第41話 瑞城の守り神

 大輝と悠真が乗った覆面パトカーらしきセダンの後ろに、知広と朋也、佐倉刑事を乗せたパトカーが続く。雨は小雨のまま降り続き、山々はしっとりと翡翠色のもやに包まれているようだった。朱弥山しゅみせんでも感じた幻想的な空気が辺り一面に満ち満ちている。


「あっ」


 濡れてけぶる山の美しさに魅入られるように、ずっと外を眺めていた知広は信じられないものを目にした。


「どうした、知広?」


「あっ、あれ…赤いフェニックス」


 窓を開けてもらい、御釈蛇ミシャクジ山跡の丘の一つを指で示す。それを確認した朋也も「あっ」と言って、知広の隣に身を滑り込ませて、窓に張り付いた。


 ひらり。ひらり。ひらり。


 翼を広げた大きな鳥が丘の上で舞っている。

 天を仰ぎ、地に伏せ、再び、翼をはためかせ、高みを目指して翔ぶ。


「ほんとだ…赤い鳥が踊ってる」


 それは翡翠色の背景に対比するように鮮やかな緋色の美しい大鳥オオトリだった。目が吸い寄せられる。心が奪われた。知広と朋也はその鳥を一心不乱に見つめ続ける。


 …えっ?


 その瞬間、緋色の大鳥と知広の目が合った。大鳥は片翼で東の山の一点を示し、大きく嘴を開いて、一声鳴いた。音は聞こえなかったが、確かに鳴いた。


「あの鳥はいったい…何?」


「お。坊主ぼんずらは【朱鳥あけどりさま】が見えよるんか?」


 運転していた年配の警察官が驚いたように言うと、「かしこかしこみももうす」と厳かに呟いた。


「朱鳥さまって?明さんの?」


 知広が尋ねると、警察官はハハァと笑った。


「今の朱鳥さまが継いでから、山を崩したことも川をあふれさせたことも一度もないんよ。山の認めた朱鳥さまがいらっしゃったら必ず雨はおさまる」


【朱鳥さま】は、柔らかに降り続く雨を浴び、軽やかに嬉しげに踊り続ける。緑のもやの中で朱鳥が舞う。


「あぁ、凄く、綺麗だ」


 朋也も心を奪われていたらしい。上擦うわずった声で呟いた。


「あぁ、そうじゃろうて。瑞城みずきの守り神様はほんに美しゅうていらっしゃるんよ」


 年配の警察官は朋也の言葉を聞き、満足そうに同意した。


「あの…さっき言ってた【かしこみ…】って、どういう意味なんですか?」


 知広が尋ねると、警察官は「祓詞はらえことばなんよ」と教えてくれた。【私達に降りかかる災厄を祓ってください】と【恐れ多くも神様に申し上げる】。神様を敬い、心をこめてお願いする口上なのだそうだ。

 そして、とても驚いたことに、この運転している警察官にも佐倉刑事にも【朱鳥さま】は見えていないそうだ。警察官は子供の頃に一度だけ見たことがあると言った。


「そんなに綺麗なら、俺も見たいんだけど…」


 佐倉刑事は目をらして、一生懸命見ようとしていたが、パトカーは無情にも御釈蛇山跡を通り過ぎ、【朱鳥さま】から遠ざかっていった。赤い鳥の姿はどんどん小さくなり…やがて視界から消えた。


 日善中学校教諭の浦川秀司は、二件の【営利目的等略取罪】で現行犯逮捕された。一件は被害者が知広なので未成年略取罪だ。警察としては殺人未遂も視野に入れて考えたかったらしいが浦川は殺意を否認している。

 浦川があんなに何度も【池田】の名を口にしていたにも関わらず、【池田侑一朗の殺人】が確定しないことには、知広を口封じのために殺そうとしたという動機は成立しない。高羽たかば署が取り調べ中の岩城中贈収賄事件にすら、浦川を繋ぐことが出来ていなかった。


 疑わしきは罰せず。


 現在、浦川が建て前にしている理由は、教え子の知広に【保護者との不適切な関係をバラされたくなかった】から話し合おうとしたということだ。


 …結局、神谷さんは知ってしまうのか。


 佐倉刑事に尋ねると、当然、【神谷絵里奈の母親】も事実確認のため、事情聴取に協力してもらうことになると言っていた。


「その同級生の母親もろくでもない親だけど、問題は知広くんの方だ。君の両親はいったいどうなってるんだい?」


 佐倉刑事は呆れた顔で知広に問うた。予想はつく。おそらく【今、忙しい】か【妻(夫)に任せている】のどっちかだったのだろう。


「お母さんに連絡したら『海外出張中なので警察の方にお任せします』で、お父さんの方は『教育は妻に任せています。妻に聞いて下さい』だって?子供が誘拐されて殺されてたかもしれないんだぞ。まだ未成年の中学生だぞ?気にならないのか?」


 やはり当たっていた。今さら何とも思わないが、ここまで徹底した無関心だと、あの二人が本当に血の繋がった自分の親なのかどうかすら疑わしくなる。


「僕は失敗作なんですよ。処分されないだけマシだと思ってます。お金はちゃんと与えられるので」


 佐倉刑事の話の続きを聞くと、驚いたことに東都の父方祖母だけが、電話口で泣き出したのだという。知広が今どうしているか、怪我やショックを受けていないかを知りたがったという。【つまらない意地を張って交流していなかった。孫が心配だから迎えに行く】とのことだった。


 …お祖母ばあ様が?


 祖母とも中学受験前までは季節ごとに交流があった。甘やかすことが一切なく、常に批判的でアラ探しされている印象だった。知広の母親が口を利いてもらえないくらいに嫌われていたように、知広自身も嫌われていると思っていた。


 …捨てる神あれば拾う神ありだ。僕はお祖母様のことを誤解してたのか。


 これは嬉しい誤算だった。身内に心配してくれる人がいたことは心強かった。有り難く思えた。


 その後、志都和しずわ市内のシティホテルに着いた知広は、佐倉刑事や朋也達から浦川による二つの誘拐事件の顛末てんまつを教えてもらった。


 気になっていた夏目は無事だった。知広に先んじて救出されており、今頃は夏目家の大事なお役目の手伝いをしているのだという。


 昨夜、夏目はショッピングモールの駐車場で浦川と思われる男の車に拉致されて、岩城中から少し離れた民家の一室に閉じ込められた。そこで、電源の切られた自分のスマホと、電源の入った見知らぬ黒いスマホと、奇妙なメモを渡された。


【爆弾を仕掛けている。逃げるな。自分のスマホは指示があるまで電源を入れるな。黒いスマホで指示を出すまで待て】


 机の上には【危険物注意】と書かれた黒い箱があり、中から時計の秒針が動くような音もしていたので、危険な目に遭いたくなかった夏目は指示を待つことにした。佐倉刑事が情報を補足する。


「その後、浦川はずっと岩城中にいたんだよ。SNSを使って、他人名義のスマホを何台かレンタルしてたんだ。それで、岩城中から闇バイトの学生に指示を出して、夕さんに電話をかけさせてたんだって」


 佐倉刑事は「闇バイトは無法地帯だよ。何でもアリで困るよ。どうせ捕まったら、蜥蜴の尻尾みたいに切って捨てられるのに」とぼやいて、大きなため息をついた。

 警察が嗅ぎ回っていることに追い詰められた浦川は強硬手段に出た。浦川は知広が乗っていたのが【電動自転車】であったことに目をつけたらしい。バッテリーを外してしまえば、スピードはママチャリよりも落ちる。知広の自転車のバッテリーのロックは無理やり壊されていた。


「電動自転車のバッテリーは転売目的で盗難されることが多いんだ。普通にロックかけてても簡単に盗まれる。ほんと困るよ」


 佐倉刑事は再び大きなため息をついた。

 犯人役を通じて指示を出された夏目は、子供達と一緒に一刻も早く監禁場所に来て欲しいと、佐倉刑事に電話を掛けた。夏目は理由を言わなかったので、佐倉刑事は急ぐしかなかった。


 そして、モタモタした知広が一人残された…

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