マリーローズ②
二度目の衝撃はゆっくりとやってきた。
処刑場で見た姉上の笑顔、直前の会話、僕の暴言、それらを咀嚼し味わうような、強い衝撃だった。
……そうだ、まず言わなくちゃいけないことがある。
自分でも整理し切れてはいないけど、あれが、あの時の感情をどう言い表せればいいのかも分からないけど、なによりも最初に僕は姉上に、
「将来の私はねぇ、誰からも愛される絶世の美女になってー、それでねっ、この前見た演劇みたいに外国の騎士と恋に落ちて駆け落ちするのよっ。本当は自国の王族と婚約をしているのに、私は真実の愛を知るの」
「………………は?」
「やっぱり身分差の恋って憧れるじゃない? お父様とお母様みたいな関係も悪くはないけどぉ、私は恋愛をして結婚したいなって思うわ」
急激に頭の中が冷えていくのを感じた。
そうだ。
子どもの頃、時間遡行を題材とした歌劇や出版物が異様に流行していた。
非業の死を遂げた英雄が過去に戻ってやり直す。
家族を殺された科学者が過去へ戻れる装置を作り出した。
あるいは未来へ行って、遥かに発展した世界を旅する物語。
キッカケはある作家が『タイムマシン』なんていう本を出したことだったか。
だから、今のこの言動を考えれば姉上の発言がどういう意味だったか分かる。
彼女は僕の発言を冗談と捉え、冗談で返しただけ。
「ふふふ。未来からやってきた姉様が特別にユレインの将来について教えてあげてもいいわよ。貴方はね」
「ううん……ごめんなさい、姉上。なんだか凄く疲れたみたいで、少し眠ってもいいかな」
僕の将来は、姉上と一緒に牢屋へ入れられ、同じ断頭台で首を落とされるんだよ。
なんて言える訳もなく、僕は出来る限りの冷静さで以って姉上を部屋から追い出した。
※ ※ ※
言い訳出来る程度の時間を自室で過ごし、僕は外へ出ることにした。
縮んだ身体と未来の記憶。
それと同じだけあやふやな、この時点での僕の記憶。
子どもの頃というのは実に感覚的な生き方をしていたのだと知る。
思考しているつもりで、感覚に殆どが支配されている。記憶はあまりアテにならなかったが、当時の人間関係を思い出すくらいは出来た。最初はズレを感じていた身体にすぐ慣れて、それと同時に成長していた頃の感覚が霞んでいく。
拙いとは思わなかった。
破滅する未来を忘れるものかとタカを括っていたんじゃない。
そこに付随する、あの姉上の笑顔を覚えている。
きっとアレは僕の魂に刻まれた光景だ。
無理に繋ぎ止めようとすれば幼少期の脆い心の方が引き千切れてしまいそうだったのもある。
俺達は破滅する。
一方で原因もはっきりしている。
姉上と王子を婚約させてしまったこと。
時間遡行モノは僕も幾つか観劇して知っている。問題解決に向けた主人公らの思考を辿る程度は訳が無い。時間遡行そのものの原因が不明というのは少々気持ち悪いのだが、究明は後ほどでいいだろう。
どちらにせよあの時点で終わっていた身だ。
我ながら異様に楽観的だ。
思い、昔はこんなだったのかと思い至る。
肉体と当時の記憶が交じり合い、馴染んできた結果だろうか。
「身体つきから察するに、今の僕は七つや八つそこら。王立学園への入学は十二からで、その三年後、一般開放されたことで彼女が……」
頭に浮かびかけた顔をどうにか追い出して思考を続ける。
「早ければ五年以内に入学か。姉上と王子の正式な婚約が発表されたのは入学から一年後……くらいだったか」
当時自分には無関係、精々が付き合いで王族へ顔を合わせることも増えるかとか、姉上の面倒を押し付けられる相手が出来たくらいにしか考えていなかったからな。正確な時間は覚えていない。が、王国の次代を思いつきで決める様な馬鹿は居ないので、水面下でのことを思えばもっと前からあった話と考えるべきか。
「この辺りは父上に探りを入れるしかないな。この頃の父上は……」
改めて、自分の周囲への無関心さを思い知る。
自分の父親が何をしていたかも把握していないとは。
「いや……確か」
直接の行動は分からない。
が、携わっていたことははっきりと分かる。
なにせ非常に大きな変化だったのだ。
この時点でどれほど経過していたのかは不明だが、学園へ入学する頃には、ある言葉が各所で囁かれるようになった。
僕は邸宅の通路を進み、一際開けた庭園を目指した。
一瞬だけ、火で焼かれた景色を思い出しもしたが、首を振って前へ進む。
開けた景色の向こう、丘から突き出すようにして造られた空中庭園――――その眼下からけたたましい音がやってきていた。
「……あった。そうだ。この頃にはもうあった。新しいもの好きな父上が誘致して、専用の駅まで作らせて」
黒煙を吐き出して線路を走る、蒸気機関車。
正妻が煤煙を嫌った為に屋敷へ横付けする計画は達成されなかったが、狩猟用の森を一部削ってまで通した線路の上を、三両からなる列車が疾走してくる。
あの、煩くもどこか心地良い汽笛を鳴らしているのは、あぁ……父上だ。
煤で汚れるから客車に居ろと言われてるのに、何度言っても止めなかった、豪放で優しい、父上。
その父上が空中庭園から覗く僕に気付いたらしく、大きく手を振ってくるのが見えた。
つい笑ってしまい、振り返す。
「父上」
お久しぶりです。
最後まで僕らを守ろうとしてくれた、なのに僕は命惜しさに背を向けて、同じ方向を向いて死ぬことも出来なかった親不幸者ですが、恥ずかしながら地獄より舞い戻ってきました。
父上を駅で降ろして、列車はまた黒煙を上げて麓へ走っていく。
そのずっと先に立ち並ぶ港湾都市こそ、僕らクゥデルローズ家が持つ本拠地マリーローズだ。
かつては薔薇の咲き誇る都と称されたが、今やその規模は半分以下に縮小され、代わりに黒煙を上げる工場が出来ている。
行き交う船も同様に巨大で、腹の中では大量の石炭を燃やし、湯を沸かして黒煙を吐き出し自走する。
人類が自然の命じるままに動いていた時代は終わったのだ。
我が国の支配は世界全土へ広がり、常にどこかの領地か植民地で陽を浴びていることから、陽の沈まぬ王国との呼び声もあった。
数代前から始まっていたという農村での農業革命。
やがて来る貴族の魔術的優位性を崩すことにもなった、炉心革命。
それらを加えて三大革命と称されることも多いが、この最も華々しくも力強いたった一つを、僕は父上の豪放さに重ねて好んでいたのを覚えている。
跳び
蒸気機関の開発。
他にも数々の効率化。
間違い無く歴史に名を残すだろうそれを人々は――――産業革命と呼んだ。
※ ※ ※
空中庭園から門までは時間が掛かる。
だからか、僕はそこへ辿り着いた時にはもう姉上と正妻が父上を出迎えていた。
少しだけ足を止めてその景色を目に焼き付ける。
失ったように思えていた幸福。
原因は分からない。
だけど、守らなくちゃいけない。
姉上だけじゃない。
命懸けで僕らの逃げる道を作ってくれた父上と、正妻と、他にも多くの戦友達。
あんなにも素晴らしかった人達が不幸になんてなるべきじゃない。
「あっ、ユレイン! お父様が帰ってきたのよっ!」
「おおユレイン! 見ていたか!? 帰りの汽車は俺が運転してきたんだぞお!」
「アナタ……やっぱり約束は守って下さらなかったのですね」
「あ!?」
「あ、じゃありません。誤魔化す為に着替えまで用意して……後で話をしましょう。貴方には貴族としての振る舞いをもう一度最初から」
「ユーレイーン? こっちおいでよお!」
ここに居ない人もいる。
だけど、姉上が手を伸ばしてくれている。
「えぇ。今行きます」
この幸せを守り抜きたい。
決意を胸に、僕はようやく一歩を踏み出した。
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