第22話 覆面画家【昳】

 数分間、全員で魂を抜かれたかのように呆然としていたが、我に返った朋也が緞帳どんちょうを元通りにきっちり閉めて、絵を隠してくれた。絵が見えなくなったことで、ようやく金縛りがける。それ程にあの絵の持つ魔力は凄まじいものだった。悠真は腰が抜けたようにその場にへたり込んでいる。さすがの大輝もあの屏風絵は恐ろしかったらしく、青褪あおざめた顔で皆を見回して言った。


「やべぇ。本物じゃんかよ」


「本物じゃない。あれは絵だ」


 朋也は否定したが、知広には完全否定は出来ない。あの緋色のフェニックスは間違いなく現実とリンクしている。


 …あの輪っかだけは他とタッチが違う。


 淡くにじむような色彩の日本画の中で、フェニックスを囲む赤い輪だけがコンパスで描いたかのように不自然にくっきりした実線だった。あれは時計の縁枠ベゼルだ。そこだけが妙に造り物めいていた。

 それに、誰も本物を見ていないから気づかなくても仕方ないが、時計を至近距離で手に取って見たことのある知広だけが知っていることがある。


 …意図的にPATRICK PHELPSパトリック フェルプス アイオーンのフェニックスと同じ配置にしてある。


 屏風絵のフェニックスは赤い輪の中央ではなく、やや上方に描かれている。そのため、円下部の三分の一程度が空いている。それがあの日見たアイオーンを彷彿させる。本物の時計の下部余白部分はスケルトンの丸い穴が開いていて、トゥールビヨンの精密な機械マシンの世界が覗いていた。さすがに日本画の中にリアルな時計の歯車を書き込むのは、あまりにも品がなく露骨過ぎるので断念したのだろう。


 …あの絵を描いた画家なら何か知っているはずだ。


 見慣れない【昳】という文字は画家の名前なのか?いったい何を表しているのだろう。


「朋也くん」


 知広が朋也に声を掛けると、打てば響くように朋也が応えた。


「【イツ】だ」


 どうやら、朋也も屏風絵の画家が気になっていたらしい。知広が調べて欲しいと頼む前にすでにスマホで検索していた。【いつ】の漢字は【日が(西に)傾く】という意味を持つらしい。


「多分、廃墟幽霊画家の【いつ】だと思う。落款らっかんの【目】の文字も一致する。でも、この画家は覆面アーティストで素性は一切明かしてない。性別も出身地も不明。どうもアマチュアではないって噂だけど、これ以上は情報がない」


「覆面画家かぁ…」


 画家が直接追えないなら、この廃校の管理者に問い合わせてみるしかない。【いつ】の屏風絵を購入したか、借りているのかはわからないが、確実に繋がりはあるはずだ。知広の考えを察したのか、朋也がさらに言い足した。


「さっき、ここの管理者への問い合わせを知り合いに頼んだ。俺には直接、管理者に連絡をとる手段がないんだ。どうしても教えてもらえなくてさ」


「じゃ、連絡待ちなんだね」


 知広が言うと、朋也はうなずいた。


「とりあえず、今から職員室を調べよう。岩城いわき中のチェックアウトは十時までなんだ。それに、昼飯や帰りのことも考えないといけないしな」


 朋也の言葉に悠真と大輝が「えーっ」と不服そうな声を出した。知広も同じ気持ちだ。怖いこともたくさんあったが、一昨日からずっとワクワクが止まらない。仲間たちと過ごす時間は何もかもが初めてで自由で楽しくて仕方がなかった。この冒険が終わってしまうのはハッキリ言って残念だった。それに、まだ、先生らの犯罪に繋がる証拠は何も見つかっていない。


 …このまま、帰ったら無断欠席しただけになってしまう。それに、浦川先生達に目をつけられたら、もう終わりかもしれない。


 そう思うと、知広は鉛を呑み込んだような重苦しい気持ちになった。朋也は黙り込んだ知広を見つめて、「今日明日に解決しなくても、まだ、ジ・エンドじゃない。今、俺達の出来ることをやろう」と、肩を叩いた。


 その後、職員室に直行したが、探索はすぐに終わってしまった。少し錆びたスチール製の机が向かい合わせに五対並んでいたので、それぞれ四隅からしらみ潰しに一つ一つ調べてみた。しかし、机の上も引き出しの中も全て空っぽだった。周囲の木製やスチール製の棚も空で、プリントの一枚も残っていない。

 名残惜しくあちこちを開けたり閉めたりしているうちに、蓋付きのゴミ箱の一つに学校の広報誌が捨ててあったのを発見する。日付は六年前の七月。見開き両面印刷の一枚だけだったがフルカラーで、発行は保護者有志となっていた。どうやら廃校になる最後の年度に発行されたもののようだった。

 内容は教師や職員の紹介とコメント、教師の集合写真。生徒会のスローガン、部活動や委員会活動の紹介、そして、編集後記。特におかしな点は見受けられなかった。

 校長は島内しまうちまこと。二年一組担任(数学)に浦川うらかわ秀司しゅうじ。三年一組担任(英語)に吉岡よしおか美桜子みおこがいる。


 …あれ?


 知るはずのない六年前の他校の二年四組担任(国語)の教師に何となく見覚えがあった。まだ若手と言える年齢の男で爽やかな印象の真っ白なポロシャツが似合っていた。生真面目な表情で正面を向いている。女性教師の割合が多く、他の男性教師の年齢がわりと高めだったこともあって、その教師が目についたというのもある…でも。


「ねぇ、この人って…」


 知広が指で示すと朋也も頷いた。


「何となく似てるよな、隠れんぼの男に」


 その男性教師の名前は【池田いけだ侑一朗ゆういちろう】。

 念のため、朋也がスマホで名前を入れて検索したものの、事件や事故を含め、目ぼしい情報は見つからなかったらしい。SNSもやっていなかった。また、この教師に限っては岩城中学校閉校後の移動情報が全くない。他県に転出したか、教師を続けていないのかもしれないが、やはり【赤い子取り】のことが頭をよぎる。


 …まさか、行方不明ってことはないよね。


 知広は一抹の不安を覚えたが、今の知広達にはそれ以上調べる手段はない。朋也は「近隣の住人や卒業生なら、この先生のことを知っている人がいるかもしれない」と言って、広報誌を両面撮影し、池田先生の写真については拡大して撮っていた。


 知広達が十時ギリギリで校舎を出ると、ウィーンという音を立てて、扉がオートロックされた。見た目は廃校なのに、オートロックや監視カメラを設置して、防犯に気を配っている。校舎内に個人情報の残る物や廃棄物、その他の不必要な物は広報誌一枚以外置いておらず、掃除も行き届き、きちんと管理がなされている。管理者は必ず何らかの目的を持って、この廃校キャンプ場を運営している。もしかすると、注意喚起のために置いていたと思われる図書室の本のように、広報誌も意図的に巧妙に残していたのかもしれない。


 …何のために?


 おそらく、あの恐ろしい屏風絵が関係しているのだろうと思う。あの絵を見せることに、いったい何のメリットがあるのだろうか?そもそも、この廃校キャンプ場を利用すること自体がオープンではない。利用者は限定されている。


 …利用者を選んでいる…?


 利用者は廃墟動画を撮影して拡散するようなYouTuber達か?それならば、自分達のような素泊まり中学生はお呼びでないはずだ。朋也の知り合いはどんな条件で、どんな交渉をして、ここを借りたのだろう?そこに謎を解く鍵があるのかもしれない。


「知広、何やってんだ?置いてくぞ」


 リュックを背負い、クロスバイクにまたがった大輝がシャーッと走ってきて目の前で止まった。見ると、朋也と悠真も駐輪場で、それぞれの自転車を動かしている。


「ごめん。すぐ行く」


 知広は急いで駐輪場に向かって駆け出した。

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