冬の到来①

 本邸の更に奥、子ども部屋として使われている別宅に僕らは居た。

 僕と、姉上と、親戚であるカミーユに加えてエミリーも。


 まず、ベリアルド王子は生きている。

 ただし毒を受けたことは確かで、現在もしているという話だ。そのまま死んでくれたらと願わなくもないが、立場上父上が王都へ戻ってしまっている為、変事は避けて貰いたいとも思う。


 二人と入れ替わるようにしてカミーユとエミリーがやってきて、以来、別邸で共に過ごしている。


 三家の中でクゥデルローズ家が最も王都から遠い為だ。

 他にも派閥の貴族子弟らが預けられているが、身分ごとに振り分けられているのと、おそらくは下手人が割れていないこともあって僕らからも遠ざけられている。

 同行している親族や付き人の中に、王子の次は婚姻の話もあったクゥデルローズを、なんて考えているのが居たら目も当てられない。


「えっと、それじゃあここは?」

「簡単ですよ。さっきの公式を当て嵌めれば……」

「あ、ほんとだ」


 そんな訳で、僕はエミリーの勉強を見ている。

 最初は彼女が僕の勉強を見ようとしたのだが、流石にこの年代の勉強で困ることは無い。

 年上の威厳を見せ付けようとしたエミリーには悪いけど、今ではすっかり立場が入れ替わっていた。


 机に向かい、顔を俯けた彼女の目元には金色の前髪が掛かっている。

 その奥にあるだろう紫紺の瞳を思い浮かべながら、僕は広げた教科書を見つつ、自分の板書に問題を書く。


「じゃあコレは?」

「んー、あっ、今のと同じだ」

「そう。ちょっといじわるしてるけど、よく分かったね」

「えへへ、ユレインくんの教え方が上手だからだよ」


 暖炉には火が入り、外の空気はすっかり冬。

 この地方は滅多に雪が降らないものの、いざ降り始めるとかなりの量になる。見込みを付け辛いのが厄介だ。

 加えて港の方から吹いてくる風はかなりの冷たさで、油断してると鼻水まで凍るなんて言われている。


「あー、また二人でお勉強ー?」


 ふんわりと甘い声を響かせてきたのは、ベルファリオ家のご令嬢カミーユだ。

 暖められた家の中でさえ上着を着込み、じつにもこもこした格好をしている。

 その後ろでむっつりしているのは姉上で、美しい赤髪に暖炉の灯かりが溶け込んで、本当に燃えているんじゃないかと思えた。


「折角お勉強の時間は終わったのに、頑張るんだねー」


「……私は、お二人よりも遅れてるから」

「そうだねぇ、ユレインくんに教わってるくらいだしー」

「はい」


 十歳のお披露目と、十二歳からの貴族院はあれど、それまでは家ごとに家庭教師を付けて勉強させるのが通例だ。

 ロッドクワンテ家は武を重視する為、エミリーの座学が遅れているのは仕方ない。


 とはいえ、やや苦手としているのも事実みたいだけど。


「あーでもぉ、私もユレインくんに教えて貰うのは楽しそうかなあ。いろいろと、お姉ちゃんに教えてくれる?」

「いえ……僕も、姉上達の勉強にはついていけてないので」

「ふーん?」


 何か言いたげにしていたカミーユだけど、姉上を振り返って言葉を切った。


 僕だって程度は弁えている。

 幼児向けの座学を解いてみせるのは訳ないが、神童などと騒がれても厄介だ。適度に間違えて、適度に分からないふりをする。

 幸いにも見本がある。僕は概ね、姉上よりも二歩三歩譲った所で正解し、適度に躓いてみせている。この辺りは学園で散々学んだことでもある。

 どうせ剥がれる化けの皮、見栄を張って被ったところで虚しくなるだけだ。

 自分がどうしようもないクズであることは、過去へ戻った所で変わらない。


 偽証、詐称はクゥデルローズの得手でもある。

 だから退屈極まるお遊戯に、エミリーの指導という項目が加わったのはありがたかった。簡単な問題とはいえ、彼女の理解を得るにはどうするべきか、なんて考えながら受ける授業なら、それなりに遣り甲斐を感じるからだ。


「でもお姉ちゃんとしては不満なのよねー? 折角一緒の時間が増えたのに、可愛い弟を友達に取られちゃってー、素直になればいいのにねー?」

「ちょっと!? なに言ってるのカミーユ!?」


 ベルファリオ家のご令嬢はひらりと身を返して姉上の背後に立った。

 そういえば珍しく姉上が教科書を手にしている。

 ここ最近、授業が終わればカミーユと一緒にすぐ遊び始めていたのに。


「わっ、私はさっきユレインが問題に詰まってたから……姉として恥ずかしくない弟に育て上げる様にって、だから、教えてあげようとしただけよっ」


 あーでもその問題、分からないふりしただけなんだ。


 しかし姉上が自分で勉学を……いや学生時代、つまり王子の婚約者となってからは熱心にやっていた記憶もあるが、昔はそうでもなかった筈だ。

 優秀で困ることは無いし、ここは分からないふりを続けて意欲を引き出すべきか。


「………………あー」


 なんてことを考えていたら、カミーユが苦々しげな笑みを浮かべた。

 いつも甘さ満天みたいな顔をしているのに珍しい。


「うんっ、弟くんはエイムスを教えてあげながら自分でも勉強してるんだねっ。だったらいいのかもしれないねっ」


 彼女にしてはやや無理を感じる声で言い放った後、にっこり笑って姉上を抱き締める。

 耳元で何かを囁くと、宣言のまま顔をむっつりさせていた姉上の頬に朱色が差して、更に眉が吊り上がった。


「あーっ、駄目よお。お姉ちゃんなんだから我慢してあげないと。大丈夫よお。ね? もうちょっとだけ。見ててあげよーよっ」


 なんなんだ……?


 反応の意図が分からず呆然としていたら、やや強引にカミーユが姉上を連れて、去って行ってしまった。


 同じく首を傾げているエミリー。

 二人の足音も聞こえなくなった所で、呆けていても仕方ないので勉強を再開した。


    ※   ※   ※


 座学の復習も終えて、一息付けた後。

 屋敷から聞こえてくるヴァイオリンの音を聞きながら、僕とエミリーは木剣を手に向き合っていた。

 庭園と呼ぶには殺風景なこの場所は、魔術の訓練を行う様に作られている。


 鉄の船が建造され、大砲を撃ち合う時代になっても、魔術はまだまだ戦場の華として語られている。

 この国において貴族とは、古くから高い魔力を維持して技術を継承してきた魔術師のことを指す。

 平民にも魔力はあるが、簡単な魔術行使にも耐えられないのが殆どで、この圧倒的な軍事力としての差が現代の貴族社会を維持しているとも語られる。

 火器の登場で差は縮まったけれど、まだまだ魔術の方が強い。

 だから貴族は、男女の別無く戦う技術を仕込まれる。一族内で、戦える魔術師が一人でも多いほど、発言力も増すからだ。


 そんな貴族の優位性も炉心革命までの話ではあるんだが。


「いくよっ」

「はい!」


 掛け声と同時、姿勢を低く駆け込んで来たエミリーがすれ違いざまに一打。

 躊躇が無い。なにより早い。防げたのは直線的過ぎるからだ。けど今のは多分、僕に防がせた。

 振り返った先で彼女は壁を蹴り、側面へ回り込んで来ている。

 受けた手の痺れ、何より踏ん張った脚の強張りが動きを阻害する。

 強引に腰を回して向かい合う。


「右!」


 右から来た。


「下!」


 下からの振り上げを捌く。

 けど下がる足が浮いた途端、振り抜かれていくと思った木剣が押し込まれて姿勢を崩す。

 数歩下がってどうにか姿勢を整えた時には、もうエミリーは攻撃の構えを完了していた。


「正面!」


 正眼からの真っ直ぐな一打。


「からの牽制!」


 それを半ばで手放して、中空で木剣が回る。

 僕の防御は空振りだ。

 エミリーは半歩を踏み込み、剣を放した手でこちらの襟首を掴んでくる。更に逆の手で手放した木剣を掴み取り、襟首を手放してこっちの手首を取る。


 結果、半端に防御しようとした手ごと上へ引っ張り上げられ、僕の首元にはエミリーの木剣が。


 どっと汗が出る。


「っ、~~~負けたあ!」

 互いの息が掛かる様な距離で向かい合いながら、あまりの悔しさに声が漏れた。


 勉学では遅れているけど、打ち合いではエミリーの独壇場だ。

 水を得た魚、大空を舞う鳥、とにかく自由奔放で迷いが無い。


「最後のは、下がりながら牽制するか、こっちの手が離れた所を狙って防御から攻撃へ切り替えるべきでした」


「……そっか。あぁでも、どっちに動いてもエミリーは対応したでしょ?」

「えと、はい」


 有する属性それぞれに特色はあれど、ある程度魔術を鍛えれば生身では到底対抗できない様な動きも可能となる。

 僕だって成長した時はそれなりの腕はあったが、炉心革命以降の零落によって別形式に伸ばしていた上、幼子の身では当時のままとはいかなかった。


 何よりエミリーが凄い。


 この歳の時点でここまで動けたのかと驚いたほどだ。


 既に何度も手合わせして貰い、腕を磨こうとしているけど、あまりにも目まぐるしくて思考が付いていけない。

 僕って本当に弱かったんだなと思い知る。

 属性柄、炉心革命にもある程度適応出来て、平民相手よりは優れていたから、完全にのぼせ上がっていた。


「エミリーは契約型なんだよね」

「はい。接近戦が得意です」


 三基軸とも言われる属性の一つ。


「主の御名の元、我ら貴族は世界と『契約』し、そこから外れた者には『聖罰』を与え、過ぎたる裁きには『恩寵』を、されど『契約』を遵守するべし、です」


 魔術を習う際に教えられる構文だ。


「契約型は恩寵型に強く、恩寵型は聖罰型に強く、聖罰型は契約型に強い。私の属性は特に自己強化に優れていて、戦場では常に前線で戦い、皆の盾になります」


 契約(近接)→恩寵(領域)→聖罰(遠距離)→契約、という具合で三竦みになっている。


 強弱はあくまで目安。

 適正だって、別属性を使い分けることも出来るが、熟達した魔術師に比べるとどれだけいっても三割程度というのが通説だ。


 実際契約型のエミリーは、身体の表面に魔力を纏わせるのは得意でも、聖罰型のような射出、恩寵型のような広域に満たす、といった使い方をすれば極端に出力が落ちる。


「その三大属性からも外れた、時代遅れの免罪型と告解型。僕は相手の足を引っ張るデバフ事に長けた告解型だから、三基軸の力もある程度はマシに使えるけど」


 歴史の中で先鋭化されてきた三基軸と、時代遅れの旧式、といった具合か。


 属性とは、先に述べた通り魔力精製が強く絡んでいる。

 最近持て囃されている血液型と同じで、生まれながらに身体がその属性魔力を精製し続けている為、無理に変えようとすれば負荷が掛かる。

 拒絶反応と言える程じゃない為、左利きを右利きへ矯正するように、幼い頃からならある程度意図的に変化させられるが、成長していく過程で何らかの疾患を抱えることも多いと聞く。


「契約型はいいなぁ。分かり易くて恰好いい」


 自己強化して、後は全力でぶっ叩く。


 歴史上でも英雄譚でも、主役は大抵契約型だ。

 最前線で武器を振り上げ、敵を次々と薙ぎ払う。

 マスケット銃なんてお呼びじゃない。大砲を正面から斬って捨てた話まである程だ。編隊を組んだガトリング砲まで行くと正面からは厳しいけど、機動力が違い過ぎるし、あれは遠距離攻撃を得意とする聖罰型の劣化版だ。


「はい。でも遠距離からの攻撃を得意とする聖罰型には弱いですし、相手の弱体化を得意とするユレインくんの告解型も苦手です」


 三基軸ほど特化されていない分、僕の告解型は七割八割程は各属性を使いこなせるとされている。

 足りない分は上手く相手の足を引っ張ってやれば、確かに正面からだって打ち倒せると言えるんだが、そもそもやり口が格好悪い。

 いや戦場ロマンを語るほど馬鹿じゃないし、僕の気質とも合っているんだが、こうして真っ直ぐに気持ちの良い戦いをするエミリーを見ているとね。


「そういえば、座学は苦手なのにこういうのはしっかり覚えてるんだね」

「え? あ、うん」

「同じくらい興味があると、座学の習得も早くなるのに」

「うぅ……ごめんなさい」


 まあこれからの話だ。


 炉心革命を迎えてしまえば属性なんて関係無しに一吹きだからな。

 僕が学園へ入った頃には界隈じゃ騒がれ始めていたから、五年以内か。


「あ……」

「ごめんね……?」

「いや、その話じゃなくて……あ、ごめんエミリー。ちょっと弄り過ぎた」


 反応が素直だから、つい得意になってしまう。

 支配、嘲弄は気持ちがいい。けどそれだけの関係でいいとは思っていないので、悪癖は正していくべきなんだろう。


「どうしたの?」


「うん。あぁ、大丈夫。なんとなく思っただけ……」


 炉心革命によって魔力精製の質は桁違いに向上した。

 つまり、平民が貴族以上の魔力量を誇るようになったんだ。

 対して元から精製量の多かった貴族は過剰生成・行使によるラストを抱え込むことになり、力関係はあっという間に崩れてしまった。


 質の高い魔術師を効率的に運用するよりも、数の暴力で押し潰すことが戦場の通説となり、たった数年で大陸には革命の嵐が吹き荒れた。


 陽の沈まぬ王国であった我が国の植民地も、あっという間に失われた。


 僕はあの王子率いる軍勢から逃げ回っていた中、父上が引っ張り上げた平民達にも救われたし、感謝だって覚える様になった。

 だから、今の当たり前に踏みつけている状況が良いとは思えないけど、炉心革命によって生じた戦いの悲惨さは身に染みているつもりだ。


 炉心革命アレさえ無ければ。


 考えて、急に身体の芯まで冷たくなった。

 顔が強張っているのが分かる。

 なんだ。

 なんで?

 いや、明らかじゃないか。


 僕は所詮、僕だ。


 感謝を覚えただの、前とは見方が変わっただのと言っているが、僕が根本的にユレイン=ロア=クゥデルローズであることは変わらない。


 地を這い蹲って食事を請うて、我が身可愛さで泣き暮れて、最後の最後で自分の為に笑って死んでいった姉上に報いることなく無駄死にした、あの。


 世界を変えるなんてとんでもない。

 変わるなら勝手に変われ。

 魔術だけがクゥデルローズの強みじゃない。

 そうだ、産業革命へ逸早く乗り込んで成功を収めた我が家なら、貴族社会が崩壊した後でだってやっていける。


 だから無理だ。


 姉上一人でさえ手一杯。

 世界なんて知った事か。


 そうして顔を挙げた先で、その炉心革命の波に呑まれて死んでいった少女が居た。


 エミリー。

 エイムス=ロッドクワンテは、まだまだ小さな手で僕の手を取った。

 一年分、僕よりも大きな手。


「手、冷たくなっちゃったね。お部屋に戻ろう?」


 強張って、上手く表現出来ていなかっただけで、心優しくて真っ直ぐな少女。


「う、うん……」

「ほら、おいで」


 手を繋いで、引かれるままに歩き出す。

 答えなんて出せないままに。

 卑怯者らしく、善意に乗って卑屈さを覆い隠す。


「エミリー……」

「うん?」

「その、ありがとう」


 冬の寒気さが降りた、殺風景な庭の上で、目元を隠した少女がふんわりと笑う。


「うんっ」


 見えていないけど、彼女が嬉しそうにしているのが分かって、僕はほっとした。





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