魔境にて②

 火起こしは上手くいかなかったけど、幸いにも酒が手に入ったので凍死する危険は減らせたと思う。

 見付けた窪地に魔術で切り倒した木を重ね、隙間を枝葉で埋めた。風除けとしては十分機能していて、地面には同じく枝葉を敷き詰める。この準備だけで結構時間が掛かった。

 後はもう、体温を逃がさない様に二人して身を寄せ合い、一つの毛布に包まっている。


 エミリーはしばらく前に眠った。

 頬が赤らんでいるので、まだ危険はないと思う。

 足先や手指が冷えてきたら一度起こそう。それまでは僕が擦って温めてやる。しっかりと毛布を掛けて、熱を逃がさない様に魔術の糸で隙間を閉じる。


 糸は、この一帯にも張り巡らせてある。

 あの檻の中身がなんであれ、相当に強力な魔獣が入っていたんだろう。

 幾ら魔力量に優れているとはいえ、実戦経験の乏しいエミリーでは危ない。僕も、この身体での戦いには慣れていない。


 くそう、小賢しく子どもらしい成績なんて狙わず、もっと熟達出来る様に努めて来ればよかった。

 なんて、あんまりにも僕らしい後悔だ。

 きっと生きて戻ったら忘れてるに違いない。


「ん……」


 耳元で吐息を聞きながら、酒を一口含んで、毛布の中でエミリーの手を温める。次は足だ。自分の方も忘れずに。

 こうして野宿をしていると昔を思い出す。

 ローズマリーを焼かれて逃げた、あの土に塗れた日々を。


「やめとこ……」


 いい思い出とはとても言えない。

 なにせ最後は大半が死ぬか、捕まるかだ。

 だっていうのに懐かしさを覚えるのは、もしあの場にエミリーも一緒だったら、なんて考えてしまうからだろう。

 姉上と、カミーユと、僕と。

 他にも父上が徴用したマリーローズの住民達。

 北部連合の拠点へ向けての逃避行をもう一度やるなら、どうしてやろうかなんて。


「父上達、救助隊は出してくれたよね。崖付近からは魔鳥に見張られてて無理だとしても、大きく迂回すれば降りてくるだけなら出来る。やっぱり、朝になったら崖付近に戻るべきか。怖いけど、エミリーの為だからな」


 向こうの状況が分からない。

 父上なら、姉上なら、王子に抗議くらいはしてくれたか。

 助けを出す事まで妨害はしないだろうから、もう捜索は始まっている筈だ。


 やっぱり、逃げるだなんて現実的じゃない。


 この王子への恐怖は、僕が僕であることの証みたいなものなのかな。

 臆病で、強者に阿り、弱者を嘲って来た。面従腹背は当たり前で、姉上にだって同じように振舞ってきた。

「くそうっ」

 本当に、情けない。


「ぁ……ん、ユレインくん?」

「あ、ごめんなさい。大丈夫ですよ。一応一口飲んでおきますか? 適宜温めておいた方がいいですから」

「うん」


 口元に酒の入った水筒を寄せてやると、そのまま口を付けたので傾ける。暗闇の中で喉元が酒を嚥下したのを見届けて、水筒を離す。

「ありがと」

「いいえ」

 再び仕舞って、片手で触れたままだったエミリーの手を包む。

 握り返され、少しだけ動きが止まる。

「ずっと起きてたの?」

「さっき目が覚めました」

 嘘を吐いたら、あっさり見抜かれたみたいで、彼女が弱々しく首を傾けて頭突きをしてきた。


「私が起きてるから、休んでいいよ」

「そうですね。では、そうします」


 目を瞑り、そのまま魔術で周囲を知覚し続ける。

 意識はすっかり覚醒していて眠気なんて無かった。だから、眠るふりだ。そうでないとエミリーは僕を気にして眠らなくなってしまう。体温が落ちるから起きていた方がいいんだけど、明日またどうなるかも分からないんだから。


 そうして力を抜いたら、腕を回してきたエミリーに頭を抱かれ、脚がより密着した。彼女の熱が身体に伝わる。エミリーを重点的に巻いていた毛布をこちらへ寄せてこようとしたので、そこはしっかり糸で固定してやった。

 ちょっと格闘していたけど、諦めて僕をしっかり抱く事にしたらしい。

 僕がやっていたみたいに背を擦り、頭を撫でて、頬を寄せてくる。今はまだ小さな手足。それがいずれ大きく伸びて、逞しくも美しくなっていくと、僕だけは知っている。

「大丈夫だよ」


 あぁ、これは、安心する。


 誰かの熱は心地良い。

 自分を気遣って、守ろうとしてくれる者であるなら、尚更に。

 一度は成人しておきながら情けない限りだが、幼少の肉体となった今、慣れた筈の刺激にすら敏感に反応してしまう。

 嬉しいは嬉しい。

 悔しいは悔しい。

 当たり前の様でいて、生きていれば慣れて鈍化していく筈の感情が、抜身の刃みたいに心を突き刺してくるんだ。

 したり顔で流すなんて出来ない。

 誰かに寄り掛かりたかった。

 本当に。

 情けない。


「………………………………エミリー」

「どうしたの?」


 糸に反応があった。


「誰か来る」


    ※   ※   ※


 張り巡らせた蜘蛛の巣は、領域展開に秀でた『恩寵』に属する使い方だ。

 僕のそれはまさしく巣。

 侵入者に反応し、時に絡め取り、進入を阻むものとなる。


 当然相手もそれに気付いて反応を示す。

 警戒して、身構えて、けれど。


「クリオス卿……ですか?」


 思わぬ、というよりかは、ある意味で納得できる人物に僕は気を緩めた。

 ベリアルド王子の側周り筆頭、そして事ある毎に無理難題を押し付けられ、酷使されて来た上級貴族の男。

 普通なら夜間に捜索なんて行わない。

 二次遭難に繋がるからだ。

 それをあのクソ王子が無理矢理強要したに違いない。

 最も、七大貴族の子息令嬢が二人も行方不明となればその限りではないだろうけど。


 月明かりのおかげで、苦労人らしい表情のクリオス卿が僕らを認めた。


「おおっ? あぁ、驚いた。今のはユレイン様が?」

「はい……ちょっと、器用なもので」


 彼はほっとした様子でこちらを観察し、すぐに膝を付いて目線を合わせてきた。

 僕を見て、隣で手を繋ぐエミリーを見て…………その視線に違和感を覚えながらも、拭い難い安堵に身体の力が抜ける。


「お疲れですね。ただ、負傷などはな……いえ、エイムス様、脚を負傷されていますね」

「え!?」


 隣でエミリーが悪戯がバレたみたいに身を縮めた。

 見上げる僕から顔を逸らして、その言葉が事実であることを証明している。


「魔術で誤魔化している様ですが、そのような使い方は身体を壊す一方です。緊急時ではありましたが、ここからは私にお任せください」

「そうだよ。エミリー、無理しちゃ駄目だ」


 小さく「ごめんなさい」と漏らす姿に罪悪感を覚える。

 気付かなかった自分の間抜けさ、容易く批難をしてしまった馬鹿さ。後悔しても、咄嗟に言葉が浮かばない。

 くそう。

 いつも言いっぱなしで、こういうのがあると黙り込んで逃げてたからな……。


「ごめんね」


 結局エミリーに頭を撫でられ、僕は俯いた。

 帰ったら出来る限りの方法で感謝を伝えよう。

 小遣いを全部使い切っても構わない。エミリーが欲しいもの、望むもの、全部あげるんだ。足りないなら何年分でも前借りして、父上の仕事を手伝って俸給を得よう。命を助けられたんだ。それぐらいしないと釣り合わない。


「大丈夫ですよ。ここからは私も同行します。お二人は安全に屋敷までお連れしますから」


 なんにせよ、彼と合流出来たのは良かった。


「この辺りで休んでいたのですか?」

「えぇ。良い窪地があったので、木を切り倒して屋根にして、毛布に包まってなんとか」

「ほう、毛布に」


 クリオス卿が歩を進めるので、そのまま寝床へ案内した。

 大人が入るには小さくて、身を屈めなければ覗けない。倒木の屋根に手を付けながら奥を見詰める彼の表情は、月明かりの影になっていて見えなかった。灯りが無いので中の様子だって伺えないだろうけど、と考えて彼が僅かに魔術を使っているのに気付いた。

 視力の強化か。

 聖罰型の者が射撃時にもやっているものだ。

 きっと彼は薄闇が昼間みたいに見通せているのだろう。


 一緒になって覗いていたら、後ろから腕を引かれた。

 エミリー?


「………………………………さて、困りましたね」

「えと、なにが?」


 困りごとなら色々ある。

 エミリーの怪我。寒い事。戻って王子とまた対面しなければいけないと考えれば今からうんざりしてくる。あとは、そうだ、幾ら夜目が効くからといって、クリオス卿は灯かりの一つも持っていないから、僕らが歩くには不安がある。


「そういえば、他の捜索隊の方々は」

「ユレインくん……!」


 強引に引き寄せられ、僕を抱えたエミリーが後ろへ飛ぶ。


「おっと! 逃がしませんよ!!」


 地面が隆起して行く先を阻んで来た。

「捕まって!」

 それをエミリーは身体強化した脚で蹴り、飛び越える。

 飛来した光弾を打ち払い、翳した手で防ぎ、木の幹を蹴って地面へ跳ぶ。

 着地した際、明らかに痛みで姿勢を崩した。

「エミリー!?」

「駄目っ、逃げて」


 問答の間に周囲を高い土壁が囲い込み、対して正面の壁が崩れた。

 歩いてくるのは、賞賛の拍手を送るクリオス卿だ。

 さっきは逆光でちゃんと見えなかった。

 それを、立ち位置が入れ替わったことで月明かりが照らし出す。


 目の下には隈があり、やつれた印象のある、未だ青年といって良い年頃の男。あの化生じみた連中の集まる王城で、見事王子の側周り筆頭にまで上り詰めた、おそらく次代の王国では宰相の様な重職に付けられるだろう出世頭。


「これはこれは。いやはや、流石はロッドクワンテ家。流石はクゥデルローズ家と言うべきでしょうか。私の様な凡才では同じ年頃でここまで魔術を扱えたかどうか」


 温厚さの仮面を外し、凄絶と呼べる表情で僕らを見る、何者か。


「クリオス卿、どうして」

「どうして!? あぁすみません声を荒げてしまって。ですがユレイン様、クゥデルローズ家を継承するかもしれないお立場でその察しの悪さはいけませんよ。ファイラス様は子煩悩とも聞きますから、今の内は甘やかしているのでしょうけどね」


 侮辱に反発こそ抱いたが、すぐに思考を回した。

 確かに緩み過ぎだった。違和感なら最初からあったのに。


 馬鹿は死んでも治らないと言うが、全く以って同感だ。


 違和感。

 そう、単体では妄想以上の判断が出来なかったから、保留にしてきた事実を繋ぎ合わせる。

 糸を紡げ。

 縫い合わせた断片が形作るものは。

 紋様を一望すれば分かる筈だ。


「……これは王子の試験ですか」

「いいえ」

「なら王子は最初から僕らを消すつもりだった」

「いいえ」

「それなら」


 分かり易い選択肢は消えた。

 後は、策謀とも言えない、あまりにもあり過ぎる、策士泣かせの偶然と気紛れが絡んだ、下らない結果だ。


「本当は、王子が落ちる筈だった。何らかの方法で無事下まで辿り着く算段を付けた上で、僕らの忠誠を測ると」

「はい」

「貴方はその後の回収を命じられていた」

「はい」

「けれど貴方は……日頃の恨みから王子を亡き者にしようと画策した」

「ふふふ、はい」


 付き合う必要も無いのに答えてくれる。

 王子の教育係も兼ねている筈だから、そういう性分なのかも知れない。

 またこれは侮りであると同時に、今の状況が完全な詰みであるという証拠だ。

 捜索隊は出ていない。夜明けを待って救助を再開する予定なんだろう。もしくは、まったく見当違いの方向へ誘導されているかだ。


「だけど王子は貴方のその企みも看破して、僕を代わりに落とす事で証拠を得ようとした」


 よくある手だ。僕も以前は使っていた。

 疲労と不満を蓄積させ、次に余裕と機会を与え、どこまで忠実に動くかを測る。

 分かり易過ぎる策だとしても、疲れは簡単に判断を鈍らせる。あるいは、このまま疲れ続けるくらいならと、人は簡単に死を選ぶ生き物だ。

 なにせ誰も死んだことがない。

 その死がどれだけ苦しくて悔しいものか知らないから。


 僕が王子を連れ出したのは偶然だろうが、元々クリオス卿は何度も屋敷から外出させられていた。

 何処かで王子から僕へ提案し、あの崖へ連れ出すつもりだったんだろう。

 そこへ間抜けにも誘いを入れた僕が居て、王子は乗って来た。


「貴方は焦った筈だ。王子暗殺の為に用意した魔獣が脱走し、部隊は全滅。隠ぺい工作をするにも自前の手駒はもうない。だっていうのに荷物が一つ減っていた。それを僕らに見られた時点で、僕らが生還して誰かに伝えた時点で、王子は貴方を反逆者として処刑する」


 拝借した荷物を見られた。

 だけど、アレが無かったら今頃凍死していた可能性だってある。

 殺気立っていた魔鳥を見るに、崖へ戻っても昼間の内に救助は望めなかっただろう。第一危険過ぎる。

 状況としては最善。

 最悪なのが、間抜け野郎が迂闊にも敵を巣の中へ導き入れてしまったことだ。


 僕の推察を聞いて、クリオス卿は満足げに拍手した。


「素晴らしい……っ。少々抜けている所はありますが、ユレイン様、そのお歳でそこまでの洞察力があるとは、全く高貴なる血というのは羨ましい」


「折角なので聞いてみますけど、命乞いを受け入れるつもりはありますか」


「ある訳ないじゃないですか。貴方を生かせば私は死ぬ。どうして自分の生殺与奪を握っている相手の命乞いを聞くんですか? はははっ、これは減点ですねえ」


 さて、問答とは別に分かった事も複数ある。


 まずエミリーの負傷は思っていたより重そうだという事。

 戦わせるのは無理だ。

 次に、クリオス卿のこと。

 彼は『聖罰』に準ずる力を使い、今こうして『恩寵』に準ずる領域展開を行っている。

 三基軸の属性であれば、ここまで他属性を扱えない。

 そこからも外れた二極。

 弱体化デバフを得意とする『告解』か強化バフを得意とする『免罪』か。

 三基軸の力も一定以上は扱える二つの属性。

 その上で彼は僕と同じ告解型だと言い切ろう。

 鬱屈した性格と、優位になると余裕を見せる所がそっくりだからな!


 つまり、単純な出力勝負なら今の僕にだって対抗出来る!!


「ごめん、エミリー。もうちょっとだけ頑張って」


 触れた土壁を糸で浸食させる。

 感知用の糸じゃない。

 毒を含んだ、相手の魔術を侵し、穢し、貶める、僕の本命。


 足の引っ張り合いで負けるもんか。


 瞬く間に制御を失った土壁が崩れ、僕らは一気に走り出す。

 後方から放たれた光弾も蜘蛛の巣で受け止める。

 『聖罰』への対抗には出力がモノを言う。魔力量だけなら、クリオス卿と大きな差はない。


「っ……」

「ごめん。ごめんっ、エミリー!」


 さっき無茶な動きをしたからだ、エミリーが目に見えて足を庇っている。

 だけど僕には打つ手がない。

 情けなさを噛み締めながら、夜の森を駆けていった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る