第六章:マーダー・ケース

第34話 知広vsゴリエッティ

 知広が新たな事実に辿たどり着いた時、不意に静寂を破って着信音が鳴り響いた。知広の持つ大輝のスマホではない。紗月のスマホだ。


「もしもし、夕ちゃん!どうしたの?どこに…」


 紗月は電話に出て、矢継やつばやにまくし立てる。しかし、その直後に顔色を変えて口を閉じた。画面を操作し、全員が聞けるようにスピーカーに切り替えた。


『夏目夕はァ、預かっているゥ。そこにィ、久保知広がいるだろォン?』


 奇妙なアニメ声…かん高く鼻にかかった舌足らずな声だった。喋り方や内容、状況からして、電話を掛けてきた本人のものとは思えない。


「知広、ボイスチェンジャーアプリだ」


 一瞬戸惑った知広だが、朋也が耳元で囁いて教えてくれる。わかったという返事の代わりに小さくうなずく。声を変えているのは正体を特定されないようにするためかもしれない。弱者をいたぶるようなふざけたアニメ声のチョイスが浦川らしい。


「夏目さんは無事ですか?」


「無事かどうかはァ、お前次第だァ」


「浦川先生…ですよね?」


「さぁなァ」


 やはり名乗らない気だ。しかし、この偉そうな勿体ぶった口調と厭味な反応は【ゴリエッティ】の浦川秀司のものだ。知広と取り引きしたい内容は全くわからないが、夏目が酷い目に合わされないように何か手を打っておかなければならない。


「お前はなぜ知ってるゥ?答えろォ」


 …どうしよう。


 頭をフル回転させる。浦川を窮地に追い込むこと。でも、時計を盗んだことや岩城中で過去に起こした犯罪行為は今すぐには立証できない。他に…浦川が犯した罪は何かなかったか…


 …あった!


「夏目さんに手を出すな。こっちには切り札があるんだ」


「何ィィィ?お前が知っているハズはァァァ」


 気味の悪い甘えたような幼女アニメ声が驚いたように一段階大きく高くなった。


「馬鹿がァ。ハッタリは効かんぞォ」


 朋也や紗月、全員が固唾かたずを呑んで知広に視線を向けているのを感じる。今、夏目の身の安全が知広一人の肩にのし掛かっている。


「ハッタリじゃありません。僕は先生に不正に点数を下げられていましたけど【神谷かみやさん】の定期テストの点数は水増ししてますよね?僕、自慢じゃないんですけど、塾や外部模試では神谷さんに負けたことは一度もないんです」


 今、ゴリエッティに押し負けるわけにはいかない。少しでも怯んだら、弱い者いじめにけている浦川をつけ上がらせてサンドバッグにされてしまう。


 あの日、生徒会室で見掛けた【…ミヤ】という女性は、おそらく、知広と同じ県下トップ高の【西和市立西和高校】が第一志望の【神谷かみや絵里奈えりな】の母親だ。神谷のうちもお金があり、知広の母親と同じでとても見栄っ張りなタイプだ。神谷は最近、数学と英語の成績が落ちていて、とても焦っていた。内申点を上げておかなければ、合格は危ういかもしれない。


「浦川先生、神谷さんのお母さんにお金もらってたんじゃないですか?あ、それとも、お金じゃないものでしたか?神谷さんのお母さんって、元モデルさんで凄く美人ですよね?」


 朋也と大輝と悠真が息を呑んだのが伝わってくる。まさか、知広がこんなことを言うとは思わなかったのだろう。そういう知広自身も驚いている。下世話な想像は、あの日見た多目的室に妙な違和感があったのと、【高坂朋也の父エロ魔人】のような悪いサンプルが身近にいたから、とりあえず口から出任せを言ってみたが、何も反論しないところを見ると、知広の指摘は図星だったようだ。


 …そのシュチュエーションは倫理的にもTPO的にも駄目だ。神谷さんが可哀想だろ。破廉恥な大人共め。


 浦川は全く声を発さなかった。知広の独壇場は続く。


「神谷さんにこのことを伝えたら先生はどうなりますか?神谷さんは真面目で潔癖症だし、神谷さんのお父さんは確か弁護士さんですよね?許さないんじゃないかなぁ?不倫なんてやめろ。夏目さんに手を出すな!夏目さんを解放しろ!」


 知広は生まれて初めて啖呵タンカというものを切ってみた。それは浦川にとって、不意打ちのようなことだったらしい。浦川は動揺したらしく「お前はいったい何なんだァ。なぜ、そんなことまで知っているゥ?女を助けたければ、池田のことは絶対に警察には言うなァ」と、焦った口調で告げると、逃げるように電話を切ってしまった。


「知広…」


 青ざめた朋也がウルトラマリンブルーのスマホを知広に差し出しながら声を掛ける。


大知だいちさんと繋がってる。知広に替わってって」


 知広はスマホを受け取ると耳に当てた。「もしもし」と声を発する。


「はじめまして。大輝の伯父の佐倉さくら大知だいちです。君は凄いな。そんな情報まで持っていたとは驚いたよ」


 佐倉刑事の声は落ち着いた感じの渋い声イケボだった。


「イチかバチの思いつきでした。出任せを言ったら当たっただけです。夏目さんが危ない。犯人は浦川先生です。捕まえることはできますか?」


「証拠が見つかれば略取罪で捕まえるよ。発信源の位置情報を追い続けたかったけど、通話終了と同時に電源を切られてしまった。犯人はこの瑞城町にいる。おそらく、夕さんも近くにいるだろうと思う。瑞城町には監視カメラを置いている場所がほとんどないんだ。空き家もあるし、山中には隠れるのに都合のいい人目につかない場所なんていくらでもある。君の交渉で首の皮一枚繋がった状況だ」


 佐倉刑事はそう言った後、不思議そうに「犯人が浦川なら、もう警察が関わってることは知っているはずだ。罪を重ねてまで、これ以上、池田侑一朗先生の何を知広くんにバラすなと言うんだろう。確かに保護者との不適切な関係をバラされるのはマズいだろうけど、殺人の方がずっと罪が重い…」とひとちた。それは知広にも理解し難かったが、何よりも気がかりなのは夏目の安否だった。


 …夏目さんが危ないのに、ただ無事を祈ることしか出来ないのか。


「まぁ、君が犯人をビビらせるカードを持っていて助かった。俺は、浦川を含め、池田侑一朗先生の失踪事件に関わる者は殺人を犯した可能性があると思ってるけど、犯人の言うことを信じるなら、現段階では人質に危害を加えないだろうと思う。まぁ、夕さんが生きていることが前提だけどね。略取誘拐事件で一番大切なのは命だ。生きていることを喜ばないといけない」


 …生きていることを喜ぶ。


 背中がヒヤリとなった。殺人事件に関わっているかもしれないことを改めて認識する。


「タツミ建設と岩城中の先生達は何をしていたんですか?」


「学校改修工事の入札情報を岩城中の元教職員らがタツミ建設に不正に漏らしたと考えてる。志都和市の教育委員会に勤める家族から情報を入手したみたいだよ」


「捕まえられそうですか?」


「うん。そっちはね。紗月さん達のお陰で証拠が揃ったから起訴できそうだって話だよ。浦川以外は」


「えっ?どういうことですか?」


 佐倉刑事は言いにくそうだった。島内校長についてはタツミ社長と元々仲が良く、度々、接触の機会があった。また、吉岡教頭の夫は志都和市教育委員会の工事価格等の入札情報を知る役職にいたらしい。【タツミ社長】―【島内校長】―【吉岡教頭】の繋がりはハッキリさせることができそうだという。島内校長、吉岡教頭、浦川は共通して借金を抱え、それぞれが金に困っていたという情報もある。しかし、浦川がこの事件にどう関わっていたかは出て来ないらしい。


「実は浦川抜きでもこの不正入札事件は成立する。仮に協力していたとしても、彼は重要なポジションじゃない。たいした罪には問えないんだ」


「そんな…」


「この件で捕まえた誰かが殺人事件でも自供して、その犯人らの一人が浦川で、尚且なおかつ、池田侑一朗先生の遺体が発見されたら関係者全員逮捕できる。でも、殺人事件は不正入札事件よりも罪が重い。自白はまず無いだろうと思う」


「でも、浦川は池田侑一朗先生の赤い時計アイオーンを盗んでいます。僕は持っているのを見ました」


 佐倉刑事はますます困ったような口調で言った。


「申し訳ないけど、君が見ただけでは話にならないよ。浦川があの時計を持っている所を警察が押さえないと窃盗事件にはならない。それも、持っているだけでは駄目だ。自分で『盗みました』って言ってもらわないと。場所も日時も定かじゃない五年前の現場に証拠なんて残ってないだろうからね」


 そして、ため息と共にダメ押しする。


「何度も言うようだけど、池田侑一朗先生の遺体が出て来て、その遺体に浦川のDNAでも付いていれば、万々歳なんだよ。何千万円もするPATRICK PHELPSのアイオーンは殺人を犯すだけの立派な動機になるからね」


 …こんなに怪しいのに捕まえられないのか。


 黙り込んだ知広に対し、佐倉刑事は静かに告げた。


「夕さんも心配だけど、おそらく、浦川の狙いは君なんだ。君はとても賢くて勇気もあるけれど、咄嗟の状況判断と周囲を味方につける力は朋也くんにはとても敵わない。一人で戦っちゃ駄目だよ」


 そして、佐倉刑事は朋也に電話を替わるように言った。

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