第39話 伝心
気の昂ぶるジェームズさんをロビーの椅子へ落ち着くように促して、熱いお茶を勧めました。
「それでジェームズさん、その情報は何処から?」
「先ほど、高速艇で届きました。准将閣下からノ・ラ殿にもお知らせせよとの事で」
「消えたというのは、逃亡したと言うことですか」
「それが、本当に消えてしまったのだそうです」
「消えた…」
「はい。犯人達は王女殿下の裁可を得て、ユーバ炭鉱での強制労働となるところをモンジュスト商会からの保釈要請で、保釈金と引き換えに商会へ引き渡される事になっていました。ところがモンジュスト商会の捜索で一連の陰謀が明るみに出たので、保釈は取り消され保釈金は没収となって再び収監されていたのですが、ある日牢からいきなり姿が消えてしまったのだそうです」
「馬鹿な…失礼ですが、看守は信用できる人なんですか? まさかとは思いますが…」
「もちろん忠義に厚い兵士ですとも。それに犯人達が消えてしまうのを目撃した人間が複数居るのです」
「複数ですか…しかし皆が共犯と言うことも」
「ええ、そういう疑いも出たのですが、居合わせた人達は丁度夕飯を運んできた司厨兵二名に警備兵が二名、看守が数名と所属がバラバラな上に、その日確認の尋問を終えた王宮の近衛隊長も居合わせたのです」
「えっ、近衛隊長というとロルフさんですか?」
「ああ、ロルフ隊長とは面識がお有りでしたね。その通りです」
「うーん、ロルフさんが確認したとなると、消えてしまったという事実は疑いようもありませんね」
「ええ、そうなんですよ。しかも、これは目撃者の主観なのですが、消えていく犯人達もなにやら驚いた顔をしていたそうです」
「つまり犯人達にとっても予想外だったというわけですか。逃がされたわけでは無いということかな」
「分かりません。しかし私たちにとっては大きな失態になりかねません」
「そうか…御神庭事件に関係した犯人が消えたのなら、こちらの商会関係の犯人達も消えうるという事ですからね」
「ええ、それでトビーさんに王宮への報告と、犯人達の収監された牢に同行していただきたいのです」
「分かりました。ガラントさんに会ってから、牢に確認に行きましょう」
僕たちは王宮へ向かうとガラントさんに事情を説明し、牢に向かいました。
「変わった事はないかね」
ガラントさんが当直の警備兵に尋ねると、商会長達は取り調べが終わってからは大部屋に収監されているとのことです。
僕たちが顔を見せると商会長は嫌な顔をし、ヨンキムさんは鉄格子を揺らして僕を威嚇しました。
「この駄ネコがっ。お前のせいで俺たちはこのザマだ。いつかこの礼はしてやるからなっ」
「それにしてもお歴々が揃ってお見えとは、どうした訳かね」
ランディさんが相変わらず冷静な態度で話を促します。
「今日は皆さんが揃っているか確認に来たのです」
「妙なことを言うね。まるで僕たちが脱獄でもするかのようじゃないか」
「案外そう言う事かも知れんな。何処ぞに我々を支援したい者だっているだろうから、そんな情報が入ったんだろうよ」
商会長が薄笑いを浮かべました。
「支援者がいるとは聞き捨てならないな。またしばらく尋問に協力して貰うことになりそうだ」
「ふんっ、居るかも知れんという事だ。俺は知らんがね」
ジェームズさんの脅しにも、商会長は薄笑いを浮かべています。
まだ、隠している情報があるのかも知れません。
こちらも情報を小出しにして、探りを入れてみましょうか。
「商会長、ラーベンド州で捕まった人達は再収監になりましたが、彼等の他にまだ商会の手先はいるのですか?」
「なにを今更…そんな事は、とうの昔に尋問で話したはずだがね。さては、彼方の奴らが何か騒動を起こしたんだな。それで俺たちの様子を見に来たんだろう」
「ええ、ちょっと困った事になっていまして。それが商会長の指示で起きた事なのか知りたかったのですが」
「はんっ、隠し球なんぞ、そう簡単にバラすはずがないだろう。ざまあみやがれっ」
悪態をつくヨンキムさんを横目に見ながら、ランディさんが尋ねてきます。
「それで、何が起きたんだい? 僕は商会長からは何も聞いていないのだけど」
「それが、僕たちにもはっきりとは分からないんですよ。なにせ、遠方のことですから」
「ふーん。それが、この世界を変革するきっかけにでもなるなら、僕はいくらでも協力するんだけどねえ。ああ、出来ることなら商会長達の居た世界に僕も行ってみたいよ」
そうランディさんが、言った時です。
ふっと、ランディさんの足元が見えなくなりました。
「えっ…」
僕が注目すると、皆の目が一斉にランディさんの足元に集中します。
「ああっ、消えていく…」
みるみる内にランディさんの足元から上へと身体が消えて行くではありませんか。
「そうかっ、こいつだなっ。この現象がラーベンド州の奴らにも起こったんだろう」
商会長が叫びました。
「ヒャッハッハー。これで俺たちは自由だっ」
浮かれて飛び上がったヨンキムさんの身体も半分以上消えています。
「なんて事だっ。奴らが逃げてしまうぞ」
ジェームズさんの焦った声が響きます。
しかし、誰かが動き出す前に牢の中には、もう誰も居なくなってしまったのです。
僕たちは呆然と空になった牢の前に立ち尽くし、声もありません。
警備員達が慌てて鍵を開け中を調べていますが、眼前で消えてしまった事実は動かしようがありません。
結局、何の痕跡も発見出来ませんでした。
やがてガラントさんの力なく戻ろうと言う言葉で、足取りも重く牢を後にしました。
知らせはラーベンド州にも飛び、事実の擦り合わせが行われましたが、やはり突然消えてしまった事以外に分かったことはありません。
既に離京を決めていた僕でしたが、モヤモヤした所が晴れないまま未だに宿を引き払えずに長逗留を続けています。
それから暫くして僕は王宮から呼び出しを受けました。
なんと女王陛下のお召しだそうです。
文官の背中を追いながら大回廊を進んで、いつぞやの謁見室に入るとガラントさんとジェームズさんも着席していました。
「急なお召しとは何でしょう?」
「いや、我々にもさっぱりだわい。朝の礼拝からお帰りになってすぐお召しの言葉を発せられたらしいが…」
ガラントさんも困惑顔です。
収監中の犯人達が消えた事へのお叱りでしょうか。
でも、それは当日直ぐに報告が為されており、処罰があるとすればもうとっくに下っていなければなりません。
ひそひそと僕たちが話していると、警蹕が響きました。
全員起立して陛下を迎えます。
「楽に」
僕たちが着席すると、陛下はおもむろに話を切り出されました。
「今朝の礼拝において瑞祥があった」
僕たち一人一人の顔を見て続けられました。
「女神像に翠光が宿り、女神様が顕現された」
「おおっ」と僕たちの声が重なります。
「数年ぶりのことであったが、我が伝心の力にお応えめされたのだ」
伝心というのは王族特有のスキルで、一族間で言葉を使わずに距離を無視して情報を共有出来る能力です。
この力は女神に近いブランカケットだけに受け継がれ、極稀に女神様のご意志が伝わることがあるそうです。
その稀な出来事が今朝の礼拝で起きたというのです。
「先日御神庭を荒らした犯人達が消えた事件があったであろう。あれは女神様の御業である」
「えっ」
僕たちは一斉に驚きの声を上げました。
「驚くのも無理は無い。過去この世界の出来事に、女神様が直接手を下される事はなかったのであるから。しかしながら、今回は特別の事である。女神様は自らが呼び込んだ異世界人の行動に失望され、悪行を行った者を元の世界に送還する事にされたのだ。犯人達は、元の世界の元の場所、元の時間に元の状態で戻された」
「おおっ」
「そして、元々この世界の住人でありながら、世界の変革を望んだ者もまた望んだ世界へと送られた」
ああ、ランディさんの事ですね。
『ああ、出来ることなら商会長達の居た世界に僕も行ってみたいよ』
ランディさんの言葉が蘇ります。
彼はついに憧れた異世界へ行くことが出来た訳です。
これで本当に御神庭事件は解決です。
モンジュスト商会に囚われていた奴隷の皆さんは全て解放され、それがきっかけで他の商会でも進んで奴隷解放が行われるようです。
どうやら女神様の意に沿わないと、元の世界に返されてしまうかもしれないという噂が、ガストル達の間に広がったようです。
発展は発展のままに、穏やかな世界は再び旧に復することになりそうです。
僕はガラントさんとジェームズさんに別れを告げ、ファームズヴィルへと帰ることにしました。
季節はもう春の訪れを感じさせる暖かさです。
これなら街道を歩き、船に乗って、のんびりマクマの港まで帰れるでしょう。
もちろん、例の能力で時折ショートカットをするつもりですけどね。
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