第29話 蒼翠の翼

 連絡後、MAYからの返信は早かった。


『行きます。お待ち下さい』


 MAYの返信メールを見せた朋也は「ヒットだ、知広」と拳を握って、知広の前に突き出した。知広も親指を握り込み、朋也と拳をくっつける。朋也と顔を見合わせると堪えきれずに笑みがこぼれた。嬉しさがこみ上げてくる。


 ―――――朋也くんが僕を認めてくれた。


 ヒットの意味はちょっとよくわからなかったけれど、バントと似たような野球用語なのだろう。とにかく天にも昇る心地だった。心に自信が満ちあふれて、何だって出来るような気がした。


「おーい、何やってんだ?」


 庭で鶏を追いかけ回して遊んでいた大輝と悠真が、ガッツポーズで叫ぶ朋也と知広に気づいて、何事かと駆け寄ってくる。朋也は興奮した口調で二人に宣言した。


「しばらく家には帰らない。ここでゴリエッティ達の悪事を暴くぞ」


 それを聞いた大輝と悠真もガッツポーズで天に向かって吠えた。


「やったぜー!!!」


 僕らの冒険はまだ終わらない。糸口を掴めただけだけど、ここからが本番だ。きっとこれからも胸をおどらせる出来事が待ち受けているだろう。そんなことを確信していた。


 しかし。


「知広くんっ!」


 おそらくMAYから連絡がいったのだろう。夏目が慌てた様子で駆けて来た。真っ直ぐに知広の前に来ると「さっちゃんにメールしたのはあなたね?危ないからと言ったのに」と、とがめるような口調で言った。


「MAYさんから聞かれたんですか」


「そうよ。さっちゃんから『バレてしまったと思う。皆さんを宜しく頼みます』って、連絡があったわ」


 やはり、【さっちゃん】=【サツキ】ということで間違いないのだろう。夏目は焦った様子で、明の家の農具をしまう納屋にただちに自転車を隠すように指示を出した。


「居場所がわかってはいけないのよ」


「誰にですか?」


「悪事を働く大人達に、よ。わかっていたから、ここに来たのでしょう?」


 夏目は真剣な顔をしていた。その有無を言わさない雰囲気に呑まれて、四人は黙り込む。


 納屋に自転車を止めて四人が戻ると、夏目は深紅のSUV車を庭に回してきていた。そして「乗って」と促すと、四人を乗せて走り出した。


「どこに向かってるんですか?」


 朋也が訊くと、夏目は前を向いたまま短く答えた。


「とりあえず、ここから離れるわ」


 どこまでも緑なす山を越えて車はひた走る。一時間近く過ぎた頃、舗装された道はすっかりなくなっていた。木は幾重にも生い茂り、見通しが悪く、昼間でもライトを点灯しなければいけない程に暗い。鬱蒼とした山奥に呑み込まれるように向かっていくのが、だんだん恐ろしく思えてきた。


 …やっぱり夏目さんは朱鳥神社の祟り神で、怨霊…?


 そう思うと運転する夏目の白い横顔があの廃神社で見た妖しい朱鳥の女のように見えてくる。


「俺達、何かマズいことをしたんですか?」


 ずっと黙ったまま助手席に乗っていた朋也がうかがうように尋ねると、夏目は大きなため息をついた。


「何日か前から、さっちゃんの…MAYのメールはあっちの関係者に監視されている可能性があったの。おそらく岩城中にはもう人が行ってるわ。今から屏風を取りに行くことはできない。さっちゃんと私が岩城中でやっていたことがバレるのは時間の問題よ。それに、あなた達が瑞城町に来ることは予想されていただろうけど、あのメールであなた達がここにいて、彼らの知られたくないことの…核心に近づいていることがわかってしまった」


 夏目はいったん言葉を切ると、バックミラー越しに後部座席の知広を軽くにらんだ。


「全部、あなたの送ったメールのせい。さっちゃんはどうしてもあなた達と直接会うつもりよ。あなた達が接触しないようにせっかく私達がガードしてたのに全部裏目に出ちゃったわ…もうっ!」


「えっ?」


「えっ?じゃないわ。あなたよ、あなた。妙に鋭いんだから」


 しかし、夏目は知広と目が合うと厳しかった表情を崩し、ふふっと笑った。


「でも、期待しちゃうわ。ヒントを出してても屏風絵まで辿りつく人は一握りなのよ。ノーヒントの中学生がたった半日で見つけちゃうなんて驚いたわ。それにチョークアートに残した名前をMAYと結びつけて、さっちゃんまで辿りついた人は誰もいないのよ。今までは何一つわからなかったの。あなたが来てくれたことで何かが動き出した気がする。どうか、さっちゃんの先生と私の探し人を見つけて下さい。中学生探偵さん」


「探偵?僕が?」


「さぁ降りて。ここからは歩くわよ」


 車から降ろされた一行は、夏目の案内で濃い緑に閉ざされた山道を行く。決して歩きにくいわけではないが、同じような木の群生光景と、あるようでない道が続き、四方を大樹に囲まれた林の奥深くに入り込んでいる。どこをどう通ったかは全くわからないまま、いつの間にか山頂付近にある山小屋に着いていた。


「ここは何もないけど、眺めだけはいいのよ」


 そう言われて、山小屋の前に立った四人は一斉に歓声を上げた。

 夏目の言葉通り、そこからの眺望は最高だった。眼下の青々とした樹々の間から、新緑薫る風が吹き抜ける。夏山の青葉が目にみるほどに鮮やかだった。


 …まさに【山したたる】って感じだ。


【夏山蒼翠そうすいとして滴るが如し】だったか。どこかで目にしたことのある俳句の夏の季語の由来が実感を伴ってまざまざと思い出される。

 頭上に広がる夏空も爽やかに澄みきっていた。空なら今までに何度も見ているはずなのに、こんなに純度の高い美しい晴空を見たことはなかった。隣に立つ朋也も空に手を伸ばして眩しい笑顔で笑っている。それにしても朋也はこんなに晴れやかに笑う少年ヤツだったか。


「鳥みたいに飛んでいけそうだ」


 朋也はしなやかな腕を羽のように伸ばして気持ち良さそうにちた。遮るもののない空は遥かに遠くどこまでも悠々と広がる。もしも、鳥になれるものなら、朋也達みんなと連れだって遠い空の彼方に飛んで行くのも悪くないな、と思う。否。それはとてもいい考えのように思えた。


「この山は朱鳥のむ山なのよ。私達のご先祖様のかえる山なの。洪水で人柱になった娘らの家族は朱鳥神社と共にこの【朱弥山しゅみせん】をずっと守ってきたわ。御釈蛇ミシャクジ山にあった神社は廃社になってしまったけど、この山は大丈夫。太古からるブナの原生林がこの山を守ってくれる。山を荒らさない限り、絶対に崩れたりしないわ」


 夏目は悲しそうに言葉をつむいだ。


「御釈蛇山だって、木を伐採して山を崩したりしなければ、あんな風に土砂崩れが起きることなんてなかったかもしれないのに」


 十五年前、町おこしのために、山を切り拓いて新興住宅地を作る計画が持ち上がった。そして、山に工事の手が入ってから、しばらくして、大きな土砂災害が起き、御釈蛇山が流れた。文字通り蛇が滑り落ちるように姿形を変えてしまった。元々が土砂崩れの起こりやすい、地盤の緩い不安定な山だったとはいえ、あれ程の規模の大災害になったのは、多少なりとも工事の影響があったのだろうと考えられているそうだ。行方不明者は今も見つかっていない。


「私の探している眼鏡の人も行方不明者かもしれない。生きていても死んでいても、どうしても見つけたいの。あの日のことを思い出さなきゃいけない気がしているの」


 夏目は自嘲気味に「でも、こんなこと言われても困るわよね。十五年も前の話だもの。忘れていいわよ。小屋を開けるから中に入って」と続けて言うと、山小屋の方に歩き去った。


 …十五年前の行方不明者。


 知広の頭の中で何かが引っ掛かった。別の場所で行方不明の話を聞いた。瑞城町に来てからではなく、もっと前だ。でも、何となくこの地に関係があるような気がしたのは何故なぜなのだろう…


「知広、何突っ立ってんだ?入ろうぜ」


 気づくと、皆が山小屋の前で知広を呼んでいた。

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