第26話 豚丼とチョークアート

 気づくともう十二時前になっていた。

 朋也は「お昼を食べたらすぐ出発しないと帰るのが深夜になる…」と渋い顔をしていた。それを聞いた夏目が「お昼はどうするつもりなの?」と、気にしていてくれた。


岩屋いわや西のショッピングモールで食べようと思ってます」


 朋也が答えると、夏目はとても驚いた顔をした。


「あなた達、自転車でしょう?ここからなら二時間くらい掛かるんじゃない?お腹空かない?」


「そうですけど、瑞城町にはお店がないですよね?」


「まぁ、そうね。ここから車で十分くらいの所に私の親戚が住んでて…叔母さん達は田んぼに出てるだろうけど、アキちゃんはいるかも」


 アキちゃん…夏目なつめあきらというのは、夏目の母の弟の娘で、ようするに夏目の従妹いとこだった。


あきちゃんは管理栄養士の勉強をしているのよ。今日は一限しか入れてないみたいなことを言ってたから、もし帰ってたら何かご馳走してくれるかも」


 途端に大輝の顔が輝いた。朝にパン五個と食パン五枚切り一袋まで食べたのにも関わらず、お腹と背中がくっつきそうなくらいの酷い飢餓状態だったらしい。「朝食を食べたかどうかすら疑わしい腹の減り具合だ」と、言った。いや、食べていた。誰よりも。


 飢えた大輝の切羽詰まった様子を見て、朝から何も食べていないと勘違いした夏目は、その場で従妹のあきらに連絡をとり、昼食の手配をしてくれた。夏目の気遣いにお礼を言った後、朋也は申し訳なさそうに大輝は一人で三人前以上食べることと、種類は何でもいいけど肉がないと駄目なことを申告していた。車で来ていた夏目は朋也に住所を伝えると一足先に親戚宅に向かった。六人分の肉料理が必要になってしまった昼食作りを手伝うと言っていた。


 自転車で三十分。思ったより早く着いた夏目夕の親戚の家はとても大きな農家だった。

 米を中心に、アスパラガスや白ねぎ、キノコ類を出荷しているらしい。何年か前までは鶏もたくさん飼育して、オーガニックな平飼い卵を出荷していたそうだが、鳥インフルエンザの影響で大量処分して以降は本格的な養鶏はやめてしまったそうだ。今は自分達で食べる分の卵を産む数羽だけを飼っているらしい。


「はじめま…」


 管理栄養士の卵、夏目あきらは挨拶の途中で言葉を失って、朋也をガン見した。朋也はそれをガン無視した。知広もいい加減慣れっこになってきているが、朋也が初対面の人に会った時の恒例行事だ。朋也はこのことについて「だれかれも毎回毎回俺の顔ばっか見やがって。いちいち気にしてられるか」と言っていた。


 我に返った明は、朋也について「(フィギュアの)ディスプレイケースに飾っておきたいような美少年でビックリした」と述べた。明は長い艶やかな黒髪は夏目夕と似ていたが、顔や雰囲気は全く似ていない。サバサバして明るく、とても快活な女子大生だったので、四人はすぐに打ち解けた。元ホストの父親仕込みの悠真のコミュニケーション能力が、現役売れっ子ホスト並みにハイレベルだったのも功を奏したようだ。


「へぇ。じゃ、明ちゃんって、岩城中の最後の年の在校生だったんんだ」


「そうそう。クラス全員仲良かったし、担任もイケメンだったし、今までの人生で最高に楽しかったな。今思えば」


「えー、明ちゃんさ、可愛いし楽しいし性格いいし、どこ行っても勝ち組っしょ?」


「またまたぁ。どうせ、みんなに言ってるんでしょ?悠くんたら口が上手いんだからー」


「えー、俺、誰にでもは言わねぇって。マジで。俺、すげぇ正直者だから」


「ほんと?うれしー。いいよ。もっと飲んで飲んで。コーラ持って来ようか?カルピスがいい?」


「ボトル入れてくれんの?ほんとサンキュな。明ちゃんサイコー。マジ愛してる」


 …ん?


 悠真と明の会話が何故なぜか引っ掛かった。

【ボトル】云々うんぬんのことじゃない。会話のいかがわしさから、一瞬どこのホストクラブかと思ったが、明が手にしていたのはコーラの1.5Lペットボトルだった。

 悠真の奇行(口説きテクニック)には慣れているようで、朋也と大輝は話に加わらず、右から左に聞き流していた。ひたすら目の前のてんこ盛りになった豚丼をかき込むように食べていて全く気づいていない。


「俺さ、中学生の頃のあきらちゃんと出会ってたら、絶対にコクってた」


「えー、ウッソ」


「マジマジ。明ちゃんモテてたっしょ?」


「まぁ…ちょっとは、ね。でも、メイちゃんいたし。メイちゃん?ミス青学。超美女。女子アナ目指してる子なんだけど、おなクラだったんだよ」


 …【メイ】?どこかで聞いたかも。いや、見た…?


 知広ちひろは明に話し掛けた。


「あの…」


「なぁに、ちーちゃん?」


 あきらは気さくに応じてくれた。不思議そうにぱっちり二重の目をくりくりさせて、知広を見ている。


「明さんって、岩城中が閉校になった時、何年何組だったんですか?」


「2-4だよ」


「担任は若い男の先生?」


「そうそう。侑一朗ゆういちろう先生、28歳。担当教科は国語」


 …侑一朗。2-4担任。国語。


 知広の頭の中でピンとくる情報があった。慌てて、隣で豚丼を食べていた朋也のシャツの裾を引っ張る。


「どうした、知広?」


 食べる手を止めて、朋也が怪訝けげんそうに問うた。知広は朋也にさっき聞いたばかりの明の話を伝える。


「明さん、岩城中の2-4だったらしい。担任は若い男の先生で担当教科は国語。もしかして、あのポロシャツの先生じゃない?明さんに写真見てもらおうよ」


 朋也の顔が真剣になった。ズボンの尻ポケットからスマホを取り出し、操作すると、職員室で見つけた広報誌を拡大した画像を表示する。


「明さん、この人知ってますか?」


 朋也が拡大した【池田いけだ侑一朗ゆういちろう】の写真を見せると「そうそう。2-4担任の侑一朗先生。懐かしい」と言って、明は写真に見入っている。


「この先生、今どうされてるんですか?」という朋也の質問に対し、明は顔を曇らせた。


「それがね…」


 どうやら、池田侑一朗は閉校式の後から所在不明になったらしい。自宅に不審な点はなく、位置情報を調べようにもスマホは本人のデイパックに入ったまま。家族に連絡はなく、そのまま音信不通になったという。もちろん、手紙や遺書等も残されていない。


「生徒にも保護者にも人気のいい先生だったのよ。イケメンだし、真面目で生徒思いで。荷物も何もかもそのままでいなくなってたらしいよ。失踪届は出てたけど、見つかったって噂は聞いてないなぁ」


 …行方不明。まさか、赤い子取りがさらったってことはないと思いたいけど…


 知広には、ポロシャツ先生の件以外でもう一つ気になっていたことがある。【メイ】のことだ。


「2-4の黒板に描いてあったチョークアートって、明さんとお友達の三人で描かれたんですよね?【メイコ】さんと…」


「そうなの。私達、たまったま偶然にも三人とも【メイ】ですっごく仲が良くて…」


 …三人とも【メイ】?


 どういうことだろう?あのチョークアートの下に書いてあった名前は、確か【Meiko】と【Akira】と【Satsuki】だったはず。


 明が懐かしそうに話し始めると、不意に横槍が入った。夏目だった。


あきちゃん、それは駄目よ」


 …しまった。夏目さんはずっと監視していたのか。


 強い口調で止めた夏目に、明はハッとしたようだった。このことで、夏目と明には共通して、何か隠さなければならないことがあるというのがハッキリした。


 …おそらくは岩城中の【管理者】の正体。しくは【赤いフェニックスの絵の依頼主】。あるいはその両方か。


「あのチョークアート描いたのは私達だよ。ホラーイラストのプロのゆうちゃんにアドバイスしてもらって描いたんだよね。中学生にしてはよく描けてたでしょ?でも、それ以上は言えない。ちーちゃん、あんまり食べてないね。豚丼は嫌い?違うもの作ろっか?」


「いえ、とっても美味しいです。ごめんなさい。話に夢中になっちゃって」


 知広が謝ると、「美味しいなら良かった。私も喋り出すと止まらないのよね」と、明はペロリと舌を出して可愛らしく笑った。

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