第一章:日善中学校
第1話 奇妙な答案
運動音痴の出席番号11番【
「おい。ふざけるな」
朋也が
「誰もいないド真ん中で勢いを殺すな。バントじゃないんだ。せめて、こっちまで転がせ」
「ごめん。あのさ、バントって、何?」
知広の発言に朋也は驚いた様子だった。いつもはキリリと一文字に引き結ばれた唇も、無防備にぽかんと開いていた。いつもクールな朋也にしては珍しい。
実はソフトボールの授業はもう2週間目に突入し、すでに他クラスとの合同授業に入り、クラス対抗の試合も経験している。もっとも、知広はベンチならぬ地べたで控えていたから、試合には出ていない。
それにしても、ソフトボールを含めた球技というのは、いっぺんに大勢が出て来て何かをするし、イレギュラーなことばかりが起き、必ず途中でクラスメートの何人かが興奮して怒鳴ったりするのが恐ろしい。何より解説書付きでないのが本当に困る。覚えた法則に準拠しなければ、どう動いていいのかがわからない。
もう一度、チラ見すると朋也がこちらを睨んでいた。知広はビクッと肩を揺らす。切れ長の鋭い目をした朋也の顔は怒っているように見えた。
…朋也くんて、本人は否定するけど、絶対お父さん似だよね…
知広は朋也の父親をニュースの報道で見たことがあるが、精悍な見た目で…男の色気があるというのか抜群にいい男だった。朋也によると【猿山のボス猿並みに女にモテてた】らしい。
ところが、男性ホルモンのテストステロンが供給過多だったのか、エロ魔人だったかは知らないが、二年前に子供の学校関連の知り合いを含む複数の女性への性的暴行の罪で捕まって、今は檻の中にいる。
朋也の母親は逮捕直後から離婚準備を進め、当時、小学校低学年だった妹だけを連れて出て行ったという話だ。朋也は脳梗塞の後遺症で体が不自由な父方の祖父に引き取られて暮らしている。
父親の犯罪歴もあって、女子達は朋也には決して近付かないが、入学して間もない時に、同じクラスで席が近く、読書の趣味が合ったことで知広は朋也と親しくなった。三年で再び同じクラスになってからは、以前にも増して行動を共にしている。朋也は無愛想で人を寄せ付けない雰囲気はあるが、実は真面目で…優しい。
六組の粗野で体がデカい【
「知広なぁ…バントも知らないなら、試合見てても何してるか全然わかってないだろ?」
二人の間に落ちたボール拾って、近づいてきた朋也が呆れた口調で問うた。近くで見ると、寄せられた眉の下の目は困惑の色を浮かべている。
…怒ってたんじゃなくて、呆れてたのか。
「そうだね。でも、朋也くんが凄いのはわかるよ。投げても打っても捕っても」
「はぁ?俺だけ見ててわかるかよ。全体見て、何やってるか把握しろって」
「あはは。つい目で追っちゃってさ。ごめん」
知広の口癖は【ごめん】だ。いつもいつも謝っている。それは朋也に限らず、他の人間に対しても、だ。謝らなくていいことまで反射的に謝る。卑屈で自信の持てない自分が嫌になる。
ちょっとの間、知広はぼんやりしていたらしい。朋也が知広の背中をバンと叩いたことで、ハッとする。
「集合だ。行こうぜ」
準備運動を兼ねたキャッチボールを終わらせたらしい五組と六組の男子らがゾロゾロと集まって行く方向を朋也が指で示す。
知広と朋也がグズグズしていたので、
「朋也くん、足速っ」
思わず呟き、知広は慌てて遠ざかる朋也の背中を追った。
放課後、知広は朋也に声を掛けようと探した。しかし、終礼のチャイムと同時に教室に飛び込んで来た生徒に先を越されてしまう。
「くっそ、朋也。最後の一本くらい打たせろよ」
「クラス対抗だろが。俺は手は抜かない」
朋也を押し潰す勢いで、ふざけて背中に伸し掛かっている大きな男子生徒は、隣の六組の【
今日の体育の合同授業は五組対六組。最後にピッチャー交代で出て来た朋也とバッターの大輝の一騎打ちとなり、結局、大輝は朋也のボールを打てずにアウトになったようだ。五組が勝利した…のだと思う。
「な、朋也、俺んち来いよ。ゲームでリベンジしてやるぜ」
「お前んちの母さん、俺のこと嫌ってるだろ」
「関係ねーよ。ババァが何か言ってきたら、また壁に穴開けてやらぁ」
「穴、何個目だ?」
「みっ…わわっ」
答え掛けた大輝の体がクルリと反転する。次の瞬間にドンと鈍い音がして、床を見ると大輝が転がっていた。
「重い!うぜぇ!暑苦しい!」
ニヤリと唇を吊り上げた
「行ってやる。ただし、爺さんがデイサービスから帰る五時までだ」
「そうこなくっちゃ!よっしゃ、朋也をガンガン撃っちゃる」
「協力しないのかよ」
「今日は対戦。お前をボコる」
大変
知広にしても、普段は仲が悪くて、自宅に寄り付きもしない両親が、知広の進学についてだけは共に口を出し、県下トップの
ところが…中二の学年末テストに引き続き、今回の期末テストにも妙なことがあった。前回は気の
「
気づくと、教室内は朋也と大輝と知広の三人だけになっていた。どうやら、知広がなかなか帰る仕度をしないのを気にして、朋也の方から声を掛けてくれたらしい。
「
朋也は手元のファイルを見て、事情を推察したようだった。
「点数良くなかったのか?」
「うん…何か変なんだ。数学と英語」
「点数が間違ってるのか?」
「ううん。書いたはずの答えが…消えてる」
答案を見せながら知広は朋也に話す。全部埋めたはずなのに、数学の応用問題の途中式の一部が書かれておらず、中央の穴埋め問題に空欄が一つある。英語の左下の端の解答欄が二つ空欄になっている。
「どう考えても書き損じはなかった。それに見て。ここも、ここも…書いた跡はちゃんと残ってる。朋也くんは信じてくれる?」
今回の期末テストはおかしな引っ掛け問題はなく、知広の見立てではノーミスで満点をとってても不思議はないと思っていた。答案を取り上げて、斜めに見たり、光に透かしてみた朋也は知広の言うことを信じてくれたようだった。
「ほんとだ。跡が残ってる。じゃ、誰かに消されたってことか?先生に抗議しろよ」
「…やっぱりそうした方がいいよね」
知広は不安だったが、朋也の言葉に小さく
「今回のはひねった応用はなかったろ?知広なら見直す時間もあったよな?」
「もちろん。ちゃんと見直したよ」
傍で朋也とのやり取りを見守っていた大輝が「みんなで行くか?」と言ってくれたが、朋也が「俺達がついて行くと、逆に印象悪くなるぜ」と、肩を
「二人ともありがとう。一人で行ってみる」
知広がそう伝えると、二人は気掛かりな表情で「直してもらえるといいな」と、知広を残して教室を出て行った。
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