第30話 飛行術
バスカブで王宮からの使者に会った場合は、そのままポロに行くことになると、マリアン達に告げてから、僕はファームズヴィルを出発しました。
先生は転移の能力を上手く使うようにと仰いましたが、目的地にあまり早く着いても怪しまれるので、何か上手い言い訳を考える必要があります。
「それなら如何にも速く着くだろうという理由か」
何か無いかと考えながら歩いていると、イサリ川の岸辺に何か光る物が見えます。
「なんだろう」
僕は足に風を纏わせて舞い上がると、上空から岸辺を観察しました。
キラキラと光っているのは、岸辺に流れ着いた小瓶のようでした。
「なんだガラスの小瓶か。でも綺麗だな」
透明なガラスを細かくカットして幾何学模様を施したガラスの小瓶は、しっかりと蓋も付いていて、そちらにも同様のカットが為されています。
中には何も入っていないのですが、傷も無く綺麗なので拾っておきましょう。
後でミリアンさんの調味料入れに使えるかも知れません。
「さて…」と、そこでハタと気づきました。
「飛んで行くっていうのはどうだろう」
風術で舞い上がって周囲を確認するというのは、ビナイ山脈を抜けてポロに向かう道中で何度も使いました。
キンメルさんに変わった風術の使い方だと言われましたが、風術の範疇には入るようです。
それなら、一歩進めて風術で空を飛ぶというのはどうでしょう。
ま、出来るかどうか分かりませんが、バスカブに着くまでにいろいろ試行錯誤をしてみるのも良いでしょう。
まずは上空に舞い上がる時に、前方に少し角度を付けます。
これだけで、地上に降りた時には少し距離を稼ぐことが出来ます。
後は滞空時間を延ばすことです。
ジャンプする時は足裏に、上空では腹側に風を当てるようにしてみましたが、上手く姿勢を保つことが出来ません。
「うーん、腹側だけだと風が上に擦り抜けていく感じなんだよなあ。いっそ身体全体に薄く風を纏わせるっていうのはどうなんだろう」
ジャンプして、身体全体に風を…纏わせたら竜巻になりました。
「うわーっ、目が回るぅ」
ゴロゴロと草地を転がって、なんとか墜落の衝撃を和らげましたが、風の動きを制御できないと身体全体を覆うのは難しいようです。
「跳ぶのは上手く行くのになあ」
そういえば、僕はどうして跳べたんだっけ。
キンメルさんが、あの山越えの時何か言っていたような…。
『私も驚きましたよ、トビーさん。まさかヌガの上から見ているだけで、この風走術を覚えてしまうなんて。まして、それを即座に自分なりに改変してしまうなんて事は、普通じゃ出来ませんよ』
『え、そうですか? キンメルさんの神気の流れを真似ただけなんですが』
『それそれ、神気の流れなんて普通じゃ見えないんだよ。さすがにグリザケットということかな』
「神気…神気か」
ポロのアカデミーの地下でも、その話が出てたな。
『こちらへ来るまでにトビーさんの風術を観察させてもらいましたが、トビーさんのは神気で新たに風を作っているようでした』
『ふうむ、同じ風術でも中身には相当な違いがあるというわけだね。つまり一般に風術やら水術やらを使っている人たちは、神気を扱っているという訳ではないわけか』
「そうか…僕は勘違いをしていたんだ。纏うのは風じゃ無くて、神気なんだ」
ああ、先生。僕はまたまた先生のお言葉に助けられました。
僕は無意識に神気を風に変換していたのです。
思い起こせばマクマに向かう途中で、神気と身体が馴染んでいく感覚から、その流れに乗るように転移に覚醒したのでした。
神気を神気のままに身体と一体化させることは、もう難しくありません。
後は、神気の流れに身を任せ、上空に揚がるだけです。
ふわり
僕の身体は重さを失ったように空中に有りました。
後は身体を流れる神気の方向を意識するだけで、上昇も下降も旋回も思いのままです。
みるみる離れていく地上を見ながら、南へ目を転じると海が見え、バスカブの港が小さく貼り付くように入江の中に有りました。
ゆっくりと旋回していくと左手側から灌木の一帯が見え始め、その向こう側に沼地、その先の丘にワシュフル館が建っています。
丘の先は原野でその向こうにはビナイ山脈。
イサリ川といくつかの支流が、原野の中で光を放ちながら海へと下って行きます。
それらを覆うように、翡翠色に光る神気が大気の中を流れているのです。
僕はのんびりと景色を楽しみながらバスカブへと向かいました。
それでも徒歩とは比べようも無いほどの早さで着いてしまうので、一旦バスカブの後背にあたる裏山に着地して、そこから入江に船が入ってくるのを待つことにしました。
山頂から見ると港より高い位置にある海の上を何隻かの漁船が動いているのが見えます。
きっとこの辺りでも獲れるバコダバタか、はぐれのマウロでも狙っているのでしょう。
「おうっ、寒っ」
いきなり海風が吹き付けて、襟元から冷たい風が入り込んできます。
いくら旅支度でも山頂に突っ立っていては寒いので、港の見える街道まで転移して徒歩で港に入りました。
ちょうど先ほど漁に出ていた船が戻ってきたようで、荷揚げが始まっています。
「おう、先生んトコの助手さん」
「あ、この前はどうも」
マルトロ人のこの人は、先日荷車を借りた燻蒸施設の親方です。
「今日はお使いかい?」
「ええ、そろそろバコダかマクマから船が入るだろうから、連絡があればと思って」
「ああ、晴天が続いたからな。たぶん今日の夕方には来るんじゃねえかな」
「ああ、やっぱり」
「俺らも潮の具合が良いんで昨日入れた網を引き揚げてきたとこなんだけどよ。これが結構大漁でな。今から浜焼きをやるから船が来るまで食っていかねえかい」
「良いですねえ、是非」
浜焼きといっても真冬のことですから、燻蒸施設の中にある燻製場の一角を借りて、火を熾します。
良い具合に熾きた炭火の上に取り立ての魚介が並べられていきます。
腹の張った一フィートほどの魚が焼網に乗せられました。
「これは?」
「こいつがバコダバタさ」
「おお、これがっ」
「脂が乗って旨いぞー」
魚に火が回ってくると、滴り落ちた油がジュワッと煙を上げます。
蓋の開いた貝を食べながら焼き上がりを待っていると、親方がおもむろに取り出したナイフで魚の真ん中から切れ目を入れて取り分けてくれました。
真っ白な身がほっくりと湯気を上げています。
「いただきまーす。はふっ、ほふっ」
「どうでえ、旨いだろう」
「脂が濃厚ですね。淡泊なはずなのに、いつまでも舌に旨味が残りますよ」
「おお、それよ。そこをこいつで流し込むのよ」
差し出されたのは、カッポザサという樹液です。
節のある軽くて固い木の中が中空になっており、根元に発酵した樹液を貯め込んでいるカッポという木を輪切りにして、中に入った樹液ごと焙った温かい樹液が入っています。
それを適当な大きさに切ってコップにしているのです。
「さあ、飲みな。こいつがバコダバタと抜群に合うんだよ」
「へえー」
口に含んでみると、柔らかな甘みと酸味が魚の旨味と合わさって、すっきりとした後味となって、さらりと喉を滑り落ちていきます。
「うっまいですねえ、魚とササと無限にいけますよ」
「そうだろ、そうだろ。ガッハッハ…」
親方は上機嫌でいろいろな魚を焼いてくれます。
燻蒸施設の人達も、どんどん集まってきて時ならぬ宴会になってしまいました。
貝を焼き、エビを焼き、魚を焼いて、カッポザサを呑む。
それを繰り返している内に昼過ぎに始まった宴会は夕刻へとなだれ込んで行きます。
「おう、船が入って来たぜ」
マストの帆を下ろした船がゆっくりと入江に入って来ます。
それと前後してもう一艘。
どうやらバコタとマクマの船が同時に到着したようです。
「どうれ、ちょっくら行ってみるか」
親方の言葉に、皆ぞろぞろと桟橋に向かいます。
係留ロープが投げられ、船が横付けされると渡り板が掛けられて、船員さん達がどやどやと降りてきます。
「バコダバタが百箱だ。荷車を回せ」
「おうっ」
施設の人々が一斉に動き出します。
「大漁だな」
「高く買ってくれよ」
親方と船長の商談が始まるようです。
「堅身魚の燻製が上がってるぜ」
「何っ、俺たちが初荷じゃねえかっ。いくらだ?」
「一本で一ギニーだ」
「高ぇじゃねえか」
「初荷だろ」
「まてまてバコダバタはいくらで買うんだ」
「一箱二十シリングだ」
「安いだろうがよ。わざわざ冬の海を越えて持ってきてやったんだぞ」
「こっちも結構獲れてんだよ。なあ助手さんよお」
「ええ、脂の乗ったのを戴きましたよ」
「くそう、全部で百ポンドかよ。もう少しなんとかなんねえのかよ」
「しょうがねえな。堅身魚も二十シリングにしてやるよ」
「ありがてえ。恩に着るぜ。じゃあ百本でチャラだな」
「おうよ。バコダで儲けな」
船長はニヤリと笑って、燻製場に案内されていきました。
続けてマクマの船が桟橋に横付けされました。
こちらは雪見魚のようです。
「一本一ギニーだ。要らなきゃバコダに持ってくぜ」
「強気だな。四十本四十ポンドでどうだ」
「それだと二ポンド損しちまうだろうが」
「堅身魚の燻製を二本付けてやろう」
「そっちは一本いくらなんだ」
「一ギニーだ」
「むう、積荷全部で百二十本ある。バコダで残りを卸すより堅身魚の方がマクマで売れそうだ。堅身魚百三十本と交換でどうだ」
「おいおい、四本多いだろうがよ」
「キリのいいところで、手を打てよ。そうだ、雪見蟹一本付けるぜ」
「しゃあねえな。いいだろう」
「ありがてえ。あ、ワシュフル先生んとこに客だぜ」
ここでようやく僕の出番のようです。
「ワシュフル先生の助手をしているトビーです。お客さんに引き合わせてもらえますか?」
「おお、ちょうど良かった。こっちだ」
先生の読み通り、王宮からの連絡員が来ているようです。
僕は船長さんに案内されて、船内の客室へ向かいました。
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