第3話 お互い様の二人
トマトオル――本名、戸間徹が何者かに連れ去られたのは、カマタマが変異した赤子鬼に襲われる数時間前のことだった。
「何モンなんだ、アンタらは」
頭に被せられていた麻袋を剥ぎ取られたトオルは、目の前にいる男たちを睨みつけた。
場所は薄暗い室内である。家具の類は一切なく、窓には分厚いカーテンがかけられて外の様子は見えない。どうやら自分は、部屋の中央にある木製の椅子に座らされているようだ。そして目の前には、白衣を着た黒髪の美女がいた。
「手荒な真似をしてすまない。それと、私たちは君を害するつもりはないと言っておこうか」
女は隈のできた顔で微笑を浮かべながら、彼に向かって酷く瘦せ細った手を差し伸べた。とはいってもトオルは手足を拘束されており、彼女の手を握り返すことは叶わない。
「(なんなんだ、この胡散臭い連中は)」
トオルは自分の安アパートで寝ていたはずだった。次の日は早朝から工事現場でのアルバイトがあるというのに、急に押し掛けてきて問答無用で誘拐されてしまった。
こんな状況で危害を加えないと言われても、信じろという方が難しい。
だが彼の思考を読んだのか、彼女はシンプルな名刺をトオルの眼前に突き出した。
「私は2nd.ユニバースを運営している株式会社『アゲハプロジェクト』の代表、
「……会社やアンタの名前なんてどうでもいい。俺をこんな所に閉じ込めて、一体何をするつもりだ?」
胡乱な目で見つめると、彼女は少しだけ目を伏せてから答えた。
「なに、簡単なことだ。端的に言うなら、君は選ばれたんだよ」
「はぁ……?」
意味が分からない。
この女は何を言っているんだ、と困惑していると、彼女は続けてこう言った。
「戸間徹、年齢二十六歳。最終学歴は高卒で現在はフリーター。家族を幼い頃に亡くしており、恋人は無し。バイト先に好きな女性がいるが、声を掛けることもできず毎晩隠し撮りした画像で自慰を――」
「お、おい待て止めろ! どうしてそのことを……」
「――そして十年前。動画配信サイトにて、トマトちゃんねるを開設。あらゆるゲームのやり込み実況を配信することで一世を風靡。一時はチャンネル登録者数は百万人を超える人気を博していた――が」
そこで言葉を区切ってから、ナギと名乗った女性は冷淡な視線を向けた。まるで彼のすべてを否定するかのように。
「とある事件を境に大炎上を引き起こしてしまい、運営から警告を受けて活動休止を余儀なくされる。以降は姿を晦まし、現在に至る……といったところか。なにか質問はあるかな?」
「あんたらは何者なんだよ。どうしてそこまで知ってるんだ」
トオルは顔を真っ赤にしたり、青ざめさせたりしながらも訊ねる。すると彼女は愉快そうに笑い出した。
「クフッ。ふ、ハハッ! まさかここまで調べ上げているとは思わなかったか? そうだ、我々はその道のプロだからな。君が言う一般人の個人情報など、簡単に手に入る。なんなら君が気になっている女の子の、キワドイ写真もね」
「ふざけんじゃねぇ! アンタらは俺を嘲笑うためにここへ呼んだのかよ?」
怒りを隠そうともしないトオルの言葉に、ナギは小さく首を振った。
そして慈愛に満ちた瞳で、彼に告げる。それは救いの手を伸ばす聖女のようだった。
しかし同時に、悪魔のように残酷でもある。そんな矛盾したものを感じさせながら、彼女は言い放った。救済という名の、死刑宣告を。
「いいや。むしろ逆だ。私たちは君を高く評価している。だからこそ、こうしてスカウトにやって来たのさ。我々と一緒に世界を救ってほしい!」
両手を広げて、高らかに宣言する。
トオルは呆れたように鼻を鳴らした。
「……なにが世界を救ってほしいだよ。正義のヒーローでも気取ってんのか?」
「ふふふ、そうだよ。ただしヒーローには、君になってもらう」
ナギは不敵な笑みを浮かべた。まるで自分の勝利を確信したような表情だ。それが気に障り、彼は眉根を寄せた。
「実は数時間前、とある会社が運営する仮想世界に異変が起きてね……」
ナギは白衣のポケットに両手を突っ込みむと、溜め息をひとつ吐いてからゆっくりと語り始めた。曰く、外部攻撃によって仮想世界2nd.ユニバースにバグが生じたらしい。
「……バグ?」
「あぁ。ゲームカテゴリーを管理しているセクションが被害に遭った」
2nd.ユニバースはカテゴリー毎にサーバーが存在し、それらはセキュリティーの厳重な場所で秘匿管理されている。部外者は一切入れないはずの部屋なのだが、突然そこへ異物が出現した。
「電子機器が埋め尽くされている部屋に、異界へと繋がる巨大な鳥居が現れたんだよ。それだけじゃない。そのサーバーにあったゲームすべてが異界に取り込まれ、化け物がプレイヤーたちを襲うようになった」
「は、はは……そんなまさか」
「にわかには信じがたいだろうけど、残念ながら本当のことなのさ。これを見てくれ」
は後ろに控えていた男を呼びつけると、彼が持っていたタブレット端末を受け取った。その端末を操作し、あるページを開くとその画面をトオルに見せた。
「これは……」
「怪異が発生した瞬間に居合わせた配信者の一人だよ。彼は野球ゲームをプレイ中に巻き込まれた」
画面には一人の男の姿が映っていた。
彼は悲痛な叫びを上げながら、必死に野球場を逃げ惑っている。しかし背後から迫ってくる異形の化け物から逃れる術はなかった。男は断末魔と共に、異形の怪物に喰われてしまう。
その動画を見たトオルは、ゴクリと生唾を飲み込んだ。全身に鳥肌が立ち、心臓の鼓動が早くなる。こんなの、野球ゲームなはずがない。
「普通ならありえないはずの現象だろう? しかし現実に起きている以上、何かしらの原因があるはずだ。そう考えた私たちは、原因を突き止めるために調査を開始した」
原因はすぐに判明した。
仮想世界のシステムに、何者かが介入していたのだ。まるでウイルスのように、ゲームプログラムそのものを書き換えて別のものへと変えていた。
その結果、この世界に存在する怪異が本来とは違う挙動を起こすようになってしまったというわけだ。しかしそれだけでは終わらない。
「午前零時の時点で仮想世界に入っていた者たち全員が、ログアウトできなくなってしまったんだ」
当時ログインしていた人間は計1082人。しかもゲーム内で死亡した者は現実世界に戻ることができず、意識不明の状態となってしまった。
運営会社は当然、すぐさま対応にあたった。元々ある程度のトラブルには対応できるように様々な対策が施されていた。だが、事態は悪い方向へと転がってしまう。サーバールームの調査にあたっていた作業員が不自然な鳥居を発見。それこそが怪異の原因だと判明する。
「だけど誰もどうして鳥居なんかが現れたのかなんて分からなくてね。こちら側からのアクセスなんてできないし、新たにログインすることも無効化されてしまった。つまりお手上げ状態ってことさ」
ナギはフケだらけの頭をガリガリと掻きむしりながら、苛立ちを露わにした。顔立ちは良いのに、身なりが汚すぎてもったいない。
「それで俺にどうしろっていうんだ?」
「話が早いじゃないか。察しが良くて助かる。君には私たちの代わりに、この問題を解決してほしい」
「解決だって? 俺はただのフリーターなんだぜ? 何ができるっていうんだよ」
「君にしかできないことがある。この件はまさしく君が適任なんだ」
そう言って、彼女はトオルの頬に手を当てた。その手は本当に生きているのか疑わしいほど、ヒンヤリとしていた。
「幸いにも、鳥居をくぐることで向こうに行けることが分かっている。今ならまだ、助けられるかもしれない。……だが、怪異に近代武器は通用しないんだ。つまり今私たちに必要なのは、ゲームの世界で生き抜くことのできる人物」
そのまま指先でトオルの頬を撫で回しながら、ナギは熱っぽい視線を向けた。
「君のゲームスキルと知識を、どうか私たちに貸してほしい。もちろん、タダとは言わない。報酬は弾むつもりだ。私のカラダが欲しいというのなら、喜んであげよう。それとも若い子の方が良いかい?」
「いや、だから俺は……」
「あぁ、もちろん断っても構わない。その場合は、二度と日の目を見れないかもしれないが」
「……は?」
「言っただろう。この世界は今、異界の魔物に支配されようとしている。もしこのまま放っておけば、犠牲者の数は増え続ける一方だ。そうなれば我々は責任を取らざるを得なくなる」
トオルはようやく理解した。
自分がここに連れてこられた理由を。
「トオル君が断った場合、君は1082名もの人間を見捨てた腰抜けとして全世界に暴露する。もしそうなった場合、経験者の君ならどうなるかは分かっているよね?」
「…………は、ははっ」
トオルの口から乾いた笑い声が漏れた。そんなことをされたら、大炎上のときとは比にならないほどのバッシングを受けるだろう。トオルは単に巻き込まれただけ。だがそんな真実はどうでも良いのだ。何かが起きたとき、叩ける材料があるというだけで悪者にされるというのは痛感していた。
脅しとも取れるような言葉に、トオルは動揺を隠しきれないようだった。しかしそれでも彼女に従う義理はなく、ただ黙って睨み返す。
「ふぅ……。分かった、言い方を変えようか」
するとナギは少しだけ困った表情を見せつつも、彼に問いかけた。
「今の君には目的がない。生きる理由もない。このまま無為に過ごしていても、きっと後悔することになるだろう。だったら、その力を有効活用するべきじゃないかな」
「……」
「もし協力してくれるのならば、私の組織で好きなように生きればいい。悪い話じゃないはずだ」
「……なんで俺を選んだ」
「さっきも言ったけど、君が適任だから。こんな状況で行ってくれる人物なんて、よほどのゲーム好きか、神経が狂ってる人さ」
「俺がその誘い文句で行くように見えるか?」
ナギは目の前で武者震いをしている男を見ながら、真っ赤な唇で大きく弧を描いた。
「やだなぁトオル君。さっきから物凄い笑顔をしているじゃないか」
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