牢獄にて③


 姉上の首が落ちた。


 大歓声を受けて処刑台へ登り、執行人の長々とした口上の後に、まるで祭りの開始を告げる角笛みたいにギロチンが落とされ、呆気無く彼女は死んだ。

 あんなにも大きな存在だった姉上が、あんなにも呆気無く死んだことに理解が追いついていない。

 まるで喜劇を見ているような気分だ。


 処刑台を高台から見下ろす城郭に王子とイアリスの姿がある。

 他にも、僕らを苦しめてきた者達が、感情の見えない目でこちらを見下ろしていた。


 あの姉上が死んだんだぞ?


 何も無いのか?


 これから僕も死ぬんだぞ?


 死んでも、同じように淡々と見据えている気か?


「………………は」


 漏れた笑い声ともつかない呻きに、左右を固める男達が矛先で背中を叩いてくる。

 お前の番だ、ということだ。

 もたもたしていると先端で背中を軽く刺し、酷いと蹴り付けてくる。

 弩を構える者が後方からしっかり見張ってくる中、僕は追い立てられるようにして歩みだした。


 処刑場までの道は短い。

 道の両側には亡者の群れにも似た人だかりがあり、投げつける言葉があまりにも醜くて上手く理解出来なかった。

 何を言っているんだろう。

 何を求めてここに居るんだろう。

 意味の分からない人の群れ。

 腐った肉に群がっていた蛆虫を見たような気持ちで間を抜けていく。


 今から僕は、死ぬんだ。


    ※   ※   ※


 絶望を加速させるだけだったようなベリアルド王子と、イアリスの訪問から、僕らは決定的に壊れてしまったのだと思った。


 ずっと抱えていた姉上への不満を爆発させたのに、まるで気分は良くならなかった。

 自分を支えていた何もかもを失って、やがて無気力に壁を見詰めるだけになった僕。

 姉上は何度も何度もパズルを組み立て、分解してを繰り返していた。

 時折聞こえてくるため息は看守のものか。

 どうして殺される僕らより、お前の方がしんどそうにしているんだか。


 食事にも手を付けないまま呆然とし、長い夜がそろそろ明けそうかという頃になって、姉上が唐突に口を開いた。


「人を愛するのには、許しが必要なのね」


 あまりにも場違いで、あまりにも変わらない愚かな呟きに、思わず目を向けた。


「理由が分かったわ。このパズル、部品が最初から足りていないのよ」


 彼女は寝台の上に部品を一つ一つ並べ、吟味するように眺めていた。

 薄っすらと掛かった月明かり。

 そういえば、看守が篝火を焚くのを忘れている。

 最後の最後で脱走を企てていたらどうするんだか。

 灯かりが無いと暗がりで悪巧みだって出来そうじゃないか。

 いや、そもそも僕の牢は鍵が掛かっていないんだった。

 鉄格子を殴りつけて折れた手を治療した後、看守が鍵を忘れて出て行ったままなんだ。

 どうせ牢屋自体の扉は別に管理されているし、今更逃げ出す気にもならなかったが。


 僕の思考なんて無視して、姉上は独り言を続ける。


「一番最初の、取っ掛かりになる部品が無いから、最後の最後ですべてを固定出来ずにバラけてしまうのよ。途中だって無理矢理合わせたまま組み進めなければいけないし、本当に一度完成させたのかって疑問に思ってたのよね。あーすっきりした。最初の部品がどこにあるのか知らないけど、コレはもう完成しないわね」


 そんな下らない事が最後になって分かったところで何になる。


 あぁでも、鬱陶しい音をもう聞かなくて良いのであれば清々する。

 最後の夜くらい、もう少し静かに過ごしたいものだ。


 なのに彼女はまだ言葉を続ける。


 もう興味を無くしたのか、パズルの部品が飛び散るのも構わず寝台の上を払い、座って小窓の外を眺めつつ。


「許されないのかも知れないけど、ユレイン――――私はちゃんと、貴方より先に死んであげるわ」


 月明かりの中で呟き、そして笑った。


    ※   ※   ※


 今日までにこの国へ降り積もった恨みや怒りを凝縮したような曇り空の元、僕は処刑台を登っていく。

 首の落ちた姉上の身体が蹴り避けられ、麻袋を被った二人組が腕と脚を持って端まで持っていって、群集へ投げ与えた。

 落下してきた身体に連中は最初悲鳴をあげたが、すぐに虫の鳴き声にも似た酷い笑い声をあげて群がり、見えなくなった。

 アレがなんなのか理解出来ない。

 一体どうして、ただの死体にあんなにも喜んでいるんだ。


 最後の階段を上がった所でつい立ち止まった僕を、男が槍で突いてくる。

 殺すほどではないが、差し込まれた痛みから逃げるように前へ出て、脚がもつれて倒れるとまた周囲から笑い声があがった。


 なんとか立ち上がって、けれどその先に引き上げられていくギロチンの刃が、それを落とす固定台が血に濡れているのを見て動けなくなる。


 嫌だ。


 あれは嫌だ。


 せめて、せめて血を拭ってくれ。


 ギロチンそのものよりも、首の落とされた姉上の死体よりも、付着している真っ赤な血が何よりも怖ろしかった。


 曇天のせいで周囲は暗く、だからこそ赤は目を焼くほどに鮮烈だ。


「ほら立て!!」


 別の者が四人がかりで僕を抱え上げる。


「いやだあ!! やめろ! 離せェ!!」


 固定台へ首を押し付けられた時、ぬちゃり、と姉上の血に濡れて寒気がした。

 顔を背けて見ないようにしているのに、男達が無理矢理僕を押さえつけ、上の通し板をハメて首を固定した。


「っ、ぁ…………ぁあ!!」


 目の前に桶がある。


 僕の首が落ちる場所だ。


 そして、僕より先に落ちた者がそこにいる。


「あああ――――ああっ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 姉上が、居た。


 あんなにも怖ろしく、牢へ入って尚も貴族であり続けた、狂人のような女が首だけとなってそこにいる。


「っっっくそおお!! くそったれ!! 呪われろ!! 呪われろォ……!! こんな国ッ!! 滅んでしまええええ!!!」


 泣き叫ぶ僕の声を聞いて、一瞬静かになった刑場はすぐさま笑いに包まれた。


 姉上はあっさりと死んでしまった。

 何も言わず、脅えもせず、淡々と刑場を進んで首を落とされたから、僕らの死を見たくて集まったこのおぞましい民衆とやらには不満があったんだろう。


 この国が抱える不満や悪を全て背負わされて死ぬ者が、そんな綺麗に終わることなんて許されないと。


 だから連中は大喜びだ。


 みっともなく恨み声をあげて、泣き叫んで無様を晒す貴族という生き物が見られて満足なんだろう。

 まさしく見世物小屋だ。

 これを見せびらかしている連中は、いずれ自分達も同じ場所に立たされるということに気付いていない。


 笑いたければ笑え。


 どうでもいい。


 ただ僕は、この死を前に、彼女の死に、声を上げずにはいられなかった。


「ふざけるなァ……!! お前ら全員呪ってやる!! お前らが殺したのが何者なのか思い知れ!! 僕達はクゥデルローズ! この国の悪を啜ってきた蛇の家系だ!! 首を落としたくらいで殺せると思うなよおおおおおおおお!!!!」


    ※   ※   ※


 私はちゃんと、貴方より先に死んであげるわ。


 そう言った姉上は、とても自然に笑っていた。

 いつもなら目を吊り上げ他者を見下して嘲笑う。そんな笑みばかり見せていた女が、人並みの笑みを見せるなんて思わなかったから、僕もついつい彼女を見詰めてしまった。


「だから安心なさい」


 続く言葉には首を傾げたくなった。


 何を安心すればいいというのか。

 恨み辛みをぶつけて、ただ死に様を見てやると嗤った僕へ、一体何を言っているんだこの女は。


「死ぬのが怖いんでしょう?」


 当たり前だ。

 死はどこまでいっても怖い。


「だけどね、いえ……そうね、私と貴方は同じ所へ落ちると思うわ。貴方、ふふ、ユレインは私に巻き込まれて、何度も悪事を働いてしまったから。私の方が罪は重いんでしょうけど、この国とこの国の教会は私達を罪人として裁くんだから、仕方無いじゃない。だから、私と貴方は同じ所へ辿り着く」


 聞いているだけでうんざりしてくる。


 死は終わりである筈なのに、死んだ先でまで姉上に囚われたままなのか。


「だから私が少し先に行って、貴方が怖がらなくていい様に均しておいてあげる」


 何を。


「姉様の怖ろしさは貴方が一番理解しているでしょう? 地獄の悪魔風情にこの私が躾けられると本気で思うのかしら。だとしたら教育が足りなかったようね」


 最初の部品ピースが抜け落ちたまま、完成する筈もなかったパズルを延々と繰り返した女は、月を眺めながら満足げに唄う。


 繰り返す言葉で以って、この背をあやすように。

 ゆっくりと言い含めるように。


「だから、安心なさい」

 

 静かな夜が明ける。

 生の残り香が風と共に抜けていって、けれどこの時の僕は、まだまだ感情を整理出来ずに顔を背けるだけだった。


 また一人だけ先へ行く。


 姉上はいつもそうだ。


「姉様を信じなさい。貴方が落ちてくる頃には、地獄を住み良い場所に作り変えておいてあげるんだから」


 それが最期に聞いた、実の姉の言葉となった。


    ※   ※   ※


 そして。


 そして、今。



 首桶の中で、姉上は――――――――笑っていた。



 大丈夫よ、なんて言いたげに。


 優しさなんて無いと思っていた彼女は、切れ長の、糸で吊り上げて固定したような鋭い目尻を、不器用そうに下げて。

 大きな唇は下品だなんて言われるからと、いつも固く尖らせるようにしていた口をゆったりと広げ、口端を上げている。


 下手くそな笑みだ。


 夜明け前に見た時の方がずっと上手く笑えている。


 こんなので僕が安心すると本気で信じていたんだろう。

 死を目の前にして。

 自分だってあんなにも入れ込んでいた王子のあの姿を見せられた癖に。

 最期の最期で、こんなどうしようもない弟の為に笑うなんて。


 本当にどうしようもない、馬鹿な姉だ。


「っははははは!! ああああーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!!! ほぉら良く見ておけよキサマらァ!! いずれキサマら全員がこうなる!! 僕らクゥデルローズ姉弟を手に掛けておいてッ、ただで済むと思うなぁああああ!!」


 くそったれが。


 なんで、どうして、貴女はいっつも僕を振り回す。


 僕は僕で居たいのに。


 姉上に関わるといつもこうだった。


 あぁイアリスが見ている。

 王子が蔑んでいる。


 せめて恰好付けたまま死にたかったのに。


「道ずれにしてやる」


 呟いた途端、血色めいた光の粒子が全身から溢れた。

 魔術師を殺す毒、ラストだ。


 炉心革命によって魔力精製の質が格段に向上した結果、誰もが大魔術師さながらの魔術行使が可能になった一方で、当時は極一部の術者が稀に発生させるだけだった魔術の過剰行使による崩壊現象。除染が追いつかなくなって、尚も魔術行使を続けた場合に発生する赤い粒子は、魔術師の肉体を白化させ、最終的には全て粉と化して消え去る。


 この内乱で何度も見てきた現象だ。


 だが自己崩壊なんてどうでもいい。

 ギロチンの刃が落ちてくれば死ぬ命だ。


 少しでも多く、そう、まずは姉上の肉体を汚した連中から八つ裂きにして、


「今すぐ刑を執行せよ!!」


 触手を伸ばす。

 誰かの笑い声がした。

 まるで同じ人間が同じ場所で一斉に笑い出したような、不気味な重なりを聞く。

 悲鳴は心地良かった。

 血と臓物はよくよく混ぜ合わせて世界へ塗りこんだ。

 姉上の凄さと怖ろしさを刻み込むように。


『ははははははははははははははははは』


 誰かが笑っている。

 誰、が。


「ごめんなさい、ユレイン」


 首が、落ち――――た。


    ※   ※   ※


 奇妙な夢を見た。

 首だけになって井戸の底へと落ちていく夢だ。

 いつまで経っても底に辿り着かず、延々と落ち続けていく。


 頭上の光が点のようになってから、ようやく自分の首に一本の糸が結わえられていることに気付いた。


 それは長い時間を掛けて張りつめていき、落ちて、落ちて、落ちながら底も見えない底を眺めていた僕の首は、限界まで伸び切った果てで揺り戻しがやってきて、凄まじい速度で引っ張り上げられた。


 光が回り、闇に染まっていた世界が明るさを取り戻していく。


 カチリ、という音を聞いた。


「あら、目が覚めたのね」


 烈火の如き赤い髪。

 真新しい木彫りのパズルを弄びながら、こちらを覗き込んでくる者が居た。


 寝台に横たわる、僕を。


「何か怖いことでもあったの? 安心なさい、貴方の姉様が付いているわ、ユレイン」


 幼い子どもが、自信たっぷりに見詰めていた。




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