第2話 最強のバグ使い、あらわる
巨大な頭をした鬼に食い荒らされてしまった、人気配信者のカマタマ。彼の血でできた水溜まりを避けるように、トマト頭の男は赤子鬼の前に立った。
「というわけで、俺は突然変異した赤子鬼を討伐しにきたヒーローってワケ」
「……ママは私をいじめるの?」
「うん、殺すよ。偉い人に頼まれちゃったからね。君もトラブルに巻き込まれた側なんだろうけど、運が悪かったと思ってくれ」
「…………」
赤子鬼は沈黙した。否、会話よりも別の方法を試みたと言っていいだろう。
先ほどカマタマを捕食したときのように、ガパッという効果音が相応しいほどの大口を開けた。さっそく彼――トマトちゃんと名乗った男を食べようというのだろう。
「いいね。その思考、いかにも化け物っぽくて嫌いじゃないよ」
トマトちゃんは喉に手を当て、「あーあー」とマイクテストをするような素振りを見せた。
「――俺の配信も始まってる頃合いだし、そろそろ始めようか。ルールは簡単、どちらかが死ぬだけ。シンプルイズベストってね」
「……私を虐めるようなママは嫌い。だけどお腹は空いているから、食べてあげる」
「だから俺はママじゃないって言ってるのになぁ……まぁ、いいか。おいで」
赤子鬼が動く前に、トマト頭が一歩前に出た。そして、右手を前に突き出す。
「それじゃ、始めるか。――『プレイヤー名変更!』」
その言葉と共に、赤子鬼が動いた。
「いただきます」
トマト頭に噛みつき、そのまま丸呑みにしようとする。だが、その歯が彼に届くことはなかった。
「うは、大丈夫だって分かってても怖えぇ!」
まるで透明な壁があるかのように、赤子鬼は完璧に阻まれてしまっていた。
「あれ? ママを食べたはずなのに……」
「ははは、どうだい。これがバグの威力だ」
「ばぐ……?」
「残念ながら君は、今の俺に指先一本触れられないよ」
ガチガチと歯が当たる音だけが部屋に響き渡る。やがて赤子鬼は諦めたのか、一度口を離した。
「どうして? って顔をしてるな。まぁ作られた存在である君には知る由もないか」
「……?」
「プレイヤーネームを変えることで起きるバグだよ。今の俺は設定上、このゲームに存在しないことになっている」
彼が起こしたのは通称『名称バグ』と言われている。
プレイヤーネームを特定のワードに変更することで、デバッグモードへ強制変更させる行為だ。正式に言えばバグではなく、開発者の一人が製品版からデバッグモードを取り除くのを忘れたために生じたエラーなのだが、細かいことはいいだろう。
「トマトちゃん、ずるい」
「せっかく名前を覚えてもらったところ悪いんだが、今の俺の名前はトマトちゃんじゃないんだよなぁ」
今の彼はトマトちゃんから『ドスケベおち●ちん丸』となっていた。もっと別の名前は無かったのかとツッコミたいところだが、ストレスが溜まりまくった開発スタッフがふざけてそう設定したのだろう。
……卑猥な名前はともかくとして。たったそれだけで、彼はただのプレイヤーから無敵の存在となっている。
「どんなに恐ろしい怪物でも、所詮はゲームのシステムに縛られてるってコトだよ。元デバッガーの俺は、そこを突くことに関して天才的だから」
ちなみにだが赤子鬼の攻撃は無効化されているが、逆に彼から赤子鬼に干渉することもできない。あくまでも挙動を検証するためのモードであり、一方的に叩き潰せるような便利なものではないのだ。
つまり『ドスケベおち●ちん丸』は負けないが、勝つこともできない。
「さぁて、勢いそのままに飛び出してきちまったけど。これからどうしようか……」
ここまで余裕綽々とした態度を取っていた彼だったが、実は割と無策だった。
この名称バグもたまたま、このゲームの開発者とは古い付き合いだったから知っていただけだ。
他ゲームで『ドスケベおち●ちん丸』を仕込んだその人物が、この赤子鬼の開発チームにいたことを知っていたから試してみただけである。
せめてもう少し時間があれば、知人から他のバグ技を聞き出すことができたかもしれない。
しかし今回は救出隊の先鋒としてかなり急いでいたために、こんな無茶をする羽目になってしまった。
「いや、たしかもう一個だけあったな。アレを試してみようか」
「ドスケベおち●ちん丸、今度は何をするつもり?」
「若い女の子にその名前で呼ばれると、オジサンは変な扉を開けてしまいそうになるよ」
食べられないことを悟った赤子鬼は、元の可愛らしい少女の姿に戻っていた。その表情からは先程までの殺意は消え失せて、純粋な疑問を浮かべている。返り血で染まっていなければ普通の美少女だ。
若干の気まずさを感じつつ、リクルートスーツ姿の変態男は虚空に浮かぶタッチパネルを操作していた。
「お、あったあった。『β版チュートリアル』開始」
デバッグモードの中に隠されていたチュートリアル。それも製品版では削除されたテスト用のものだった。
「赤子鬼の世界へようこそ! 私はガイド役のソラよ。よろしくね、ドスケベおち●ちん丸!」
二人の間に突然出現したのは、羽の生えた小さな女の妖精だった。綺麗なスカイブルーの髪を揺らしながら、にこやかな笑みを彼に向けている。
「……あ、あぁ。よろしく」
「なになに? 緊張してるの~?」
「え? いや……あ~、そういうことにしておいてくれ」
この名前はどうにかならんかったのか、という感情に再び襲われるドスケベおち●ちん丸。テスト版とはいえ、ゲームのシステムを利用したアシスタントキャラである。わざわざ名乗らずとも、トマトちゃんの現在のプレイヤー名を彼女は知っていた。
「なに、これ……?」
「コイツはプレイヤーに操作とかゲームのヒントを教えてくれるキャラクターだよ。ちなみにだけど、チュートリアル中は何をされても無敵だから、食べようとしても無駄だからね」
赤子鬼たちが会話している間にも、ソラは勝手に説明を続けている。懐中電灯の使い方や赤子鬼からの逃げ方など、どう考えてもこのタイミングで教える必要のない内容まで喋っていた。
「しっかし、このゲームの世界感を完全に無視したキャラデザインだな。ボツになって当たり前だと思わんかったのか、アイツは……」
知人はよほど愛着を持っているのか、どのゲームでもこの妖精を出していた。悪く言えば使いまわしである。
そして容量の削減のためか、早いスピードで飛び回りながら、まくしたてるように話すので物凄くやかましい。
「最悪なことにソラの会話が始まると、プレイヤーは一切の行動ができなくなる。だから俺はこの場から一歩も動けない」
ちなみにソラという名前はトマトちゃんが名付けた。開発者本人は可愛い名前だと喜んでいたが、彼は『ウざいハエ」をもじって「空」と命名しただけである。
だが彼がソラを呼び出したのには意味があった。ゲーム説明がひと通り終わったかと思えば、今度は赤子鬼の周囲をソラが飛び回り始めたのである。
「なに? 邪魔くさいコイツ……!」
「もう百年以上も前の話なんだけどな。子供でも楽しくプレイできるようにって、イージーモードを搭載するのが当たり前になったんだ。それが今でも引き継がれているんだが」
ゲーム業界が低迷しかけた時代。より多くのユーザーを得るために、難易度を自分で調整できるソフトが爆増した。廃人はより理不尽で難しく。子供やゲーム慣れしていない人たちには簡単に。
多様性を重視した結果、今でもその風潮が続いていた。
「開発当時、この赤子鬼にも救済措置が用意されてな。このソラが君からプレイヤーを守ってくれる超イージーモードがあったんだ」
しかしその難易度の調整を開発陣がミスった。
苦肉の策だったのかもしれないが、完全なる悪手だった。
「そのモードにあった機能のひとつが、『任意で赤子鬼を強制的にワープさせる』ってやつでさ。だけどソラのAIが馬鹿すぎたのか、勝手に自律行動して赤子鬼を転移させちまうんだ」
「え……?」
「しかも致命的なバグがあって、転移させた赤子鬼は消滅して二度と帰ってこない」
「!?!?」
本来ならばランダムな座標に転移させるはずだった。しかし開発途中でマップ変更が起きたのか、その座標は虚無となってしまった。さらにソラも赤子鬼と一緒に対消滅してしまうので、ゲーム進行ができなくなってしまう。つまり詰みである。
「ちょっ、待っ――」
「あぁ、もう手遅れだから。俺ももう動けないし?」
「い、いや……タスケッ」
助けてあげるのは今回だけだからねっ☆というソラの可愛い声と共に、赤子鬼の身体は光に包まれて消滅した。
「うわ、マジで成功したわ……」
すでにデバッグモードは終了させたので、自由に動けるようになっている。しかし赤子鬼が消えた後も、彼はしばらく呆然としていた。
《お、おいマジで勝ったぞあのトマト頭……》
《チートじゃないのか? 運営に通報するべきだろ、あんなの!》
《つーか赤子鬼が負けたら、俺たちもヤバくないか? 早く逃げたほうがいいんじゃねぇの?》
リスナーたちのコメントを見て、彼はようやく我に返った。
そして自分がやったことの意味に気がつき、思わず口元を押さえた。
「……え? ちょっと、待って。いやいや、俺はもうチート行為はやらないって!」
《もう?》
《ん? トマト頭にスーツの男って聞いたことがあるぞ?》
《アイツって十年前に大炎上して引退したはずの『トマトオル』じゃねぇのか!?》
かつてトマトオルと呼ばれた男が、再び姿を現した。
その事実がネット中に拡散されるまで、あと5秒。
トマトちゃんは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王――否、アンチを除かなければならぬと決意した。
「おい!? 個人情報を出すのはマナー違反だろぉが!」
トマト頭をさらに真っ赤にさせながら、激高する。しかしリスナーたちは止まらなかった。
《いや、カタカナだからセーフでしょ。てか配信で何やってんだよお前ww》
《そうそう、当時のスレ漁ればすぐバレるんだから大丈夫だって》
《そもそもお前が悪行を働いてたのがわるいんだろ? 》
《今度こそ炎上するようなヘマをするなよ、トマトオルさんよ》
「だからお前らも今のを見たんだから分かるだろ、俺はチーターじゃないからなぁぁぁぁ!!」
悲痛な叫びが部屋に響き渡る。
しかし誰も聞く耳を持たなかった。
なおトマトオルの本名は『戸間
「っていうか視聴者数が爆上がりしてる!?」
配信画面の右下に表示されている視聴者数は、いつの間にか3万人を超えていた。カマタマを含めた他の配信を見ていた者たちが軒並み移動し、さらには実況配信の掲示板に続々と情報が書き込まれていたのだ。
おかげで彼の過疎りきっていた『トマトちゃんねる』は登録者数を一気に増やしていた。
「お、おおっ? おおおぉ!? 過去バレは想定外だったけど、これは結果オーライなのでは? 華々しい復帰と言えちゃうのでは?」
仮想世界でも現実世界のインターネットにアクセスすることができる。そのため彼は自分のSNSアカウントを久々に確認したのだが、そこには信じられない数の通知が届いていた。
「……きた。きたきたきたキター! これだよ、この感覚! 配信こそ我が人生。多くの人間に見られてこそ、自分が生きてるって感じするぜぇ!」
かつての栄光を思い出し、彼は狂喜乱舞した。
しかしすぐに冷静になり、リスナーたちに向けて語りかける。
「あ~、とりあえず。みんな来てくれてありがとよ。でも今は緊急の用事があって、そっちを優先したいんだ」
《おい、逃げる気か?》
《もしかしてトマトオルはこの事件の裏事情を知っているのか?》
《分かっててカマタマの所に来たっぽかったよな》
「詳しいことは公式から発表されると思うから、また後でな。あっ、トチャンネル登録と高評価よろしく!」
そのまま一方的に配信を切る。
そして即座にスマートフォンを取り出した。通話アプリを開き、一番上に登録されている人物へと電話をかける。この時代ではすでにアンティークともいえる古い品だが、現状で音声通話ができる機器はこれしかなかった。
コール音が三回ほど鳴った後に、電話相手が出たようだ。
「もしもし。戸間徹ですけど。……はい。こっちは言われた通り、怪異の処理を完了しましたよ。被害? えぇ、間に合いませんでした」
チラ、とカマタマの首なし死体を一瞥してから続ける。
「はい。こちらに責任はないですよね? 俺はただ、指示された通りに動いただけですから。えぇ、えぇ。なので次の救出に向かいます。それじゃ失礼します」
ピッと電子音が鳴ると同時に、彼はため息を吐いた。
「……心配しなくとも、契約は守りますよ。俺の目的のためにもね」
――――仮想世界に囚われた人数、残り1081名。(1名死亡)
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