第4話 女・装・男・子

 一目散に学校を飛び出し、とにかく人目につかない道を選んで出来るだけ遠くへと逃げ続けた。無我夢中で走っているうちに息が切れて立ち止まる。少し前から横っ腹が痛くてたまらなかった。


 …追手は…


 警戒しながら後ろを振り向いたが、校長も教頭の姿も見当たらない。呼吸を整えながら、前方に見えてきた鬱蒼とクスノキが林立している熊武くまたけ神社を目指す。昼間でも薄暗い境内に立ち入り、拝殿の裏に回り込む。ズボンのポケットから朋也から預かったスマホを取り出し、タップして画面を点灯させた後、目に入った画像にハッと胸をつかれた。


 …これって…朋也くんのお母さんと妹の詩織しおりちゃんだよな…


 明るくなった画面には、朋也が設定していた待ち受けが表示されていた。少年野球チームのものらしき白いユニフォームに黒い野球帽を被った今よりもずっと幼い顔の朋也と、朋也にしがみつく可愛らしい女の子、そして、二人の背後で微笑む綺麗な女性の凛とした面差しはどことなく朋也に似ている。しかし、写真は不自然に左側に寄り、端の方が画面から切れていた。


 …そうか。左端に写ってたのはお父さんか…


 見てはいけないものを見てしまった気がして、急いで画面をスライドさせ、朋也から聞いていたパスワードを入力した。通話履歴から大輝の名前を探し出し、タップする。大輝の方も連絡を待っていたらしく、呼び出し音の一回目で電話口に出てくれた。


『朋也?』


「ち、知広…」


『おう。どした?』


「校長と教頭がグルで…い、いきなり襲ってきた!」


『えっ?おい、朋也は?』


 …朋也…朋也くんは…何て…


 グルグルする頭の中を必死に探り、朋也の告げた言葉を見つけ出す。


「悠真くんちに行くって。僕は大輝たちと合流するように言われたんだ」


『…そっか。お前、今どこ?』


熊武くまたけ神社」


 そう伝えた後、会話が不意に途切れ、電話の向こうで大輝が誰かと話している気配がした。悠真が一緒にいるのかもしれない。


『…あぁ、それなら借りてから行くわ。おい、知広。お前は俺が迎えに行ってやる。どっかに隠れて待ってろよ』


「う、うん。朋也くんは大丈夫かな」


『大丈夫って』


 大輝は朋也のことは全く心配していないようだった。大輝は間もなく通話を終了し、十分もしないうちに黒いリュックを背負って神社の境内に現れた。


「知広。お前、これ着ろ」


 大輝はニヤニヤしながら、ボックス型のリュックから何やら衣類を取り出して、ポイポイと知広に投げて寄越した。


「…え?何これ?」


 キャッチした服を広げてみる。渡されたのは袖口のふんわり広がったミントグリーンの可愛らしいヘソ出しカットソーと、足首までの丈の清楚な白いフレアスカートだった。


「これって女の子のだよね…」


「そう。悠真の兄ちゃんから借りた。念のために女装しろって」


「嫌だよ」


「背に腹は代えられないだろが。我儘言うな」


 大輝は栗色ウェービーヘアのウィッグも取り出して、指に引っ掛け、クルクル回しながら口笛を吹いた。明らかに面白がっている表情だった。


「着ないなら連れて行かねぇぞ。脱げ!」


 大輝は凶悪な笑顔で知広の腕をガシッと掴む。粗暴で大人以上にデカい同級生を目の前にして知広に断る術などなかった。大輝が脱がせようとして、引きちぎりかねない勢いでシャツを引っ張るので、破らせないために慌ててボタンを外す。渡されたカットソーを被ろうとしたら、中に着ていたタンクトップを大輝にぎ取られた。


「何するんだよ」


「下に男物のタンク見えたら興ざめだろ」


 仕方なく素肌に直接ミントグリーンのカットソーを着る。その隙に大輝の手がカチャカチャとベルトのバックルにかかったので、思わず「ギャア」と声を上げてしまった。


「脱ぐって!自分で脱ぐったら!」


 伸びてきていた大輝の手を振り払い、ウエストゴムのフレアスカートに両足を突っ込んで引き上げる。裾から手を入れて、スカートの下で素早くズボンを下ろした。突き刺さるような大輝の目線はスカートの中を垣間かいま見たらしい。


「下はグレーのボクサーか。色気ねぇな」


「何見てるんだ、ヘンタイ」


 大輝は全く意に介さず、ヘラヘラ笑いながら知広の脱いだ制服を次々にリュックに詰め込んだ。中を覗き込んで、「あっ」と言うと、白いビニール袋を取り出す。


「忘れてた。靴脱いで、こっち履け」


 …サンダル…?


 大輝は袋からサンダルを出して放り投げてくる。サンダルは知広の足元に落ちた。半ばやけっぱちで大輝の言うがままに、運動靴と白靴下を脱ぎ、女物の細いストラップの白サンダルに履き替えると、大輝は知広の脱いだ靴と靴下もリュックに放り込んで、上部の蓋を閉めた。そして、身の置き所がなく立ち尽くす知広の頭にギュッとウィッグを被せてきた。


「オシ、完璧。今から知広は俺のカノジョって設定な」


「は?」


「誰と会ってもしゃべんな。下向いて俺にくっついてろ」


「え?」


「ゴリエッティもお前らのこと探してるっぽいんだよ。チャリ乗ってたから、校区内をグルグルしてんのかも」


「それ、先に言ってよ…」


「言ったら、知広の嫌がる顔見れねぇじゃん」


 …そうだった。大輝くんはこういう悪フザケが大好物のゲス野郎だった。


 知広はこの時、上機嫌で口笛を吹き鳴らしている大輝のことが心底憎たらしく思えた。


 二人が目指す悠真の家は、駅前の繁華街にほど近い線路沿いにある。一階は元ホストの悠真の父親がやっている水商売客相手の居酒屋で、二階と三階が事務所兼貸し店舗兼…何をやっているかはわからないが、とにかくいかがわしい狭く細い雑居ビルだ。最上階の四階が悠真とその兄の居住区となっている。

 雑居ビルを目前にし、駅前に通じる大通りに出た時、知広の手を握る大輝の手に力が入った。


「やべェ。見つかった。知広、顔上げるな」


 大輝は逃げずに正面突破するつもりらしい。相手が浦川なら自転車に乗っているので、走っても追いつかれてしまうだろう。ここは何とかやり過ごすしかない。知広は緊張で口の中がカラカラになるのを感じながら、大輝の手を握り返した。


「お前、畑中はたけなかか?」


 知広の隣でキッとブレーキ音がして、止まった自転車から人が降りた。知広は顔を隠すようにウィッグの髪を横に垂らしてうつむく。さり気なく大輝に身を寄せ、地面に目を落とした。


「あれ?浦川センセ、何か用でも?俺ら、デート中なんスけど…」


 焦った様子の浦川に対し、大輝はごく自然な感じで対応している。粗野ではあるが大輝は肝が据わっていて、本番に強い。知広が少々性格に難のある大輝を、それでも友人として認めているのは、自分にはないものへの憧れもあるのかもしれない。


「五組の久保くぼ高坂こうさかを見なかったか?」


「今日は遊ぶ約束してないんで、わかりません」


 大輝はいけしゃあしゃあと嘘をついた。学校で朋也にゲームしようと誘っていたことなど、まるで無かったかのようにすっとぼけている。


「…その子は?髪を染めてるのか?三年か?何組の子だ?」


「チィはうちの学校のコじゃないです。ルリ女です」


 …ええっ?年上彼女設定でいくの?まぁ、大輝くんならいてもおかしくないけど…


 私立の【瑠璃の星女子学院ルリ女】は校則がユルいことで知られている…隣の市の【女子高】だった。とっさに、架空の彼女のプロフィールをでっち上げる大輝の頭の回転の速さと豪胆さに舌を巻く。その彼女役が自分だということにも内心驚いている。


「畑中…ちょっとでも問題起こしたら推薦取り下げるぞ。お前は松薗まつぞの学園受けるんだったな」


「気をつけます」


 大輝が神妙に応えたので、浦川は満足したらしく再び自転車にまたがって去って行った。


「ムカつくぜ」


 浦川が充分に離れたことを確認した後で、大輝は吐き捨てるように呟いた。大輝は成績は良くなかったが、スポーツに力を入れている松薗学園からスカウトされたらしい。体格に恵まれ、フィジカルの強さと運動神経の良さを兼ね備えた大輝はサッカー以外のスポーツでも通用すると評価されたのは当然だと思える。朋也の方にも声が掛かったが、朋也は意外と成績が良く、金銭面など家庭の事情もあって、近隣の公立高校を希望したと聞いている。大輝にせよ朋也にせよ、他人事ではなく知広自身も、進路という大切な将来を人質にとられているので、多少理不尽なことがあっても、教師や学校においそれと楯突たてつくわけにはいかなかった。


「大輝くん…浦川も校長も教頭も絶対に何かヤバいことやってるよ。危ないかもしれないけど、犯罪の証拠が出て来たら警察に捕まえてもらえるよね」


「そうだな。ギャフンと言わせてぇ」


 大輝は拳を握り込んで、もう一方のてのひらに打ち付けた。シャープな顎を引き上げて、知広を見下みおろすと不敵に笑ってみせる。


「行こうぜ、知広。朋也が待ってる」


「朋也くん着いてるの?」


「ちょうどお前と電話で話してた時に着いて、隣にいたぜ。『知広は足遅いから女装させろ』って言ったのは朋也」


「ええーっ!」


 駅に近い側の学校西門から悠真の家のある駅前までは徒歩12分。そして、朋也の足は日善中の陸上部員の誰よりも速かった。

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