第24話 思わぬ展開

 翌朝、僕たちは南西門までキンメルさんを送りました。

「ここまで送っていただいてありがとうございます」

「いやいや、これから雪山を行くのだ。慎重に帰ってくれたまえよ」

「はい、先生」

「キンメルさん、これはハドソン夫人が作った携帯食です」

「おお、ありがとう。トビーさん、先生をよろしくお願いします」

「ええ、治療が終わってホルト氏が復帰したら、先生とすぐに帰りますよ」

「うんうん、ではこれで失礼します」

南西門を出たキンメルさんは、風に乗って瞬く間に姿が見えなくなってしまいました。

 僕と先生はハンサムに乗ってアカデミーに向かい、それから僕は王宮に向かいます。

「やれやれ、昨日は手首がおかしくなりそうだったよ。あれを今日も繰り返すのかと思うと気が重いよ」

「ものすごい量の書類でしたね」

「結局、ロペス氏のサインは無効になったから、全て決裁のし直しだからねえ。それにしても自分の年金支給書に、自分でサインをするのはなんとも妙な気分だったよ」

「ははは…得がたい経験でしたね」

「次の支給書はホルト氏に書いて貰いたいものだねえ。トビー君ひとつ頑張ってくれ給え」

「はい、最善を尽くします」

 先生をアカデミーで降ろして王宮に着くと、すぐに治療を開始します。

「トビー君、一服だけ吸わせて貰えんかね」

「院長、僕にはそんな権限はありませんよ。さ、神気の流れを拝見しますよ」

「ふんっ、気の利かん童じゃな」

ホルト氏と言葉の応酬をしながら神気の流れを見て行きます。

うーん、まだ巡っては居ませんね。昨日と同じように少しずつ神気を流していきます。

「ううっ、ふう…身体が重くて、いかん」

 神気を流し始めると、ホルト氏は気怠そうにベッドで動かなくなります。

神気の流れに乗った毒素が身体を巡るからなのでしょう。

やがて薄い煙が吐き出され始めると、少し寒いですが病室の窓と扉を全開にします。

この状態を暫く保って、毎日少しずつ体内から毒素を吐き出させる他はありません。

ロルフさんが毎回立ち会う訳にはいかないので、ある程度神気を動かした後は側仕えの方に様子を見るよう頼んで僕は王宮を出ました。

 日一日と寒さが増してきているように感じます。

「そうだ、ポロに居る間にコートを新調しよう」

元々二、三日のつもりでやってきたので、衣類も最低限しかありません。

暫く滞在しなければならないので、それなりに数が必要です。

幸い先生から戴いた給金が手つかずに有るので、これで買えるだけ買っておきましょう。

僕は仕立屋がありそうな商店街を目指して、大通りを越えて新市街へと向かいました。

 落ち着いた雰囲気の旧市街とは違って、新市街は寒くなってきても人々の往来が頻繁で活気があります。

「さて、仕立屋は何処かな」

半月ほど前、僕が服を新調したのは南門の近くだったので、ここからは少々離れています。

どうせなら違う仕立てを着てみたいと思ったので、なんとなくの感頼りで町並みを眺めていくことにしました。

雑多な店が並ぶ一角に差し掛かると、ふと最近嗅ぎ馴れた臭いが流れて来ます。

「まさか…」

これは間違いなく煙草の臭いです。

まだこの街に煙草を吸う者がいるようです。

僕は細い路地の奥から流れ出てくる臭いを辿って、ゴミの散乱する細道を探って行きました。

 急ごしらえの建物がそのまま何十年も使われて、今にも崩れそうに傾いていたり、火事で焼け残ったような板を貼り合わせて壁にしただけの店や、破れたテントを重ねて作った店で怪しげな物を売っていたりと、危険な香りのする路地です。

 そんな店の一軒から強い煙草の香りが漂ってきます。

僕はその隣で乾物を扱っている店先を物色する振りで、様子を窺いました。

「…て、ことはこれ以上の荷は揃わねえってことか」

「ああ、クートンの野郎がドジ踏みやがったせいで、計画が台無しだ」

「仕方ねえ、あるだけドゥーエに送るか。俺達の分は残しといていいんだろう?」

「当たりめえだ。たっぷり抜いとけよ。ここじゃもう手に入らねえんだからよ」

「モンジュストの奴、怒り狂うだろうな」

「ケッ、また奴隷に当たり散らすんだろうぜ。ベストロなんざ何人痛めつけられようが知ったこっちゃねえが、奴が気味の悪い笑い声で鞭を振るうのは金輪際見たかねえや」

「全くだ。じゃあ俺は明日マクマへ荷を運ぶから後は頼まあ」

 そこまで聞いたところで、びっくりするような嗄れ声が響きました。

「にいちゃん、買うのか買わねえのか、いつまでも店先に居られたんじゃ迷惑なんだよっ」

見れば店の奥から老婆がこちらを睨んでいます。

「あ、あのっ、えっと…じゃ、これと、これとこれもいただきます」

僕は手当たり次第に、手近にあった乾物の束を老婆に差し出しました。

「ふんっ、全部で十シリングだよ」

高っ、でもここは波風立てる訳にはいきません。僕は仕方なく半ソブリン貨を渡しました。

「おっ、金貨かい。へへっ、毎度どうも。また来ておくれよ」

老婆は歯の無い口を横にニイッと開いて、乾物をがさつに突っ込んだ袋を渡してきました。

「ああ、どうも」

袋を抱えて帰り際に隣の店をちらりと見ると、二人のガストルがこちらをじろじろと見ているのが分かりました。

僕は素知らぬふりで元来た道を戻ったのです。

 大通りに出たところで、丁度空のハンサムをつかまえたので王宮に急ぎました。

事の次第をロルフさんに説明して、マクマから明日以降出航するドゥーエ行きの便の荷物を調べるように勧めたのです。

「おそらく御神庭で作られた煙草の葉だろうね」

ロルフさんはすぐに警備隊長に連絡し、計画を練りました。

今日の内にマクマに警備隊を差し向けて網を張るのと、別働隊が明日新市街の店を急襲する事になり、僕は新市街の店まで道案内することになったのです。

 色々と段取りを確かめた後、再びホルト氏を見舞ってホテルに戻ると、先生は執務の疲れでぐったりと休んでいるところでした。

「やあ、トビー君ご苦労様。随分遅かったね」

「ええ、先生。実は…」

先ほどまでの経緯をお話したところで、先生から昨日捕まえたガストル達の中にクートンという者がいることを知らされました。

やはりあの二人は昨日捕まえた者達の仲間なのでしょう。

ドゥーエのモンジュスト商会も有名な大店で、一番多くの奴隷を抱えているそうです。

「思わぬ展開になってきたが、これで黒幕も見えてきたわけだ。後は容疑者達を確保すれば、芋づる式に辿り着けるだろう。それにしても君のことだから心配は要らないと思うが、明日は充分に注意したまえよ」

「はい、先生。僕は道案内だけなので、後は警備隊の皆さんにお任せするつもりです」

 キンメルさんのいない少し寂しい夕食を摂った翌朝、小雪がちらつく街路を、やっとつかまえたハンサムに乗って先生をアカデミーに送ってから、僕は王宮にやって来ました。

まずホルト氏の容態を確認して神気を巡らせてから、今日は捜査の打ち合わせです。

「トビーさんには、まずこれに着替えてもらいます」

僕は昨日犯人に姿を見られているので、少し着古したコート姿に着替えました。

「ついでに変装もお願いしますね」

ロルフさんが悪戯っぽく目を細めます。

「はいはい」

僕は右目と左耳に肉球を当てて、やや大きめの黒を意識します。

体色は茶色が良いでしょう。左手は少し汚れた白にします。

これで新市街なら何処にでも居る三毛の住人に見えるでしょう。

「ああ、良いですねえ、尻尾の先を黒にしませんか、ああ、それで結構」

ロルフさんが実に楽しそうです。

「では、打ち合わせ通りに私とトビーさんが先行します。後は散開しながら先行者に追随するように」

こうして僕たちはバラバラに王宮を出て、いかにも備蓄の買い物客のような体で新市街に入っていきました。

 細い路地を抜けて崩れかけた建物と破れかけたテントの店を過ぎ、件の店を横目に見ながら、ちらりと昨日のガストルの姿を確認しました。

乾物屋の店先に立った僕が視線で、ロルフさんに合図を送ると、警備隊の面々が件の店を囲むように配置に付いていきます。

 乾物屋のばあさんは…居た居た。相変わらず暗がりからこちらを睨んでいます。

今日は怪しまれないように、僕は商品を流し見ながら店先を横切って行きます。

「チッ」と舌打ちが聞こえました。そうそう毎日儲けさせてやる気はありませんよ。

 僕が乾物屋の前を歩き去ってすぐロルフさんの声が聞こえました。

「店主、すまんが中を見せてくれるかな」

「なんでえ、ここはアンタのようなご大層な紳士に売る物なんざ置いてねえぞ」

確かに昨日聞いたガストルの声です。

僕は皆からよく見えるように大きく頷きました。

「そうかい、じゃあ勝手に調べさせてもらうよ」

ロルフさんの声に、一斉に警備隊が店になだれ込みました。

「な、なんだっ、てめえらっ」

「さあ、なんだろうね」

ドタン、バタンと物の倒れる音、ガサガサと多くの捜査員が店内を探ります。

「あっ、やめろっ、そいつに触るなっ」

「ありましたっ、煙草です」

「てめえら何モンだっ」

「コラッ、大人しくしろ。警備隊だ」

「け、警備隊」

「王家の管理する御神庭を穢した一味として捕縛する。引っ立てよ」

「おうっ」

 手際よく縛られた人相の悪いガストルが店から連れ出されてきました。

その後からいくつかの箱を抱えた警備隊の面々が、厳めしい顔を作り周囲を威圧しながら出て来ます。

少し遅れて制服組が簡易荷車を持ってやって来ました。

店の周りに立ち入り禁止の縄が張られ、制服の警備隊員が立哨します。

その様子を見届けてから、僕はロルフさんに軽く黙礼してその場を立ち去りました。

 思わぬ捕り物になりましたが、マクマの方が上手くいけば、事件の全容解明に大きく貢献することになるでしょう。

また少し雪の降りが強くなったような気がします。

借り物の古いコートでは寒くて溜まりません。

早くホテルに帰って、ハドソン夫人の温かい料理を戴かなくては。

「そういえばコートを新調するんだったよなあ」

昨日、業突婆に半ソブリン毟り取られて仕立屋は諦めたのです。

僕はますます激しくなってきた雪から逃げるように、新市街を後にしました。

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