父と①
「最近、随分と励んでいるそうだな」
食事を終えた夜の談話室で、席を外していた父上が戻ってきて、僕へ話し掛けてきた。
「はい」
椅子から立ち上がって、控えていた者に父上のお茶を用意させる。
姉上と正妻は別室だ。
父上が持ち帰った宝飾品を部屋で品定めでもしているんだろう。
「ほほ、気が回る様になってきたか。もっと無邪気なままで居ても良いかと思っていたが、我が子に振舞われる茶というのも悪くない」
奥から出てくるのは、僕が家族それぞれに合わせて選んだ紅茶だ。
付け合わせの菓子、茶葉選び、使うミルク……今回は違うものだけど、一通りは予め用意させてある。
「お口に合うと良いのですが」
「うむ。では味合わせて貰うとしよう。ん、この香りは……」
父上の紅茶には、お酒を混ぜてある。
配合には苦心した。なにせ幼子となった僕の舌ではうまく判定が出来ず、付き人を何人も使って研究した品だ。
紅茶と共に温めたお酒は酔いが回り易く、就寝前や寒い季節に向いている。
「ほう。中々に良いものだ。これは自分で考えたのか?」
「いえ。ロッドクワンテ家のご令嬢から、ご家族がこういう飲み方をしていると伺ったもので」
「あぁ、あちらはここよりももっと寒い地方だからなあ。なるほど、ロッドクワンテ家の」
エイミーと遠乗りに行ってから、彼女とは手紙のやり取りをする様になった。
元より姉上とも熱心に続けていたことらしい。
口下手な彼女にとって、手紙というのは落ち付いて言葉を選んでいられる、有用な会話手段とも言えるんだろう。
「ベルファリオ家とはどうだ? あちらも、アリーシャと熱心に付き合いを持っているだろう?」
「あ、ええと……」
「良い良い。まあ、どちらにせよ、両家は我が家にとって大切な、身内の様なものだ」
苦手意識をあっさり見抜かれて、カップを煽る父上に苦笑い。
我が子の異性付き合いを肴に呑んでるな、この父。
まあもう一杯だ。
「既に文字も習得したとか。他の勉学にも励んでいる様だし、最近では馬術に武芸、魔術への関心もあると。まだ早いと思っていたが、それに向いた教師を探させているよ」
「あ、ありがとうございますっ」
きっと教師団から打診があったんだろう。
確かに最近、授業以外でもあれこれと質問したり、厩に顔を出しては乗馬について質問していたからな。
「始める理由などなんでも良い。興味を持って、それが良いと思えるのなら、若い時分では良く伸びるものだ」
しかしよく見られているものだ。
この場合は、報告させている、というべきか。
前は意識すらしていなかったし、父上の前では頑張りますと宣言していたが、どちらかと言えば熱心な方では無かった。そういうのも見抜かれていたんだろうな。
自分用の、甘い紅茶に口を付ける。
あぁ、だったら、前の僕は父上を落胆させていたんだろう。
ごめんなさい、父上。
俯いた僕の隣で、彼は新たに淹れさせた紅茶を更に煽る。
「お前が望むのなら、このままロッドクワンテ家との縁談を進めてもいいが、どうするね?」
と、急に下世話な表情を浮かべて父上が言った。
そうだ、この飲み方は酒の周りが早い。さっきから何度もおかわりをしているから、思っている以上に酔ってるぞ。
昔はやんちゃをしていたという父上が、酔うとその側面を晒してくるのは知っていた筈なのに。
「ど、どどどういうことでしょうか」
「そう隠すな隠すな。若い時分から婚約者が居るというのも悪くないぞ? 言った通り、相手としては申し分無い。海軍の時代故、やや軽んじられてはいるがな、未だ戦場の華は陸軍よ。軍属として躾けられた無垢な少女を自分好みに染めていくというのも中々に――――」
子ども相手に何言い出してるんだこの父上は!?
酔い覚ましっ、酔い覚ましを持て!
そう、レモンを二つくらいたっぷり絞った紅茶をぶち込もう。
「んんん゛ん゛ん゛!? っあ゛ー、効くなあ」
覚まさせた筈なのに、父上は襟元を緩め、こちらに腕を回してくる。
「ここは楽しいか? 寂しくは、ないか? すまんなあ、実の母親と離れ離れにさせてしまって。だが、あれを責めんでやって欲しい。いろんな不幸が重なって、子を成せなくなって……婿養子という手もあったがな、貴族というのはもしもに備えずにはおれんのだ」
僕の実母は、ここマリーローズから遠く離れた地で療養と称して遠ざけられている。
正妻の意向だ。
跡継ぎ候補としての僕は受け入れたが、女として、妬心は抑えられないということだろうか。
なにせあの姉上の母だ。
昔は恨みもした。
けれど、今は少し慮ることが出来る。
僕らを助け、この地で炎と共に果てた、立派な人であったと。
「そういえばな、ユレイン。前にアリーシャとベリアルド王子の婚約について聞いてきただろう?」
唐突に漏れ出た話を受けて、僕は慌てて人払いをする。
国政にも関わる事、無防備に知られて良いものじゃない。父上なら危ない人員は遠ざけていそうだが、今は酔っているので万一に備えるべきだろう。
「あれは二人が生まれる前からあった話だ。まあ、陛下とは従軍中にも親しくさせて頂いたが、茶飲み話程度のものでな。確かに娘が生まれ、あちらは男子、結ぶのもやぶさかではないんだが、肝心なのは次代の核となるべき者の選出よ」
「それではやはりベリアルド王子が……」
あの、王子率いる軍勢の快進撃には恐怖が身に染みていると言っていい。
圧倒的な強さ、勢いを操る技能、僕らを見据えていた冷たい目。思い出すだけで震えがくる。あれは確かに王者の器だ。
気に入らないが、心底嫌いで堪らない、近寄りたくも無い相手ではあるが。
「うん? あぁ、まあお披露目にはまだ早いが、まあいいだろう。俺は正直、あの王子には期待しておらん」
「は……?」
思わぬ言葉に寒気すら覚えた。
人払いをしていてよかった。
まだ序列も定まっていないとはいえ、後継者候補に今の発言は拙い。
「先日も王都で会議へ出席した折、お顔を見に行ったものだが、どうも甘やかされ過ぎていて地に足がついておらん。まだ子どもとはいえ、臣下共々油断のし過ぎだ。陛下にも後数人は産んで危機感を覚えさせる様言ったのだが、長年不妊が続いた上でのお子とあって、可愛いのだろう」
カップが空になったが、次は用意させない。
流石に飲み過ぎだ。
勿体ないけど、今日はお休みになって頂いた方が良いだろう。
「その点お前は優秀だ。はははっ、勉強にも武芸にも興味が出たかぁ。無理強いした所で本当の優秀さは身に付かんからな、良いぞ、良いぞお」
駄目だ、酔って子煩悩になっているらしい。
褒められるのは嬉しいが、正直幼児向けの勉学なんて出来て当然。一度は学園通いまでしているんだからな。
この父上は早くベッドへ放り込もう。
「先だってアーケード街での騒動も己の目的に合わせて上手く纏めておる。白い血の民について思う所があるのなら、それも好きにやってみるといい。マリーローズではクゥデルローズ家こそが法律だ。他の誰のものでもない、自分の考えをこんな幼い頃から持てたというのは、まさしく王者の風格よお」
本当に……この父上は。
どこまで見抜かれているのか分かったものじゃない。
挙句王者の風格だなんて。
それは流石に、止めて欲しい。
僕は惨めに地べたを這い蹲って、下劣な人間に食事をくれと縋ったどうしようもないクズなんだ。
「……そういえば、この時期に戻ってきているのも珍しいですね。会議の多い頃合いでしょう。大丈夫なんですか」
「なぁに、王子の教育方針で熱くなり過ぎてな。ははっ、頭を冷やせと放り出されてしまったわ」
「な!? …………ぁ、ぁぁあああ!?」
ああもう何もかも知るか!
父上には休息が必要なんだ。
新しいものが大好きで、異国のものに大喜びして、豪放かつ大胆で。たしかに王都で色んなものに縛られているより、本拠地であるマリーローズで好き放題やっている方がいいんだろう。
「明日は汽車に乗って街中を巡るぞお? 寝台列車というのを考えたんだ。寝床あり、食事処あり、壁の防音を高めて楽団を配すれば演奏会も出来よう。列車の中で生活出来るくらいとびきり豪華なものを作り、いつか国中を走らせるんだ。面白そうだろう? 三階建てという案もあるからなあ!」
「それは実に興味深いんですが、あの、もうちょっとしっかり立って下さい、父上」
「酔った後の介抱を息子にして貰うというのも悪くないのお」
「だからしっかり!」
言いつつ、寄ってきた者達を遠ざけた。
今の父上は何を言い出すか分からないし、介抱して欲しいって言うからな。
まあ、七つの僕じゃあ支えるというより、一緒に歩いているだけなんだが。
どうにか父上を寝所へ運び込んで、僕もすぐに眠った。
発言内容について色々と精査したい面もあったが、どうせ明日も平和な日が続くのだからと、緩んだ心持ちのまま。
※ ※ ※
そうして数日後、マリーローズへ凶報が届けられる。
第一報は『ベリアルド王子、毒に倒れる』だった。
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