第28話 ファームズヴィルへの帰還

 エビの網外しを結構な時間頑張ったせいで、市場街に着いてまもなく運河沿いをヌガでやって来る先生と合流出来ました。

「先生、お疲れ様です」

「やあ、無事に転移できたようでなによりだね」

「先生、その事でお話が…」

 僕は先生に転移がグリザケット一族の秘匿事項に属するのではないかとお話ししました。

「そうか、成る程転移を成功させたのは君が初めてという訳ではないかも知れないという訳だね。確かに神気の管理を任されている一族ならば、そういった能力を秘している可能性は高いね。分かった、この事は私と君だけの秘密と言うことにしておこうじゃないか」

「ありがとうございます」

「時に、ここまで少々張り切りすぎたようで、ちょっと疲れたよ。休憩がてら昼食にしようじゃないか」

「はい、先生、良い物がありますよ」

そう言って僕はバケツ一杯のエビをお見せしました。

「ほほう、旨そうなシマエビだね。どこか手頃な食堂に持ち込んで調理を頼んでみようか」

 僕たちは市場街の外れにある小綺麗な食堂に入って手間賃をはずみ、海老の調理をお願いして、出来上がるまで冷えたワインと軽いツマミで半日の疲れを癒しました。

「ほい、まずは軽く塩ゆでにしたものだよ。鮮度が良いから美味しいよ」

恰幅の良い女将さんがザルに山盛りにしたエビを持って来てくれました。

 真っ赤に茹だったエビの背中と腹の境目を折るようにすると、中から真っ白な身が弾けるように現れます。

もりりともぎ取るように尻尾の方から殻を剥いていくと、鮮やかな赤と白のコントラストの美しい身が芳しい湯気を立てて食欲を刺激します。

「うーん、確かに自然の甘さと旨みが感じられますね」

「うん、この弾力、歯ごたえが素晴らしいよ」

ザル一杯のエビを瞬く間に食べ尽くしてしまうと、すぐに次の料理が運ばれてきます。

「次は炭火焼きだよ。熱いから気をつけて殻を剥きなよ」

パリパリとこそげ落とすように殻を剥くと、先ほどより水分の少ない分、身の締まった身が炭火の香りを纏って、これまた旨そうです。

「アチッ、先生、指をやけどしますから、気を付けてください」

「こりゃ熱いね、あ、このミトンかね。トビー君、そこにミトンがあるよ」

「あ、なるほど、これでモリッと…うはっ、汁がっ」

「身が締まって弾力がすごいね。旨味が凝縮しているよ」

「こっちの殻からアツアツのミソを掬って付けると濃厚ですよ」

 二人でワイワイやっていると、最後の皿がやって来ます。

「ほい、エビのクリーム煮だよ。茹でた穴空き麺が入っているからね」

「うわっ、アチチチ…。ミトン、ミトン」

「うむ、上に掛かったチーズが焦げて旨そうだ」

「はぐっ、はぐっ。これは…穴空き麺にエビのソースが浸みて旨いっ」

「ハドソンホテルの牡蠣料理も美味しかったが、これもまたエビの出汁が利いて旨いね」

「おや、アンタ達ポロから来たのかね。ハドソンさんとこのヤドックさんはウチの常連だよ」

「へえ、そうだったんですか」

「市場で魚介を仕入れて、帰りがけに寄ってくれるんだよ」

「ああ、なるほど」

「これからポロに帰るのかい?」

「いえ、マクマへ行く途中なんです」

「ほう、そうかい。しかしマクマへ行くなら、もうそろそろ出ないと日が暮れちまうよ。冬の陽は落ちるのが早いからね」

「え、もうそんな時間ですか」

 僕たちは慌ててご馳走を平らげると、女将さんにお礼を言って食堂を飛び出しました。

幸いヌガも運河の水を飲んだり、新鮮な草を食べて元気を取り戻したようで、マクマに向かって走り出しました。

僕は、もう転移を使わずに風を纏わせて一緒に走ります。

食堂の女将さんの言った通り、冬の陽は一度傾き出すとどんどん落ちていき、僕たちは夕陽と競争するかのように街道を走り、日暮れと共にマクマへと辿り着いたのです。

 幸いマクマの港を見下ろす高台の宿に空きがあって、厩舎も付いていたので僕たちはここに二泊することにしました。

明日港を歩いてヤドックさんが予約してくれたバコタ行きの船を探し、マウロや雪見魚等のお土産を買うつもりです。

そういえば、エビの網外しに時間を取られて、バコタ行きの船を探していませんでした。

まあ、朝の内から探せば見つかるでしょう。

 夕食になって大ぶりのエビが出てきたのには閉口しましたが、夕陽と駆けっこをしてお腹が空いていたので、ぺろりと平らげてしまいました。

「トビー君、明日土産にエビは買わないでおこうか」

「そうですね、みんなには申し訳ないですが、他の魚介にしておきましょう」

そんなことを話し合っていた僕たちですが、翌朝にはそういう訳には行かなくなってしまいました。

なんと、昨日エビの網外しを手伝った漁師さん達が、実はバコタ行きの船の船員さんだったのです。

「いやあ、他の奴らも大漁でなあ。兄ちゃん、バスカブに着いたらあとバケツ二杯は土産にやるからな。あ、昨日のバケツは返してくれよ。ハッハッハ」

と、いう訳でエビ土産が確定してしまいした。

「あのう、マウロも買って帰りたいんですが」

「あ、無理無理。船倉は全部エビだらけだからな」

「はあ…」

「仕方ない。トビー君、マウロは切り身にして、君の収納に入るだけ買おう」

「ええ、そうですね。でも収納には茸やらグースやら黒蝶魚の魚卵漬やら、衣服類も入ってまして…」

「そうだったね。まあ収納拡張の良い修練になると、前向きに考えようじゃないかね」

「確かに、収納量は飛躍的に増えましたね」

 そうして、その日は収納量ギリギリまで海産物を買いあさり、翌朝僕たちはバコタへ向けて出航し天気にも恵まれ、その翌日には首尾良くバスカブの港へと入港しました。

「やれやれ、やっと帰って来られたか」

「先生、もう一息ですよ」

僕は先生の持つ燻蒸施設から借り出した荷車にヌガを繋いで、収納から取り出した衣類と先生の旅行鞄を積んで、代わりに船員さんから貰ったバケツ三杯のエビを収納しました。

「参ったね、もう一杯余分にくれるとは」

「先生がバスカブの領主だと知られちゃいましたからね」

 昨日の夕刻に入港した船の中で一泊した際に、夕食に出た大漁のエビ料理を食べながら船員さん達と話す内に、先生がかの有名なサ・レ ワシュフルだと知られたわけです。

それからは下にも置かないもてなしで、荷車一杯献上するというエビを、なんとかバケツ三杯にまで減らしてもらったという訳です。

「普段なら嬉しいところなんだがねえ」

三日間エビ責めの食事に、僕も先生もウンザリです。

「なあに、三姉妹やラルクさん達があっという間に食べ尽くしてくれますよ」

そう慰めながら、先生を荷台に乗せて出発です。

 二ヶ月近く前に、一人でとぼとぼと歩いた街道を朝日に照らされながら、今日はのんびりと荷車に揺られて帰ります。

以前は街道の繁みから直接沼地の端に出ましたが、先生に教わって荷車の通れる街道からの分岐道を行き、イサリ川の支流に掛かる橋を渡ってファームズヴィルの小村に入ります。

その頃には何人かの村人と出会い、先生のお帰りが館に知らされたらしく、駆け付けたキンネルさんとラルクさんの出迎えを受けました。

「先生、トビーさん、お帰りなさい」

「やあ、ただいま諸君」

「ただいま戻りました。キンネルさんも無事に着かれたようでなによりです」

「山はもうすっかり雪が深くなっていますから、お帰りを心配していました」

「うん、山回りは諦めてマクマからバコダ行きの船に乗ったんだけどね、好天に恵まれて無事に帰って来られたよ」

「それは良かったです。お帰りは来年になるのではと皆心配しておりましたから」

「おや、そういえば明後日は、もう新年だったね。ああ、それで船員達が浮き足立っていたのか」

「新年は我が家で迎えたいですものね」

「いや、それだけではないのだよ。トビー君、あれを」

「はい、先生」

僕は収納からエビのぎっしり入った大きなバケツを取り出しました。

「おおっ、これはシマエビではありませんか。新年の縁起物ですぞ」

ラルクさんが目を丸くして、山盛りのエビに驚いています。

「うん、マクマで大量に揚がったらしくてね。ラルク君、館に帰りがてら村の皆に一匹ずつ配ってくれないかね。エビはバケツに三杯あるから、皆で分けても十分に足りるだろう」

「先生、皆喜びますよ。新年にこれほど立派なエビを食卓に飾れるとは」

 僕たちは住人一人一人にエビを配りながら、ワシュフル館への道を進みます。

玄関口では待機していた三姉妹とフォクシーさん親子の出迎えを受けました。

おチビさん達もチョロチョロと走り回って、皆、元気そうです。

新年を前に僕たちは、ようやくファームズヴィルの我が家へと帰り着いたのです。

「先生、お帰りなさい」

「お帰りなさい、トビーさん」

「やあやあ、皆元気にしていたかな」

 賑やかな出迎えを受けて、大きな暖炉のある居間に辿り着くと、先生はいつものソファにどっかりと腰を落ち着けました。

「やれやれ、やっと我が家の安楽椅子だ」

僕は荷車と収納から取り出した雑多な物を仕分けしながら、先生の書斎へ収めたり、私物を僕の部屋へ持って行ったりしています。

キンメルさんとラルクさんは、配り終わって残ったエビと僕が取り出した茸や黒蝶魚の魚卵漬などの食材をキッチンへ運び、ミリアンさんと話し合っています。

「困ったわねえ、シマエビが八尾しか残らなかったわ」

「ちょっと住人が増えているからなあ」

「子供達は二人で一尾として、後は誰が諦める?」

「ええー、そんな殺生な」

三人のやりとりを聞いて、僕は自分の分は要らないと話しました。

「あちらで十分に戴いたし、昨夜も船の中でエビ三昧でしたから、先生も召し上がらないと思いますよ」

「あらあ、そうなの?」

「それよりも、これマクマで手に入れたマウロの切り身なんですが、先生はこれをソイズで食べたいと仰っていましたよ」

「あらあら、大きな切り身ねえ。とっても脂が乗っているのね。削ぎ切りで良いのかしら」

「ええ、以前召し上がった時には、刻んだタマネギに柑橘酢と塩、胡椒でマリネードしたものだったそうですが、今度はソイズで食べたいと仰ってました」

「分かったわ。では先生とトビーさんには、マウロを食べていただきましょう」

 エビが問題なく自分たちの口に入ると分かって、キンメルさんとラルクさんもほっとした顔をしています。

「ちょうど新年の準備をしていたところなのよ。こんなに食材が手に入って嬉しいわ」

そう言ってミリアンさんは、キンメルさんとラルクさんに指示を出して、テキパキと立ち働き始めました。

 その夜から新年が明けるまで、ワシュフル館は毎夜宴会続きでした。

大テーブルの上に乗せられた銀の盆には、山海の珍味が山のように盛られ、久しぶりに揃った一同は心ゆくまでご馳走を堪能したのです。

「そうそう、先生、こちらが出来上がっておりますよ」

ラルクさんが大事そうにテーブルに置いたガラス瓶には、澄んだ赤色の魚卵がぎっしりと詰まっています。

「先生とトビーさんがお出かけ前に仕込んだ海峡鱒の魚卵漬ですよ」

「おおっ、あの時の魚卵漬かね」

「ええ、氷室でしっかり熟成させておきました。こちらはハーブと塩に漬けた物です」

「ほうほう、早速戴こうじゃないか」

 瓶を開けると仄かにハーブの涼やかな薫りがして、生臭みは一切無いようです。

「うむ、ねっとりとしてまろやかな塩味と鱒の脂が溶け合って、豊かな味わいになっているね」

「マイスに合いそうです」

「今まで捨てていたのが悔しいほどに旨いね」

「黒蝶魚の魚卵漬とは、また違った旨味があるよ。これは今年の秋からは大量生産して、ワシュフル領の新たな産物にせねばならんね」

「いっそ、魚卵だけあちこちから買い付けて来ましょうか」

キンメルさんが目を輝かせて、小皿に盛られた鱒の魚卵漬の美しさに見入っています。

「なるほど、これは大儲けが出来そうですわ」

マリアンさんが嬉しそうにクラッカーに乗せた魚卵を頬張ります。

「黒蝶魚の魚卵とは原価率が違いますもの」

「こりゃあ作業小屋も増築せねばならんなあ」

ラルクさんが頭を掻くと、おチビちゃん達が僕も手伝う、私も手伝うと元気に手を上げます。

「トクシーはお裁縫もがんばらないとね」

フォクシーさんがそう言うと、隣でミリアンも頷きます。

「今年はノルドグースの羽がたくさん採れたから、一緒に羽根布団を縫いましょうね」

「あ、そういえば、僕の羽根布団を用意してくれて、ありがとうございます」

僕の部屋には新しい羽布団が用意されていたのです。

「いいえ、どういたしまして。私たちこそ、綺麗なお土産をいただいて嬉しかったわ」

女性の皆さんの髪には、僕が買った髪飾りが付けられています。

「俺たちもご機嫌さあ」

キンメルさんとラルクさんも、お土産の酒に満足してくれたようです。

「あ、そうだった。私もお土産を渡すのを忘れていたよ」

先生からは、それぞれに実用品が配られました。

「僕も、この剣で丘赤牛を倒すよ」

テオがおもちゃの木剣を高々と掲げました。

「よおし、明日からお父ちゃんが剣を教えてやるからな」

暖かな団らんは、まだまだ続きます。

                           第一章【終わり】

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