第35話 朱鳥山の主

 朋也は大知との通話を終わらせた後、「山を下りて、大知さんと合流する」と、皆の顔を見回した。


「え?でも、ゆうさんいないし、俺達だけだと遭難するんじゃね?」


 悠真が怯えたような顔をして言うと、朋也が難しい顔をして口籠った。


「俺達が朱弥山しゅみせんにいることはおそらく浦川にもバレてる。いつまでもここに留まるのは危険なんだ…」


 知広も朋也の意見に賛成だった。


「夏目さんは今週末、天気が崩れると言ってた。食料がないのにずっと山にはいられないよ」


 大輝が大きく頷く。紗月と明も「じゃ、下りよっか」と言った。


「迷った時のために何を持って行くか考えないと…」


 祖父仕込みの山の知識がある朋也も、朱弥山はかなり危険だと思っているらしい。朋也が真剣な顔で呟くと、紗月が「必要ないわ」と言った。


「でも、この山は危険なんですよね?俺もそう思ってます」


「いいえ、迷うことなんてないわ。絶対に」


 紗月はキッパリと否定した。


「どうしてですか?」


「だって【山の主】がいるもの」


 朋也を始め、知広達四人は呆気にとられて紗月を見た。


 …山の主とは…?


 朋也が不審そうな顔で紗月に問う。


「どこにいるんですか?」


「ここに」


「えっ?」


 全員でキョロキョロと山小屋の中を見回す。特に恐ろしげな妖や化け物は見当たらなかったが、【山の主】がいると聞くと、部屋の空気がひんやり冷たくなった気がする。ここが死者の集う山だったということを改めて実感する。悠真の顔が青ざめた。知広もゾッとしている。


 …山に悪霊はいないって言ってたじゃないか。山の主って…


「ここには俺達以外、誰もいないじゃないですか?山の主って、いったい何なんですか?」


 朋也が問うと、明が「私でーす」と手を挙げた。


「えっ?」


「何代目か忘れちゃったけど、私、【朱鳥の巫女】なんだよ。去年成人して朱弥山も正式に継いだから【山の主】」


 朱鳥の一族の末裔である夏目家の現当主は【夏目夕夕ちゃん】ではなく、【夏目明明ちゃん】なんだそうだ。

 今は廃社になっている朱鳥神社と、朱弥山しゅみせんの周辺地域を守護する生き神という位置付けらしい。とはいえ、現在はいろいろと簡略化されて、地域の安全と繁栄を願う【巫女神楽】だけが細々と継承されているという。

 明は「ビジュアル的には夕ちゃんが巫女にピッタリだったんだけど、お祖母ちゃんもお母さんもおばちゃん達も『この子に舞を教えるのは無理』ってさじ投げちゃったんだよね。何でかわかんないけど、どうしても盆踊りみたいになっちゃってさ」と言った。夏目夕は学生巫女が不在時の巫女代理らしい。とにかく、明にとって、この山は自宅自分ちの庭のようなものらしい。絶対に迷うはずがないと自信満々だった。


 一時間後。

 夏目明を先頭にした一行は、緑に彩られた道無き山中を抜け、紗月の乗って来たピカピカの白いSUV車が駐車してある中腹まで迷うことなく下山できていた。何故か、夏目と来た時よりも楽に進めたし、かかる時間もずっと短かったような気がしていた。【朱鳥の巫女】の霊力的な何かかもしれないと思って、明に尋ねてみる。


「えー?山の主オーナー特典とか株主優待みたいな?」


 明はきょとんとした顔だったが、この山には人智を超えた神秘的な力が働いている。知広にはそう思えて仕方なかった。


 山を降りた知広達は紗月のやたら高価たかそうな左ハンドルの車に乗り込み、岩屋いわや西のショッピングモールに向かった。そこで昼食をとる予定だ。もうとっくに昼は過ぎていてお腹も減っていたし、大輝の伯父の刑事とそこで合流することになっている。


 …浦川は『女を助けたければ、池田のことは絶対に警察には言うな』と言った。


 しかし、知広が池田侑一朗について、新たに警察に提供できる情報などない。何のことかわからないから告発することは出来ない。一つハッキリしているのは、あの電話のやり取りからして、浦川が気にしているのは神谷絵里奈の母親のことではない。


 …でも、喋れるわけないよ。あんなこと。


 朋也も「もし本当なら、神谷が心配だな」と、顔を曇らせていた。親の不祥事は子を苦しませる。朋也は誰よりもそのことをわかっている。ショッピングモールの駐車場で車から降りた知広が、やるせない気持ちを抱えながら、皆の後をついて行くと、大輝と朋也が急に走り出した。


大知だいち


「大知さん」


 ショッピングモールの入り口にスラッと背の高い白髪混じりの…ロマンスグレーという言葉がピッタリの大人の魅力のあふれる渋い男性が立っていた。


 …あれが佐倉刑事か。


 にこやかに子供達を迎える男性の顔の造作つくりは確かに大輝とよく似ていた。


「やぁ、皆さんはじめまして。うちの大輝がお世話になってます」


「何言ってんだ。俺の親父はお前じゃねぇ」


「当たり前でしょ。大輝のお父さんは光大こうだい


 伯父と甥が似ているのもそのはずで、【大知と光大】は一卵性双生児らしい。しかし、性格は全く異なり、大輝の父親は真面目で石橋を叩いて渡るような慎重なタイプなんだそうだ。一方の佐倉大知刑事は好奇心旺盛な雰囲気で、口調のせいもあってちょっと軽薄カルそうに見える。そして、大輝は伯父に対して完全にタメ口だった。


ゆうさん、心配だね。今、高羽たかば署が夕さんの捜索を一生懸命やってくれてるよ。明日になれば志都和署からも応援が来ることになってる。天候は心配だけど」


 大知はそう言って顔を引き締めた。旧瑞城町管轄の高羽署捜査員は、犯人が夏目夕のスマホの電源を入れた時点の居場所を突き止めることは出来たらしい。それはここからそう遠くない瑞城町の山中だった。しかし、それは土砂災害で地形が変わり、元々は山だった地図に載っていないよくわからない場所の一つだ。警察も崩れやすい危険な山中での捜索は難航しているらしい。浦川は岩城中に勤務した経験があり、瑞城町にも十年近く住んでいたので、多少の土地勘はあるらしい。


「ここは都市部と違った意味で排他的だ。他所者よそものにとって、わからないことが多すぎる」


 浦川の犯行は恐喝目的の略取罪で、証拠を揃えて捕まえることが出来れば、一年以上十年以下の懲役というかなり重い罰を科すことが出来る。しかし、それは岩城中学校にまつわる一連の事件とは全く無関係の罪状だ。

 一方の岩城中学校改修工事の不正入札の件については、急がなければならない事情があり、警察はすでに動き始めていた。元岩城中の島内校長と吉岡教頭はタツミ社長と同時に速やかに押さえる必要があったと佐倉刑事は話した。


「島内と吉岡には証拠隠滅のおそれがあったからね。それに入札談合の時効は五年。本当にギリギリだったんだ。このタイミングで挙げられたのはまさに【奇跡ミラクル】だ」


 佐倉刑事は感じ入ったように嘆息した。


「今のところ、池田侑一朗先生の失踪事件に繋がりそうなのはこの事件だけだからね。何の証拠もない現状で、犯人からの自白を引き出すのはちょっと難しい気がするけど、偶然にしても都合が良すぎて、何か不思議な力が働いている気がしてるよ。ひょっとしたらひょっとするかもしれない」


 島内校長と吉岡教頭は取り調べのために、高羽署と岩屋署に留置されているので、すでに動きを封じられている。自由に泳がせられるのは浦川しかいなかった。池田侑一朗の失踪事件に関わる手掛かりが見つからない今、全員拘束した上、全員が口を割らないとなると迷宮入りの未解決事件になってしまう。


 …確かに刑事さんの言う通りだ。


 佐倉刑事は話し続けた。


「知広くんが犯人をひるませてくれて本当に助かった。あっちも知広くんに何か暴露されたくない一心で無茶はしないだろう。でも、犯人が浦川なら、俺たちが捕まえずに泳がせていたせいで、夕さんを危険にさらしてしまったことはいなめない。そこは反省しているよ」


 そう言って大輝に似た雰囲気のダンディな刑事は知広に向かって頭を下げた。思いもよらない佐倉刑事の行動に知広は驚いた。


 …いい大人が中学生の子供に、頭を…


「け、刑事さん。頭を上げて下さい!」


 知広が慌てて声を発すると、佐倉刑事は頭を上げて、人好きのする笑顔でにこりとした。


「夕さんは凄く気になるけど、俺はここの管轄じゃないから捜査に加われないんだよね。それに、今週末は夏休みを先取りさせてもらったから非番なんだ。君達と一緒に【死体探し】するよ。まるで【スタンド・バイ・ミー】だ。凄くワクワクするよ。どうぞ宜しくね」


 佐倉刑事の発言を聞いた知広と朋也と悠真は唖然として声も出なかった。大輝だけが身内である伯父の奇行に慣れているのか、鼻に皺を寄せた苦々しい顔をしていた。自分大輝そっくりの表情でヘラヘラ笑う佐倉刑事に言い返す。


「どうせまた刑事デカ部屋のみんなに我儘言って、無理やり休んだんだろ。俺達の冒険に何で四十しじゅうのオッサンが混ざってくるんだよ」


「大輝だって、学校をズル休みしてるじゃないか。お母さん内緒にしてやってるんだから、仲間に入れてくれたっていいだろ。あ、君達、お昼まだだよね?俺がおごるよ。何食べてもOKだ。さぁ、みんな店に入った入った」


 佐倉刑事は立ち尽くしていた子供達の背を押し、ショッピングモールへといざなった。

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