マリーローズ③

 過去へ戻ってきてから数日が経過した。

 僕はどうにかこの国の現状や、クゥデルローズ家の方針、主に婚姻候補などを父や正妻から聞き出そうとしたものの、相手が七歳そこらの子どもとあってか殆どはぐらかされてしまっていた。

 挙句訝しんだ父が僕の教育係周辺を洗い出す始末。

 数名入れ替わりがあったものの、あの破滅へ繋がる日々で関係の続いていた人物らは残ってくれていたので、そこは素直に安心した。


「ユーレインっ」


 小さい姉上が僕の部屋へ駆け込んでくる。

 さらさらの赤い髪を揺らしながら、満面の笑みを湛えていた。

 随分とご機嫌だ。

 教育係がはしたないですよと嗜めるが、立場上言い置いた程度。僕を見て一礼し、そのまま中へは入らず去って行った。


 時頃も昼を過ぎ、今日の授業は終了か。

 一つ年上な分、姉上の方が授業時間が長い。


「ねえユレインっ、今日は何をする? 子ども部屋に行けばお父様の持ち帰った玩具が沢山あるけど、私お外へ行きたいわっ。ユレインの大好きな汽車を見に行く? あぁ、でも今はお母様が本邸にいらっしゃるから、見咎められてしまうわね」


 逸る姉上の手を取り、僕は言う。


「どこへなりとも。姉上の行く場所が、僕の行きたい場所ですので」


 途端、姉上が更ににんまりと笑みを濃くした。

 興奮からか頬がやや染まってきている。


「そうね! それじゃあ今日は街へ降りてお散歩よ! 実はね、ユレイン。庶民というのは流行を求めて親しい人と街中を散策する、デートというのを休日の愉しみにしているらしいのっ。私とデートしましょう、ユレイン!」


「はい、姉上。ただ、今から街中へ降りるなら馬車の用意が必要ですし、移動にも時間が掛かりますよ? 散策できる時間は短くなりますが」


 汽車を使えればいいんだけど、蒸気機関を嫌う正妻が姉上にはそれらの使用を禁止している。貴族らしくない、はしたないと、批判的なんだ。


「いいのよっ。私達はまだデート一回目だもの、お試しと思って歩いてみましょう?」


「そういうことであれば、喜んで」


 かつての記憶を思い出す。

 以前の僕は、姉上には絶対服従、全てを肯定し、賛美することを生存術としていた。正妻の娘である姉上の方が扱いは上で、この頃は嫡子としての立場すら無かったから、余計に。


 今は違う。

 僕には自分の意思があり、嫌な事は嫌と言う。

 だから、その、これは姉上の情操教育の一環というか、いたずらに敵を増やしたり、恋敵を貶めたりしない様にという、破滅回避へ向けたものであって、


「どうしたの、ユレイン? もしかして、お部屋に居たいの?」

「そんなことはありません、姉上。さあ参りましょう」

「っ、うん! さあ、私をエスコートしてね?」

「はい」


 なんというか、拒否できない。

 昔の様な焦りや打算とは違って、姉上が楽しそうにしていると嬉しくなるし、悲しそうにしていると苦しくなる。


 僕を救ってくれた姉上。

 死の先で笑って迎えてくれた姉上。

 恩返しみたいなものだ、多分。


    ※   ※   ※


 馬車を降りる頃には三時を回っていた。

 懐中時計を仕舞い、周囲へ目を向ける。

 背の高い建物の多い地域だ。昔ならば宮殿、王城にしか見られなかっただろう凝った造りの建物が所狭しと並んでいる。

 今は奥まった所へ来ているが、表通りへ行けば歩道があり、車道が整備されている。

 伝統的なランタンによる街灯こそ残っているが、マリーローズでも最たる文化的で洗練された地域だ。


「随分と人が多いな。そういえば今日は安息日の前日か」


 夕暮れまでには戻らなければいけないので、ここで遊んでいられるのは一時間も無い。

 話していた通り、あくまでお試しのようなものだ。


「ユレイン、ユーレイン」

「おっと、失礼しました」


 つい視線が釣られて、姉上のエスコートを忘れていた。

 馬車の出入り口で待つ彼女の手を取り、支えてやる。

「ふふぅんっ」

 満足げな表情にこちらも笑い、改めて周囲を見る。


「ここが庶民の来るアーケード街という所ねっ。こんな狭い場所に幾つもお店を詰め込んでいるなんて、おもちゃ箱みたいで面白いわ!」


 アーケード街というのは、雑多な店が立ち並ぶ街道に屋根を取り付けた場所だ。

 通りそのものが一つの建造物として造られており、それぞれの店の商品をショーウインドウ越しに眺めることが出来る。

 二階部分や屋根のアーチなども凝っていて、いっそお店の博物館とでも言えそうな様相だった。


 因みにここは庶民の来るアーケード街ではない。

 床は大理石、姉上の髪と同じ深紅カーペットが敷かれ、出入り口には警備が立っている。

 まあ流石にゴミの散らばる裏路地じみたアーケード街になんて連れていけないからな。


「ここには歴史が深く、王室や我が家のような七大貴族にも品を持ってくる、由緒正しき店ばかりだそうです。きっと姉上に相応しい品もあるでしょう」

「そうなの? ユレインは詳しいのねっ」


 それは処刑前、姉上の無茶振りを受けてあちこち脚を伸ばすようになったからだ。

 あまり動き回るのが好きでは無かった僕も、おかげで街中を歩くのには慣れている。

 姉上の手を取り、僕らはアーケード街へ踏み入っていった。

 一歩進むごとに新しいものが見える、そんな状況で話が弾まない筈もなく。


「姉上、こちらは香水を販売している様です。既存の商品とは別に、その場で調合もしてくれるのだとか」

「あら本当に。あっ、こっちは時計が一杯よ! ユレインはこういうの好きだったわよね?」

「そうですね、ちょうど職人が組み上げている所のようですが……見ているだけで時間が終わりそうなので、また今度にしましょうか」

「これは何を売る店なのかしら。象、よね? 変な形のよく分からないものもあるわ」

「それはきっと海外から渡って来たものでしょう。我が国の植民地は世界中に及んでいますから、こういう珍品を扱う店も増えていると聞きます」

「見てユレイン、車輪よ。車輪が売ってるわ。どうして車輪しか売ってないのかしら? ここに車輪を購入しに来る人がいるの?」

「職人気質な店主なのでしょう。あんまり覗いていると怒鳴りつけてくる場合もありますよ」

「まあ怖い。でも優れた職人は国の宝よね、そっとしておきましょう」


 二人で感想を言い合いながら通りを進んでいると、屋根を叩く雨音が聞こえてきた。

 王都ほどではないけれど、マリーローズも雨の多い地域だ。

 ほんの数分で止むだろう。

 ただ、つい立ち止まった所にベンチがあったので、ハンカチを広げて姉上を休ませてあげることにした。


「そういうの、どこで覚えてくるのかしら。演劇?」

「はは、姉上も演劇はお好きでしたよね」


 むしろ、どっぷりハマり込んでいた時期があるのを知っている。

 の最先端は『タイムマシン』を軸とした時間旅行モノだが、演劇の盛り上がりと同時に往年のロマンス系も人気が再燃している。

 正妻と二人、休みの度に観劇へ出掛けては父と共に感想を聞かされていたものだ。


 そこでふと思い出した。


「どうしたの?」

「いえ」


 姉上の髪だ。

 あのように嘆かわしい巻き髪になってしまったのは、まさしくロマンス劇の影響だった。

 昔は流行ったらしい。

 ちょうど母上達の年代では未だに続けている者も居るくらいで、身分のある女性といえば、みたいな扱いで何かと女優が髪を巻いていたのだ。

 毛根から性根が捩じれ曲がっていく、なんて笑い話かもしれないが、今の方がこう、素直そうで良くはないだろうか。


「次の休日は、改めてアーケード巡りをしませんか?」

「あら、姉様にべったりじゃ駄目よ、ユレイン。次の休みはお母様と一緒に観劇の予定なんだもの。お父様もユレインも、いつも一緒に来ないでしょう?」

「駄目です」

「え?」

「僕と一緒に居て下さい」

「……え?」

「百歩譲って、観劇は止めにしませんか。その……別に楽しんで頂けるよう、頑張りますので。義母おかあさまもご一緒で構いませんが……」


 ややも強引に引き留める僕に、姉上がぼうっとこちらを見てくる。


 それから、うーん、と唸った後、なぜか髪を払って怪しげな目をして見せた。

 なんだそれ、と思う間もなく脚を組み、またヘタクソな笑みを浮かべる。はしたないですよ姉上。


「なんなんですか」

「困った子ねぇ。いつまで経っても姉様離れの出来ない子なんだから。ううん、これも『罪』作りな私のせい。ユレインを『惑わせて』しまっているのね。でも今くらいは『夢』を見させてあげましょう。いずれ『儚く』散り行くものだとしても、それが女として生まれてしまった私に出来る『贖罪』なのだから」

「どこで覚えてきたんですかそんな言葉」


 まあ多分演劇だろう。演劇め。


 にわかに面倒くさい度を上げてくる姉上に、僕もうっかり忘れていたことを知る。

 そういえばコレ、姉上だった。

 色々と恩義はあるし、前ほど嫌ってはいないけど、基本は姉上だった。


 私は罪な女ね劇場を繰り広げる姉上へ息を落とし、いつの間にか雨音がしないことに気付いた時だ。


 一際強い金属音が鳴り響き、付き人を含めてその場全員の視線がアーケードの出入り口へ向いた。


 物陰から飛び出してくる小さな人影。

 それが、ベンチへ腰掛ける姉上のポーチを掴んで引っぺがした。


「泥棒だ!」


 咄嗟に叫んでから、逃げる相手の被っていた布が外れて息を呑む。

 白よりも更に白き肌ホワイトブラッドに銀色の髪、それだけに薄汚れた様相がはっきりと見て取れた。

 浮浪者であるのは明らかで、先の陽動も含めて金持ち狙いの引ったくりであるのは想像に難くない。


「あっ、私の!?」


 最初はぶつかられただけと思ったのだろう、姉上が声をあげると付き人が遅れて被害の元が自分の護衛対象であることに気付いた。

 王族御用達の店舗があるアーケードに引ったくりが入り込んでいること自体問題だが、更に問題は膨れ上がる。


 追うか、ここを守るか。


 付き人は一人だけ。

 他は馬車で待機させてある。

 狭いアーケードに何人もの付き人は邪魔だからだ。

 だから追えば僕らだけで残す事になる。彼らの様な者達が入り込んでいる時点で、次が無いとも言えない。ならば残って、護衛を優先すべきではあるのだが。


「追いかけるわよ! 許さないんだから!」


 真っ先に姉上が飛び出した。

 困ったように僕を見る付き人。

 分かったよ、分かったよ!

 すぐさま僕も追いかけて、脚の違いで付き人が姉上に先行する。


 下手人は呆気無く出入り口の警備に捕まっていた。


「返して!!」


 怒る姉上が取り押さえられた相手の手からポーチを奪い取り、大切そうに抱え込む。

「このっ、クソガキが!」

 捕まえていた警備よりも、奪われた姉上よりも、付き人が真っ先に激昂して掴み上げた。

「卑民風情がこんなことっ! よくも恥を掻かせてくれたな!」

 相手は子どもだった。

 けれど容赦しない。

 身分の低い者が、身分の高い者に手を出すのは禁忌だ。

 例えどれほど理不尽であろうと一方的に簒奪する権利が貴族にはある。

 姉上も、僕だって、ずっとそれが当然と思っていた。


 だけど。


 火に包まれた町並みを見る。

 王子に追い立てられ、焼き払われたマリーローズ。

 そこで手を取り合った青年を、僕は覚えている。


「待て」


 姉上が僕を見ている。

 そうだ。

 これはあくまで情操教育、その一環だ。

 僕はあのクソ王子みたいな恩知らずじゃない。借りの前返しというか、僕にとっては過去であり、だからこそあの場へ辿り着けたのだと思えばこそ、無視は出来ない。


「姉上、お怪我はありませんか?」

「ええ、うん……」

「よかった」


 急に声を張った僕に驚いているんだろう。

 僕だって驚きだ。

 さっきの『待て』は、衝動的なものだった。


 付き人も見ている。

 彼も貴族の端くれだが、七大貴族であるクゥデルローズには遥かに及ばない。例え僕が小僧に過ぎないとしても、その言葉を遮ることは出来ない。


 それだけじゃない、周囲の者達だって僕を見ている。

 王侯貴族やそれに連なる者が敢えて脚を運ぶ、最高級のアーケード街。

 卑民とされる者が入り込んでいることが既に大問題だ。


 いやそんなことはどうでも……良くは無いが、今気にするべき問題じゃない。


 一番は、彼だ。

 彼もまた僕を見ていた。

 成程、幼少期は死に物狂いだったと聞いていたけど、ここまでだったなんて。

 それに聡い。この場の決定権を持ったのが僕であると気付いて、探ろうとしている。僕だって学生の時分はあらゆる権謀術数に身を置いていたんだ、流石に読み取るのは訳が無い。

 あるいはそのまま学生気分であったなら、こういう場で緊張の一つもしたんだろうけど。


「姉上がご無事でなりよりでした。品も取り戻せた。しかし、どうして彼のような者がこんな場所へ入り込んだのでしょうか?」


 話運びを間違えるな。

 大丈夫、余裕はある。

 故郷が燃え、何もかもを失い、迫る軍勢を蹴っ飛ばして逃げることに比べれば、こんな程度は訳が無いだろう?

 それでも死を前に、飢餓を前に誇りを失った僕だけど。


「ふむ。確かにそうですね。警備は一体何をやっていたのか」


 真っ先に乗ってくるのは付き人だ。

 彼は自分の失態を誰に擦り付けるかで焦っている。

 話を向けられた警備も表情を硬くしているが、侵入は事実なのでこの先の事はここの責任者次第だ。

 ただし、今向ける先はそっちじゃない。

 だって警備の責任を追及した後は、下手人の始末へ話題が戻ってしまう。


「そういえば、捕まえてくれたのは貴方でしたね。よくやってくれました、感謝します」

 まずは功績を褒める。

「あぁ、いえ……ありがとうございます」


「しかし困りました。折角、姉上との初めてのデートだったのに、こうなってしまったのはエスコートをする僕の責任ですよね……」


 生真面目そうな警備、打算を始める付き人、面白げな観衆と、静かに動静を見守っている少年。

 姉上が、真っ新まっさらな瞳で僕を見詰めている。


「ええと、どうにかこの事は内緒にして貰えませんか? クゥデルローズ家の長男として、このような失態があったと知られたくはありませんので」


 失態を演じた二人へ、自らこそが責を負うべきと主張し、その隠蔽を願う。

 稚拙で良い。子どもらしいじゃないか。

 なにより都合のいい話だ。

 そしてこれ以上の余計な問答は要らない。

 身分の高低こそが全て、高い者が白と言えば黒いものも白くなる世界なら、それが都合の良いものであるのなら、これで十分。

 僕は姉上へ向き合った。


「姉上には後程このお詫びを致します。それでどうか許してくれませんか?」

「うん……………………そうねっ、許してあげる。ユレインのお詫びが楽しみだわっ」


 そうして少年を見る。


「そういえば困りましたね。ここでの騒動が無かった事にして貰えるのなら、その少年の罪状も無いものとなりますよね? 適当に、その辺へ離してあげて下さい」

「いえユレイン様、それでは」

「彼に償いを求めるのなら、ここであったことをつまびらかにしなければいけません。それでは僕が困ります」

「そう……ですね。それは困りますね。いいでしょう。おいお前、二度と入り込むんじゃないぞ」


 やや乱暴ではあったが、解放された少年はふら付きながらも一度しっかりと立って僕を見た。

 白い血の民ホワイトブラッドとも呼ばれる、我が国の各所で虐げられ、国民としてすら受け入れられていない者。

 けれど彼らが極めて高潔な精神を持っていることを僕は知っている。

 受けた恩は命果ててでも返す。

 ならば、もうここへ潜り込むこともないだろう。


 煌びやかなアーケード街に背を向けて、雨上がりのマリーローズへと、銀髪の少年は駆けていった。





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