第19話 角さんの時代
第2章 「カリスマ総理、角さんの時代」
時代を風靡したバリー達にもそれぞれの人生を神は用意していた。
昭和という時代も起・承・転・結、新しい指導者が君臨しようとしていた。
1972年6月、角さんブームがやって来た!
トレンドのマッシュルームカットをしていた北条ケンの12歳になる人生にも並行して角さんブームがやって来た。
日本列島改造論が日本列島を席巻していたし、新潟県出身の角さんが厳しい現状に身をもって感じたからこその草案!
新潟県は、豪雪地域で退っ引きならない積雪が、頻繁に交通麻痺を引き起こす。
だから、県内に工場を建設して運営することが困難だ。
故に工業化が進まず貧困に陥る。
マァその、地方から活性化させよう!
そう考えた角さんの日本列島改造論は、1972年6月11日に発表された。
そのお陰で日本中の投資家は、地方の土地を買い漁り地価が高騰した。
これに連動してインフレーションが進み始めた。
当時ケンの通っている小学校ではクラスの大半が日本列島改造論を知っていて、作文にまで書かれていた。
ケンが小学校6年生の頃だった。
「国民に親しまれる国会議員になりたい。」
小学校の卒業文集の「僕の夢」という欄に寄せ書きをしたケンの夢・夢・夢・・・、マイドリーム。
国会議員になる術は知らないばかりか国会議員の仕事すら未知だ。
なのに、カミングアウトしてしまったケンの夢・・・。
神戸市はシティだから手始めに市議からなのだろうと、踵を返す反射神経は備わっていなかった。
そんなケンの無垢の夢は付かず離れず、ひたすら日常を織り成し、歳を取ってその夢は、ケンの傍らに居たと言う事になるのだろう・・・。
昭和47年12月30日。
東京見学の為、初めての新幹線は本当に速かった。新幹線ひかりは時代の最先端を駆け抜けていた。
新神戸駅を発車してから新大阪駅まで30分足らずで到着し、それからというもの田園が広がる車窓の外を眺めていた。
それが飽きるとケンの興味は移り車内販売へと、集中していく。
そして東京駅から上野駅。
超満員の都電では、ギュウギュウ詰めのおしくらまんじゅうの様で車輌内は湿度と温度が高まり、マフラーを巻いている首に汗が滲んできた。
東京は人口が多いから何時でも何処でも一杯だと、案内役をしていた埼玉県在住の叔父さん(ケンの母の実兄)が言っていたのを小学6年生のケンは聴いていた。
間もなく上野駅の改札を出たら西郷どんが犬を連れて立っていた。
上野動
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