第25話 失われた記憶
体が揺れる。心地良いリズムで。
前から伝わってくる生身の人間の温かさに安堵する。懐かしいような。慕わしいような。
…この温もりが愛おしい。
「じゃ、ナツメさんは管理者の方ではないんですね」
「えぇ。まぁ、管理のお手伝いをしているといったところかしら。それ以上はちょっと…」
朋也の話す声が思いがけず近くで聞こえた。まるで一体化したかのような至近距離で…
「午前中に管理者の方に会えますか?」
「どうかしら…」
ずり落ちそうになった体が揺すり上げられて、ようやく気づく。知広は朋也に背負われていた。
「わわっ」
声を出すと、おぶってくれていた朋也が「知広、気づいたのか?」と振り向いた。
「ご、ごめん。降りるよ」
「ん」
朋也がしゃがんでくれたので、慌てて背中から飛び降りる。朋也はほっとしたように呟いた。
「気がついて良かった。知広と悠真がいきなりもの凄い悲鳴を上げて、白目
「あの女の人が神社の怨霊だったなんて…」
知広が唇を震わせて言うと、横から「それって、私のことよね?」と、問う声がした。見ると、さっきの眼鏡の女性が、朋也の隣でちょっと困った顔をして立っていた。
…ついて来て…まさか、取り憑かれたんじゃ…
「ごめんなさいね。あんなに怖がるとは思ってなかったのよ。あなた達、廃校探検していたし、てっきり、オカルトが好きなのかな…って」
「えっ?」
「私、岩城中の屏風を描いた【
「ええっ?」
知広はびっくりして、真偽を問うように朋也を見た。朋也は
「この人は日本画家の
「美人ってさ、名前も何だかそれっぽいよな」
知広達の後ろからついて来ていたらしい大輝が鼻の下を伸ばしている。大輝は怨霊でも10歳以上年上でも、美人ならアリらしい。「着物のチラ見せはエロいですよ」と、神社の絵の感想を夏目に言っていた。【青薔薇のスパイ】の時も思ったが、大輝の着目点はそこにしかないのだろうか。そんな大輝の背中ではずり落ちそうになった悠真が目を閉じたまま、うなされていた。
「知広起きてんじゃん。おい、いつまで寝てるんだ?お前も起きやがれ、悠真」
大輝は全然重そうではなかったが乱暴に悠真を揺さぶった。悠真は「ううん…」と、眉根を寄せて苦しそうな顔をした後、「うわぁ」と声を上げて、大輝の背中から滑り落ちた。キョロキョロと周囲を見回し、大輝に問う。
「悪霊どこ行った?」
「ここでーす」
悪ノリした夏目がひらひらと手を振ったので、悠真はギョッとした顔をして腰を抜かした。朋也はそれを見て、大きなため息をついて言った。
「夏目さん、俺達を
夏目は朱鳥の女そっくりの妖しい微笑を口元に浮かべ、「怖がらせて、ごめんなさい」と、もう一度謝った。
知広達は苦労して、神社の表側の道無き道を山登りしたが、実は神社の後ろ側には木々に隠された細い山道があり、夏目のような軽装の女性でも行き来が可能ではあった。しかし、「この山は個人所有の私有地だから立ち入ってはいけないのよ。それに、旧瑞城町の中でもピカイチの土砂崩れ危険区域だし。もう来ちゃ駄目よ。次に見掛けたら警察に通報します」と、厳重注意された。
夏目はこの朱鳥神社の亡くなった先代神主の孫だった。二年くらい前にも山の一部が崩れ、神社がずり落ちて傾くことがあったので、好奇心で訪れる知広達のような若者が二度と来る気を起こさないように怖い絵を描いて、壁に張り付けておいたそうだ。ここだけの話だが、あの絵には水濡れと劣化防止のための特殊加工がしてあるらしい。知広が神社の前に倒れていた悪魔のような石像について尋ねたところ、赤鷲を形どった【狛犬】だと教えてくれた。対になるもう一体は土砂に埋もれたのか行方がわからない。
「宗教法人っていろいろ難しくてね、朱鳥様の
そこまで言い掛けて、夏目はハッと口を
「いいえ、わからないわよ。崩落した
山を下りる道すがら、夏目は十五年前に土砂崩れで崩落した御釈蛇山と、水害を鎮める人身御供になった娘らの御霊を鎮めるために建てられた朱鳥神社の
…山の祟りか。
現代でも、自然というのは人類にとって脅威と成り得る。地震、雷、洪水、干害や冷害、バッタの
一方の朱鳥の娘らは人による災害と言えるのか。今では殺人罪となってしまうが、当時は人の命を供えることが当たり前のこととして、全国各地で横行していたのだろう。
…人も祟る。人…そう言えば…
「あの…岩城中の絵にも何か意味があるんですか?」
知広が尋ねると、空気がピンと張り詰めた。やはり、夏目は何かを知っている。ややあって、夏目はふぅと悩ましいため息をついた。
「【
当時、夏目は喘息治療といじめによる心の傷の療養のため、両親と弟のいる東都を一人離れ、母親の故郷の西和県に来て、朱鳥神社の神主だった祖母と二人暮らしをしていたそうだ。十五年前、夏目が中二だった夏に起きた大規模な土砂災害は、この地域一帯に甚大な被害を
「不思議なことに御釈蛇山の西ノ山にあった神社と神主だった祖母は土石流に吹っ飛ばされたらしくて、隣の山に着いたのよね。そう、この山よ。神社があったあの場所。残念ながら祖母は亡くなっていたけど、遺体は綺麗なものだったわ」
発見された夏目の祖母は何故か、自分の物ではない銀縁の眼鏡を握っていたという。
「私は気がついたら岩城中にいたの。どうしてかわからない。全然覚えてないの。でも、この銀縁の眼鏡がとても大事な物のような気がして…居ても立っても居られなくなるの。今も」
夏目が掛けている流行りでない細いフレームの銀縁の眼鏡が【それ】だった。
「微かに覚えているのが黒いフードを被った姿なの。男の人よ。嫌な感じはしないけれど、とても苦しい気持ちになるの。何があったのだろう。思い出したい。あの人は誰なんだろう…」
「目玉はね、眼鏡を表したかったの。探してるんじゃないかな、って。もしかして、生きてたら返せるんじゃないかな…なんて」
真相を聞いてみれば、恨みや祟りはなさそうな印象だったが、夏目という日本画家の巧みな筆致で描かれた絵は大変迫力のある恐ろしい絵になってしまっていた。
「じゃ、赤いフェニックスの絵にはどんな意味があるんですか?」
朋也が気になって仕方ないらしく、話が一段落したところを見計らったように夏目に質問した。夏目は困ったように朱唇を
「【
朋也はさらに依頼者についても尋ねていたが、夏目は頑として、「誰から頼まれたかはお話しできません。そういう約束なの」と言って断った。
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