第26話 褒賞

 擬装の施された豪華な四頭立てのヌガ車がホテルの前に到着しました。

モーニングにシルクハットの正装をした先生と僕が乗り込むと、ヌガ車は王宮へ向けて走り出します。

もはや通い慣れたと言っても良い王宮への道は、立派なヌガ車の窓から見るとまた違って見えるような気がします。

「やれやれ、大げさなことになったものだね」

「こんな事は初めてなので、もうドキドキですよ」

 何事かとこちらを見る人達、その人達に訳知り顔に説明する人がいて、徐々に人々が沿道に集まってきます。

その内に先生に気付く人がいて、歓声が上がります。

その人達に先生がシルクハットをちょっと上げて挨拶をすると、さらに歓声が上がるのです。

「ほら、君も挨拶をして」

そう促されて、僕もオドオドしながら、シルクハットを上げて、ぎこちなく手を振りました。

すると、先生にも増して歓声が上がるのです。

「グリザケット、グリザケット」

何人かが叫び出すと、あっという間に群衆が声を合わせて僕の種族を叫びます。

一体、王宮は今回どんな発表をしたのでしょう。

顔を強ばらせたままの僕を乗せて、大歓声の中をヌガ車は王宮の門を潜って行ったのです

 見慣れた正門には、今日は儀仗兵が立ち剣を揚げて出迎えてくれました。

真っ赤な制服にふんだんに金モールを施して、一段と派手になったロルフさんの後について長い廊下を進んでいきます。

今日はあちこち曲がらずに、真っ直ぐ謁見の間に向かうようです。

「どうです、驚いたでしょう」

「一体、何がどうなっているんですか?」

「何十年かぶりに下界に現れたグリザケットが、かの有名なワシュフル先生の弟子になり、この度アイリーネ殿下と共に、御神庭を騒がせた賊共を討伐せしめ、捕らわれていたアカデミーの院長を救ったというのが、王宮の発表ですよ」

「え、ちょっと…」

「扱いが英雄的でしょ。グリザケットとは、そういうものです」

それでも、全員の名前が入ってますからね、とロルフさんは笑いました。

「ほっほっほ…君がしたことに間違いはないし、これでも控えめな方だろうよ」

「えええ…ちょっと神気を使っただけなんですけど」

「トビーさんのそういうところに殿下は苛つかれるので、変に謙遜しないで堂々としていましょうね」

「ええ…はぁ」

ロルフさんにやんわりと釘を刺されましたが、僕としてはやはり偶然や幸運が重なって上手く事が運んだという気持ちが強いのです。

 謁見の間の大扉が開かれると、金で縁取られた赤い絨毯の先に殿下がおられます。

「サ・レ リチャード・ワシュフル殿、トビー・グリザケット殿」

大勢の人々が左右に居並ぶ中、僕たちは殿下の前に進みました。

「サ・レ ワシュフル。近こう」

「ははっ」

先生がさらに三歩進んで膝を付きます。

「グリザケットを従え、御神庭の危急を救い再び静謐を齎したこと誠に天晴れである。またアカデミーの院長代理として、その知見により院長不在の間を能く治めたることを賞し、褒美として金二百ポンドを与えるものとする。また年金に月十ポンドを加増することとする」

「ははっ、ありがたき幸せ」

先生が下がると僕が呼ばれました。

「トビー・グリザケット。御神庭を騒がせし賊共を捕縛し、アカデミー院長を救いしこと天晴れである。よって女神様よりノ・ラの称号を賜る旨お告げがあった。お受けするように」

 驚きました。神官は修行を終えて山に昇るとイ・エの称号を受けるのですが、どの山にも属さない女神様の僕として、天から稀に与えられるのがノ・ラの称号です。

富や身分などの恩恵は何も無いのですが、女神様の直臣と名乗れる大変な名誉なのです。

「え、僕には…」

「御神託であるっ」

有無を言わさぬ殿下のお言葉です。

「は、ははーっ。謹んでお受けいたします」

その途端、僕を柔らかな翡翠色の光が包みました。

「おおーっ」

居並ぶ百官が声を上げます。

「ノ・ラ殿、立たれよ」

殿下のお声が優しさを帯びています。

「其方は女神の直臣なれば、これからは例え王族の前といえども膝を屈する必要は無い」

「はい」

「では次に妾からの土産じゃ」

殿下が手を振ると、儀典官が目録を読み上げます。

「一つ、金二百八十三ポンド。一つ、服飾一式。一つ、黒蝶魚の魚卵香漬一樽」

「おお、なんと…」

「これは…羨ましい」

最後の品目を聞いた途端、式場がざわめきました。

 黒蝶魚の魚卵香漬というのは、ポロの北東を流れる大河シカリに生息する体長十フィートにも及ぶ大魚の卵を、熟練の職人が香草と共に絶妙の塩加減で漬け込んだ一品です。

この黒蝶魚がなかなか捕れないので、希少価値が高い上に王宮に納入される品は、名人と言われる職人の仕込んだ物なので、食通にとっては垂涎の的なのです。

「ほっほ…、これは良い物を」

背後で先生が喜ばれている声が聞こえます。

「どうじゃ、冠岩茸にホワイトグースのフォアグラと黒蝶魚の魚卵漬で、ポロの三大珍味が揃ったじゃろ」

殿下が自慢げに口の端を吊り上げます。

「はい、ありがとうございます」

「それにな」悪戯っぽく小声になりました。

「そのモーニングとタイとチーフで七ポンド六十シリングじゃ。褒賞金から引いといたからな。ああ、六十シリングは妾のポケットマネーからの褒美じゃ」

「こっ、細かいですね」

「ホッホ、為政者とは無駄使いをしないものじゃ」

「勉強になりますぅ」

「うむっ、大儀であった」

殿下のお声が儀式場に響きました。

「これにて褒賞の儀を終了致します」

儀典官の宣言で、僕たちは儀式場を後にしました。

 王宮の前にはまだ人だかりがあったので、ロルフさんの配慮で目立たないヌガ車を裏口に回してもらい、僕たちはやっとホテルに戻って来ました。

堅苦しいモーニングを脱いで談話室のソファーに座ると、やっと人心地がつきました。

ハドソン夫人が淹れてくれたお茶をいただきながら、先生と帰りの旅程について話します。

「おそらく山は雪が深いだろうから、帰りは船になるね」

「ええ、マクマからバコタへ行く便があれば、バスカブで降ろしてもらえると思います」

「問題はこの時期、バコタへの便に上手く乗れるかということだね」

「そうですねえ、冬漁はどうしても雪見魚ということになりますから、東のムランへ行く船の方が多いでしょうね」

「それか海峡を越えてオマーへ行くかだが」

「大型のマウロですか。今は脂の乗りが最高でしょうね」

「うむ、新年のセリでは千ポンドの高値が付くこともあるらしいね」

「うはぁ、恐ろしいですね。どんな味がするんでしょう」

「千ポンドとはいきませんが」と、ハドソン夫人がお茶を淹れ替えながら、新年のご馳走にマウロを買った時のことを話してくれました。

「あの時は、殿下のラーベンド州総督就任のお祝いに多くの方が招かれまして、ウチの宿も満室で御座いました。新年の祝賀ということで、主人とヤドックの二人がかりで大きなマウロを運んできたので御座います。なんでも王宮の買い上げを当てにして、かなりのマウロを水揚げしたらしく、少々の余りが出たらしいんですの。それを主人が安く買い付けましてね、それでも六フィート近くはあったと思いますわ。お腹がもうパンパンに張って、割るとピンク色の腹身に真っ白な脂が層になっておりまして、触っただけで脂が溶け出してくるんですのよ」

「ほほう、それはそれは」

「大皿に軽く炙った切り身を大輪を飾るように盛り上げましてね、レアなところを召し上がっていただいたんですの。皆様、それはもうお喜びでしたわ」

「ああ、素晴らしいですね。まるで目に見えるかのようです」

「ええ、あの時は本当に儲かり…あ、そうそう、それでですね、明日ヤドックがまたマクマに参りますので、バコタ行きの便があるか聞いてもらいましょうか?」

「おお、それは助かります。是非に」

「かしこまりました。それでは忘れないうちにヤドックに話してまいりますわ」

 ハドソン夫人が談話室を出て行くと、先生がフフフとお笑いになりました。

「夫人はあの時、僕も呼ばれていたのをすっかり忘れているね。確かにあのマウロは美味しかったよ。宿代もなかなかなものだったから、さぞかし儲かったのだろうね。こうして何年かしてから裏話を聞くのも面白いものだね」

「そうですね、おかげで船便の様子も分かりますし、上手くいけばマウロの一本も土産に買えるかも知れませんね」

「うん、いいね。あの時は刻んだタマネギに柑橘酢と塩、胡椒でマリネードした味付けだったから、ファームズヴィルではミリアンにソイズを使って作ってもらおうか」

「先生、それは良いお考えですよ。ああ、あのソイズの味。早く帰りたいですね」

僕にしてみれば、たった数日の滞在だったファームズヴィルが、今はとても懐かしく感じられます。

「うむ、まったくだ。もうポロは暫く遠慮したいね」

僕たちは船の知らせがいつ来ても良いように、帰宅の準備を整えることにしたのです。

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