第23話 アブない神社

「朋也、次はどこ行くんだ?」


 知広が駐輪場に着くと、悠真が朋也に尋ねていた。


「行きに寄ったショッピングモール。店がないから、昼飯はそこでしか買えない」


「えー、そのまま帰んのかよ」


「ショッピングモールに向かう途中で、行きに通りがかった神社を見に行く。お前、行きたがってたろ。道中で民家があったり、人を見掛けたらポロシャツ先生のことを尋ねてみる」


 朋也はごね出しそうな悠真の問いには答えず、必要事項だけを淡々と告げた。悠真は有無を言わさない空気を出している朋也には逆らえず「了解」と言って、小さくため息をついていた。


 道が細いので、来た時と同じように大輝を先頭に直列で自転車走行し、木や草が生い茂った緑なす山間やまあいを下る。今日は雲が多いからか直射日光にはさらされないものの、昨日にも増して湿度が高い。空気がじっとりと重い。息苦しくなる。そして、予想はしていたが、元々の人口が少ないせいか、人っ子一人いない。民家は影も形も見当たらなかった。


 行きに見掛けたという神社は、西側上部がえぐれたようないびつな形の山の中腹から麓の間にある。こんもりと繁った木々の間に、山側に斜めに傾いだように建っている奇妙な神社だ。道路からは一見しても神社があるなんてわからない。車だと絶対に見過ごしてしまうと思う。知広達は自転車だったので、進行方向にある山を何度も長時間眺めているうちに、木と同化する緑の屋根らしきものと、屋根の端の先端に長いV字の木製の飾りのようなものが飛び出ていることに気がついた。民家にはない仕様で、山に建っているからおそらく神社だろうと予想した。しかし、この神社らしき建物は遠目から見ても、いかにもずり落ちそうな不安をかき立てる妙な雰囲気だった。


 あの日、悠真がしきりに「あれは何だろう?」「気になるなぁ」と言っていたが、その時、小依こより川で溺れかけた大輝と、それを助けるのに気疲れしたらしい朋也は「また今度な」と言って、スルーした。


 自転車を山の麓に止めて、神社の近くまで山を登る。長くなった雑草をかき分け、大きな石を踏み越え、ひたすら神社を目指す。今まさに【道無き道を行く】を実践している。本当に道がない。それに道路から見た時はわりと近くにあると思ったのに、実際は思ったより、ずっと遠かった。暑さも加わって、すぐにヘバった知広はこの神社見学山登りツアーに参加したことを早々に後悔していた。


「何でこんな所に建てたんだ?誰も来ねぇだろ」


 体力があり運動神経抜群の大輝が不思議そうに言う。同じく、山登りなんて屁でもない朋也が「参道もない。落っこちそう。わざわざこんな所に建てるわけないだろが。それに、どうやって建てるんだよ」と、ツッコんでいた。悠真と朋也はお喋りにきょうじるだけの余裕はない。今はそれどころじゃなかった。


(ハァ、ハァ…)


 …土砂崩れで流されたんだな、きっと。


 あの目玉無し男の屏風絵の【蛇落じらく】という言葉は、【蛇落地悪谷じゃらくじあしだに】という中国地方にある地名から引用したものらしいと、朋也が検索して教えてくれた。山から激しく流れ落ちる土石流を暴れ狂う蛇に見立てたのを地名の由来とする一説があるそうだ。


 …この地域一帯は、昔から水害や土砂災害が多い地域だったんだ。たぶん、岩城中の校舎の一部も被害にあったんだろうな。


(ハァ、ハァ…)


 土砂災害に影響を与える要因の一つに【森林伐採】がある。大きく太い樹木や絡み合う草の根は山の地表から土砂や岩石が滑り落ちるのを防ぐストッパーの役目を果たす。よって、そのような木が減少すると土砂崩れが起きやすくなってしまうという。また、針葉樹の根の張り方の特徴から、杉や桧のような若い植樹林、人工林は手入れされないと、うまくストッパーにならないこともあるらしい…と、私立中学入試対策勉強(社会)の時事問題で覚えさせられた。


 そう言えば、この地域は林業の後継者が不足し、山林が荒れていると、朋也のスマホで見せてもらったニュースで報道していたっけ。こんな所で実際に目にすることになるとは思わなかった。ペーパー上の学習が現実となって目の前に現れることもあるんだな、と感心する。


 現存している岩城いわき中の校舎の後ろの山は、低い上に放っといても地崩れストッパーになる大きな木や草が生い茂った天然の森だ。そのおかげで、今ある校舎の方は土砂崩れを免れたのかもしれない。岩城中は運動場も狭く、思えば学校の東側部分にある崖は、災害の影響で崩れた名残りと言われたら納得できそうだ。


(ハァ、ハァ…)


 …もしかすると、岩城中の東側には昔、大きな山があったのかもしれないな。


 ダラダラとこめかみから伝い落ちる汗を首にかけたタオルで拭って、先を行く朋也達を目で追う。


「わぁ」


 思わずため息が出た。斜めにかしいだ神社の建物全体が目に入る。ゴールはもうすぐだった。


 ――――――【朱鳥神社】


 先に着いた朋也達は中に入らずに神社の前で立っていた。知広を待っていたわけではなく、到着しても振り向かず、誰も声を発しなかった。不思議に思ったが、知広も皆の隣に立って、神社を確認したらすぐに理解できた。


 …ヤバい神社だったんだ。


 本日二度目の恐怖体験だった。


 大きさは近所にある熊武くまたけ神社と同じくらい。

 拝殿と本殿が一体化したタイプだ。

 黒ずんだ緑のジットリと苔むした屋根、色の抜けた灰骨色あるいは薄墨色にびたように変色した板材。建物下部のあちこちは破損し、朽ちた板が外れている。傾いた扉の枠は形を成さず、招き入れるように開いたままになっていた。床板はすっかり腐り落ち、形をなくしている。


 そして、神社には有り得ないとても異様なものが、建物の前に落ちていた。


 くちばしと翼と爪を持つ悪魔の石像が横たわっている。頭部が大きく欠け、片翼しかない。しかし、目は残っていて険しく虚空を睨んでいる。見ていると呪われそうで慌てて目を背ける。


 その途端に目が吸い寄せられたのは神社の奥の闇だ。


 扉は開け放たれ、中は…とにかく暗い。

 ただ暗いだけではない。凄まじい妖気というか魔力というか大いなる悪しき力が押し寄せる。ここには絶対に何かがいる。何とも恐ろしい…


 …入ってはいけない。


「入ってはいけない」


 知広の心を読んだかのように、不意に建物の背後から静かな制止の声が聞こえた。


「ヒィッ」


 人がいたことに全く気がつかなかった。いな、そもそも人ではない霊的存在の何かわからないトンデモなく恐ろしいモノかもしれない。動物霊か怨霊か、はたまたたたり神か。思いもよらない事態に、四人は驚きと恐怖で文字通り飛び上がった。


「ごめんなさい…呪わないで…」


 ガタガタ震える悠真の半泣きの訴えに、建物の後ろから姿を現した声の主は可笑おかしそうに言った。


「そんなに怖いのに何故来たの?【触らぬ神にたたり無し】よ」


 それは薄紫のワンピースに黒いカーディガンを羽織ったとても綺麗な女の人だった。色白でほっそりしていて、真っ黒な長い髪を後ろで一つにくくっている。細いフレームの眼鏡の下で目を細めて口元に手を当て、笑っているようだった。


「あのぅ…僕達を祟るんですか?建物には全然触ってません。今着いたばっかりですけど、すぐ帰ります」


 おそるおそる知広が尋ねると、女性はこらえきれないといった様子で吹き出した。


「私、お化けじゃないから祟りません。入っちゃ駄目なんだけど、せっかくだから【アレ】見て行って」


 女性は目を輝かせ、傍にやって来て、知広の手をとった。


 …怖い。


 助けを求めて朋也を見ると、すぐに朋也が動き、女性の前に立った。


「知広の手を離して下さい。代わりに俺が見ます」


 女性は知広の手を離し、やって来た朋也をしげしげと眺めて言った。


「あら?あなた、美少年ね」


「よく言われます」


 朋也は無感情に女性に応じた。褒められているのに大変失礼で感じが悪い態度だが、朋也に限っては言われ慣れている本当のことだからタチが悪い。しかも、当の本人は父親似の自分の顔を嫌悪している。


「いいわ。どうぞ」


 女性は含み笑いで、手にしたバッグから懐中電灯を取り出した。「こんなこともあろうかと、ここに来る時はいつも持って来るようにしているの」と言って、朋也に懐中電灯を握らせた。


「絶対に入っちゃ駄目よ。中を照らして見るだけ、ね」


 悪戯っぽい表情をした女性は朋也を神社の方に押し出す。朋也はちらと振り向くと、眉を寄せて女性をにらんだ。


「朋也くん、待って。僕も一緒に行く」


 …呪われるかもしれない。


 知広は朋也の隣に立つ。朋也に何かあったらたまらない。きっと一生後悔する。朋也は大事な大事な友達だ。僕達は一蓮托生の仲間なんだ。


「俺も行くぜ」

「俺も」


 大輝と悠真も同じ様に朋也と知広を挟んで並んだ。結局、全員呪われてしまうのか。でも、皆で一斉に地縛霊になったら、それはそれで楽しいかもしれない。僕らの旅は永遠に終わらない。四人で遊びほうけて、取り憑くだの何だの他人を構っている暇など無さそうだ。知広はもうすっかり怖くなくなっていた。


 …君がそばにいれば、僕は何も恐れない。


「照らすぞ」


 宣言した朋也はカチ…とボタンを押し、懐中電灯で神社の中を照らした。


 …これ、見たら駄目なヤツ…


 それを見た直後、知広は後悔したが後の祭りだった。

 朽ちた神社の暗闇の中でぼんやりと浮かび上がってきたのは、揃いも揃って緋色の着物を着た艶めかしい女達の絵姿だった。年齢はバラバラで10歳くらいから20歳くらいまで。若い女ばかり五人。陶器のように真白い肌、赤い花弁のような麗しい唇。金の帯が解け、しどけなく着崩れて、華奢な肩や滑らかな鎖骨、ちらと見える白いもも…全てが妖しく美しい。

 そして、全員が口元に薄っすら微笑みらしきものを浮かべて、こちらに顔を向けている。

 じっとりと全身濡れそぼって、漆黒の日本髪や鮮やかな着物からみ出した雫が垂れ、したたり落ちている。


 女達のたたずまいだけでも充分不気味だったが、女達のやっていることは、さらに恐ろしかった。五人はニシキヘビのような白蛇の太い胴体を持ち上げていた。


 …蛇を喰ってる。


 真ん中の一人は蛇に喰らいつきながら恍惚の表情で、こちらに目線を送る。口の端から血を垂らし、咀嚼しながら微笑みかけてくる者、嬉しげに蛇の腹に白い両腕を突っ込んでまさぐっている者、蛇の尾を抱えた者は踊るように裾を割って白い脚をさらけ出し、片腕を差し伸べていた。そして残る一人は千切れた蛇の頭部に頬ずりしながら、蛇のあかい目に細い指を突き立ててわらう。綺麗だけど、とても邪悪で禍々しい女達。


 …もう、駄目だ…


 知広はスーッと意識が遠のいていくのを感じる。「あなたはいったい何者なんだ?」と、朋也が鋭く問う声が聞こえ、動揺して落としそうになったのか、一瞬だけ懐中電灯が下を向いて揺れた。その時、神社の片隅で何かがチカッと光った気がした。


 …霊魂が具現化した光体…オーブか?でも、何だか知ってるような…


白蛇はくだは水神なのよ。洪水を引き起こす【たたり神】。『神を喰らうて、と成りぬ』。朱鳥あけどりの女らもまた【祟り神】なのです」


 涼やかな女性の声が後ろから聞こえる。


 …絵の横に何か書いてあった文字のことか…


 あの女達は全員同じ顔をしていた。そう。どこかで見た。ほっそりして色白で綺麗な女…


「あっ!」


 背後を振り向く。さっきの女性が眼鏡を外して、にっこり笑った。細い指先で自らの顔を指す。


「はい。私です」


 …出たー


 遠くで「ぎゃああああ」と誰かが叫ぶのを聞きながら、知広は完全に意識を手放した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る