王子③

 クソ王子のクソみたいな振る舞いを脇へ追いやれば、ピクニックそのものは楽しかった。


 雪かきされた高原の一角、眼下には樹海が広がっていて、反対側は広大な雪原。

 広げた絨毯の上には、岩陰で作られた料理が続々と運び込まれてきている。

 屋敷内に座り込むのは無様だが、屋外での宴席となれば話は変わる。これは我が国の源流とされる、古代の王国より続く作法だ。無論、主賓となる王子と、その次に地位の高い父上には座椅子を用意させてある。


 続く宴席の中、単純に忙しい父上が近くに居てくれることも嬉しくて、以前は出来なかった親孝行というものを、自分なりにやってみた。

 姉上と取り合いながら肩揉みをし、勉強や都市部で見たものを報告する。

 父上不在の中、しっかりとイースターエッグの仕込みをやったことは褒められた。


 あぁ確かに子どもの身で出来る範囲の、ちっぽけなものさ。


 それでも嬉しい。

 以前の時間では、忠誠を尽くそうとした陛下と対立させたまま、絶望のままの服毒死という、最悪の形で終わってしまったからな。


「わっはっはっはっは! そうかそうかっ。ユレインもアリーシャも、頑張っているようだなあ! ははははは!」


 上機嫌で父上が煽っているのはお酒だ。

 あまり酔わせると前みたいになるから気を付けなければいけないが、まあ今日くらいは良いだろう。

 正妻はこの辺りの事に厳しいから、普段は寝酒程度にしか飲ませて貰えないし。


「どうしたユレインっ、もっと飲め飲め!」

「い、いえ父上……僕はもう十分です……」


 寒い地方なので僕らみたいな子どもでも寝る前には酒を飲む習慣がある。

 酒を飲めば身体は温まり、凍死の危険を大きく回避出来るからだ。

 我が家で眠る分にはしっかり暖炉で暖められているから平気なんだが、こういうのは理屈抜きとするべきか。


 以前であれば好んでいた愉しみ方も、子どもの味覚に戻った以上は美味しくない。

 非常に残念だが、父上と酒を酌み交わせるのは楽しいので、ちびちびと付き合っている。


「んー、私この匂い苦手なのー」


 カミーユは酒精の匂いが駄目らしく、温かい乳に蜂蜜を入れて飲んでいる。

 姉上があれこれ試すも、どうにも合わないらしい。


「いえ、帰りも馬に乗りますから」


 そしてエミリーも酒を飲まない。

 なんでもロッドクワンテ家には、乗るなら飲むな、という決まりがあるらしい。確かに酔っぱらって乗馬というのは危険か。

 訓練され、操り易くなった馬ほど手綱の動きに敏感だ。

 軽く操作を間違えて、そのまま崖下へ一直線、なんて事になるのは避けないと。


「もー、皆情けないわねぇ」

「はは、酒の無理強いは良くないぞぉ、アリーシャ。かくいう俺も陛下には宴席で注意する様にと昔から言われておってなあ」


 呑兵衛のんべえの家系だなどと思われては困るので言っておくと、これはあくまで寒さを凌ぐ方法として有用だから薦めているのだ。

 マリーローズは寒い、寒いから温まろう、つまり飲むのが一番だ。

 なんという親切だろうか。


「紅茶にヤギの乳を入れて、蜂蜜と一緒に少しだけお酒を足しました。これなら飲めませんか?」


 鼻と耳を赤くしたカミーユへ、僕は用意させた紅茶酒を薦める。

 酒の香りを苦手とする彼女には相殺させる方向が良いだろう。


「んん……ちょっと気になるけど」


 口を付けた。

 乳や酒で薄まることを見越して、紅茶は普段よりも濃いめに淹れてある。

 上品と呼ぶには少々強めな飲み方になるが、ここしばらくで甘党なのは分かっているから、蜂蜜で誤魔化せる筈だ。


「……これなら、ちょっとは」

「良かった」


「うんっ、でかしたぞユレイン!」

「これでカミーユも一緒に飲めるわねっ」


 呑兵衛二人は置いておいて。


「これはエミリーから教わった飲み方です。だよね、エミリー?」

「え? う、うん……」


 隣でちょこんと座る、金色の前髪で目元を隠した少女へ話を向けると、注目を受けたことが恥ずかしかったのか、手にしていたカップに口を付けたまま頬を染める。


「……エイムス」

「うん?」

 小さな声で彼女が返事をしてきた。

「恥ずかしいから、皆の所じゃ、エイムスで」


 なるほど。


「分かった。ごめんね」


 とは言ったものの、既に酒の入った父上と姉上と、ついでにカミーユまでもがにやにやしながら僕らを見ていた。


「~~~~っ」


 一層顔を赤くしてコップの影に隠れようとするエミリー、いやエイムス。

 思えば座る時、当たり前の様に彼女の隣へ誘導された気がする。


「最近随分と私の弟と仲がいいわね、エミリー?」

「羨ましいわ、エミリー。私も可愛い弟が欲しかったわ」


「カミーユ。ユレインは私の弟なの」

「うふふ、じゃあ取られちゃったわね。大変っ」


 姉上が昨今見たことが無い顔をしているから止めて下さいカミーユお嬢様。


「でもそっかぁ、欲しいなら貰っちゃえばいいのね。ねえ弟くん、私の事、カミーユお姉ちゃんって呼んでみて?」

「……いえ、その」

「えー、だめぇ? 呼んでみるだけだよ」

「ですから……」


 僕が姉上を気にして口籠っていたら、立ち上がったカミーユが回り込んで僕の隣へ座った。

 草原に絨毯を敷いているので、地面に座る形だ。

 つまり椅子よりもずっと距離が近くなる訳で。


「(じゃあこうやって言ってくれれば、大好きな姉上にも聞かれないわよ?)」


 耳へ流し込まれる蜂蜜みたいな声に、酒の匂いが混じる。

 飲ませたのは僕だけど。


「……酔ってますね。そんなに量は入れてない筈なんですが」

「えー、酔ってないわよお。ねえ駄目? こっそりでいいの」「(お姉ちゃん大好きっ、て言ってみてぇ)」


「……………………………………………………………………………………」


「あ、あのっ、カミーユ、そろそろ止めた方が」

「自分だけ独占しといてそんなこと言うんだぁ」「(ねえ? ずるいよねえ?)」

「そ、そういうのいけないよっ」


 なんだか手に負えなくなってきたので父上に助けを求めてみたのだが。


「ふぅむ……ベルファリオ家とロッドクワンテ家、どちらを正妻に据えるべきか」


 駄目そうだった。


「あ、姉上……」

「っ!? ふんっ!」


 駄目そうだった。


 右から蜂蜜を流し込まれ、左からは弱々しく引っ張られ、気付けばエミリーも僕へ密着する形に。

 誰でもいい、助けてくれ。

 なんて思いはしたものの、


「おい」


 一番最悪な奴がやってきやがった。


「ユレイン、歳の同じ男同士、話してみたいことがある」

「おや、何事ですかな、王子」


 ベリアルド王子に対し、軽く酒を煽りつつ応じる父上。

 そんな態度で大丈夫なのかと心配になるが、とにかく僕は二人を押し退けて王子の前に立った。

 父上が酔っているなら、クゥデルローズ家の代表として僕が応じるべきだ。


 加えて逃げる理由にもなった。

 気に入らないが、お前でも役に立つことがあるんだな。


「歳が同じだから接し易いだろうと言ったのはキサマだろう。下がっていろ」

「えぇ、問題はありません。ユレイン、王子のお相手をして差し上げなさい」


「……はい、父上」


 あくまで父上に言われたから、そんな言い訳を間に挟んで、僕らは崖のある方へと歩いて行った。


    ※   ※   ※


 王都から列車に乗ってマリーローズへ向かう時、峻険な丘の上に美しい屋敷が見える。

 我が家だ。

 今から八年、つまり貴族院へ入って三年目にもなれば、樹海は大きく切り拓かれて人の出入りが容易になる。

 各所で補給の為に幾つもの駅を中継するが、最終的には一直線にあの広大な森へ鉄道を通し、走り抜けてくる訳だ。


 今はまだ、マリーローズを中心とした影響力の強い都市へ鉄道を通している程度。


 同じ派閥内でも、ベルファリオ家などの古典的な魔術師の家系は鉄道を嫌うから、直接通すことは出来ていなかった。それは王都も同様だ。


 ただ、貴族院で生活を行うに当たって、通常よりも遥かに早く簡便に帰省することの出来た僕らにとって、その光景は誇らしくも好ましいものだった。


 今、二度目の生を受けた僕は、屋敷のある場所よりも更に突き出した丘の上へ来ている。


 見慣れた列車からの光景とは逆、眼下には未だ人の手が入っていない、魔境とも言われる樹海が広がっている。

 吹き上げる風は強く、あまりに身を乗り出せば煽られて落下してしまいそうだ。

 ァア、と鳥の鳴く声が聞こえた。


「それで、お話とはなんでしょう」


 遠巻きに様子を伺っている皆を見つつ、僕はやつれて枯れ枝の様になった王子へ問いかける。

 かつて彼に感じていた恐怖は薄い。

 惨めさに憐れみこそ覚えど、恐れるに足りないと見下している。

 表情も完璧に作っていた。

 慣れた作業だ。毎日確認して仕上げているので、こんなガキに見抜かれることはないだろう。


「キサマは随分と優秀だそうだな」

「はい?」


 思わぬ切り出しに首を傾げる。

 ゆうしゅう。ゆーしゅん、いやYOU SHUN?


 言葉が理解できなかった。

 かつての王子が僕に向けることは決してなかっただろう単語だったからか。


「ファイラスが自慢げに話していたのでな。王都に居る使えない連中の代わりになるかと、直接見定めに来てやったのだ」


 聞いていない話だ。

 口留めされていた、という所か。


「……それが、此度の御逗留の目的だったと?」

「そうだ。ただし条件も付けられたが、今は良い」


 父上なりに僕を守ろうとしていた、という感じかな。

 ありがたい話だけど、せめて内密に話は通して欲しかった。


 いや、と。


 慣れた寒風に背筋が冷えた。

 緩んでいた心が急激に硬さを帯びていく。


 今コイツは何と言った?

 僕を、ユレイン=ロア=クゥデルローズを推し量る為にここへ来た?


 つまり、ずっと見られていた。


 興味がない風を装いながら、能力を、忠誠を、確かなものであるかと測っていた。


「っ……」


「どうした。随分と動揺しているな。大人顔負けの手腕は振るえても、度量は子ども並か? 


 ベリアルド王子は、そう、かつて僕らを圧倒的な実力で追い詰めて、何もかもを焼き払った覇者は、未だ遠い場所にいる筈の姿のまま、じっと僕の奥底を覗き込んできていた。


 あの目。


 手傷を負った獣の様な目。

 それは変わらない筈なのに、いつしか怯える色は消え失せ、以前よりも遥かに獰猛で、貪る様な視線に変貌していた。

 怯えは演技か、あるいは本気であって尚も王者としての気迫を残していたのか。

 どちらにせよ、やがてこの国の王となるベリアルド=ノヴァ=ウエスティアは僕を見据えている。



 全て見抜かれている!


 怯えた脚が一歩を下がった。

 駄目だ。殺される。敵わない。

 王子は、やっぱり王子だった。


 僕らを喰らう獰猛な獣。

 最低最悪の王。

 クゥデルローズを滅ぼす者だ。


「一皮剥けばこんなものか。まあいい、這い蹲らせて使う分には丁度良い器だ。喜べ、キサマはいずれ王となるこの俺の側近に召し上げてやる」

「おことわりだ、そんなの……っ」

「ふふふ。そう怯えずとも良い。今日からしっかりと躾けてやる。一番最初の、俺と相対しただけで震えあがっていたキサマの目は中々に見物だったからな。常にその目を忘れず従うのなら、クゥデルローズ家には栄光を約束してやるぞ」

「っ、お前……!」


 知らず手が出ていた。

 だって、こいつは生かしておいちゃいけないんだ。

 早く、一刻も早く殺さないと。


 ほら、すぐそこに崖がある。


 ちょっと突き飛ばしてやれば真っ逆さまだ。

 枯れ木みたいな手足のコイツなら、多少の魔術が使えたっておしまいだ。


「そうだな。折角だから最後の試験と行こう」


 その手をあっさり掴まれる。

「ッ!? ぁぁああああああ!!」

 握り込まれた力の、あまりの強さに悲鳴が出た。


「そらっ、この俺をこんな場所へ連れてきて、まさか落下した時の備えが無いとは言わんだろうな?」


 ふわりと身体が崖を飛び出した。

 風に巻きあげられて僅かに浮かんだ僕が最後に見たのは、あの処刑台で見たものと同じ、何の感情も宿さず僕を見据えている王子と、慌てて駆け出す父上。悲鳴をあげているのはカミーユか。

 エイムス、エミリーの姿だけ見えない。

 そんな風に周囲を見ていたのは、呆けていたのでも、諦めて緩んでいたのでもない。


 ただ、助けて欲しかった。


 ようやく気付く。

 分かったつもりでも、全く分かっていなかった。

 死を前に、僕はどこまでも僕のままだった。

 あの牢獄に繋がれていた時と、マリーローズを焼かれた時と、いやエミリーに連れられて逃げている時とも、なにも変わらない。

 他の何もかもより自分が可愛い。

 痛いのも苦しいのも嫌だ。

 助かりたい。

 死にたくない。

 誰か。

 そう、いつだって僕は僕自身が立ち向かうよりも、他の誰かに助けて貰いたくて、自分でやれることにすら目を背けてきた。

 変われる機会なんて幾らでもあった筈なのに。


 今も中途半端に、あの日の木陰で立ち尽くしている。


 あぁ、イアリス。

 僕は。


「ぁ――――ぁ、っ、ぁああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 泣き叫び、落ちていく。





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