第27話 覚醒「空間転移」

 翌日、先生と僕は買い物のために新市街へとやって来ました。

いつもはポロとマクマの中間地点にある市場街で買い物をするヤドックさんが、今回は大物買いの為にマクマへ向かったので、往復に掛かる二日間の待ち時間を有効に過ごすことにしたのです。

それでも僕が徒歩で二日掛けてマクマまで行った事を考えると、やはり馬車は速いです。

 新市街では、ファームズヴィルでは手に入らないような生活必需品やお土産などを買う予定です。

まずは念願だった新しいコートです。

軍資金はたっぷりありますから上等な物を選びます。

「トビー君、これなんかどうかね。スコットランド伝統のタータンチェックだが」

「先生、僕にはちょっと派手すぎますよ。先生にはお似合いだと思いますよ」

「そうかね。君のインバネスコートは品の良いハウンドトゥースだが、少々地味だからね。では、この細かいグレンチェックはどうかね」

「あ、先生これは良いですね。形もインバネス風にケープ付きですから、これにします」

「うむうむ、では私もこのタータンチェックのオーバーコートを買うとしよう」

直しを一日で済ませてくれるというので、明日また受け取りに来ることにして僕たちは次なる品を探しに街を散策しました。

 マリアンには家計簿用に革で装丁された白紙帳、ミリアンには手回し式ハンドミキサー、メリアンには華やかな小花柄の生地と糸、新しい縫い針をお土産にしました。

キンメルさんには山刀、フォクシーさんには短剣、ラルクさんには万能ナイフを、双子のテオには独楽、トクシーには刺繍セットです。

何か実用品ばかりでつまらないので、僕は女性陣には銀の髪飾りに小さな色ガラスの付いた物を、テオにはおもちゃの木剣を買いました。

男性陣にはもちろんお酒です。

 それから寒い船上対策に、僕と先生はメリノンという草原に住むベストロから採った毛で編んだハイネックのセーターを買いました。

細くて柔らかな毛を緻密に編んでいるので、軽くてとても暖かいのです。

「褒賞金が無かったら、とても買えないね」

「一着五ポンドですからね」良い品はお高いのです。

 翌日もシャツや下着類などを買い足して、直しの済んだコートを受け取ってホテルに戻ると、ヤドックさんがマクマから帰って来ていました。

「今年はまだバコタでバコダバタが獲れているらしくて、昨日荷が上がりまして今日が休み、明日から荷積みして三日後にバコタに帰るそうです。途中バスカブにも寄るとの事なので、お二人の乗船予約をしておきました」

「おお、ありがとう。お世話になったね」

「いえいえ、お役に立ててなによりです」

「出発も決まったことだし、こうしちゃおれんね。明日の朝発つとして早速王宮とアカデミーに離京の挨拶をしに行こうか」

「はい、先生」

 例によってハンサムを掴まえてアカデミーから王宮へと回ります。

「ところで先生、バコダバタって何ですか?」

「ああ、君はまだ知らなかったか。あれは秋になると産卵のためにバコタの岩場に大挙してやって来るハタという魚でね、一フィートぐらいの白身魚だよ。これが身が柔らかくてね、フライにすると美味しいんだよ。一応産卵が済んでから捕らえることになっているから、魚群が岩場に群を為してから出航して沖に網を入れる決まりなんだよ」

「あのう、バコタに来るハタって魚なんですか?」

「うむ、名の謂れはそうだね」

「じゃあ、バコダバタじゃなくてバコタハタじゃないですか?」

「あははは…その通りだね。だけど漁師達が言い辛くて訛ってしまったんじゃないかな」

「バコタハタ、バコタハタ、バコダハタ、バコダバタ、ああ確かに言い易いですね」

「その土地土地で、独自の名称があるからね。調べてみると面白いものだよ。バコタバタはオマーの先に行くと雷バタと言われるらしいよ。なんでも雷が多くなる時期に獲れるからだそうだ」

「へえー、面白いですね」

 そんな話をしながらアカデミーでは、ホルト氏やラポネさん、衛兵長のペローさんに挨拶し、王宮ではロルフさんとお会いしました。

「殿下があいにく接客中でして」

「いやいや、離京のご挨拶だけなので、ロルフ殿からよしなにお伝えください」

「承知いたしました。しかし、早々の帰郷とは残念です。ポロの新年祭を見て行かれたらよろしいのに」

「ホッホッホ、派手な物は苦手でね、静かな田舎で新年を祝いたいのですよ」

「そうですか、お名残惜しいですが、無理にお引き留めは出来ませんね。お健やかに」

「ええ、ロルフ殿もご健勝で」

 王宮を後にした僕たちは、その夜ホテルでハドソン夫妻やヤドックさんと別れを惜しみ、翌朝ポロを発ちました。

先生のヌガもホテルの世話を受けて元気いっぱいです。

南東門を抜けて運河沿いにヌガを走らせます。

僕も風を纏わせて先生の横を走るのですが、ノ・ラの称号を戴いてから体がとても軽いのです。

神気の流れも以前より良く見えますし、風術に使う神気も増えた気がします。

川や運河など水の流れる所は、神気が集まりやすいので、まるで神気の流れと自分が一体化したように感じるのです。

『まるでこのまま神気の流れに乗れそうだな』

そう思った時には、僕はふいっと流れの中に身を任せていました。

まるで淡い景色の中を泳いでいるようです。

『おっと』

直ぐに現実に意識を戻すと、隣で先生が不思議な顔をされています。

「トビー君、今、君、消えなかったかい」

「えっ」

「一瞬のことだったが、ふっと君の姿が消えて一フィートばかり先に現れたように見えたのだがね」

「そんな風に見えたのですか…実は先生」

僕は神気の流れに身を任せたことを話しました。

「君はそんなことまで出来るようになったのかね」

先生は驚きを通り越して呆れたように仰るのです。

「何か以前あちらの世界で読んだ空想小説に、そんな能力が書いてあったように思うが…確かディメンション・トランスファー…此方の言葉にすれば次元移行…うーん、ちょっとイメージし難いね。そう、空間転移といったところかな。つまり今、君の居る空間から別の場所に、瞬時に移転してしまう能力の事だよ」

 その言葉が何故か僕の心にカチリと嵌まった気がしました。

何か今まで足りなかったピースが、きちんと収まったような感じです。

「先生、ありがとうございます。何か分かった気がします」

「え、そうかね」

「はい、何か僕出来るような気がします。やってみますね」

 僕は前方の大きな立木に目標を定めると、神気の流れでその場所に運ばれるような意識を持って「空間転移」と唱えました。

その言葉が終わるか終わらない内に、僕はその立木の下に立っていたのです。

「出来ちゃったよ…」

「トビー君、驚いたよ。君、やったね」

先生がヌガを駆って急いでやってきました。

「君は此の世界で、いや私の知る彼方の世界でさえも誰も為し得なかった瞬間移動をした世界で初、世界で唯一の人物になったのだよ」

 先生は興奮で顔を真っ赤にされていましたが、僕は割と冷静でした。

出来て当たり前というか、ようやく出来るところまで来たとかそんな気持ちだったのです。

「先生のご助言のおかげです。ありがとうございました」

「いやいや、全ては君の力だよ。そして、おお、ゴッデス。祝福を」

先生は指を組んで天に祈りを捧げました。

「先生、僕もう少し試してきて良いですか? もっと長い距離を行けるのかどうか確認したいのです。その間、お側を離れることになりますが」

「もちろんだよ。どんどん試したまえ」

「ありがとうございます。この先にある市場街まで行けるかどうか試してみます。もし、上手く行ったら、市場街の入口でお待ちしておりますので」

「ここから三時間以上もかかる距離だが、大丈夫かね」

「ええ、以前ヤドックさんと行ったイメージ通りなら、行けるような気がするんですよ」

「なるほど、君の記憶にあれば距離とは関係なく移動出来てしまうかも知れないということだね。面白い、試してみたまえ。成功したら市場の入口で会おう」

「ありがとうございます。では…」

 僕は以前目にした市場街の入口付近の光景を思い出しながら、神気の流れを意識して『転移』と、唱えました。

すると、一瞬で景色が入れ替わるように、僕は市場街の入口付近に立って居たのです。

だけど、その入口は年末の慌ただしさからか以前より活気があり、至る処に魚を入れる木箱や氷の入った樽が置かれていました。

つまり僕にある程度の記憶があれば、その場所に転移出来るのが分かりました。

その際には人や障害物との重なりも避けてくれるようです。

「便利になったなあ」

 僕は忙しなく動く人や荷車を見ながら、女神様から戴いた称号に感謝しました。

たぶんノ・ラの称号は神気との親和性をより高める効果があるのでしょう。

「そういや、祖父ちゃんも時々姿が見えなかったな」

ちょっと何処其処の御山に行ってくるよと、ふいと姿を消していた祖父のことが思い出されます。

そうして、一族が管理する夫々の山との連携を取っていたのかも知れません。

ただ、余りに便利な能力なので、一族以外には秘密にされていたのでしょう。

このことが明るみに出ると、グリザケット全体に迷惑が掛かってしまいます。

「そうだ、この力は隠しておかなくちゃいけないんだ。後で先生にもお話しておこう」

そう考えると、余りここでぼんやりしているのも目立ってしまうかも知れません。

先生との待ち合わせ時間まで、もう少しこの能力の検証がてら移動することにしました。

 何気なく物陰に入って「転移」と唱えます。

景色が入れ替わると、僕の目の前にはマクマの港がありました。

冬雲の下に何艘もの帆船が停泊しているのが見えます。

こちらでも、やはり年末の慌ただしさが感じられます。

荷車を引く者、樽を運ぶ者、船に掛けた板を渡って積み荷を出す者、運び入れる者。

多くの人達が立ち働いています。

 明日乗る帆船を確かめておこうと、僕は港の中を歩いてみました。

バコタの港から来た船なら今日は荷を積んでいる最中のはずで、そんな動きをしている人達を探していると、倉庫の一角から声が掛かりました。

「おおい、そこの兄ちゃん。ちょっと手伝ってくれねえか」

「僕ですか? なんでしょう」

「いや、ちょいと暇つぶしに網入れたら大漁でよ。シマエビが掛かりすぎて手が回らねえんだわ。二、三匹分けてやるからよ。網から外すの手伝ってくれや」

見れば倉庫の中で山になっている網がうぞうぞと蠢いています。

「ええ、いいですよ」

「ありがてえ、じゃ、こいつでエビに絡んだ網を外して、生け簀に放り込んでくれや」

細い棒の先が鈎形になった道具とバケツを渡されて、僕は網の前に座りました。

 八インチぐらいのエビが絡まっているのを、丁寧に鈎棒を使って網から外していきます。

外れたらバケツに入れて、それがいっぱいになったら生け簀に入れる手順です。

エビは甲羅のあちこちが尖っていて、そこにしっかりと網が絡んでいます。

しかもたくさんの足にも棘が付いているので、足が取れないように気を付けて網を外します。

「ふう、やっと取れたよ」

最後に引っかかっている弱々しい後ろ足を外して、やっと一匹です。

「ははは…素人なんだから、数は気にしなくて良い。丁寧に外してくれや」

「はい、分かりました」

 さすがは漁師さんです。みるみるエビを網から外していきます。

それでも網の山は、まだまだたくさんのエビで蠢いているのです。

絡みに絡んだエビの足を鈎棒で外していくのは、かなり根気のいる作業だというのが分かりました。

「僕なら転移で抜け出せるのにな」

おっと、うっかり呟いてしまいました。気を付けねば。

あ、でも転移じゃなくて収納ならどうでしょう。

一旦エビを収納して取り出す事が出来れば…ちょっとやってみましょう。

「にゃっ」

ビシッと跳ねたエビの尻尾に水を掛けられました。

どうやら、生きてるエビは収納出来ないみたいです。

死んでいそうな動かないエビで試したら収納出来ました。

「お、結構綺麗に取れた」

収納から出したエビを眺めていると漁師さんから声が掛かりました。

「あー、そいつは死んでるなあ。死んだやつは生け簀に入れずに別のバケツに入れといてくれや」

「はい、分かりました」

取りあえず死んでそうなエビから収納して、バケツに出して置きます。

それだけで、結構網に隙間が出来て外しやすくなるのです。

 無心に鈎棒を動かしてエビを外していると、ある考えが閃きました。

『収納も空間収納、転移も空間転移…空間から空間へ』

ひょっとしたら収納も転移も空間を利用している同じ性質の能力かも知れません。

『空間収納は閉じた別の空間、空間転移は出口の開いた別の空間…要は神気の空間が閉じているか、開いているか…か』

 目の下で動いているエビに指を当てて、網の外に出すイメージで『転移』と口の中で唱えます。

すると、まるで網が消えたように、エビが元の形のまま網の外に出ていました。

『おおっ』

これは大発見です。

僕の身体以外にも、僕が触れた物も転移出来るのが分かったのです。

 漁師さんにバレないように、収納と転移を使い分けながら、エビを次々に外していきます。

「お、兄ちゃん、えらく速くなったじゃねえか。コツを掴んだな」

「えへへへ」

「よしっ、もういいぜ。残りは俺がやれるくらいになったからよ」

「そうですか。楽しかったです」

「あはは…。兄ちゃん良い漁師になれるかもな。これは礼だ持っていきな」

漁師さんから死んだエビが一杯に入ったバケツごと貰いました。

「ありがとうございます」

「こっちこそ助かったぜ。機会があったまたよろしくな」

「はい、また」

 漁師さんと別れて港を出ると、誰もいないのを確認してエビを収納すると、僕は市場街へと転移しました。

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