冬の到来②
父が戻らないまま一ヵ月が経過して、マリーローズには雪が降った。
毎年降らないことが多く、降ればとんでもない量になるこの都市では、降雪に際してちょっとしたお祭りを行う風習がある。
「イースターエッグって春にやるものじゃないの?」
嬉々として卵にらくがきをする姉上へ、カミーユが不思議そうに尋ねている。
別の机では僕とエミリーが、クレヨンを使ってカラフルに卵を染めている。
「雪が降った時は別なのよっ」
ここしばらく華やかな遊びが乏しかったからか、姉上は殊更に楽しそうだ。
イースターエッグとは、古くからある復活祭に絡んだ遊びだ。
カミーユの言う通り、本来は春を寿ぐお祭りだから、冬真っ盛りに行うのはズレているのだが。
内容は、卵をカラフルに彩り、隠したものを探させる、というもの。
言ってしまえば宝探し。
一度積雪の始まったマリーローズの雪は春まで溶けない。
なので、今隠したイースターエッグは雪解けと同時に捜索が始まり、見付け出した者は屋敷までやってきて景品と交換してもらう、といった具合だ。
クゥデルローズ家が古くから行っているお遊びで、市民からの人気も高い。
「私がもっと小さい頃、二年連続で雪が降ったわ。ユレインは風邪引いちゃってどっちも作るだけだったけど、春になると皆大喜びで屋敷へやってくるのっ」
しかし今は父上が居ない為、僕らが大慌てで作っているという具合だ。
家令などの主だった者まで同行しているので、結構手探りになっている。
茹で上がった卵を外へ出し、冷えたものを取り込んで、色塗りをする。
結構時間が掛かる上にこれだけでは終わらない。
「よしっ、見本はこんな感じでどうかしらっ」
姉上の力作を見て、僕はうんと頷く。
「いいですね。これだけはっきり色分けされていると見分け易いです」
大当たりは赤、次に星柄、音符と、最近自分の触れているものから選出されたのだろう絵柄が色々とある。
赤は、まあ自分だろう。
真っ赤な髪だからな。
最後に数字を書き入れて、景品との対応表を作っていく。
「これを……最低でも三百個は作るのよ!」
かなりの重労働だ。しかも、雪が積もる前に隠さないといけない。そんな訳で今日だけは授業もお休みし、なんなら教師団や給仕すらも引っ張り出しての色塗り大会が始まっていた。
「やーん、指先にクレヨン付いちゃったぁ」
三つ目の着色を終えた頃、なんだかんだと夢中になってしまったのだろう、カミーユが塗り掛けの卵を持って僕の所へやってくる。
「ねえユレインくん、これとってー」
「……いいですけど、ご自身の付き人は」
「私の代わりに十個塗って貰うの。私はこれだけ」
「だったらまた汚れるから、後にしませんか」
「でもぉ」
くいくい、と別方向から裾を引っ張られた。
対面で卵を塗っていたエミリーが身を乗り出し、耳打ちしてくる。
「(あれは、カミーユが甘えたい人によく言ってることです。やってあげて)」
なるほど、そういえば学生時代にも似たようなことを言われた覚えがある。
異性へ気軽に触れる歳でも無い為、頑なに拒否していたが。
と、作業に戻ったエミリーと見合っていたら、近寄って来たカミーユが耳打ちしてきた。
「(ねえとってー)」
何故耳打ちで言う必要があったのか。
まあ多分、真似しただけだろう。
ただ真っ直ぐなエミリーの声とは違い、耳の奥を擽る様な声音に思わず背筋が震えた。
「(だめぇ? とってくれたらお礼をしてあげるわ)」
「分かりました。分かりましたから離れて下さい」
「えー、面白かったのにぃ」
ころころと笑って身を離す。
作業をしていた付き人が椅子を持ってきて、僕の隣へ座らせた。遠くで姉上がこちらを見ていたけど、すぐ手元に視線を落として作業を始める。
はぁ、とため息を落として。
「きゃーっ、くすぐったい」
取り出したハンカチでカミーユの指先を拭いてやる。
僕の指も汚れているので、直接触ったりはせず、全てハンカチ越しだ。
綺麗な爪だった。この歳で手入れまでしっかりしている。まあこういうのは付き人を使って、と思ったが、そういえば彼女、自分で出来るこの手の美容は全部自分でやるとか話していたな。
ローズマリーが焼かれ、逃げ続けている時に、確か……。
「はい、おわりです」
「(ありがとう。ちゅっ)」
気持ちが過去へ飛んで油断していた所へ、顔を寄せてきたカミーユが頬にビズをする。
大陸側に多くの繋がりを持つ、ベルファリオ家らしい。
親戚同士であればそう珍しいことでもないのだが、机の向こうでエミリーが顔を真っ赤にしていた。
※ ※ ※
カラーエッグ作りに目途が立った所で、小休止がてら景品を漁る事にした。
春までに用意すればいいので今やる必要もないのだが、集中力の切れてしまった姉上とカミーユにはいい気分転換なのだろう。
「自分のものをあげてしまうの?」
「多分、参考にしにきただけでしょう」
カミーユの疑問に僕が答える。
ここは僕らが使っている子ども部屋。
共通のおもちゃ箱があり、絵本があり、ぬいぐるみなどが置いてある。
別に使い古しを下げ渡そうという話ではなく、自分の好きな玩具を景品にして、他の者にも配るつもりなのだ。
「ぁ…………」
後ろで控え気味だったエミリーが巨大な熊のぬいぐるみに目を奪われた。
「あぁ、姉上が昔よく包まっていたお友達ですね。懐かしい」
「なに言ってるのよ。この子が来たのは今年の夏よ」
「そうでしたっけ?」
拙い拙い。
僕は過去へ戻ってきてから殆どこの子ども部屋を使っていない。
流石に成人間近まで成長して、幼子のように遊ぶ気にはならなかったからな。
今のは、前の記憶だ。
「欲しいのならお父様に頼んであげるわっ。お揃いにしましょう、エイムス」
「――――それなら私も。ね?」
ぐいっと出てきたカミーユと、迎えた姉上が両手を繋いでにっこり笑う。
「ふふん。まっかせなさいっ」
「わーい」
「あ、ありがとうございますっ」
出遅れたエミリーがお礼を言って三人が輪になった。
思えばこんな風にしている三人を見るのは久しぶりか。
「はい、ユレインくんも」
微笑ましい気持ちで見ていると、姉上と手を離したカミーユがこちらへ手を差し伸べてきた。
そこに挟まるということは、反対側に居るのは姉上になるのだが。
「ほーらっ」
むっつり顔に戻った姉上だけど、仕方ないわねとでも言いたげに手を出していた。
アーケード街へ行ったきり、ちょっとだけ距離の出来てしまったままだったけど、上手く機会を作ってくれたのだろう。
「わーいっ」
姉上と手を繋ぎ、カミーユと手を繋ぎ、正面にエミリーを見て、僕らは意味も無くぐるぐる回った。
調子に乗って勢いを付け過ぎた姉上と、それを平気で乗りこなせたエミリーによって、耐え切れなくなったカミーユがひっくり返り、また一騒動。
「あ、これ……」
改めて景品探しをしていた時に、懐かしい様でそうでもない、真新しい立体パズルを発見した。
完成すれば綺麗な立方体になる、木製の玩具。
かつて僕が父上に買って貰い、なんの因果かあの牢獄にまで姉上が持ち込んで、最初の
「何度か挑戦したけど、全然駄目なのよね」
棚にバラバラのまま置かれているパズルを見ていたら、先の事で意地っ張りの消えた姉上が寄ってきた。
僕の肩を掴んで後ろから身を寄せてくるので、真っ赤な髪が頬に掛かる。
「…………これ、僕は一度完成させてたんですっけ」
「そうよ。夏にあのぬいぐるみと一緒にお父様が買ってくれたじゃない。それで一ヶ月も掛かって二人で完成させて、その後一人でやるってユレインが言うから」
「あぁ、それで次は姉上が、という感じでしたか」
姉上に取り上げられた、なんて記憶は僕の勘違い、都合の良い辻褄合わせだった訳だ。
我ながら実に身勝手な記憶。
僕らしいといえばらしいけど。
「たまにやってるんだけど、上手くいかないのよ。最近ユレインはこの部屋にも来なくなっちゃったし」
もしかして子ども部屋で一緒に遊んで、仲直りをしようとしていたんだろうか。
ここしばらくは調べ物に注力していたし、流石に幼児向けの玩具で遊ぶ精神性ではないので、興味も持たなかったんだが。
「ごめんなさい」
「うん? いいのよっ」
小さな姉上に頭を撫でられて、頬にビズをされた。
さっきカミーユがやっていた真似だろうけど、不意の事で妙にドキリとした。
ビズは、あくまで大陸側の文化だ。
我が家では父上も正妻もやっていない。
だからか、ちょっとだけ気恥ずかし気に頬を染めた姉上が、ぼんやり見ていた僕の頬を掴んで来た。
「にゃにふるんでふふぁ」
「んふふーっ」
このいじめっ子め。
「あっ、大変よ皆! お外の雪が強くなってきたわ。積もっちゃう前に隠さないとっ」
さっさと景品選びから脱落して、温かな紅茶を口にしていたカミーユが、窓の外を指差して言う。
「うーんっ、それじゃあ景品は後回しで、出来てる卵から隠しに行きましょう! あちこち行きたいから二つに分かれて……」
なんとなくではあるけれど、僕はエミリーを見ていた。
彼女も僕を見て、そうだね一緒に、なんて考えていたんだけど。
「あーっ、ねえねえエイムス、一緒に行こうよーっ。駄目? いい? はいけってーい」
飛び付いたカミーユが早々に宣言してしまったので、余った僕と姉上が必然的に組む流れとなった。
※ ※ ※
侍女と手の空いた厨房衆によるイースターエッグ作成が進む中、完全防寒となった僕らは街中へ繰り出していた。
当然だが、四人だけで隠していくのではない。
ローズマリーの各所では既に使用人らが告知をし、一般市民らを家の中に追い込んでいる。
隠す所を見られていては遊びにもならないからだ。
「ここっ、ここいいんじゃないかしらっ」
姉上が指示し、付き人が編み籠を持ってきて、僕が雪を少し掘り返して隠す。
最低でも踏まれない、雪かきをされない場所を選ぶ必要がある。
こんな天気でも稼働しているアーケード街や商業区などは後回しで、今は市街地へ来ている。しかも、貴族街ではなく、平民らの住む地域だ。
普段なら僕らは貴族街のみで、父上の手配した部下がこういった場所を担当するのだが、エミリー達にそちらは任せて、今は大手を振って都市の探検中である。
「わあ、こんなに小さな家に幾つもの家族が詰まってるなんて、不思議なものね」
集合住宅を感心したように見上げつつ、一つ一つの窓や戸がしっかり閉じられているのを確認する。
僕らの近くでは三名ほどの楽士が居て、陽気な音楽を奏でつつ、卵の隠し中であることを周囲へ伝えている。
「不届き者はいないようね。偉いわっ、ここには大当たりを隠してあげるっ」
既に時は昼。
こう雪が降ってしまえばやれることもなくなり、人々は家へ閉じこもる。大慌てで冬篭りを準備する者も、昼までには終わっているだろうからな。
仮に遭遇しそうになっても演奏が聞こえれば遠ざかる。
王子に追い立てられながら聞いた話ではあるが、我が家で行っている降雪時のイースターエッグは、結構な儲けにもなっていたらしい。
父上も大盤振る舞いで金銭や宝飾などを景品にしていたし、子どもには珍しい玩具、お菓子や食べ物などと種類も豊富だった。
中にはその道の達人も居るらしく、一度のイースターで一年分以上の儲けを得ていた者も居たのだとか。
それだけに不正はしっかりと対策しなければいけない。
もし覗き見が発覚すれば、その地区には外れしか配置されなくなるし、次回は配置すらされない。
地区ごとに見張らせて、雪に隠れるのをしっかり待つ。
中には上手くやる者もいるだろうが、まあそれはそれだ。
金銭が絡んでいる以上、起こり得るもの。
それでもマリーローズの民はこの領主から仕掛けられるお遊びを、純粋に楽しんでいる雰囲気が伝わってくる。
ほら、今そこの戸の向こうから、子どもの歓声が聞こえてきた。
きっと聞こえる演奏に耳を傾けて、頭の中で隠し場所を精一杯想像しているに違いない。
「さあ、次へ行きましょうか。お行儀の良かったこの地区には、とびっきりの大当たりを隠してあげたわっ。でも、雪解けが始まるまではぜーったいに見付けられないから、ちゃんと待つことね!」
そんな事を繰り返して、市街地を練り歩く。
思えば昼食も忘れていた。
厨房も、侍女達も、イースターエッグ作りに大忙しで忘れているんだろう。終わったらまた大忙しで食事作り……いや、頑張ってくれた者達へは感謝を篭めて、ご馳走を用意させようか。
今から商業区へ人を走らせれば、終わるころにはちょっとした晩餐を持ち込ませることも出来るだろう。
僕が手すきの者を呼び寄せて指示を出していたら、川向うから橋を渡ってくる銀髪の少年を発見した。
「あら、この前の子じゃない。この演奏が聞こえないのかしら?」
姉上の言う通り、アーケード街で姉上のポーチを奪った少年だ。
「……あんたらか。その」
あぁ。
「イースターエッグの準備をやってるんだよ。お前達にはない文化だったっけか」
言うと彼は首を傾げたが、すぐ興味を失くしたらしい。
「そんなことより……、この前のことは、すまなかった」
「そう。いいわ、許してあげる」
僕が意味を理解するより早く、一番の被害者である姉上が許しを口にした。
平気な顔をしていることも出来ただろうに、全く義理堅い連中だ。
「あっちの方にも住居があるのね。ちょっと遠くになるけど、行ってみましょう」
少年の来た方向を指差した姉上だったが、控えていた付き人達が微妙な顔をしていることに気付いた。
「姉上……」
「なによ、イースターは皆で祝うものでしょう?」
「彼らにはイースターの文化がありません。見るなと言っても理解されないでしょうし、それに」
彼らは貴族街には近寄れない。
その奥にあるクゥデルローズ家の邸宅になんて、変事の真っただ中でもなければ辿り着けないだろう。
納得出来ないと、杭打った様に足を止める姉上へ、僕が先を促すことにした。
「行きましょう。まだ隠していない地区は幾つもあります」
「なによ、ユレインはあの子を助けたかったんじゃないの」
思わぬ言葉に今度は僕が硬直することになった。
姉上は遠慮なしに少年を指差し、思うままに言葉を叩きつけてくる。
「粗末な服。手足だって細いし、ちゃんと食べてないでしょ、貴方。お父様の統治する領地とはいえ、貧しい者が居る事は私だって分かるわよ。だったらせめてイースターを一緒に祝うくらいいいじゃない。それに」
「施しは受けない」
そのまま勢いで飛び出していきそうな彼女を止めたのは、他ならぬ少年だった。
彼は真っ直ぐに姉上を見詰め、しっかりと己を支えて言葉を継ぐ。
「あんた達が単に何かを押し付けようとしている訳じゃないことは分かった。だけど、俺達には俺達の生活があって、そいつをしっかり生きてるつもりだ。だから、あぁ…………それなら、どこか、なんでもいいから花の咲いてる場所を教えてくれ」
「なら、今通って来た市街地の生垣に幾らか咲いてたわよ」
「そうか。ありがとう。それじゃあな」
礼を言って、銀髪の少年は雪の積もり始めた街を駆けていく。
不満そうでいて、どこか物思いな表情を浮かべる姉上を見て、僕は何も言えず、とりあえずとでも言う様に先を促した。
遠く、橋の向こうへ目をやれば、大きな工場が立ち並んでいて、煤煙は内陸へ向かって流れていく。
僕達がお祭り騒ぎで遊んでいる中、彼らは今日も安い賃金で工場を動かしているのだろう。
程無くして降雪は更に強くなり、吹雪へと変わった。
唐突に訪れた冬の贈り物は、あっという間にローズマリーを包んでいったのだった。
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