第18話 眩しい火花
七時を過ぎたので、花火とローソクとチャッカマン、バケツとゴミ入れ用ビニール袋を持った一行が運動場に出ると、ちょうど西の山の端に夕日が沈んでいくところだった。
夕焼け雲が照らされて茜に朱に黄金に染まる。
この辺りには学校の校舎以外の人工物が見当たらず、山に生えた木や草が夕映えに照らされて、見渡す限り真っ赤な落日の幻想に染まった世界を
昨日の夕焼けはあんなにも気味悪く禍々しく感じたのに、今日は感動するくらいに美しく思えた…
…もっと暗くならないかな。
花火をするにはまだ少し明るい。
「おーい。野球のボール見っけたぜ」
燃えカス用バケツに水を汲みに行っていた悠真が、バケツそっちのけで、手洗い場の下の溝に落ちていたという野球ボールを持って戻って来た。
「おし。キャッチボールだ」
ノリのいい大輝がさっそく、悠真を誘ってボールで遊び始める。朋也が「もうそろそろ花火始めてもいいかと思ったのに。何だ、あいつら?」と、呆れ顔でぼやいている。気づくと、あんなに真っ赤だった周囲の景色はぼんやりした薄紫の闇に包まれていた。
小学校の一年生か二年生の頃、知広の両親が不在の時に子守りをしてくれる派遣キッズシッターの保育士【チヒロさん】(偶然にも同じ読みの名前だったが漢字はわからない)が、夏前にどこかで貰ってきた小さな手持ち花火セットをくれたことがあった。学校の教科書で花火の詩が載っていたこともあって、その時の知広は綺麗な花火に憧れていた。
『火を使うから危ないよ。パパやママと一緒にやってね』
チヒロさんに悪気はなかったのだろう。それは知広にもよくわかっている。しかし、夏の間中、知広がどんなに頼んでも両親は「今は忙しい」「また今度ね」と言うばかりで花火に付き合ってくれようとしなかった。夏が終わってからは「季節外れだから」という理由で、両親のどちらだったかは忘れたが、チヒロさんの花火は捨てられてしまった。
翌年また貰えたらいいなと思っていたら、知広が大きくなったので、キッズシッターより家庭教師を兼任できる人の方がいいという両親の意見で、チヒロさんは解雇されて来なくなった。
とにかく、花火に付き合ってくれる大人もおらず、放課後、近所の子供達との交流を
「知広、始めるぞ」
朋也が知広を呼んだ。「オープニングは噴き出し花火だから」と、言う。少し離れた所で、しゃがみ込んだ大輝がチャッカマンを使って、【レッドフェニックス】と書かれた太い花火筒に火をつけていた。
「おー、ついた」
素早く立ち上がった大輝が知広達の方に急いで走ってくる。
四人並んで見つめる中、花火はチラチラと小さな火花を散らし始め、やがて、花が咲くように、星が
知広は火が消えた後も、目の奥に燦めいた火花が焼き付いているようで、
「適当に何種類か持って来た。どれにする?」
気づくと、いくつかの手持ち花火を手にした朋也が傍にいて、知広に花火を選ぶように促していた。
…えぇと…
実を言うと、知広は自分の本当に欲しい物を選ばせてもらったことがなかった。必要不可欠な物は選べる。必要ないけど心が惹かれてしまう物…たまたま、夏祭りだった神社の前を通り掛かった時に見た美味しいかわからない真っ赤な果物飴や、皆が持っている漫画やゲームやヒーロー変身アイテム、流行っているアニメキャラクターがプリントされたTシャツ。どれも他愛のない物だから諦めることは苦じゃなかった。駄々をこねても、スポンサーが「うん」と言ってくれなければ手に入らない。「そんなくだらない物は必要ない」と言われれば、それまでだった。
中学受験に失敗し、お金だけ渡されるようになってからも、刷り込まれた感覚や習慣は変わらない。今までに構築したプライベートな人間関係も皆無だったので、自分だけの狭い世界で、特に何かを求めることはなかった。
…三つ子の魂百までって言うけどさ。
手を出そうとするがなかなか選べない。そんな知広を朋也は急かすことなく待っていた。大輝と悠真はというと、何本かを同時持ちし、いっぺんに火をつけて、
「花火、初めてなんだろ?じっくり決めろよ。アイツらの真似はしなくていいから」
朋也は先にヒラッとした黄色い紙がついていて、黄色地に緑、赤のラインが斜めにグルグルと巻いてあるようなデザインの花火を抜き出して「俺はこれにする」と、細い棒部分を持って言った。つられるように、知広も朋也の手の中の花火を一本抜き取る。
「いいな、ソレ。スパーク激しそう」
知広の選んだ花火を見た朋也が声を上げて笑った。知広が手にしたのは朋也が持っていた中で一番長く、一番太く、一番ゴツく、先端から半分が金ピカで根本にかけてが黒というなかなかイカつい一本だった。
…変わりたい。みんなみたいに…
知広は初花火を存分に楽しみ、最後は噴き出し花火筒をわりと近距離で三つ並べ、火花を浴びながら三連続で火をつけるという大輝プロデュースの危険
知広達が興奮冷めやらぬまま、体育館に戻ると、朋也が焦った様子で「スマホはここに置いとけ。タオルと着替え持って、今すぐ外に出ろ!時間がない!」と、叫んだ。
…いつも冷静な朋也くんが珍しい。どうしたんだろう…
大輝と悠真も同じ気持ちだったようで、言われた通りにタオルと着替えを抱えて飛び出す。「ここに入れろ」と言われて、大きなビニール袋にタオルと着替えを放り込む。朋也はビニール袋の口を閉じた。知広は靴と靴下を脱げと言われて、その場で脱いだ。朋也も同じように脱いだ。大輝と悠真はサンダルに履き替えていたので、そのままで良かったらしい。
「そこで後ろを向いて並んで立て」
訳がわからないまま、指定された場所に三人並んで立っていると、いきなり背後から、ドボドボと水がぶっかけられた。
「うわっちゃー」
「ひょえー」
「ひゃあ」
日が落ちてもムッと汗ばむような空気だったので、冷たい水は不快ではなかったが、とにかく驚いて振り返る。すると、校舎前の手洗い場でホースを持った朋也が必死の形相で、さながら消防士のように、三人目掛けて放水していた。
「何すんだ、朋也!」
頭から水を被りながら大輝が抗議の声を上げると、朋也が「あと五、六分しかない!」と怒鳴って、今度は自分にホースを向け、ダバダバと服の上から水を浴び始めた。
…あ。シャワーの代わりか。
服の上からホースの放水で汗を流すというワイルドなシャワー体験の後、四人はビチャビチャになった服をその場で脱いで絞り、タオルを首からぶら下げ、
「セーフ」
もう廃墟も暗がりも怖くなくなったらしい悠真が、
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