「ならよかった。それにしても今日は運がよかったね。このお店結構並ぶからさ。」

「そうなんだ。私あんまりこう言うところに行かないから全然知らなかった。」

 ななはそう言うと頬にクリームがついた顔で僕の方を見る。

「みなとと友達になってよかった。色んなところに気兼ねなく行けるし、みなとといると楽しいから。」

 そう言ってななは微笑む。僕は少しだけどきっとした。

「なな、顔にクリームついているよ。」

 僕は誤魔化すようにななの頬を指さす。

「え、どこどこ。みなと取って。」

「うん、分かった。」

「お願い。」

 ななが身を乗り出してきて、僕は紙で優しく口元のクリームをふき取る。紙の上には指先に乗る程度の少量のクリームがのっていて、僕は少しの間それを見てから紙を丸めてテーブルに置いた。ふと外の様子を見ると、向かい側の歩道を歩く一人の女子高生と目が合いそうになった。寂しそうに僕たちを見ているような感じがした。しかし、彼女は途端に僕に背を向けるように早足に歩き出す。その女子高生は曲がり角を曲がって僕の視界から消えた。誰なのか気になったけれど、一瞬のことだったので結局誰かは分からなかった。

「ねえ、みなと。そっぽなんか向いて、食べないなら私がみなとのも食べていい?」

 ななに呼ばれて僕は視線を戻した。僕のお皿にはパンケーキがまだ一枚あって、ななは凄く物欲しそうに僕を見つめていた。

「うん、いいよ。」

「ありがとう。」

 僕の言葉を聞くや否や、ななは目を輝かせて僕のパンケーキにかぶりついた。とてもおいしそうに食べるななを見ていると、僕もあげてよかったと思えてくる。

 それにしても僕は二枚目でそれなりにおなかいっぱいだったのに、ななは僕の二倍も簡単に平らげようとしている。なんという食欲だろうか。時々スイーツは別腹などと言うことがあるが、ななもその類だろうか。よく、それもおいしいそうに食べる。

「……ふう、ごちそうさま。もうお腹いっぱい。」

 ななは僕のパンケーキも平らげて、流石に満足したのだろう。お腹をさすりながら、ゆっくりと紅茶を飲む。

「大丈夫?」

「うん。それより、少し休んだら帰ろう。」

 それから僕たちはお会計をして外に出た。一万円しか持っていない上に後ろにも人がいたので少し申し訳なかった。けれど、本当に来てよかったと思う。人気店である理由が少しだけ分かった気がした。外はもう日が傾いていて、家に帰るにはちょうどいい時間になっていた。僕たちは夕日に背を向けて繁華街を抜ける。

 けれど、住宅街に入ったところで、ななが立ち止って僕を見た。

「ねえ、みなと。本当にみなとはそれでよかったの?」

 ななは少し弱い声でそう言った。

「悩み事は本当に大丈夫なの?」

 ななは立ち止ってそう聞いてきた。僕は突然のことに何も言うことができなかった。

「みなとは私と似ているように見えるから、気になるの。みなとは本当に大丈夫なのかって、私はみなとのことが心配なの。みなとは苦しんでいるように見える。私は本当にみなとのことが心配だから、言ってほしいの。少しだけでも力になれるかもしれないから。」

 ななは僕にそう言うけれど、今さら言ってしまったことを曲げることできなかった。

「ななの気持ちはありがたいけれど、本当に大したことないから気にしないで。きっとすぐに良くなると思うから。」

 僕はそう答えた。

「本当に?」

「うん。」

「それなら、いいのだけれど……。」

 ななはしぶしぶ引き下がったようだった。

「だけど、何かあったらいつでも私に言って。私は少しでもみなとの助けになりたいの。」

「うん。その気持ちだけで十分だよ。」

「ううん、きっと私に言ってほしいの。私たちは友達だから。だけど、その時間はあっという間に過ぎ去ってしまうから。なるべく早く、過ぎ去ってしまう前に、そうなってしまう前に言ってほしい。」

 ななはそう言うが、僕にはいまいちピンとこなかった。大げさなように僕には聞こえた。けれど多分、僕を心配して言ってくれているのだろう。

「分かった。本当にどうにもならないことがあったら、相談するよ。」

「うん。友達だから……。」

 ななはそう言うと交差点を右へ行こうとする。

「それじゃあ、私こっちだからまたね。」

「また明日。」

 ななは手を振りながら走って行って、気付くと僕の視界からは消えていた。僕も帰路を歩きはじめる。ななの言葉は僕に重くのしかかっていた。友佳のこと、ななに相談しなくてよかったのか分からない。けれど、いつか何とかなるだろう。僕はそのことを深くは考えないようにする。そして、もう一つの懸念が僕の思考を埋め尽くそうとする。あんなにも深刻そうなななを見て、ななのことが心の奥底で気になってしょうがなかった。僕の頭の中では、私を離さないで、と言うななの言葉が木霊していた。幻聴、幻覚の類のものが僕を徐々に不安にさせる。

「僕もだけれど、ななはななで大丈夫なのだろうか。」

 僕は気になって振り返ったが、そこには当然誰も居なかった。

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