第二章:ロード・オブ・ザ・バイク

第9話 少年ら、旅立つ

【七月某日午後三時。僕らの冒険は始まった】


 それぞれ、21段変速ギア付き、リア8段変則のクロスバイクにまたがった大輝だいき悠真ゆうまに続き、祖父の物だという荷台のついた所謂いわゆるママチャリに乗った朋也ともや、家政婦が買い物用に使っていた電動アシスト自転車に乗った知広ちひろが続く。


 知広達の住む西和県は南北に長い。南西部の西和せいわ市から北部の志都和しずわ市までは距離にして、およそ130km。ルート検索での時間は自転車では十時間もかかる。

 朋也が提示したのは車通りが少なく自転車が走りやすい、比較的大きな国道を通って行くルートだった。午後八時辺りに差し掛かる高速道路沿いの山中に悠真の父親の友人が経営するホテルがあるというので寄らせてもらう予定になっている。

 ホテルの立地を聞いた朋也があからさまに嫌そうな顔をしたので気になったが「ま、部屋に泊まるかどうかは着いてから考えようぜ。とりあえずシャワーは借りられるし、スマホとか知広の自転車のバッテリーも充電できるし」という悠真と大輝の意見に流された形だ。その時、渋い顔の朋也とは対照的に賛成派の二人はキャッキャ、キャッキャと動物園の猿のように落ち着きなく騒いでいた。


 初めて無断欠席した日の午前中、知広は先生らの勤務時間のうちに、朋也と一緒に自宅のマンションに戻り、朋也に言われるがままに、今月分の生活費として下ろしていた現金五万円と二日分の着替え、水筒、塾で使っている問題集と筆記用具を通学リュックに詰めて、自転車の前かごに載せた。次に朋也の自宅に向かったが、朋也はすでに昨夜、だいたいの荷物は用意しておいたそうだ。しかし、神妙な顔をして「俺、受験生だったことをすっかり忘れてたわ」と言い、家で使っていた受験対策問題集と参考書、筆記用具を荷物に追加していた。


「お爺さんは大丈夫なの?」


 気になった知広が尋ねると、朋也は「大丈夫」と頷いてみせた。


「昨夜、爺さんに相談したら『わしはショートステイに行くから。お前は気にせずに行って来い』ってさ」


 ショートステイというのは、家族が世話を出来なくなった時に、介護の必要な人を期間限定で預かって、施設で介護してもらえるというサービスらしい。本当は事前の予約が必要らしいが、朋也の祖父から相談されたケアマネジャーの山岡やまおか加代子かよこは「孝行者のお孫さんの滅多にないお願いだもの。イベント月でも土日でもない平日だし、何とか探しますよ」と、快く引き受けてくれたという。山岡には詳しい事情を伝えなかったのだが、特に何も聞かずに探してくれたそうだ。


「うちの爺さんは体が不自由だけど、そこら辺の大人よりよっぽど話が通じる。旅先で何かあると困るから小遣いに一万円持って行けって、年金暮らしのくせに変な気を使いやがってさ。そのくせ、スマホの電源は絶対に落とすな、少しでも危険だと思ったらすぐ警察に電話しろ、必ず無事に帰って来いって」


 その時、朋也はクシャと顔を崩して笑っていた。いつもクールな朋也の顔は笑うと少し幼くなる。滅多に見られない朋也の無邪気な笑顔が知広はとても好きだった。


「いいなぁ」


 知広が呟くと、朋也は何を勘違いしたのか「ごめん」と謝った。


「え?なんで?」


「知広は親と住んでないのに無神経だったよな…」


「平気ってば。一緒に住んでても親同士で喧嘩するか、どこか行っちゃうかで、そんなに一緒に過ごしてなかったし。家政婦さんもシッターさんもいい人だったから、親いない方が楽だったくらい」


 …半分は本当で、半分は嘘だけど。


 知広の両親の仲は元々悪かったが、二人揃って一人息子の英才教育だけは熱心だった。だが、知広が中学受験に全敗したのを機に完全に亀裂が入った。それまでの過干渉が手のひらを返したように不干渉になった。今は対外的な面子を保つために、県下トップ高の西和せいわ高に必ず入るようにと言い渡されただけで、なるべくお互い…知広を含めた家族というものに関わらないようにしている。二人が離婚しないのは世間体と仕事のためだというのは、知広にもわかっていた。幸い、両親共に高給取りなのでお金に不自由はない…が、羽目を外すほどに夢中になれるお金の使い道を知らない。世間の流行りも知らず、学校以外の時間に同年代の子供と遊んだことがなかったからだ。


 …中学で朋也くんと知り合って、勉強以外の楽しさを知った。仲間もできた。


 親に見捨てられた寂しさを消すことは出来ないが、朋也という信頼できる友人を得られたのは大きい。今の知広にとっては朋也の存在が何より大切だった…


 …あ、あ、あ。ちょっと離されてる。


 前を見た知広はペダルを踏む足に力をこめ、自転車の隊列の最後尾を行く朋也のママチャリを急いで追いかける。電動アシストはやはり楽で、運動らしい運動をほとんどしていない知広でも、皆に遅れをとらずについて行くことが出来た。

 しかし…午後になっても日差しはまだ強く、梅雨明け前の湿っぽい空気が体にまとわりつく。風は生ぬるいだけで汗が乾かずにシャツがベタついていた。最初、はしゃいでいた大輝と悠真も今は無言でペダルをいでいる。

 辺りはまだ明るかったが、毎年住みたい町ランキング上位にあがる西和市と隣市をかなり前に通り過ぎてから、すでに三時間が経過していた。コンクリートで舗装された道路と住宅街ばかりだった西和市と比べて、田畑や川が多く、だんだんと山に近づき、心なしか自然が多くなった気がする。


「知広、大丈夫か?」


 朋也がスピードを落とし、知広と並走しながら尋ねてきた。


「平気。汗でびちゃびちゃだけど」


「俺も汗だく。あいつら、とうとう脱ぎやがった」


 朋也が呆れたように言うので、大輝と悠真に目をやると、二人は上半身裸になっていた。大人顔負けの体格で、スポーツなら何でもこなす大輝は見惚みとれるくらいに綺麗に引き締まった筋肉がついている。しかし、服を脱いだところで汗は引かないようで、大輝も悠真も鬱陶しそうに額や首筋に浮いた汗を片手を離してはぬぐっていた。


「三時間半くらい走ったし、今度は長めの休憩を入れようかと思ってる。少し先のファミレスで夕飯食いながらクールダウンしようぜ。知広、そこまで行けそうか?」


 どうやら、朋也は走行中にスマホの検索ナビで周辺施設をチェックしていたらしい。そう言えば、朋也が声を掛けて時々休憩を挟み、こまめに水分補給をしていた。この茹だるような暑さの中、一番体力を消耗するであろうママチャリを漕ぎながら、常に全員の体調に気を配っていたのか。知広は驚くと共に朋也に尊敬の念を覚える。


 …全く、朋也くんにはかなわない。


「大丈夫だよ」と答えながら知広は小さく笑う。きっと朋也に任せておけば何も心配いらない。


「じゃ、あいつらにも言ってくるわ」


 知広に告げた後、朋也は颯爽と立ちぎをしてママチャリのスピードを上げ、スィーとなめらかに大輝と悠真の横に寄って行った。


 そのまま国道沿いを走り、10分程で着いたのは西和市ではおよそ見たことのない【ファミリー食堂なかさわ】という地方色の濃いレストランだった。ファミレスの店舗としては小さくなかったが、せた色の朽ちかけた看板を見た知広は少々不安だった。営業中の札があるので、どうやら閉まってはいないらしい。

 一方、涼しい場所で早く休みたかったらしい大輝と悠真は自転車を降りるなり、「ヒャッホー」と歓声を上げて店の入口に突撃する。当然、脱いだTシャツは着ないままだ。


「お前らは猿か!裸で店に入るな!服を着ろ、服を!」


 朋也が二人の背中に向かって怒鳴った。

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