第21話 企業の敗残兵

上野動物園は物凄い人、人、人、・・・。

東京という所は何時でも何処でも並んでいる。

カンカンとランランは歩きながら見るシステムで、「立ち止まらないで下さい!」と、拡声器を片手のガードマンががなりたてる。

 年間95万ドル(一億800万円)ものレンタル料を中国に支払っていた・・・。

 パンダは中国の起死回生のリーサルウェポンのようだった。

 角さんの中国電撃訪問によって世界から孤立していた中国は、今の北民国(ほくみんこく)とインフラが変わらない国だった。

 しかしパンダ外交は、中国がワシントン条約加盟を契機に終わり現在は、世界中の動物園に共同繁殖等々を目的にレンタルビジネスを展開している中国のレンタル価格は、パンダ2頭で年間一億円だ。

 パンダを見終えたケンたちは埼玉へ脚を向けた。

 埼玉県の広大な田園の傍らに建っていた叔父さんの自宅は静岡県の富士山が丸ごと見える土地にあった。

 埼玉県の叔父さんは何故だか鹿児島弁を繰り出し、いつの間にか母親も鹿児島弁になっていた。当然母も鹿児島県出身だ。

 1972年、田中角栄首相と周恩来首相が日中共同声明を結び中華民国成立以来日本との国交が無いため日中国交正常化と呼ばれた。

 この機を境として1956年(昭和31年)にソ連との国交回復をされ平和条約の締結後、色丹島については日本に引き渡す事を同意した。が、ソ連は日本に駐留する外国軍隊の撤退と北方二島引渡しを条件にすると宣言した。米軍を懸念しての事だろう。

 昭和20年宣戦布告をしたソ連は真珠湾攻撃による日米開戦の五ヶ月前に関東軍特殊演習を開催した事で、日本が戦争準備行動をした事により日ソ中立条約は事実上失効したため北方領土占領は法的に問題ないとの世界的認識があった。

 が、未だにソ連が北方領土を略奪したと誤解をしている日本人も少なくない。

 そしてアメリカでは、ニクソン大統領が北京を訪問し、東アジア秩序構想によって米中関係を深めつつあった。

 このため日本は急速に中国との接近を図り78年には日中平和友好条約が調印されている。

 その上、田中角栄首相は日中国交樹立を遂げた事などから中国では最たる高名な日本の政治家として「古い友人」と呼ばれ現在も称賛されているという。

 しかし現在、中国が領有権を主張する尖閣諸島は、日本政府が国有化をした事等々により日中関係が拗れている。

(ネットサイト参照。)

 昭和が終わり、新元号が平成に代わった三年後、角さんは静かに眠りに就いた。

 カリスマ政治家と一級建築士という日本の国宝を一度に失った損失は大きい。

 66代総理大臣は、三木本武夫氏に決まった。

 そしてアクティブな時代を生き、無心に駆け抜けた北条ケンは一人の企業戦士として、現代の成人病に倒れ企業の敗残兵となった・・・。

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