第25話 真相

 翌日、ホルト氏の神気を巡らせた後、ロルフさんから昨日の状況を聞きました。

「残念ながら、マクマの方は取り逃がしたらしいよ」

昨夜遅く、港からの早馬が報せてきたそうです。

「積荷を検閲するのに制服で行ったからねえ。それと察して慌てて出航してしまったそうだよ」

 積荷はモンジュスト商会の大型船に積み込まれ、船は慌ただしく桟橋を離れて出港の順番を無視して、あちこちの船に体当たりしながら強引に港を出たそうです。

「おかげで昨日マクマの港は混乱して、船の修理やら桟橋の補修やらで、他の船は一艘も港を出ることが出来なかったそうだよ」

「うわあ、それは大迷惑でしたね」

「うん、船主から王宮に苦情が来るだろうね。頭が痛いよ」

渋い顔のロルフさんは、こうなったら是が非でも捕まえた連中から真実を聞き出してやると、息巻いて警備隊舎に向かって行きました。

 ホテルに戻って先生と昼食を摂りながら、その話をすると、先生は少し悲しそうな顔をされて、僕に窓の外を見るように促されました。

「見たまえトビー君、昨日から西風が強くなってきているよ。海はかなりの高波になるだろうね。普通なら二、三日出航は様子を見るところだよ。昨日出航したとしてもどこかの港に避難しなければならないところだろう。もし強引にドゥーエまで戻ろうとすれば、あまり良いことにはならないと思うね」

 そして、その言葉通り一週間ほどしてモンジュスト商船の遭難が報告されました。

乗組員のマルトロ人は全員無事でしたが、ガストル達は皆行方知れずになったそうです。

それを聞いてマクマの船主達は、あの日出港できなかった事が幸いしたと、王宮への訴えを全員取り下げたそうです。

 それから十日余り、先生の仕事が一段落した頃、ホルト氏の体調にも変化が見られました。

ようやく自力で神気を巡らせられるようになったのです。

そうなると回復はどんどん早くなり、三日もするとホルト氏は煙草の中毒症状から完全に抜けきりました。

「まるで、霧の中を彷徨っているようでしたよ。誰かの声が聞こえ、それに応えないと霧が薄くなるのです。そうなると苦しくて苦しくて、霧が濃くなることばかりを願って、声に命令されるままに何事かを為した記憶があります」

そうホルト氏は僕たちに話しました。

 元々好奇心の強いホルト氏は、秘書として雇ったロベス氏が煙草を吸うのを見て、ちょっと試すつもりで一服貰ってみたのだそうです。

「一服したら頭がクラッとしましてね。しばらくはまるで夢幻郷にいるような心地でした」

それからは執務に疲れた時などに、ロベス氏から貰って一服するようになったのだそうです。

「煙草を吸うと煮詰まっていた考え事が溶け出していくようで、気持ちが軽くなり、しばらくは無我の境地を味わうことが出来るのです」

 一度こうした気分を味わうと、その感覚から抜け出せなくなり、ホルト氏の喫煙は習慣化していきました。

しかし、ある日ロベス氏は申し訳なさそうに、そろそろ煙草の在庫が切れることを告げたのでした。

「彼方の世界から、たまたま持って来た物で、もう余り残っていないのだと聞かされたときは、目の前が暗くなりました」

それでホルト氏はどうにか煙草を集めてくれるようにロベス氏に頼んだのだそうです。

「ロベスの仲間や、彼方の世界から来た人々の中に煙草を持っている人がいたら、譲って貰うように頼んだのです」

 暫くはロベス氏の仲間や、人伝に頼んで煙草を買い取って貰っていましたが、いよいよもう切れるという頃になって、ロベス氏が煙草栽培が出来るという人物を見つけたと言ってきたのです。

「私は驚喜しました。なんとか栽培に目途がつけば、これで一生煙草に困ることが無いと考えたのです」

しかし、問題は栽培地でした。

 ポロの周辺は既に農作物の畑が出来ており他は荒れ地と森で、直ぐに耕作できる状態では無かったのです。

「それに私は煙草を独占したかった。もう、その頃には煙草以外のことは考えられなくて、日々苛々し焦っていました。耕作地が確保できないと知った時、私は秘密裡に栽培できて私一人が独占できる場所があることに思い至ったのです。それがアカデミーが管理を委託されている試神庭でした。あそこなら、場所を知る者は限られているし、風水害の恐れも無く安定して栽培することが出来ます。しかも滅多に王族も訪れないことから、加工の拠点を作るにも格好の場所でした」

今にして思えば、大変に不敬で不道徳な事でしたと、ホルト氏はしょんぼりと肩を落としました。

 計画は直ぐに実行され、ロベス氏の仲間という人たちと、煙草の栽培をしていたという農夫が試神庭に乗り込み、栽培を始めました。

「私はもう、一日千秋の思いで煙草の育つのを待ち焦がれていました。ロベスからは逐次連絡が入り煙草の生育状況を知る度に胸がワクワクしたものです。そして、ついに試験的な物だが煙草が完成したと聞いた途端、後は任せたと私はアカデミーを飛び出したのです」

「ははあ、それをラポネ君が聞いた訳か」

 ホルト氏は散らかった室内を整理して置いてくれと言ったつもりだったそうですが、それをロベス氏が上手く利用したのでしょう。

この時からホルト氏を試神庭に軟禁することを計画していたのに違いありません。

「試神庭に着いて、最初の一服を吸ってからのことは、よく覚えておりません。何種類かの煙草を試す内に、すっかり霧の中の迷い人になってしまっていたようです」

「ふむ、院長が最初に煙草を吸って、その魅力に取り付かれるまでにどれ程の日数が掛かったのです?」

「そうですね、手放せないと感じたのは十日ほど経った頃でした」

「なんと! 此の世界の人々には煙草はあっという間に習慣化する可能性があるということだね。これは危険なことですぞ」

先生は驚き、私たちも顔を見合わせて、その常習性の恐ろしさを感じたのです。

「なるほど、それでガストル達がああも動きが良かった事が頷けます。ホルト院長の為だけに、あれほど大規模な煙草栽培をするのは不自然ですからね」

ロルフさんが難しい顔をして、雪空を睨みました。

「あの船を取り逃がしさえしなければ、黒幕に辿り着けたものを」

「そういえば」と、僕は試神庭から出てきた彼等の会話を思い出しました。

「確か、あと二、三日だとか、此の国はもうすぐ俺たちの物だとか」

「おそらく、後二、三日というのはマクマから出航させる荷のことだろう。しかし、此の国が彼奴らの物になるというのは、どういう意味なのだろう」

「あの者達は、煙草が此方の住人に与える影響を早くから認識していたのではないかな。おそらく彼等の奴隷を使ってね」

「成る程、そういう訳ですか。彼等は此の世界の住人達を煙草中毒にして隷属させるつもりなのかも知れませんね」

「恐ろしい事を考えたものだね。ロルフ君、捕らえた者達の様子はどうかね」

「皆、口を揃えてホルト氏の指示だったと言っていますよ」

「簡単には口を割りそうにないですね」

「ええ、そこでトビーさんの出番というわけです」

「はあ?」

「神気を使ってどうにかなりませんかね」

「どうにかって…ロルフさん、神気はそんな万能じゃありませんよ」

「神気は祝福の無い者には結構な苦痛らしいですね」

「えええ…拷問は嫌ですよお」

「ははは…冗談ですよ。確か報告の中に導き玉というのがありましたね」

「ええ」

「あれでこっそり、彼らの様子を見ることは出来ませんかね。出来れば話している内容も」

「ああ、そう言う事ですか。それなら出来ますよ」

「彼らに導き玉がバレるということは?」

「いえ、導き玉は僕が信頼している人にしか見えませんから」

「おお、良いですね。それじゃ、お願いしても?」

「ええ」

 僕は上着の隠しから導き玉を取り出すと、警備隊舎に向かわせました。

彼らの牢での会話から何か分かるかも知れません。

「ところで、後から試神庭にやって来た農夫はどうなったのかな」

「ええ、あの人は本当に何も知らなかったようです。煙草の栽培農家でしたが戦火に遭い、こちらの世界へ渡って来るときに煙草の種を持っていたらしくて、何処かで栽培が出来ないかと話していたところへ、ロベス氏から話を持ちかけられたそうです」

「そう言う事では一味とは言えないね。彼はどうなるのかな」

「今後煙草の栽培はしない事。知らなかった事とはいえ、御神庭を穢したことは重罪であることを教え、今回は説諭と言うことにして返しました」

「うむ、温情ある裁きですな。して、ホルト院長の処分だが、こちらも温情ある措置をしていただけるのでしょうな」

「ワ、ワシュフル君、私は…」

何かを言いつのろうとしたホルト氏を制して、先生はロルフさんを一瞥して続けました。

「アカデミーの実態を把握出来ずに放置した王宮の怠慢もあることですからな」

「困りましたな。先生、王宮への批判は穏便に願いますよ」

「ふふっ、ならば裁きも穏便に願いたいものですな」

「王宮としては、このまま先生に正式にアカデミーの院長をお引き受け願いたいのですが」

「とんでもないっ。あんな書類だらけの場所にはうんざりだ。私にはファームズヴィルが合っているのだよ。今すぐにでも飛んで帰りたいほどだ」

「ふう、仕方ありませんな」

ロルフさんは肩をすくめました。

「殿下は寛大であらせられるので、ホルト院長の復帰はお認めになるでしょう。ただし」と、ロルフさんはホルト氏の顔を覗き込みました。

「院長室は使用禁止です。個室もいけません。煙草の常習性が完全に無くなったと確信できるまで、院長は事務方と同じ事務室で執務することになりますが、如何ですか?」

「もちろん、異存なぞ有るはずも無い。ありがたく受けさせていただくよ」

ホルト氏は嬉しそうに頷きました。

 それから十日ほどでホルト氏はアカデミーに復帰しました。

その間、僕は毎晩警備隊舎の牢で囁かれる悪漢共の話に耳を傾け、ロルフさんに報告していました。

首魁はやはりクートンという人物らしく、彼が泣き言を言うロベス氏に語ったところに拠れば、どうやら万が一の時には約束事があるようで、犯罪奴隷になった際にはモンジュストが買い取ることになっているから、鉱山などの過酷な労働を強いられることは無いというものでした。

「ほうほう、そこまでの約束事があるわけですか。それを逆手に取れるかも知れないですね」

ロルフさんはニヤリと笑って目を細めました。

「時に、先生はいつファームズヴィルにお帰りになるのでしょう」

「二、三日うちにアカデミーの引き継ぎも終わるので、その後だと思います」

「ああ、それでは王宮の褒賞の儀も急がなければなりませんね」

「褒賞…ですか?」

「ええ、アカデミー正常化並びに御神庭を占拠した者共の排除、そしてその一味の確保と、今回あなたと先生は数々の功績を上げられましたからね。その褒賞を授与する式典が開かれる予定です」

「え、そんな大層な事は…」

「大層な事なんですよ。なにせ犯人の捕縛に、殿下が自らお出ましになられたのですから」

「はあ…」

「トビーさん、モーニングはお持ちですか?」

「先生がお出かけになるときに良く着ておられる服ですよね。いえ、持っていませんが」

「では、仕立屋をよこしますので、大至急で作りましょう」

「え、必要なんですか?」

「ええ、王宮も政務を執る場所では必要ないのですけど、儀式となるとね」

「困ったな。実は僕この前高い買い物をしちゃって、手元が少々心許ないんですよ」

「心配いりませんよ。仕立代も褒賞の一部にしときますから」

「ええ、なんか…その、ありがとうございます」

「それにトビーさんは、先日殿下にお土産をねだったでしょう?」

「いや、ねだったって、ええっ、あれがそんな事になっちゃうんですか」

どうやら僕と先生は、またも殿下の思惑に乗せられたようです。

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