第3話 学校からの逃亡
大輝の家に行くまでに知広の住むマンションがあるが、そのまま寄らずに通過する。今はもう不安で不安で仕方なく、一刻も早く朋也に会いたかった。
「早く鍵閉めて!」
「おーい、ほんとにどうしたんだ?」
サムターンの鍵をかけた大輝は呆れた顔で焦る知広を見下ろしている。そこへ、騒動に気づいたらしい朋也も玄関に姿を現した。
「とっ、朋也、朋也、朋也くんっ!」
「俺はここにいるぞ。落ち着け、知広」
朋也は知広の傍に寄り、ぽんぽんと肩を
「水飲むか?」
知広が首を横に振ると、大輝が「まぁ、上がれよ」と言って、二階にある大輝の部屋へ案内してくれた。大輝の部屋の正面の壁には横並びに凹んだ跡が四つ並んでいた。床にはゲームや漫画や筋トレの道具が所狭しと積んであり、その中に混じって、教科書やノートなんかもゴチャゴチャと散らばっている。
「そこ。ベッドに座れ、知広」
朋也は慣れたもので、大輝に言われる前からさっさとベッドに乗っかるとあぐらをかいている。知広も言われるがままに朋也の隣に並んで座る。ネイビーのシーツのかかったベッド上に大中小の男子中学生が三人。局地的に人口密度が集中していた。
「で、何があったんだ?浦川には会えたのか?」
「会えたけど…それが…」
知広は先程目の当たりにした信じられない出来事を二人に語った。浦川が点数を不正に操作していたらしいと話した時、朋也は「へぇ。さすが、ゴリエッ
しかし、話が
「アイオーンって…死んだ藤河くりすの時計だろ?9210万の!」
「でも、文字盤のデザインが緑色の獅子と蛇じゃなくて、
朋也は顎に手を当て、ちょっと首を傾げた。
「セレブでもない公立の中学教師に本物のアイオーン購入は無理だろ?パチモンか?シリアルナンバーもわかってるし、盗品なら持ち主わかるか…」
「それならさ、
大輝が
「アイツの親父、元ホストで、客から偽物のブランド時計やバッグやら掴まされて、よく質屋の鑑定で質入れ拒否されたんだってさ。正規店がシリアルナンバー調べたら、顧客情報がわかるらしいぜ。質屋で訊いたらいいんじゃね?」
「ふーん。大輝、悠真に連絡つくか?」
「おうよ」
大輝はワクワクした顔で、取り出したスマホをチョイチョイと操作すると耳に押し当てた。悠真に電話をかけたらしい。
「それで…知広はどうしたい?」
「…このままだと成績下げられちゃうし…浦川先生に目をつけられたら、もう学校に行けないよ。朋也くん、どうしたらいいと思う?」
朋也は知広を見て難しい顔をした。光に透けると金色にも見える綺麗な瞳にじっと見つめられて、ドキッとなる。しかし、起死回生策はさすがの朋也でも、すぐには見つからなかったらしい。
「一緒にいた女って誰だ?生徒の保護者ってセンが濃厚っぽいけど…」
「
「それよか、顔とか名前はわからないのか?」
「あっ!【ミヤ】さんだ。ミヤさんって呼ばれてた」
「ミヤ…宮様?皇族かよ」
朋也は腕組みしながら、フーッと長い息を吐いた。不機嫌そうに目を伏せる様子からはあまり有力な情報にはならなかったらしい。
「とりあえず…あまりいい方法とは思わないけど、校長先生に相談してみるか?お前の親にもついて来てもらえたらいいけど…無理か?」
「母さんは今、パリにいる。父さんはどこにいるかわからないよ。こっちから連絡するなって言われてるし」
「爺さんや婆さんは?」
「そっちもパリ。父さんの方のお
「どっちも遠いな…知広んちって、家政婦さん雇ってたっけ?その人は?」
「
朋也は「うーん…」と悩ましい声を出した。
「俺が行くと…でも、知広一人じゃなぁ。不正行為だけならともかく、もし時計が本物で盗品なら何されるかわからない…」
ブツブツ呟く朋也の隣で、悠真と話がついたらしい大輝がスマホを耳から外して、ニヤリとした。
「悠真、製造年と型番教えろってさ。面白そうだから、俺も悠真と一緒に質屋行ってくらぁ」
大輝の言葉を聞いて、朋也も決心したらしい。
「そっちは任せた。俺は知広と学校に戻って、浦川のことを校長に相談する」
「あ、ありがとう、朋也くん」
知広はホッとして、涙が出そうになった。
…やっぱり、持つべきものは友達だよなぁ。
しかし、荷を下ろした知広の気持ちとは裏腹に、
悠真と合流する大輝と別れ、知広は朋也と二人で学校に向かい、誰もいないことを確かめてから東門をくぐった。校庭も校舎もしんと静まり返って、人の気配はない。
「校長室から行くぞ」
「うん」
職員室には入らず、その手前にある校長室のドアをノックすると「はい」と、中から返事があった。
「三年五組の
「高坂君、一人かね?」
「いえ、同じクラスの久保君も一緒です」
「どうぞ。二人とも入りなさい」
知広は校長の声が穏やかで何も咎められなかったことに安堵したが、一方の朋也は強張った顔でドアを凝視したまま、開けるのを
「朋也くん、どうしたの?」
「ヤバいかも」
「何が?」
「学校に残ってるのに叱られなかった…おかしい」
朋也を見上げると、いつになく緊張した様子でドアを睨みつけて、固まっている。
「帰る?」
「いや…確かめないと。知広はすぐに逃げられるように部屋には入るな。いいか、あっちが襲ってきたら走って逃げろ。これ、持ってろ。パスワードは【1959】。大輝に連絡して合流しろ。俺は後で向かう。悠真んちに行くから」
「え…でも、これ、朋也くんのスマホ」
手の中に押し付けられたウルトラマリンブルーのスマホに驚く。知広はスマホを持っていないが、朋也もスマホはこの一台しか持っていなかったはずだ。
「いいから。逃げ切れないなら通報しろ。110番、わかるな?」
「う、うん…」
知広が頷くと同時に「どうしたのかね?早く入りなさい」と、校長の声がした。朋也はゴクリと喉を鳴らした後、ドアに向かって口を開いた。
「はい。失礼します」
覚悟を決めたらしい朋也がドアを開けて、中に一歩踏み込んだ。
…え?校長と…教頭も…
朋也の肩越しに見えた室内にいたのは、校長の【
「中に入りなさい」
校長が呼び掛けたが、朋也はその場を動かなかった。校長が不審そうに声を発する。
「高坂くん、どうしたのかね?」
「先生達、賄賂のこと…知ってますよね?
朋也が告げると、黒い背もたれ付きの…いわゆる社長椅子に座っていた島内校長が、ガタンと椅子を倒して立ち上がった。吉岡教頭も顔色を変えて、こちらに向かってくる。
「知広、逃げろ!」
慌てて回れ右して逃げ出す知広が最後に見たのは、体勢を低くして、吉岡に足払いをかける朋也の姿だった。
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