王子①

 ベリアルド王子の特徴を一つだけ挙げるのなら、目だ。

 常に険しい目をしている。

 植民地での反乱を経験しただの、何か武芸に秀でた噂を聞いたことはなかった。当たり前に何もかもをこなし、何にも執着せず、何故かいつも苛立っている。


 僕は彼の前に立つのが嫌だった。


 単純に怖かったからだ。

 当時は怖がっていることにさえ目を背けて、顔を見れば苛立つだの、気に入らない奴だのと適当な理解をしていたが。


 だから幼少期の王子、以前であればお披露目まで会う事の無かった彼を屋敷で迎えた時、あぁ昔からそうだったのかと納得しそうになった。


「皆、お名前だけは知っているな? 我らがウエスティア王国の第一継承者であらせられる、ベリアルド=ノヴァ=ウエスティア王子だ。今回はお忍びの療養として、我が家に逗留していただく事となった」


 出迎えた正妻を筆頭に、姉上、エミリー、カミーユと屋敷の主だった者達。

 王子と共に戻って来た父上が紹介をし、その大きな手が僕へ向く。


「あちらに居るのが我が息子です、王子。歳も同じですので、王子も接し易いかと存じます」


 余計な事を言う父上に反応することは出来ない。

 僕は今、引き攣りそうになる顔を堪えるので精一杯だった。

 正妻よりも、姉上よりも、真っ先に僕を紹介した。その事実を考えるより先に、手指を揃え、弦を爪弾くようにと教えられる所作で以って、王国式の礼をして見せる。

 僅かに顔を俯ける為、少しは顔を隠せるだろう。


「お初にお目にかかります。ご紹介に預かりました、ユレイン=ロア=クゥデルローズです。御逗留中、どうぞお気軽にお声お掛け下さ――――」

「顔をあげろ」


 予め、多少の話は聞いている。

 毒を盛られた王子へご機嫌麗しゅうなどと言わない様に、程度のことだが。


「はい」


 僕は言葉を切られた事への感情を綺麗に消し去り、笑むでもなく、静かで穏やかな、完璧な表情を作って彼と向かい合った。


 険しい目。


 けれど、記憶にあるものとは違う。

 ベリアルド王子は常に苛立ちや凄みを漂わせていたが、同時に王者としての余裕も持ち合わせていた。

 なのにこの、手傷を負った獣の如き目はなんだろう。


 いや、毒を盛られたのだから当然だろうが、あまりにも僕の知る王子と違い過ぎる。


「醜いか」

「いえ」


 即答出来たことに安堵など付けない。


 そう、醜い。

 受けた毒の影響か、眼球はやや出っ張り、頬は痩せこけ、血色は老人を思わせるほどに青白い。服に隠れているが、手を見れば腕や脚なども極めて細く、枯れた様になっているのが想像出来る。

 整った服を着ているのが大間違い。

 せめて病人らしい貫頭衣か、いっそ薄汚れた浮浪者じみた服を着ていた方がしっくりくる。

 これがあの、ベリアルド=ノヴァ=ウエスティア。


 僕らを追い詰め、処刑し、王として君臨していた、あの。


「ふん」


 小さな問答だけで満足したのか、彼の視線はあっさり僕から外れ、隣に立つ姉上を、正妻を通り過ぎ、一歩下がった所に立つ二人の令嬢を射貫く。


「……最低限の者のみに留めるという話、偽りだったのかファイラス」


 王子の瞳が父上を睨んだ。

 かつての僕であれば震え上がっただろう威圧を前に、クゥデルローズ家当主は緩やかに首を振り、応じてみせる。


「そちらのお二人は我が国でも七大貴族と称されるベルファリオ家、ロッドクワンテ家のご令嬢です。此度の御逗留、遺漏無くお過ごし頂ける様にと、自ら名乗り出て下さったこと、ご承知下さいませ」


 違う。

 本当は、二人が僕らを心配してくれて、残ってくれたんだ。

 王子が来ると決まってから、預かっていた派閥の子息令嬢は各家へ帰された。彼女達も同じく実家へ戻る予定だったが、僕があまりにも動揺していたから。


「ふん……まあいいだろう」


 まだ正妻も姉上も挨拶を済ませていない為、エミリーもカミーユも小さく応じるのみに留めた。


「では改めまして。あちらが我が第一の妻、アメリア=レイ=クゥデルローズです。生まれはここより更に北部の――――」


 父上主導の紹介が続く中、ようやく余裕の出てきた僕は王子が引き連れている連中を確認した。

 僕と同じくらいの奴が一人、学園でも常に王子と一緒だったアイツだろう。

 他は成人しており、成りこそ若いが覚えのある奴らばかり。


 ただし、王子に侍る様子が記憶とは違っていた。


 僕はクゥデルローズだ。

 この国の薄暗い歴史を支えてきた、七大貴族の嫡男たるべく訓練を受けてきた。

 人を支配し、操り、駒として消費する術の基本として、相手の感情を読む程度のことは出来る。

 殊に僕は恐怖を読む能力に長けていたと自負している。


 だから確信を以って言える。

 彼らは皆、王子に恐怖している。


「それでは立ち話もこのくらいとして、まずはお部屋へご案内致しましょう。夜はささやかながら晩餐会を開く予定です。それまでゆっくりと旅の疲れを取られるといいでしょう」


 父上が先導し、王子や付き人が後に続いた。


 廊下からの足音も聞こえなくなった所でようやく僕らも息を落とし、動き始める。晩餐の準備などは正妻が取り仕切っているので、ここから僕らは自由行動だ。

 本当なら王子を迎える為の、ここ数日の仕込みに対する相談を進める所だが。


「ごめんなさい、ちょっと」


「どこいくのー?」

「自室です。忘れ物が。ちょっと」


 カミーユに呼び留められるが、軽く言い捨てて僕は部屋へ向かった。

 最初はちゃんと歩いて。じきに速足になり。最後は走って扉へ飛び付き、戻る予定の無かった時間だからか、シーツを張り替えていた侍女を追い出して、靴もそのままに寝台へ飛び込む。

 布団を被り、毛布を被り、そこから枕に顔を押し付ける。


 あの、王子の顔を思い出して。


 あの、王者然とし続けていた、僕らを殺した、クソみたいな王子の、あの、やつれた顔を思い出して。


「ク、ハハハハハハ……」


 父上からの手紙にもあった。


 毒の症状と、それを抑える薬の副作用で、王子は上に下にも大洪水だったらしい。

 漏らし、吐いて、漏らし、吐いてを繰り返し、王城のその一角はしばらく臭くて人が近寄らなかったそうだ。

 そんな日々があったからか、王子は周囲に強く当たることが増えたんだと。

 誰も彼もを疑い、何かあれば烈火の如く怒り出し、付き人や大臣らを容赦なく打ち据えたともあったという。

 そんな奴に心から仕えたいと思う馬ァ鹿なんぞいるかクソボケが。


「ハハハハハハハハハハハハハ――――」


 臣下の心は離れ、その不忠が更に王子を責め苛んだに違いない。

 悪循環に次ぐ悪循環。

 誰も信用できない可哀想な王子様は、とうとう藁にも縋る想いで我らクゥデルローズ家を頼って来た。

 あぁ。

 ああああああああ!


「~~~~ッッッ、ッざまああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ、ハハハハハハ!!」


 この家の誰一人、お前なんぞに忠誠を尽くすもんか!

 どんな手を使ってでも孤立させ、もっともっと追い詰めて、自分は孤独なんだと苦しみ続ける人生を送らせてやる!


 あれが、あのベリアルド王子が!

 なんだあの目はっ!? あんなのがどうして怖い!?

 本当に恐ろしかったあのクソ王子の目を知っていれば、あんなのきたならしい家畜が命乞いをしている様にしか見えないじゃないか!?


 そうだっ!


 父上も言っていたじゃないか。

 僕があの憐れな王子の友達になってあげようか。

 たった一人、僕だけが信用できる人間だと思い込ませて、支配して、どうでも良くなった時にごみとして捨ててやるのはどうだろう?

 あぁ、今からその時を想像するだけでも胸がすーっとしてくる。

 何に対しても優しくなれそうだ。


「ははははっ、これでもう何も怖くない! 僕を、僕らを追い落とす存在なんていないっ! クゥデルローズこそが王国を覇者となりっ、王家を叩き潰してやるのも悪くないなァ!? ははは、前にやられたことをそのままアイツらに返してやるんだっ、この! この! はは、あはははははは………………はぁぁぁぁぁ、気持ち良ぃ」


 ばさりと布団を剥がして起き上がる。

 この時僕がどんな顔をしていたかは分からないが、

「あ゛」

 変な声が出たのは分かった。


 なにせ部屋の扉が開いている。


 戸口に立っていたのは、エミリーだ。


    ※   ※   ※


 焦った。

 今のを聞かれた?

 いつから? どこまで? いや、僕は何を口走っていた?


 確か……確か、国家転覆みたいなことを叫んだか、思っただけだったか……、イマイチ自分でも自信が持てないな……。


「あの」

「……うん?」


 エミリーの様子は普通だ。

 僕に恐怖を感じてもいない。


「聞こえた?」

「えっと」


 彼女は無垢な瞳で僕を見ながら、こてりと首を傾げて、質問に答えた。


「はーん、きもちー。って」

「忘れて下さい」


 良かった最後だけだ。

 いや良くない。

 最悪だ。


「忘れて下さい!」

「う、うん?」

「絶対に誰にも言わないで!」

「う、うん」

「お願いします……」

「あはは。うん、分かったよ」


 エミリーの返事を受けて、僕は再び寝台へ突っ伏した。


 毒を盛られた王子が避難してきた先で、そこの長男が王家ぶっとばす、なんて叫んでいたと知られたらどうなっただろう。

 まあ、少なくとも僕はしばらくこの家から追い出されるな。

 王子の付き人連中に知られたら、間違いなく僕は嫡男としての立場を失う。いや、まだ指名もされていないんだが。


「ユレインくん、元気になった?」

「ぁ……」


 そうか、心配して来てくれたんだ。

 思えば部屋へ駆け込んで叫ぶことばっかり考えていて、明らかに怪しかったもんな。

 ここしばらく王子が来るってことに怯えていたのを知っていたエミリーなら、何かまた苦しい想いでもしているのかって考えたっておかしくない。


「お、おかげさまで」

「きもちーから、元気になったの?」

「いや、あの、それについてはどうか他言無用で」


 懇願する僕へ、エミリーは部屋の扉を閉めて寝台へ寄ってくる。

 そういえば部屋に入れるのは初めてだ。

 興味深そうに視線を泳がせていた彼女だったけど、やっぱり心配だったのか、僕の顔をじっと見詰めながらやってきて、


「あの、エミリーさん?」


「はぁーん、きもちぃー」


「ですからお願いします忘れて下さい」

「えー、どーしよーかなぁ」


 クスクスと笑う彼女が見上げる僕を覗いてくる。

 見下ろすエミリーの前髪から覗く、紫紺の瞳。

 いつも真面目で誠実だったその目が、今だけは悪戯っ子の形をしていた。


「きもちーの?」

「あのですから」


 クソ王子は問題無くなった。

 だけど、エミリーは僕への弄りネタを獲得して、二人の時だけこっそり呟いてくる様になった。





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