王子②
あのクソ王子が我が家に逗留を始めて数日、同じ空気を吸っていることすら気に入らないが、憐れな姿を見ていると慈悲くらいは掛けてやりたくなる。
幸いにも毒はもう完全に抜けているらしい。
惜しい話だが、後は健康に過ごし、体力を取り戻していけば良くなる筈なのだとか。
「この俺がやれと言っているんだ! 拒否するのなら謀反の意思ありと見るべきだろうなッ!」
王子の癇癪は日に二度か三度起きる。
当人が言うには、忠誠を測っているのだそうだ。
毒を盛った下手人が捕まっていないことや、療養と称して寒さの厳しい北方へ来ていることを勘案すれば、今王都では大きな捕り物か、政変と呼べるだけの事が起きている筈だ。
父上がマリーローズで過ごされていることは喜ばしいが、それで良いのかと尋ねてみたら、機嫌良さげに頭を撫でられ、今はこれで良い、とだけ教えてくれた。
実際、たった一人の後継者である王子を任されている事が、既に陛下からの信頼を受けている証だ。
忠誠測りは今の所、王子の側付きにのみ向けられている為、外から憐れんでいるだけで済む。
折角あの反乱にあって側を離れなかった者達ばかりなのに、やればやるほどに忠誠心を失っていくのだから笑えてくる。
「やれ! やってみせろ! 言葉だけの忠誠など信用できるか!」
可哀そうなのは王子の癇癪に付き合わされている、側付きの筆頭か。
彼も相当に位の高い人物だが、事ある毎に下男のやるような仕事を押し付けられ、その癖本来の仕事に滞りが出来たら忠誠心が足りないと鞭で打たれる。
公衆の面前でも平気で行うのだから、見境が無くなっているのは本当だろう。
「あっ」
角の向こうで盗み聞きをしていたら、その筆頭と鉢合わせした。
「これは失礼致しました、ユレイン様」
「いえ……クリオス卿、大丈夫ですか?」
折り目正しく礼をしているが、彼も相当に参っている。
眠る暇もなく、恥を晒されて、まだも忠誠を口にして駆けずり回るとは。
「なにをしている! はやく行かんか!」
廊下に出てまで様子を見に来た王子の声に、鞭打ちが記憶にこびり付いてきているのだろう、ビクリと身を強張らせた。
「どうぞ。お気を付けて」
「ありがとうございます」
小さく縮こまった背中を見送って、ついため息を落とす。
言ってしまえば彼も僕らを追い落とした側の人間だが、今の状況を見ていると純粋に憐れみくらいは覚える。
まあ精々内輪揉めを続けると良い。
孤立して、もう誰も頼る者が居なくなったら、手を差し伸べてやるくらいは考えてやるよ。最後に打ち払って足蹴にしてやるけどな。
なんて無駄な妄想を続けていたのが拙かった。
「なんだ、お前か」
「っ!?」
小姑ぶりもここまで来ると気色が悪い。
どうやら王子はあの筆頭がちゃんと言い付けを守るか、監視までするつもりらしい。
「これはベリアルド王子。昨夜以来ですね」
どうにか気を取り直し、丁寧に一礼する。
食事や勉強などは王子が自分の側付きしか信用しない為、僕らとは別になっている。
おかげで会う機会は少なくてとても残念だ。
「盗み聞きか。流石は毒薔薇の一族だな」
「何を仰いますか。昨夜にお伝えしたではありませんか。近い内にお部屋へ伺わせていただければと」
「ふんっ」
図星に反応しかけたが、こういう時の言い訳も予め用意してある。
とはいえため息も出そうになる。
あの王子が、分かり易く不信を口にして、挑発だなんてな。
「マリーローズの冬は厳しいでしょう。ですがあの部屋は特別に日当たりが良く、この季節でも暖炉の火も無く過ごせる日がある程です。今日などは心地良かったのではないでしょうか?」
言いつつ僕は王子の服装を見て小さく唸った。
随分と厚着をしている。
王子の容態を心配して、周辺の廊下にまで火鉢を置いて、一帯を温めているのに。
僕からするとこの周辺は暑いと感じるほどだ。
「失礼しました。北部の人間と、南部の人間では寒さの感じ方が違うのでしたね。もしまだ寒気を感じる様でしたら、更に火鉢を増やし、この一帯を温めるよう言い付けますが?」
「そうやって俺を笑いに来たのか」
「王子。いいえ、そのようなことは決して」
人間不信もここまで行くと憐れだ。
僕は純粋な好意で部屋を暖めてやろうとしていたのに。
外は折角の晴れ。
本当にこの季節にしては温かくて、部屋に閉じこもって居られなくなった姉上なんかは、二人を連れて出掛けている程だ。
僕もこの後、遠乗りにでも出掛けようかと思っていた所でね。
以前にエミリーと同乗してから、父上に頼んで子ども向けの鞍を買って貰った。
彼女のように幼い頃から育ててきた仔馬など持ち合わせていないから、乗るのは扱いやすいポニーだけど。
乗馬は貴族の嗜みだ。
移動手段はいずれ列車や自動車に取って代わられるだろうが、一層趣味としての色合いを増した乗馬はそれこそ希少価値を持ち続けるだろう。
「そうか。その恰好、外出でもするつもりだな。やっぱり盗み聞きじゃないか」
「いえ、これは……」
しまった。というか、流石に鋭いな王子。
「王子も如何ですかと誘いに来たのです。部屋に閉じこもってばかりでは身体も弱る一方ですよ」
その枯れ枝の様な手足では不可能でしょうけどね。
言葉には出さず、心配そうな顔を維持して王子を見る。
「ですが、無茶を言ってはいけませんね。僕はこの寒さに慣れていますが、王子は――――」
「いいだろう」
「……」
「俺を案内させてやる。その仕儀を以って、お前の忠誠を推し量ってやる。今更止めた、などと言うなよ? これはお前から提案してきたことだ。ファイラスも納得するだろう」
父上がどう絡んでくるのかは知らないが、これは少々面倒なことになったか。
所詮はガキ、口八丁でどうとでもなると油断した、僕の失態だ。
「畏まりました。ですが、南部の方々に合わせた装備が準備出来ていない為、しばしお時間を頂いてよろしいでしょうか」
「今日中にだ。日没間近では折角の遠乗りも台無しだからな。忠誠を誓う臣下であるなら、俺にそんな無駄足は踏ませないだろう?」
「当然です。ただ、まず聞いておくべきことがあります」
やるならば仕方ない。
馬具には父上が無駄に姉上向けのものまで購入してあるから、予備を出せばどうとでもなるだろう。
騎士や侍女を数名先に派遣して場所を確保したり、やるべきことはそれなりにあるが。
「なんだ」
「ベリアルド王子、貴方は乗馬が出来ますか?」
「問題無い。自前の道具や馬はここにはないがな」
この程度、姉上の無茶振りに比べれば易いものだ。
※ ※ ※
とはいえ王子は暗殺されかけたばかりだ。
成人していた頃の感覚で事を取り仕切っていた僕へ、感心した様で呆れた様子の父上がやってきて、同行することになった。
まあ確かに、幼子と呼んで差し支えない僕の差配だけで王子を屋敷から出すのは問題だったか。
加えて失敗がもう一つ。
王子に走らされた側付き筆頭のクリオス卿が、更に酷使される形で同道している。
皆が厚着をして乗馬する中、彼だけは僕ら北方出身者と同じ薄着だ。
唇まで青褪めて、流石に同情を禁じ得ない。
後は戻って来た姉上達まで合流し、ちょっとした冬のピクニックと化していた。
「この先よ。早朝にねっ、綺麗な光の柱が出ることがあるのっ」
その姉上は今、父上の前に座らされ、同じく騎士と同乗するカミーユと、自分だけで馬を走らせるエミリーへ自慢げに話をしている。
「えっとぉ……えっと、なんだっけお父様っ?」
「太陽柱、という奴だな。光の屈折で、日の出や日の入り間際の太陽から、真っ直ぐ垂直に光の柱が出来るんだ。あれは中々に美しいぞ」
父上に甘えられて姉上はご機嫌だ。
ついでに姉上に甘えられて父上もご機嫌だ。
正妻は流石について来なかったので、完全に父上へべったりである。
「まあ、今日は気温が高いから、見ることは出来んだろう。が、興味があるなら、今日から毎日朝方にでも軽く駆けてみると良いかもしれんな」
「わ、わわ私は……寒くて無理そ、そそう……っ、~~~!」
カミーユは憐れなほど震えていた。
麓へ降りた午前と違い、今は裏山を登っている状態だ。気温は更に低く、山から吹き降ろす風は厳しい。
止めた方がいいと言ったのだが、仲間外れは嫌だったらしい。
「僕の懐炉を使って下さい。上着も、このくらいなら僕は平気ですから」
自分のやらかしから始まったことなので、巾着入りの懐炉を馬上で受け渡した。因みに彼女を同乗させている騎士の懐炉はとっくに全て奪われている。まあ、そこは男のやせ我慢に期待するしかないかな。
「だらしないわねえ、カミーユ! 朝晩はもっと冷えて、涙も凍っちゃうんだからっ」
「もう凍ってるのぉ……!」
南部生まれ、それも血筋的には大陸側に近しいカミーユには酷な環境だったか。
僕は吹き降ろしてきた風に目を細め、首筋を吹き抜けていく感覚に心地良く息を落とした。
故郷の風、これこそマリーローズだ。
「あぁ、そういえば」
「どうしたの、ユレインくん」
「あっ、すみません、思い出し笑いです」
呟きを拾ってくれたエミリーには悪いけど、人に聞かせる訳にはいかない思い出だからなぁ。
今となっては、今だからこそ、懐かしむ余裕くらいは出来たのか。
マリーローズを焼かれ、逃げ込んだ森の中でも、カミーユは寒さに慣れず震えていたっけ。
同行者は殆どが北部出身者だったから、皆して防寒着を貸してやって、普段の洗練された姿とは似ても似つかない、まんまるのカミーユに皆して笑っていた。
そんな時間もあったんだ。
僕らが和気藹々と進んでいく中、やや遅れた位置に王子の一団があった。
殿にはウチの騎士達が付いてきており、思っていた以上の大所代となっている。
一行の進む場所は、裏山とは言っても一段上がった高原のような場所だ。
海側へ進めば岬からマリーローズが眺められるし、内陸側へ進めば広大な樹海を見降ろせる。
いずれは開拓され、線路を通すことになる場所だが、今はまだ人の手が殆ど入っていない、古い魔境の一つ。
今回は近場という理由だけでその内陸側へ向かっている。
道中も緩やかで、海側から離れるので実は寒さがマシになっている筈なのだが。
「王子。如何ですか、我が家の庭は」
「…………雪しかない」
先頭の賑やかさから外れて声を掛けに行くと、笑えるくらい寒そうにしている王子が居た。
「温かくなると、一面に薔薇が咲き誇る場所となります。ほら、あそこは今雪を被っていますが、それとなく薔薇園の生垣が見えるでしょう? 綺麗な湧き水もありますし、ちょっとした催しを開くこともありますよ」
返事も僅かで、つい肩を竦めてしまう。
と、クリオス卿と目が合った。
彼からすれば余計な事を、といった事態だろうに、発案者である僕へ小さく一礼し、自身の懐炉を王子へ渡した。
そのまま前と後ろを行き来しながら気を回し、無事に一団が目的地へ辿り着いた所で遅めの昼食だ。
先発隊が雪かきを済ませていたおかげで、馬から降りても脚を取られることはなく、絨毯を敷き詰めた平原には火鉢が立ち並んでいる。
少し下れば崖があり、その下には魔境とも言われる樹海が広がっている。
あんなにも大きな都市から、山一つ越えた先に未開の場所がある、というのは南部の者には不思議らしい。
けれど、一年を通して殆どが冬と言えるこの地で、深い森へ分け入って生きていられるのは、狩人か魔女くらいなもの。
如何に強大な魔術を使える貴族でも、凍える寒さを前にすれば体力を奪われ、森の獣や、極めて魔力に馴染んだ魔獣と呼ばれる変異種を相手に連戦をこなせば、遠からず死ぬのが定め。
生身で大海は越えられない。
樹海を切り拓けたのだって、炉心革命によって平民が魔獣に対抗できるほどの力を身に付けたからだ。
あぁ、思えば。
父上はあの頃からもう、貴族の時代が終わる事を見越していたんだな。
まだその力が自分達へ向けられる前に、力を付けた平民達が僕らの指揮を受ける機構を作り上げ、戦力として取り込んでいた。
「あら、どちらに?」
一応は主催として場を取り仕切っていたら、王子の一団からまたクリオス卿が追い出されていた。
今度は何を言い出したのかと、小さな背中を追いかけていく。
足音に気付いたのだろう、すっかり憔悴した顔で振り返った。
「……申し訳ありません。主の命により、私は屋敷へ戻ってやることが出来ました」
「それは……ここまで来たのに。あっ、誰か案内を付けましょう」
「いいえ。道は概ね覚えていますので、どうかお気遣い無く」
せめて温かい飲み物でも、と声を掛ける前に彼は馬へ跨り、早駆けで去って行ってしまった。
蹴立てられた白煙すらどこか物悲しい。
あれが宮仕えか、死んでも御免だな。
流石に憐れを通り越して、やっている王子が鬱陶しくなってきた。
「ユレイン! ユレインはどこだ!」
なんて思っていたら、ご本人からの指名だ。
極めつけに面倒くさい。
そうだ、そこの崖から蹴り落としてやろうか。泣き叫ぶ王子の声を聞きながら腹を抱えて笑ってやれば、この苛立ちだって消えてくれるだろう。
「どうしましたか、王子」
戻っていった僕へ、痩せぎすの王子が睨み付けてくる。
「奴と何の密談をしていたか答えろ」
全く。
本当に。
「何の話ですか」
「とぼけるな。屋敷でもこそこそ話していただろう。今も、お前は奴を追いかけていった。何か企んでいるのなら話せ」
「何もありませんよ。屋敷へ戻ると言うので、労いと見送りをしただけです」
「奴はお前の臣下でもない。そんな男をか」
お前がやらないからだよ。
とは流石に言えず、ついため息が落ちる。
最初は面白かったが、ここまでくると本当に鬱陶しいな。
元気でもクソ、病んでもクソか。
全く、生きているだけで害になる奴ってのは居るもんだ。
「どうしましたかな、王子」
外から見ても険悪そうだったのか、賑やかな姉上達から離れた父上が寄ってくる。
「なんでもない。今回の支度を労っていただけだ」
「それはそれは。良かったな、ユレイン」
「はい、父上」
「ふんっ」
いい加減本気でぶん殴ってやりたくなってきたな。
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